7月の第2週。 台風9号の影響で海はクローズになり、かつ風も吹かないだろうし、
SUPの板にセイルつけて遊んでもいいな、ということで久々に本栖湖を目指した。
実に10年ぶりくらいである。
本栖湖に行く目的はもう一つあって湖畔を1周ランニングすることだ。
トレーニングとかそういうことではなく、単純に景色と乾いた空気を楽しみたいだけ。
気持ちいいに決まっているからだ。
ウインド仲間で年末に湘南国際マラソンに出る。
同じショップのメンバー同士で6名。
勝手ながらショップネームを頭に着けたランチームができた。
今回は4人で走った。
朝9時に本栖湖キャンプ場をスタート。左回りに走る。
4人で走っても、スタートして5分も経つととそれぞれ黙々と走る。
連帯感とかそういうのは一切ない。
何かを始める時は一人だし、その足を持ち上げるのは自分しかいないからだ。
意外とクールなんだな。
スタートして瞬時に呼吸が辛くなった。
ここは標高900mオーバー。酸素が幾分薄い。
空気が澄んでいる分、直射日光が矢のように降り注ぐ。
ただ湿度が無いことが幸いで、木陰になるとヒンヤリするくらいだ。
想像していなかったキツイキツイ上りがあり、全速力で走り切れるくらいのなだらかな下りがある。
澄んだ濃いブルーの湖面を左手に、緑の鬱蒼とした道路には頭の上を覆う木々から日の光がこぼれる。
鳥のさえずりが聞こえるのでiPodで音楽を聴きながら走るのはお勧めしない。
どこかの小学校の体験学習だと思うが、まさに色とりどりのカヌーが賑やかに出艇準備をしている。
家族連れがスタンドアップをしている。
本格的なロードバイクがほとんど音を出さずに風のように走っていく。
日曜の朝の湖畔はそれは静かなもので、自然を満喫するというありきたりのフレーズがまさにピッタリしている。
あまり緑のない人工的な殺伐とした道、しかもそこがいつものランニングコースだと、実に多くの雑念が脳裏をかすめる。
いつも自分が走っているコースと思わず比較せざるを得ない。そういうコースだ。湖畔というのは。
殺伐なコースを走ることは極めて自閉的な作業であり、多くのランナーがそうであるように、自分の筋肉に問いかけ、肺活量に問いかけ、
スピードの増減に敏感になり、闘いの相手を自分自身の中に求めるようになる。
でも、走りながら聴く鳥のさえずりは、枝に留まっている鳥の姿を想像させ、
風に揺れる木々は、そこから手に届く富士山から降りてくる風について考えさせ、
青く透き通った湖の水の透明さに、自分の体液の濁りとは程遠いことを実感させる。
いつもの日常から少し移動するだけで、思考すら開放的になるということだ。
きっと自然にはいろいろな波動とか、生命力とか、神秘的ななんとかかんとがいっぱい詰まっているのだろう。
でもそんなものは見せかけやまやかしでしかなく、
結局のところ、自分自身が持つ感受性が刺激されて昇華したものが自然の力なのだ。
走っている間は自分自身こそが自然なんだな、と思わせる。
もちろんそれは真実な気もするし、虚構な気もする。
まあどっちでもいい。
とにかくランニングとは、目に映る世界から自分の意識を奥深く刺激して継続的に運動を磨く行為なのだ、と思った。
コンテストサーファーとソウルサーファーがいるように、
レースランナーとソウルランナーがいるかもよ、だ。
~~~ただ走って気持ちがいい、だけではあまりにも勿体ないシーンだったのでそう思ったのかもしれない。
ちょっとした環境の変化で、自身の変化に敏感になる。
でも行き着くところ、この自然は保護しなくてはならない。
自然は永遠ではなく有限に、いつか無くなる。経年的に、人為的に。
ここで数え切れぬほどウインドサーフィンをしてきて感覚的には同じ思いを持っていたが、
ランニングはまた違う思考回路を刺激する。
歳をとっただけかもしれないけどね。
ゴールしてからキャンプ場の凍るような冷たい水道水でタオルを濡らし、全身の汗を拭き取る。
午後にはウインドサーフィンが控えていたが、とりあえずビールを頂く。
地球の自然は有限だけど、ビールのうまさは未来永劫だったね。
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