思いつくままに書いています

間口は広くても、極めて浅い趣味の世界です。
御用とお急ぎでない方は、ごゆっくりどうぞ。

兵庫芸術文化センターで『鴎外の怪談』を観て 今年の観劇ベスト作品候補です!

2014年11月19日 | 観劇メモ
最近、ひんぱんに兵庫芸文センターに通っていますが、11月8日(土)もここで二兎社公演『鴎外の怪談』観劇でした。
近頃よく渋滞する阪神高速ですが、幸いこの日は渋滞も大したことなく、1時間余りで到着。
いつもの障碍者スペースに駐車して、これまた最近定番の劇場近くのお手軽イタリアンで昼食を済ませて阪急中ホールへ。

今回も先行予約のおかげで最前列の良席が確保できました。最近ずっとこういう席ですが、やはり臨場感がすごいです。クセになります。(笑)
舞台のセットは最近にないリアルな出来で、感心しました。後日劇場で買ったパンフレットを見ていたら、裏表紙に鴎外の旧宅の図面が掲載されていました。その図面と舞台セットが同じなので再度感心しました。12畳の洋間です。今回の芝居はすべてここで行われます。

ということで、いつもの薄味な感想です。例によって敬称略。画像はパンフレットから。

まず鴎外役の金田明夫


初めて舞台で観ましたが、小柄な人ですね。でも味のある演技で、鴎外とはこういう人物だったろうなと思わせる説得力がありました。
写真で見る鴎外は取り澄ましていて冷たい感じですが、実際はこんな人物だったかもと思ってしまう説得力がありました。

でその鴎外ですが、動揺常なきインテリです。
後妻と姑の苛烈な対立に悩み、また親友の元陸軍軍医・賀古(もう俗物もいいところで、なぜ付き合っているのか疑問)との交遊の一方で、その対極というべき雑誌「スバル」の編集人で大逆事件の弁護人・平出修とも付き合っているという矛盾した存在です。さらに若き日の永井荷風とも文学を論じ合うという、複雑な人間関係の中で生活しています。

こういう複雑で、まあ二股膏薬というか、ジキルとハイドというか、鵺のような存在の鴎外を、金田明夫は時にコミカルに時にはシリアスに丁寧に演じていました。いい役者さんですね。
そういえば昔鴎外の墓を見たことがありますが、大正デモクラシーを象徴する素朴で飾らないいい墓石でした。

本当に鴎外の交遊関係は複雑です。


芝居を観ながら、森鴎外とはどういう人物だったのか、考えさせられました。
当時の軍医の最高位・軍医総監まで上り詰めながら、一方ではドイツ留学を契機に西欧の文学や、当時の最新の自由思想に触れて日本に紹介したり、それらをもとに次々と文学作品を発表。でも「ヰタ・セクスアリス」が風紀を乱すということで発禁処分を受けたりしています。
でも常識に囚われない進歩派だったかというと、留学中に知り合ったドイツ女性が、彼を追ってはるばる日本まできたのに冷たく追い返すという仕打ち。その一方で大逆事件で不当逮捕された人々の弁護にも手を貸すという二面性がナゾですね。まさに「鴎外の怪談」です。

その鴎外の後妻・森しげ役は水崎綾女

最初セットの廊下での台詞がやや聞き取りにくい感じだったので心配しましたが、その後の芝居では文句なしに聞き取りやすいセリフで安心しました。まだ若くて舞台経験も多くはなさそうですが、底意地の悪い姑の露骨な嫁いびりと互角に渡り合って大したものです。(笑)
きれいな容貌ですが、パンフレットの写真では実物のほうがさらに美人なようです。(殴)

写真の説明にもあるように、文筆活動にも携わるなど才色兼備で気の強い女性だったとか。しかし鴎外もかなり面食いですね。

雑誌の編集者で文筆活動でも知られて、さらに弁護士の平出修役は内田朝陽。長身で、舞台のセットが窮屈そうです。

平出 修は鴎外から、当時強まっていた西欧思想の排撃と言論統制で入手難になっていたプレハーノフやクロポトキンの本を借りて読むなどして、新しい西欧思想をどん欲に取り入れようとしています。
このあたりの場面には、演出家の、現在の日本の偏狭な国粋主義の風潮や、「特定秘密保護法」をはじめとする安倍政権の危険な動向に対する鋭い批判が込められていますね。
内田朝陽の平出 修は、大逆事件の被告を何とかして救おうと弁護に四苦八苦する姿をよく演じていました。
実際の裁判での平出の弁論は裁判の不当性をいろんな角度から指弾していて、死刑の不当判決を受けた被告たちの唯一の救いになったとか。被告たちの獄中からの手紙にはどれも平出の弁論に対する感謝が綴られていたそうです。森鴎外がその弁論構成に一役買ったというのは史実でしょうか。

一方当時の文化の最先端を行っていたのが永井荷風。佐藤祐基が演じています。

彼も内田ほどできないですが長身です。なかなかのイケメン。演技も他の俳優同様安定していました。
私は知らなかったのですが、永井荷風はアメリカやフランスに留学するなど、時代の最先端のキザな生活を送っていて、後年の作品などから受ける私の作家の印象とは大きく異なっています。同じ海外留学経験のゆえか、荷風は鴎外の屋敷によく出入りしていたとか。

この芝居で一番インパクトのあった登場人物が、鴎外の母・森 峰役の大方斐紗子

もう100年の時空を超えて森 峰が蘇ってきて、大方斐紗子に憑りついたとしか思えないほどのリアルさ。意地悪さが演技とは思えません。いやほめてます。
ただし、史実では鴎外にしげとの再婚を勧めたのが峰だったりするので、複雑です。

本当に大方斐紗子は完璧な演技と台詞です。骨の髄まで憎々しいです。
この人、歌唱力にも定評があり、シャンソン・コンサート『エディット・ピアフに捧ぐ』をライフワークとしているとか。機会があればぜひ聴いてみたいですね。

リアルといえば賀古鶴所役の若松武史もなりきっていました。

もう絶対いますね、こういう人物。俗っぽく計算づくで、上の顔色ばかりうかがっていて、常識から一歩も出ない人生観の持ち主。

でもそういう人物と、開明的な西洋思想に触れた経験のある鴎外とが親友関係にあるのがナゾです。これも怪談です。

若松武史はうまい役者さんですね。一つ一つの表情・セリフ・仕草から、嫌な奴のオーラが満ち満ちています。
感心しました。

今回の芝居で脚本の妙といえるのが、女中・スエ。演じているのが高柳絢子

スエは架空の人物ですが、これがなかなかのツボでした。
はじめのうちは、よくシリアスな芝居で設定される笑いを取るための癒し系というか、息抜きの役かと思っていたのですが、これが実はプチ・ドンデン返しな役。
まだ公演日程がありますのでこれ以上は書かないことにしますが、キーワードは大石誠之助です。
脚本・演出の永井 愛の大石誠之助に対する想いがスエという形で表現されているのだと思いますが、この設定、大好きです。私も大石誠之助について少し調べたこともあるので、こういう形で紹介されたのがうれしかったですね。
で、高柳絢子はこの意外な展開の役をうまく演じていて、観劇中から好感度極大。まだ若いけど、いい持ち味のある役者さんです。


ということで、今回は二兎社も、脚本・演出の永井愛も初めてなら、登場人物もみんな初めて観た役者さんばかり。
そして題名からしてどんな話なのかまったく見当がつかない観劇でしたが、すべてが満点。よかったです。

こまつ座とはまた違った味わいがあり、ぜひまた二兎社や永井愛の作品を観てみたいと思いました。

この公演、12月11日の北海道たかすメロディーホールまで全国ツアーが行われています。ぜひご覧ください。おすすめです。



さて次は宙組「白夜の誓い ―グスタフIII世、誇り高き王の戦い―』『PHOENIX 宝塚!! ―蘇る愛―』の感想です。
芝居のほうは、これまたいい舞台でした。さすが原田 諒先生です。

遅い更新ですが、またアップしたらご覧になってください。



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兵庫芸文センターで「炎 アンサンディ」を観て 

2014年11月12日 | 観劇メモ
このところ、クアッドコプタ・Phantom2にスッポリはまってしまって、暇を見ては飛ばしに行く始末。(殴)

なのでただでさえ遅いブログの更新がさらに滞っていますが、この辺でちょっとPhantom2のほうは休憩して、たまった観劇感想を書いていきます。m(__)m
その第一弾が兵庫芸文センターで観た『炎 アンサンディ』です。

題名がその前に観た『炎立つ』と似ているのでチケットを申し込んだ時点ではややこしかったのですが、当然内容は全く別物。

こちらの舞台はカナダ・モントリオールとレバノン。始まりはモントリオールからで、突然の母の死を前にして、双子の姉弟がそれぞれに託された母の遺言の中に込められた願いをかなえるため、母の祖国レバノンを訪れるという展開です。

姉弟それぞれの話を追っていくうちに、次第に明らかにされていく衝撃的な事実(まるで映画の安っぽい宣伝文句みたいですが^_^;)。
まあなんというか、ギリシャ悲劇のようで、最初のほうの芝居で若い二人がかわす現代風な会話から受ける舞台の印象が、途中からガラっと変わっていきます。内戦のレバノンでの深刻な抗争の中で展開される悲劇が重いです。

ギリシャ悲劇風であり、また謎解きのサスペンス風でもあるこの芝居、観ていくうちに「あれ、これどこかで見たような話だな」と思い始めました。それも最近見たような感じです。心の隅でどこで見たのかなと自問しながら舞台に見入っていました。

で、幕間にヨメさんにそのことをいうと「何言うてんの!この間見た『灼熱の魂』やんか。もう忘れたん?」
そうですね。WOWOWで見ていました。2010年のカナダ映画です。その時も見ながら「これギリシャ悲劇みたいやね」とか言っていたのも思い出しました。ちなみに劇の題名のアンサンディとは映画の原題「Incendies(火災とか火事の意味)」からとっているようですね。

でも映画と芝居ではストーリーは同じでも、また別の味わいがあります。映像に頼らない分、芝居のほうが直に感覚に伝わってきます。
なんといってもよく組み立てられた脚本で、重厚な中にもスリリングな展開がすごいです。

ということで、個別の感想です。いつものとおり敬称略です。

まず母親ナワル役の麻実れい


今回の舞台では座長芝居という感じでした。この舞台の素晴らしさは彼女の渾身の演技に負うところが大きいです。長年の麻実れいウォッチャーなヨメさんも、今回の舞台が一番よかったというほどの出来。
それぐらい力の入った演技でした。初演のフランス版では3人の女優が演じ分けたというタイムスパンの長い話ですが、それをセリフの声のトーンを巧みに変えたり、微妙に身のこなしを演じ分けたりして年齢の違いを表現していました。

いつまでも衰えを見せない彼女の力量と努力に感心しました。

次に眼を引いたのがニハッドの岡本健一

初めてお目にかかりましたが、パンフレットの経歴を見たら、芸歴が豊富で、舞台では蜷川の『タイタス・アンドロニカス』にも出ていたようですね。麻実れいともそこで共演していますね。
でも私は当時ヨメさんに誘われてその舞台を観ていますが、全然記憶にありません。^_^;
しかし今回はしっかりと観られました。(笑) 寝なかったし。(殴)
台詞がちょっとジャニーズ事務所らしい風味が感じもしますが、演技はしっかりしていて大した役者ぶりです。しかも劇中で医師やガイドや墓地管理人や老人、ナワルの最初の恋人役など何役も務めていて大奮闘。よく台詞が回るものだと感心しました。

双子の姉弟のジャンヌを栗田桃子、シモンを小柳 友が演じています。

この二人も複数の役を演じていて、栗田桃子はなんとナワルの祖母ナジーラも演じ、小柳 友も民兵を演じるなど頑張っていました。

現代の若者が次第に変わっていく様子がよく演じられていて、好感度大な感想となりました。

まあ兼務といえばなんといっても中村彰男が頑張っていました。

元看護士のアントワーヌに加えてシモンのボクシングコーチ・ラルフ、ナワルの故郷の村の長老、学校の門番、抵抗勢力のリーダー、産婆!、戦争写真家と大活躍。それも同じ役者とは到底思えないほどうまく演じ分けていて、すっかり騙されました。(笑)
演技に説得力があって大したものです。

ナワルの母ナジーラとナワルの友人サウダを演じたのが那須佐代子

渾身の怒りと悲しみ、魂の叫びをぶつける演技に圧倒されました。

中嶋しゅうの公証人エルミルはちょっと物足りない感想になりました。

この人は、最近観た『おそるべき親たち』でも感じたのですが、割と存在感が薄いユルイ演技が持ち味?でしょうか、ちょっと私としては残念感のある役者さんです。
似たような残念感は、こまつ座の『藪原検校』で狂言回し役を務めた浅野和之にも感じました。

繰り返しになりますが、今回の舞台はなにより麻実れいが久しぶりに全力投球したいい作品になっていて、見ごたえ十分でした。その渾身の演技に呼応して他の役者さんもいい演技で、最後は全員総立ちで拍手。
しかもこの日が大千秋楽とあって、終演後担当プロデューサーが司会して、演出の上村聡史と麻実れい、岡本健一によるアフタートークもあり、大満足。この演出家にも今後注目したいですね。

予想以上の大作で、心地よい余韻を味わいながら、帰途につきました。いい一日でした。

さて次は今回の『炎 アンサンディ』と並ぶ今年の収穫といえそうな『鷗外の怪談』の感想です。頑張らないと。

さらに明日11月13日は久しぶりのタカラヅカ観劇です。どんな出来になっているでしょうか。




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こまつ座『きらめく星座』を観て いい脚本といい演技 至福のひと時でした

2014年11月02日 | 観劇メモ
前回のこまつ座観劇は『太鼓叩いて笛吹いて』でした。なので本当に久しぶりに井上ひさしの世界とご対面です。

道中は全く問題なく、余裕で劇場に。
最近すっかり定番になった、劇場近くのチェーン店のイタリアンで昼食後ロビーに戻りました。兵庫芸文センターに通うようになってわかったのは、入り具合が開場前でもロビーの様子で大体予測できることです。この日はあまり活気がなく、ちょっと苦しいかなという感じでした。

席は最前列のほぼド真ん中。パソコンで予約した成果です。(笑)
座ってから振り返ったら、やはりR・S・T・U列の左右がぽっかり空いていました。もったいないです。

ちなみに、ご存じの方も多いと思いますが、最近まで日経新聞の「私の履歴書」欄に、名誉理事の植田紳爾氏が経歴や苦労話(自慢話も(笑))を連載していました。
これがいろいろ裏話が豊富で非常に面白いのですが、ある日の話として「一般の演劇は60%入れば採算が合う。しかしタカラヅカはその採算ラインは80%。なぜなら衣装とかの経費が豪華で経費が掛かっているから」といった意味のことを書いていました。

それでいうと今回のこまつ座公演はなんとかOKだったのでしょうが、そんな下世話な話は別にして、今回の「きらめく星座」は非常に面白くてしかも考えさせられる題材だったので、もっと多くの人に観てもらいたかったですね。

それと、タカラヅカでいえば、ここ数年でもその採算ラインのクリアが厳しそうな公演もけっこうあったので、歌劇団も大変だと思いましたね。植田紳爾氏自身が、駆け出しのころ不入りな舞台を担当して、苦境に立った体験を書いていて面白かったです。
演出家も本当に大変です。この連載、他にもいろいろ裏話があるので、タカラヅカファンでまだ読まれていない方はぜひ読んでみてください。

話が脱線しましたが、この『きらめく星座』は本当にいい舞台でした。帰宅してヨメさんと話して、これまでの井上ひさしの作品の中では初見の『黙阿弥オペラ』に次ぐ出来ということで一致しました。

それではいつもの散漫で薄い感想です。

話は『闇に咲く花』『雪やこんこん』とともに作者自身が『昭和庶民伝三部作』としている作品です。ストーリーは次第に戦時色を強める時代に、敵性音楽としてジャズなどが禁止されてレコードが叩き割られるような世相の中で、明るく暮らすレコード店の家族を描いています。

演出担当の栗山民也
‥日本を含めた世界中が諍いのきな臭い空気をただようこの時期に再び上演することになるとは、今の時代に求められた作品なのかもしれない』と記しているように、本当に時代に警鐘を鳴らすタイムリーな内容ですが、そんな固い題材でも井上ひさしは見事に楽しめる作品として私たちの前に提示してくれています。

本当にいつもの『むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに』という井上ひさしの口癖がそのまま作品化されていました。

それと印象的だったのは、当局に外国かぶれの敵性音楽とか、内容が退廃的・思想上不穏などとして禁止された音楽のきれいなこと
中でも公演のタイトルである『燦めく星座』は耳に残る名曲ですが、それすら歌詞に陸軍の象徴である「星」を軽々しく使ったとして問題視され、レコード会社の代表は出頭させられて厳重な訓戒を受けたとのことです。こうなるともう言いがかりとしか言えないです。

でもこういう極端に振れる風潮が過去のことではなく、現在のヘイトスピーチの横行や、「特定秘密保護法」などに代表される「戦前レジームへの回帰」を目指す危うい政治とつながっているように思えて仕方がありません。

それはさておき、印象に残った順で出演者ごとに感想です。敬称略です。

今回の舞台で一番目立つ好演技だったのが秋山菜津子

レコード店「オデオン堂」の主人小笠原信吉の妻・ふじ役です。ふじは以前松竹少女歌劇団に所属、歌手を経験した後オデオン堂の後妻になります。
秋山菜津子は以前のこまつ座の「キネマの天地」や「藪原検校」の「お市」役で出演していたのを観ていますが、今回がベストだと思いました。いい役者さんです。

とにかく小笠原家はふじで回っています。芯が強く明るくポジティブな性格で、一家を襲ういろいろな出来事に対処していきます。

台詞も歌もいうことなしです。義理の息子が応召するも脱走し、一家は憲兵に付きまとわれますが、そんな中でも気丈にふるまって苦境をしのいでいきます。そんなふじを過不足ない演技で造り上げています。途中の歌もよかったです。この人の舞台、また機会があれば観たいですね。

その夫・信吉役は久保酎吉

かなりふじとは年齢差があり、もう老境にさしかかっていて、性格も穏やかでいかにも好々爺です。どちらかといえばハデな経歴のふじとの関わりがナゾで、観ていて「この二人、なぜ一緒になったのかな」という疑念が付きまといますが(笑)、そんなわけアリの年の差婚の夫婦というのが逆に話にリアリティを与えています。世間にはそういう組み合わせがナゾな夫婦がかなりいますからね。(笑)

久保酎吉は手堅い演技を買われていろいろな舞台に出ています。私たちも『祈りと怪物 ~ウィルヴィルの三姉妹~』とか『しゃばけ』、『それからのブンとフン』などでおなじみの役者さんです。今回の信吉も、目立たない役ながらしっかりとした存在感があって好感が持てました。
とても演技とは思えない自然さが光っていました。

長男・正一役は、本来田代万里生が演じる予定でしたが、突然の怪我で急きょ峰崎亮介が代役することになったものです。


でも彼はがんばって正一役をよく務めていていました。私は休憩時に買ったプログラムに挟まれていた「キャスト変更について」を見るまでは代役とは全く知りませんでした。

しかし急な代役とは思えないいい出来で、素朴で純粋で一途な青年がピッタリ。全く違和感なく観られました。まだ全くの新人とのことですが、しっかりした演技と滑舌のいいセリフで先が楽しみです。

今回の公演で再見できてうれしかったのが長女みさを役の深谷美歩

頭痛肩こり樋口一葉』で一葉の妹・樋口邦子を絶妙の演技で好演していたので、今回楽しみにしていましたが、予想通りの出来栄えでした。よかったです。
前回「頭痛肩こり樋口一葉」の感想で私は、
「すっきり明快で耳に心地よく聞こえるセリフがまず印象的。それと、抑えた中にも芯の通った安定した演技が光っていました。姉を慕い、世間体を優先して家計を顧みない母・多喜にも辛抱強く従う邦子を自然体で好演。」と書いていますが、今回のみさをも似たような印象の女性でした。
今回も一家に降りかかった非国民という非難をかわすために進んで一家の犠牲になるみさをです。

どうも井上ひさしはこういう「健気で、おとなしいけど芯のあるやさしい女性」というのがお気に入りなようですね。よく登場します。で私も、思わずそれに共感してしまったり。(笑)

みさをの夫となるのが傷痍軍人・高杉源次郎役の山西惇

この人も「相棒」シリーズなどテレビドラマでも活躍しているのでご存知の方も多いと思いますが、私も最近の『』や『それからのブンとフン』などの舞台で観ていたので、安心の配役でした。
ガチガチの軍人ですが、まったく世界観の違う「オデオン堂」に来て、最初はギクシャクしながら次第になじんでいきます。そんな内面の変化の過程をよく演じていました。

小笠原家の人々とまったく異なる人物といえば、憲兵伍長・権藤三郎役の木村靖司

まじめで職務に熱心な憲兵です。出てきたとき思わず緊張しました。(笑)
脱走兵の正一の行方を追って頻繁にオデオン堂に顔を出します。でも強面の憲兵でありながら、どこか憎めないところがあって、まったくの悪役ではないのが井上ひさし流。この人はこれまで舞台ではお目にかかっていませんが、いい役者さんでした。
そういえば今回の芝居にも悪人は出てこないですね。

紹介が遅れましたが、うまい役者さんといえばなんといっても『キネマの天地』『太鼓たたいて笛吹いて』でおなじみの木場勝己

今回は広告代理店?で宣伝文句を作る仕事をしている竹田慶介を演じています。どうして小笠原家に出入りするようになったのか忘れましたが(殴)、昔はこういう、なんでその家に出入りするようになったか分らない人がいたりする穏やかな人間関係がありましたね。

今回の舞台で音楽を担当しているのが居候の森本忠夫役の後藤浩明

普段の演劇へのかかわりは作曲・演奏・音楽監督としてが中心だそうですが、今回は登場人物を兼ねながら、芝居の中で使われている歌謡曲やジャズのピアノ演奏も務めていて、楽しそうでした。

出番は少ないながら、防共護国団団員甲と電報配達の若者役の今泉薫や、同じく防共護国団団員乙と魚屋の店員役の長谷川直紀もそれぞれよくやっていました。

舞台は真珠湾攻撃が始まる直前で終わります。出演者全員が防毒マスクを付ける場面で幕となります。その幕切れが、その後の小笠原家をはじめすべての登場人物の運命を、観客が歴史上の事実を重ねながら、いろいろ想い描く余韻を作っています。

終わってみれば観客全員がスタンディングオベーション。舞台と観客席が一体となって井上作品を楽しめた証でした。よかったです。人物描写のしっかりしたよくできた脚本と、作者を熟知した手慣れた演出、そして芸達者の役者ぞろいで、こまつ座の芝居の醍醐味を味わえた至福の時間でした。

基本的に喜劇ですが、笑いながらもいろいろな思いに駆られる舞台でした。未見の方は機会があればぜひご覧ください。
おすすめです






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兵庫芸術文化センターの「炎立つ」。いい舞台でした。 

2014年09月24日 | 観劇メモ
9月15日に兵庫芸文センターで『炎立つ』を観てきました。前回の『日本の面影』観劇以来3か月ぶりです。
12時開演なので早めに出発。劇場地下に駐車してからホールへ上がり、そのまま劇場近くで昼食を済ませました。

再びホールに戻ったら結構な会場待ちの人の列。ホールに並べられた花の写真などを撮ってから、私たちも列に加わりました。
ほとんどが片岡愛之助さんに送られたものですが、三田和代さんや益岡徹さんへのものもありました。




私たちの席はJ列の下手側。傾斜が急になっている席ですが、ヨメさんは頑張ってたどり着きました。でもその分観やすくてよかったです。

で、観劇の感想です。いつものとおり敬称は省略させてもらっています。以下の画像は当日購入したプログラム(舞台衣装バージョンです)からの抜粋です。

舞台は古材のような材木で階段状作られています。役者さんたちは大変そうです。
衣装とかも簡素で、カツラもつけず地毛のまま。でもそれが途中からまったく気にならなくなるほど内容の濃い舞台でした。
演奏は宮野弘紀浦田恵司金子飛鳥の3人。効果的な音楽演奏で舞台を盛り上げていました。音楽担当は金子飛鳥です。

時代は約1000年前。「前九年の役」と「後三年の役」が背景になっています。
当時東北を支配していた蝦夷の末裔・安倍氏と清原氏が反乱を起こし、それを源義家が平定し、その後藤原清衡が平泉を中心に100年の間平和の楽土を築くまでの話です。
ちなみに『役』とは、蒙古襲来の文永の役とか弘安の役のように異民族との争いに使う言葉とのことで、安倍氏や清原氏との戦いは朝廷にとっては異民族との戦いだったのですね。

今回の舞台での演出家の視点はあくまで大和民族ではなく蝦夷の立場に立っていて、その上で朝廷との対立とキヨヒラ(清衡)とイエヒラ(家衝)の血みどろの抗争を描いています。

冒頭の舞台では、長い戦のあと荒れ果てた東北の大地に一本の杭を打ち込むキヨヒラ(清衡)の姿が。
これはプログラムで演出担当の栗山民也が記しているように、
広場の真ん中に、花で飾った一本の杭を立てよう。そして人を集めよ、そこに祭りが始まる。」(J・J・ルソー)という言葉からきています。まず第一に東北復興への強い願いが込められていると思いますが、同時に不毛な戦いではなく平和な楽土を築きあげたいという演出家の強いメッセージが感じられました。観るものによってさまざまな解釈ができる象徴的な場面です。
余談ですが、私はこの広場祭りというフレーズで、『イーハトーボの劇列車』の中の台詞のひとつを思い出しました。

さて舞台はこの場面のあと、一挙に戦乱の時代へと遡っていきます。

芝居が始まってすぐ、コロスの使い方の巧みさが眼につきました。
まるでギリシャ悲劇に登場する巫女のような舞台衣装です。
コロスのメンバーは4人で、一倉千夏上田亜希子坂本法子山崎薫。いずれも歌い、語り、戦闘場面では立ち回りさえ演じ、さらに他の登場人物にも扮して大活躍でした。


4人のコロスを率いるのが巫女カサラ新妻聖子が見事に演じていました。
この人はこまつ座の『それからのブンとフン』ではあっけらかんとした小悪魔役でしたが、圧倒的な歌唱力で凄いインパクトでした。
今回もアラハバキの予言を伝える巫女として半ば魑魅魍魎な存在ですが、歌が絶品な出来。
歌い上げる曲はもちろん、ささやくような抑えた歌でも澄んだ透明感のある歌声で胸に沁みました。本当に大したものです。




ブンとフン」ではこんな感じ↓


主人公・キヨヒラ(藤原清衡)を演じるのは片岡愛之助です。初めて観る役者さんです。
さすがに歌舞伎役者だけあってよく通る声。役柄は三宅健演ずる弟・清原家衡のような激しい性格ではなく、過酷な運命にひたすら耐える役ですが、人間味のあるキヨヒラを抑揚の効いた演技で描き出していました。
この人は歌舞伎の名門の出ではなく、ゼロからスタートして歌舞伎役者になったとのことですが、懐の深いいい役者さんですね。


敵役の三宅健のイエヒラ(家衡)ですが、なぜか声があの『鉈切り丸』の森田剛に似ているなと思っていたら、どちらもV6のComing Centuryのメンバーとか。
芸風もよく似ています。ただどちらも私には若すぎる声がちよっとひっかかりましたが、森田剛に負けない全力投入の演技で頑張っていました。身体能力高いです。この点も森田剛と共通しています。イエヒラ役自体、鉈切り丸と似た境涯設定の人物ですね。




清衡と家衡が兄弟でも姓が違うのは異父兄弟ゆえ。そしてこの二人が朝廷の定めた新たな国割りのために相争うことになります。それを伝えるのがベテラン益岡徹のヨシイエ(源義家)。ちなみに今回の劇の台本では役名がすべてカタカナ表記。これは劇で訴えたかったことを、できるだけ純化してつたえようとする演出家の意図によるものでしょうね。

益岡徹のヨシイエは、歴史に残る勇将として有名な源義家とは違って、キヨヒラ・イエヒラに対する温かな眼差しが感じられます。とくにキヨヒラには同情的です。二人の母ユウの三田和代とともに、いい演技で舞台に厚みを与えていました。
ヨシイエの益岡徹です↓


そしてユウの三田和代↓




出番は多くなくても、圧倒的な存在感を見せたのがアラハバキの平幹二朗
アラハバキとは東北・蝦夷の荒ぶる神です。意外なことに平幹二朗は人間でない役を演じるのは初めてとのことですが、登場しただけでその大きさと迫力のある存在感が圧倒的でした。

ちょっとコミカルに怪演しています


あと、キヨヒラの父・ツネキヨ(藤原経清)役の松井工とか↓

キヨヒラの妻キリの宮菜穂子も出番の少ないのが残念ないい演技でした。

ちょっとがっかりだったのが狂言回しのイシマル役の花王おさむ
狂言回しというのはなかなか難しい役どころですね。今回のイシマルもしっくりこない演技で、終始違和感がありました。特に滑舌が悪いというわけではないのですが、不自然さが付きまといました。

それで思い出したのが、こまつ座公演の『薮原検校』で浅野和之が演じていた「盲太夫」という狂言回し。全く同じでした。はじめは同じ役者かなと思ったほど。今回の公演で唯一残念だったところです。

舞台を終えて、最後に関西での千秋楽となるので主役の片岡愛之助の挨拶がありました。
これがほとんどこまつ座公演かと思うほど(笑)現在の世相に対する危機感と、高まる戦争への危惧と平和への強い願い、東北の復興への思いが込められていていいものでした。
途中の休憩をはさんで計2時間10分の上演時間でしたが、舞台に凝縮された演出家をはじめスタッフのメッセージと、それを見事に体現して演じきった役者たちに対して、満席の観客は惜しみないスタンディングで応えていました。
いい舞台でした。
観終わっての感想は、繰り返しになりますが本当にこまつ座の秀作劇を観たような充実感。よかったです。

もう全国公演は終わってしまいましたが、未見の方は再演の機会がありましたら是非ご覧ください。おすすめです。








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梅田芸術劇場で『レディ・ベス』を観て感じたこと

2014年08月11日 | 観劇メモ
私たちが観たのは8月2日の12時の公演でした。
地下1階のレストラン街で昼食をとってからメインホールに向かいました。

この劇場には観客用エレベーターはありません。なので、事前に連絡していた劇場スタッフに案内されて、裏口の楽屋のエレベーターまで行って劇場に入りました。席は障害者用スペース。上手側通路端に車椅子を止め、私はその横の折り畳み椅子に座りました。
1階席はほぼ満席。でも2階席はけっこう空席が目立ちました。逆に3階席は結構埋まっていましたね。

以下、とりとめもない感想です。少々ネタバレありです。例によって敬称は略させてもらっています。

この作品は、『エリザベート』『モーツアルト!』を生んだゴールデントリオ(脚本・歌詞 ミヒャエル・クンツェ、音楽・編曲 シルヴェスター・リーヴァイ、演出が小池修一郎)という触れ込みなので、大いに期待していました。ちなみに『エリザベート』はElisabeth、『レディ・ベス』のエリザベス1世はElizabethで一字違い。よほどこのトリオはエリザベスがお気に入りなようです。

まず全体の感想というか印象から。

上質な舞台でした。まず役者が粒ぞろい。みんな歌の水準が高く、安心して聞いていられます。そして演技も説得力があります。舞台装置も衣装も豪華で重厚。生演奏がまた素晴らしかった。
ただ、脚本としては平板で盛り上がりに欠け、途中??な部分があって白けたところも。それと使用されている音楽が先の通り名手・シルヴェスター・リーヴァイということで期待していたのに、『エリザベート』のようにインパクトのある耳に残る曲がなかったのが残念。
同じような例では、ジェラール・プレスギュルヴィックで期待していた『眠らない男・ナポレオン』の音楽も大ガッカリだったし、有名な作曲家といってもいつもヒットを飛ばすわけではないということですね。

『レディ・ベス』は今回が世界初演だそうで、それだけでも期待していました。ただ、私たちが観たのは残念ながらベスが花總まりではなく平野綾のほう。大体どんな公演でもWキャストというのは気に入らないですね。チケットが偏って、希望の配役の公演が観られないし。

もうこの点でもかなりガッカリ感があったのですが、それでも先のとおり基本的に豪華な出演者なので、気を取り直しての観劇でした。(笑)

幕が上がって舞台には天文時計をモチーフとした傾斜したターンテーブルと、同じモチーフの宙に浮くリングが舞台にセットされています。モデルとなったのはヘンリー8世ゆかりのハンプトンコートにある天文時計とのこと。
ターンテーブルの傾斜が不安なストーリー展開を暗示しています。
このセットは非常にうまくできていて、映像も交えながら場面転換に効果を上げていました。
上で演技する役者が大変ですが、さすがにみんな危なげなく演じていました。
(以下の画像はすべて当日購入のプログラムより)


衣装も豪華。宝塚と違って派手ではないが、いぶし銀のような色合いで上品で重厚なデザイン。


まず、荘重な衣装に身を包んだロジャー・アスカム(ベスの家庭教師ですね)役の石丸幹二が登場。天文時計のセットの横で歌い始めただけで感動しました。

男の声もいいものです。(笑) 力強い、よく響く美声が舞台から客席に流れだすと、それだけで名作の予感が。ひよっとして、あの名作フランス版ロミジュリの再来となるかと期待しながら観ていました。
ロジャー・アスカムについては、今回観劇した石丸幹二のほうが好みだったのでラッキーでした。
繰り返しますが、「レディ・ベス」の出演者全員が歌のレベルも高くて聴きごたえがありました。
これで『エリザベート』とか『ロミジュリ』や『ファントム』などのような耳に残る曲があれば言うことなかったのですが。
なんといってもミュージカルですからね。

歌でいえば、今回もっとも印象に残ったのはアン・ブーリンの和音美桜でした。もう絶品です。これを聞けただけで本望。余裕たっぷりの、深くてどこまでも伸びる美しい歌声でした。

といっても、事前知識ゼロな私は和音美桜が出ているとはツユ知らず、幕間にヨメさんに「アレ誰?うまいねー」と聞いて呆れられました。
彼女は宝塚時代でも早くから歌と演技で目立つ存在でしたが、今回久しぶりに聞いて、その美声にさらに磨きがかかっていることに驚嘆しました。こんな逸材を活用できなかった歌劇団の人事には、当時も本当に疑問に思ったものでした。

私にとってはこの二人の歌が今回の舞台でのベストでした。(二人でベストかいと言わないように(笑))

もったいなかったのが涼風真世でした。出番の少ない、筋に絡まない端役で、実力からしたら彼女にこそメアリーをやらせたかったですね。もちろん歌は変わらぬ歌唱力で聞きごたえがあり。


レディベスの平野綾は、歌はよかったのですが、ビジュアル的にとても王女には見えなかったのが残念。
ファンの方には申し訳ないのですが、どう見ても彼女は庶民顔。せいぜい王女の「お世話係」にしか見えなくて(殴)、最後まで感情移入できなかったです。ここはやはり花總で見たかったですね。


といっても、私は宝塚時代から花總まりはなじめなくて(横顔を見ていると夜な夜な箒にまたがって飛びまわっていそうで(殴))、実力は初演のエリザベートでよくわかっていましたが、どちらかというと早く辞めたらいいのに(殴)と思っていました。
でも今回はエリザベートつながりで(笑)、彼女のベスが観たかったですね。

花總まりが適役なのはこれを見ても一目瞭然ですからね↓




そっくりです。(笑) 
(↓これもプログラムから)

でも花總まり、いったい実年齢はいくつになるんでしたっけ。

話の方ですが、新約聖書をベスが読んでいることが問題とされて、これは「ドン・カルロス」の陰鬱な異端審問法廷の再現かと思ったがそうでもなく、シェイクスピアばりの王権争いのドロドロした血なまぐさい話が続くかと思ったら途中からロミジュリそっくりの逢い引きシーンになったりとどうもトーンが一定していないので、観ていて違和感がありましたね。
とくに架空の人物・ロビンが違和感の最たるものでした。重厚なストーリー展開がロビン(山崎育三郎)の唐突な登場で急に軽くなって、しかも登場する必然性が全く理解できませんでした。
ロビンとベスが魅かれあうのもよくわからず。ただの世間知らずの王女が、大道芸人兼吟遊詩人な若い男に「軽」チャーショックを受けてひっかけられたみたいな話(笑)で、必然性が感じられなかったですね。

「ローマの休日」ふうなところもあったり。脚本家の想定ではロビンはシェイクスピアだったりするとかでよくわからない人物設定でした。ベスとロビンが塔の上下で話す場面では、音響の悪い客席端では「ロビン」が「ロミオ」に聞こえたりしてもう意味不明。(殴)

それと、最後で腹違いの姉のメアリー(吉沢梨絵)と和解するのも余りにもあっけなくて、ただ病で気弱になったメアリーが王位を譲ったみたいな感じでした。
吉沢梨絵のメアリーも歌・演技ともよかったですが、私としてはやはり本命の未来優希のド迫力な歌が聞きたかったですね。

それと異常にいい役だったのが平方元基のスペイン国王・フェリペ。宗教問題にも異様に寛大で(笑)、ベスを救ったのはひとえに彼の功績となっているのも「ほんまかいな」と思ったり。今回一番の儲け役でした。

ということで、事前の期待が過剰だったのと、本命キャストではなかったのであまり絶賛していない感想になりましたが、舞台としては、先に書いたように粒ぞろいの水準の高い歌唱力の役者と、豪華な衣装、よくできた舞台装置で決して損はしない作品になっていました(と思いたい)。


いろんな意味で、なかなか柳の下にいつもドジョウがいるわけではないと思った今回の観劇でした。


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シアター・ドラマシティで『昔の日々』を観て

2014年07月05日 | 観劇メモ
6月はタカラヅカはパスで、兵庫芸文センターでの『ビッグフェラー』『日本の面影』とドラマシティでの『昔の日々』の10日間に3本観るという怒濤の観劇ラッシュでした。

その3本中でヨメさんが一番期待していたのはもちろん最後の『昔の日々』。演出がデヴィッド・ルヴォーで、主演女優が麻実れい若村麻由美となればヨメさんだけでなく私も観たくなりました。(笑)

この女優二人の舞台を観るのは去年の『鉈切り丸』以来で、そのときはどちらもGood Job!!な出来でしたから、私も同様に楽しみにしていました。

そして『日本の面影』の感動も覚めやらぬ(笑)6月22日に、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティでの観劇となりました。

で、結果を先に言いますが、なんとも評価のしようのない、いや正確にいえばよくわからない作品でした。しいて言えば不条理劇かな(←何の説明にもなっていませんが、何かわかったようで安心してしまう言葉ですね(笑))。

というところで、まずはいつものマクラから↓。読みたくない方はどうぞ飛ばしてください。

昼食の時間を考えて、早めに地下駐車場に到着。エレベーターで劇場のあるフロアにあがり、誰もいない劇場入り口のホールから食堂街に向かおうとしたとき、黒っぽい服装の長身の女性と、そのお付きの人?らしい女性との二人連れが右方向からやってきました。

顔を見ると見覚えがあるような‥。
車椅子のヨメさんも同時に気づいて、すぐ名前を呼びかけていました。こういうときの彼女の反応はいつもほぼ延髄反射といっていいほど。(笑)
呼びかけられた件の女性、エスカレーターに乗りながら一瞬怪訝そうにあたりを見渡していました。こんなところで誰だろうという感じでした。ヨメさんがもう一度、今度は手を振りながら、「ワタルさ~ん!、応援しています!」と(ミーハー全開で)呼びかけたら、ようやくただの無害なファン(笑)と理解したのか、その女性はそれまでの怪訝そうな顔から、なじみのある笑顔に変わって、軽く会釈を返してくれました。
そうです、湖月わたるさんでした。私もヨメさんにつられて手を振ってしまっていたり。(笑)

思わぬところで、あの最多リピートした『王家に捧ぐ歌』以来、贔屓@我が家な一人になっていた彼女に出会えて、ちょっと得した気分になりました。春風弥里さんといい、偶然とはいえよく出会えたものです。
たぶん↓の関係で打ち合わせでもあったのでしょうか。




食事を終えて、また劇場前に戻りました。あのブラームスの例があったので、きっと今回の観劇もいい結果になるだろうと根拠もなく期待して(笑)開場を待ちました。

時間になって、劇場スタッフに案内されて客席へ。
席番は7列上手側と前回ほどではないですが、舞台配置の関係で上手・下手側は前から5列まで塞がれていたので、実質前から2列目の良席。横から見るとはいえ、まずオペラ不要でした。

舞台配置はこんな感じでした。↓<以下の画像はプログラムとパンフレットの画像をスキャンしています>


赤いじゅうたんの敷かれた正方形の能舞台のような形です。舞台奥には金属製のようなクモの巣の張ったグランドピアノや火のついた暖炉、椅子などが置かれています。ただし劇とは関係がなく、ただ置いているだけ。

さて、いつにも増して中身のない感想になります。(殴) いつものとおり敬称略です。
登場人物はこの3人。堀部圭亮若村麻由美麻実れいです。男優だけは知りませんでした。


原作はハロルド・ピンターノーベル文学賞受賞の劇作家だそうですが、近年亡くなられたとか。
そして演出はご存じデヴィッド・ルヴォー

でも、事前に上掲のパンフレットで、「美しくて不穏な世界をただ感じてほしい」とか「必要なのは直観的な感性だけ」とか書かれているのを読んで、一抹の不吉な予感もありました。
そして開演前に買ったプログラムには、わざわざ別刷りの劇の要約↓みたいなものが挟んであったりしたのも、なにやら難解さの予防線みたいだし。(笑)


でもここはエイヤッと、そんな雑念を振り払って、女優二人の魅力に期待して観劇を開始しました。(笑)
85分ノンストップの劇です。

3人の衣装はこんな感じでした。↓ アンナ役の麻実れいだけが赤い衣装。


話は堀部圭亮の扮するディーリィと、若村麻由美のケイトが住むマンション?に麻実れいのアンナが訪ねてくるところから始まります。
この3人の台詞は、いずれも饒舌でかなりテンションも高いです。初めのうちは、私もその膨大でとりとめのない台詞を追いかけて、なんとか話の流れをつかもうとしたり、本当にコーヒー飲んでるなとか感心したり(殴)していましたが、肝心の話の流れがいつまでたっても掴めないのです。
いろいろ3人が台詞のキャッチボールをしているけれど、どこか噛み合っていない。話の内容・脈絡・因果関係が分からない。その上、30年間というタイムスパンで現在から過去に突然行き来するので、だんだん疲れてきました。

先に紹介した、事前配布のあらすじの要約に書かれた3人の関係も、いつまでたっても見えてくる気配なし。大体会話だけ聞いていると、どちらがアンナでどちらがケイトかもわからなくなるほど。まあこの二人、本当は同一人物という設定なので、それでいいのかも知れませんが。

で私も途中で悟りました。というか諦めた。これは世にいう不条理劇。ハッキリした起承転結など関係なし。なので俗っぽい私の頭脳では理解不能なんだと。(笑)
それで、こちらもハラを括りました。台詞一つ一つの意味や繋がりを負うのは無駄、いわば即興で吐き出された散文詩みたいなもの。だから3人の役者の振る舞いや表情、姿態を見ながら、その詩を聞き流すことにしました。(そうはいってもどうしても意味を追いたくなりますが)

さて、3人の役者について。
まず若村麻由美ケイトです。
久しぶりに見る彼女は、私の脳内記憶イメージと違い、かなりポッチャリしてきているように見えました。でもヨメさんはそんなことはないと否定していましたが。ただ私はポッチャリ体型なほうが好きなので(だからタカラヅカの生徒がトップ就任後ガリガリになったりするとガッカリしますね)、好感度アップ!!(殴)。




だけど、話が見えないので、感情移入できないまま終わってしまったのが致命的に残念。

その分身であるアンナの麻実れい。




よく演技力のなさを批判する時に、「どの役でも役者が透けて見える」とか、「何をやっても同じキャラ」とかいいますが、麻実れいには当てはまりませんね。別格。
何もせず、ただ舞台に立っているだけで演技が成立している感じです。どんな役でも(さすがにトラックの運転手は無理な感じでしたが)自分のものにしてしまう。初めから宛て書きされていたような自然さで、いろんな役を演じ切っているのが彼女です。演出家は、麻実れいが地のままで演技してくれるからこそ起用するのだと思うのです。そしてそれが彼女のすごいところだと思います。とくにシェイクスピアものなど、余人をもって代えがたい存在ですね。

今回も極めて自然に舞台に登場して、この難解な劇をこなしていました。こんな筋書きがあってないような芝居で、膨大な台詞をよくまあ憶えられるものだと改めて感心しました。

そして両手に花(持て余しそうな花ですが)の堀部圭亮。初めて見ましたが、両女優に伍して、頑張っていましたね。ちょっと唐沢寿明みたいな感じで、台詞バトルに臆せず加わっていました。ただ、話はあくまでケイトとアンナのからみがメインなので、ちょっとしどころ無さ感がありました。



別の舞台で観られたら彼の持ち味もよく分かっただろうと思いますが。

で最後まで盛り上がりのないまま、フランス映画によくあるまことにあっけない終わり方でした。客席はとてもスタンディングとはいかず、「でも3人さん、よく頑張ったね~」的な拍手。入りも悪かった今回の公演でしたが、私たちもしばし無言のまま駐車場に向かいました。

という無駄に長いだけの申し訳ない感想になりましたが、ここまでご覧いただいた方には感謝の気持ちでいっぱいです。m(__)m


さて、次は雪組の感想です。久しぶり~に観た宝塚、かなり新鮮で、しかも芝居もショーも出来がよく、面白かったです!!


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兵庫芸術文化センターで「日本の面影」を観て

2014年06月30日 | 観劇メモ
6月21日に兵庫芸術文化センターで「日本の面影」を観てきました。

まあ何とも予想外の(殴)、観応えのある素晴らしい作品でした。
もう言うことなし!パーフェクト!これを観ない人は大損してる!と言いたくなるほど。

山田太一・脚本の『日本の面影』については、1984年のNHKテレビドラマを見ていいのはわかっていたつもりでしたが、改めて舞台で観てその脚本の素晴らしさを再認識。さすがの完成度で、それに加えて主役二人はもちろん、脇を固めるすべての役者がみんな完璧でした!
ベテランの持ち味を生かしたぜいたくな配役で、主役二人の熱演を盛り上げていました。

前夜の睡眠不足→ひよっとして爆睡(殴)という観劇前の懸念は軽く吹き飛びました。(笑) 
劇場での2時間は、本当に忘我の至福タイムでした。

これはもう今年の演劇大賞・一般演劇部門のベストスリー入りは間違いなしですね。
何の演劇賞かって?言わずと知れた(知れてないない(笑))、『2014 思いつくまま演劇大賞』!(殴)

ということで、ひさしぶりの絶賛モード(笑)ですが、その割には中身の薄い、いつもの感想です。よろしければご覧ください。
(ネタバレも少々ありますので未見の方はご注意です。そして敬称略です。)

といいつつ、まずはいつもの劇場までのメモです。
6月21日(土) 午後1時開演でしたが、前回12日と違って自宅で早目の昼食を済ませてから出発しました。
1時間で劇場に着き、時間があったので、劇場前のチケットカウンターで、前日ネット予約した10月の2公演のチケットの受け取りを済ませました。送料・手数料が節約できて助かりました。

開場前のホールに居合わせた他のお客さんを見ていると、けっこう男率(笑)が高いのがわかりました。そして年齢も高め。まあ今では若き日の紺野美沙子や草刈正雄の活躍をリアルタイムで見た世代となると中年以上になってしまうのでしょうね。

今回の席も、例のごとく先行予約を頑張ったおかげで最前列のど真ん中。これで5,000円!とはね~♪

でも今回も満員御礼とはいかなかったような。もったいない話です。

まず紺野美沙子について。
実をいうと私は昔テレビドラマで見かけたぐらいで、最近の活動にさいては殆ど何も知りませんでした(無知を自慢してどうする!)。
それで今回の舞台も、誠に失礼な話ですが、まあせいぜいテレビタレントの余芸程度だろうと高をくくって観劇に臨みました。

で開演時間になって、舞台は薄い紗のようなカーテン越しに、ほの暗い照明のもとで紺野美沙子がハーンの母親役になって子供のベッドの横で童話を読み聞かせる場面になりました。ところが、そのセリフがよく聞き取れない!のです。

ハーンの父役の石橋徹郎の声は役柄上大きい声なのでそうでもなかったのですが、この場面での紺野美沙子は、まるであのこまつ座の「頭痛肩こり樋口一葉」の悪夢を再現したようです。それで「これはハズレだったかな」と思い始めました。

でもそれは全くの杞憂でした
カーテン越しで、しかも演出的にはハーンの生い立ちを説明する補足のようなものなので、セリフの声量を低く落としていたので聞こえにくかったのですね。
いざ幕が上がって、本題に入り「小泉セツ」になったら、クッキリハッキリの明瞭なセリフ。まあ心底ホッとしました。後で聞いたらヨメさんも全く同じ思いだったとのこと。

セリフが明瞭なのは当然で、あとで当日買ったプログラム(A5版のかわいらしいものです)を読んだり公式サイトを見たら、彼女は2010年秋より地域文化の向上、舞台芸術の発展を目的に音楽や影絵や映像など、様々なジャンルのアートと朗読を組み合わせたパフォーマンスや、ドラマリーディングのために「朗読座」を旗上げして全国で上演しているそうです。
さらにセリフだけでなく、立ち居振る舞いや身のこなし、感情表現などすべてにわたって素晴らしい演技。本当にセツが乗り移ったようでした。劇中、セツがハーンに古い怪談を聞かせる場面がありますが、説得力のある語りと演技で私達もハーンになったような感じで聞き入りました。

初めに書いたように、山田太一の『日本の面影』といえばジョージ・チャキリス主演のNHKの名作ドラマ、そこでセツを演じていた檀ふみが絶品な私だったので、紺野美沙子がどこまでそれに近づけるか、お手並み拝見といった感じでした。
でも劇が進むにつれ、檀ふみとはまた別の、新しい「セツ」像が創り出されていて、本当に感心しました。

役年齢的にはやや無理な感じもしないではなかったのですが(首筋とか(笑))、もともと童顔だし、所作もキレがよくしかも丁寧で品があり文句なしにピッタリの役どころ。ハーンに寄り添って、芯の強さと才気を優しさにくるんで一緒に生きる姿が印象的でした。
紺野美沙子再発見!が今回の最大の収穫でした。あわせて当時の女性の立ち居振る舞いが本当にきれいなのもよくわかりました。たおやかで優雅で繊細。見惚れますね。

それとネイティブな方の耳にどう聞こえているのかわかりませんが、私にとってはいわゆる雲伯方言も聞いていてリズミカルで気持ちがよかったです。
このあたり、去年のイーハトーボの劇列車の東北弁と同じような心地よさを感じました。

今回の公演に関連した兵庫芸術文化センターのパンフのインタビューでは、今回の公演にあたって彼女なりにいろいろ考えるところがあって取り組んだというところが紹介されていましたが、今の日本の状況をよく考えていますね。


それと彼女はあくまでも謙虚。その点でも好感が持てます。

次はラフカディオ・ハーン小泉八雲役草刈正雄です。この人も昔のNHKの時代劇の「真田幸村」が大ヒット@我が家(笑)して以来、好感度を維持したまま現在に至っています。
でもそれから幾星霜(笑)。今ではいい意味で枯れてきて(殴)、それがプラスとなって容貌にもピッタリの適役。感心しました。チャキリスよりもよかったです。
隻眼だったハーンを演じるので左目にテープ?でもしているのか閉じたままで、観ながら大変だなと同情してみたり。(笑)
劇中周囲が気遣って無理やりステーキを食べさせるところとかコミカルな演技もあってよかったですね。この人も再評価の声が高まっています。(@我が家)

まあ主役二人がいいと、一安心。(笑) 以下の画像は当日買ったプログラムから


でも今回の舞台の魅力は豪華な脇の布陣でした。冒頭で、セツがハーンの身の回りの世話のため住み込みの女中になったと聞いて、親戚が乗り込んで来たところなど、圧巻の顔ぶれ。養祖父と養父母に実母の4人が豪華です。


養祖父・稲垣万右衛門役は金内喜久夫です。この人は1992年の初演以来同じ役を務めているとのことですが、存在感があります。稼ぎもないのに気位ばかり高くて役立たずな没落貧乏士族そのままでした。初めはセツの女中奉公に反対しながら、結局は八雲とセツの扶養家族になるのですが、そのあたりの微妙な立場がユーモアを交えた演技で演じていてうまかったです。

そしてセツの養父の稲垣金十郎役の田代隆秀と同じく養母の稲垣トミ役の大西多摩恵も過不足ないうまい演技でした。

芸達者な脇役陣でも一番存在感があったのがセツの母・小泉チエ役の長谷川稀世でした。こんな母親がいてくれたらセツも安心です。どんな事態になってもあわてず動ぜず。舞台に出てきただけでも絵になっていました。
とくにセツ同様にハーンに怪談を聞かせる場面での『耳なし芳一』の語りが絶品でした。これを聞けただけでも観に行った甲斐がありました。(笑)

そのほか、出番は少ないものの、あの三菱のキザなお兄さんでおなじみになった(笑)石橋徹郎がチャールズだけでなく佐伯信孝役でも出てきて遺憾なくイヤなヤツぶりを発揮していました。(笑)



松江時代のハーン思いの同僚・西田千太郎武士の亡霊役の川野太郎もさすがにベテランらしい堂に入った演技でした。なんでも彼も平家の末裔とか。甲冑が板についていました。

あと、同じく出番が少ないですが、安部愛子渡辺吾郎前田聖太の三人も役どころにふさわしい自然な演技でした。本当にこの芝居はぜいたくな配役で、脇の層が厚いです。

最後はハーンがセツに自分の死後について指示する有名なセリフがあって、感動のうちに幕となりました。
そして客席は満場のスタンディング! 本当に観てよかったです。

こういう完成度の高いいい芝居を観ると、私もいい人にならなくてはと思いますね。(笑)(でもすぐまた埒もない物欲に支配されてしまったりしますが)(殴)

各地での公演もまもなく終わろうとしていますが、近くにお住まいの方などで機会があればぜひご覧ください。心が洗われます。絶対おすすめです。



さて、やっとアップしたと思ったらまだ昔の日々の感想が残っていて、さらに今週は久しぶりのタカラヅカ観劇も。しばらくプレッシャーかかりっぱなしの日々です。^^;


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『THE BIG FELLAH ビッグ・フェラー』  いい舞台でした!

2014年06月13日 | 観劇メモ
しばらく更新できていませんでした。
ですが、何も書くことがなかったのではなくその逆で、中旬になって俄かにお出かけラッシュ。ただでさえ乏しい脳内システムリソースがさらに足りなくなり、何から手をつけていいのかわからない状態になっていました。(笑)

まず6月12日に、兵庫県立芸術文化センター・中ホールで『THE BIG FELLAH ビッグ・フェラー』 を観て感激の観劇でスタート、16日には舞洲のゆり園で予想外のスケールに驚き、21日にはまたまた兵庫県立芸術文化センター・中ホールで紺野美紗子草刈正雄の珠玉の舞台『日本の面影』に身も世もなく感動し、翌日は一転してドラマシティで『昔の日々』で睡魔と闘う(殴)という、私の乏しい脳内リソースでは追い付けないほどの過密スケジュール。

でもとにかく順に書いていかないと始まらないので(すぐ忘れてしまうので^^;)、まずは12日の『THE BIG FELLAH ビッグ・フェラー』から書いてみます。いつものとおりの薄味の感想ですが、よろしければご覧ください。

この芝居、題材が北アイルランドのIRAとその支援者を描いたものなので、相当重苦しく深刻な舞台だろうなと覚悟していました。

でも結果は脚本・演出・役者・舞台セットのすべてが素晴らしく、ストーリーもよくできていて、観終わってみたら感動のスタンディング、芝居の魅力満載の舞台となりました。

当日は13時開演でしたが、余裕を見て10時15分に出発。珍しく阪神高速の全線にわたって渋滞ゼロというラッキーな日で、1時間ちょうどで劇場地下に滑りこめました。まずは腹ごしらえと、劇場近くで昼食してから劇場ホールへ。
今回もネット予約でB列のセンターよりという良席をゲットできていました。おかげで、念のためオペラも持参していたものの、劇中で出てきたウィスキーボトルのラベルを確認したぐらい(笑)で、全く不要でした。

ただ、今回はテーマが響いたのか最上部あたりの客席に少し空席があったりで満員御礼とはいかなかったのが惜しかったですね。

さて、舞台の感想です。いつものとおり敬称略です。

この芝居、イギリスの支配に激しく抵抗していた北アイルランド・IRAの闘争と、それを財政的に支え続けたアメリカ・ニューヨーク支部のメンバーたちの30年に及ぶ生きざまを描いたものです。
原作者のリチャード・ビーン(イギリス人の人気劇作家とのことです)は極めてシリアスなこのテーマを、その時々の歴史的な事件を織り交ぜて、時には笑いを誘いながら、テンションの高い膨大なセリフで綴っています。観ているこちらの方もぐいぐいと舞台に引き入れられていき、そして最後に待っていたのはよもやの大どんでん返し。芝居の面白さたっぷりでした。

企画制作は世田谷パブリックシアター
出演者は 内野聖陽浦井健治明星真由美町田マリー黒田大輔小林勝也成河


翻訳は小田島恒志、演出は森新太郎です。

ちなみに兵庫公演は6月12日~15日でした。

幕が上がると、真っ暗な背景に内野聖陽扮するコステロが一人立っていて、伝統的なキルトの衣装で(でもどう見てもスコットランドの伝統的な衣装だと思いますが)、支部の会合であいさつするところから始まります。
↓プログラムより稽古場風景です


これはプログラム掲載の衣装デザイン画です↓


私にとっては内野聖陽といえば何といってもNHK金曜時代劇シリーズ「蝉しぐれ」での絶妙な演技が印象に残っていますが、今回の芝居での彼は、その当時とは違って円熟味を感じる堂々の演技でした。
このコステロという人物、純粋なアイリッシュ民族主義の信奉者というより、巧みな弁舌で支部のドンとして君臨し続けていることに生きがいを感じているかなり俗っぽいキャラクタです。舞台で観る限り、イデオロギーとか政治などに一家言を持っている風には見えず、芝居っけたっぷり(当たり前ですが(笑))の気のきいたスピーチで支部のメンバーに支持されて、多額のカンパを集めるのに長けた人物という感じです。

この人物像が劇のコアな伏線になっていることは観終わってから分かりました。

そんなコステロを内野聖陽は説得力ある演技でリアルに演じていました。観ながら、仲代達矢とか平幹二朗のような演技の風格が感じられて、本当に「蝉しぐれ」からの年月を実感しました。
彼については一路真輝とのことが少々残念ですが、一家に二人のスターは共存できないということでしょうか。

今回の観劇で目立っていたのがIRAの若手メンバーの一人・ルエリ・オドリスコル役の成河(ソンファ)でした。

けっこう舞台歴も積んでいるようですが、私たちは全く知りませんでした。でも、今回の舞台では場合によったら内野以上にインパクトのある存在になっていましたね。
非常に饒舌多弁なセリフをよくこなしていて、大したものでした。彼もIRAの支持者になった経過とかがよくわからなかったのですが、1972年のブラディサンデーを発端に闘争を激化させていったIRAの活動の過程で、さまざまな事態に直面して次第に変わっていくところがよく演じられていました。

NY在住の消防夫マイケル・ドイルに扮する浦井健治も寡黙な役柄なのに存在感のあるいい演技で好印象でした。

彼の演じる長身で無口で少し猫背気味なマイケル・ドイルを観ていたら、何故か『ショーシャンクの空に』のティム・ロビンスを思い浮かべてしまいました。
饒舌なエリ・オドリスコルといい対比ですが、寡黙な人ほど内に秘めた信念が強固だといった役どころが面白かったです。はじめて見た役者さんですが、劇場でもらった演劇関係のパンフレットでも目白押しの出演予定があるなど、今人気急上昇中みたいですね。

女優さんはIRAメンバーのエリザベス・ライアン役の明星真由美と、プエルトリコ系のカレルマに扮する町田マリーの二人でしたが、どちらもドッキリ演出があったりでがんばっていました。ヨメさんは明星真由美の声がいいと絶賛モード。(麻実れいに似ているとか(笑))



(ちなみに明星真由美はあの『ボクの四谷怪談』にも出演していたとのことですが、全然わかりませんでした)

同じくNY市警の巡査トム・ビリー・リコル黒田大輔です。

まあハリウッド映画に出てくる警官そのものといったピッタリの役。見るからに強そうですが単細胞なアメリカの警官がはまっていて、宛書のようです。
こんなどこにでも居そうな人物がIRAの信奉者というのもある意味でリアルです。

IRA本部から調査に来た幹部のフランク・マカードル小林勝也

ベテランらしい存在感がありましたが、無理やりウィスキーを飲まされるなど査察に来たはずなのに逆襲されるなど気の毒な役でした。
この場面、アイリッシュウィスキー?がおいしそうでしたね。(笑)

観ていて印象に残ったのは、IRAが次第にそのあまりにも過激なテロゆえに大衆的な支持を失っていって、それとともに組織内部には相互不信や疑心暗鬼の傾向が強まっていくところでした。逆に言えば闘争路線が正しいうちは組織も健全性が保たれるということでしょうね。この劇に潜む悲劇性はIRAの闘争方針の是非・動向と不可分に考えられないということでしょうか。

ところで、舞台のセットも見ごたえがありました。
とにかくリアルです。もう映画の一場面のような作りこみが見事。しかも同じ部屋でも30年に及ぶ年月の経過に即して細部の小物類が変えられていくので、芝居を見ながらそういった変化を確かめる楽しみも味わえました。

劇の最後のほうでイェイツの有名な詩「湖の島イニシュフリー(The Lake Isle of Innisfree 1890)」が紹介されました。この詩と、コステロが語っていた「私はアメリカ人ではない、アイルランド人でもない、一人の人間なんだ」といった意味の言葉が、原作者のモチーフになったのだろうと思いました。

ちなみにこの湖、アイルランド・スライゴ近郊のギル湖ですね。でも私の撮った写真↓には残念ながら肝心のその島が写っていません。でも雰囲気ぐらいは分かっていただけるかも。(笑)




さて、細かいストーリーはまだ各地で公演が予定されているので観られてのお楽しみということで、省略させていただきますが、私たちももう一度観られたらさらにこの劇の良さがわかっただろうと心残りでした。予想以上のできばえで、最後は客席全体が感激のスタンディングで応えていました。

公演予定の劇場近くの方はぜひご覧ください。おすすめです!


今回も覧頂き、ありがとうございました。m(__)m

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シアタードラマシティ公演「おそるべき親たち」の完成度

2014年04月07日 | 観劇メモ
一週間以上も前の観劇でしたが、某日脚立に上っていてバランスを崩して(ドジ)、股関節あたりの筋肉を痛めてしばらく歩行も困難になるなどのゴタゴタで、感想をまとめるのに時間がかかってしまいました。なので鮮度がかなり落ちた感想になりますが、ご了承ください。m(__)m

3月30日、夜来の春の嵐もようやく峠を過ぎた11時20分ごろ、家を出ました。
途中少し渋滞があったものの、およそ1時間で劇場駐車場へ。今回は前のようなエレベーターでの驚きの邂逅もなく(笑)、そのまま開場前の劇場入り口に行きました。

今回は結構男性客が多く、全体に年齢層が高めなのは原作故のことでしょうか。

この芝居の初演は2010年秋で、脚本は木内宏昌、演出は熊林弘高です。上演時間は途中15分の休憩を挟んで2時間25分。

出演は、前回と同じ佐藤オリエ中嶋しゅう麻実れい満島真之介中島朋子の5人です。豪華です。


でもプログラム↓は500円。(笑)まあ本当に小冊子(B6サイズです)なので価格は妥当なところ。ただし、中身は濃くて読み応えがありました。


今回のジャン・コクトーの戯曲をベースとした『おそるべき親たち』は、戦前にフランスで初演され、1948年には映画化されたとか。上記プログラムによればコクトーは初演の2年前の1936年に来日しているそうで、そのとき彼は、天皇のために一命を擲つことも辞さない国民性に日本の国運を感じたとのことです。洞察力が鋭いですね。実際日本はその5年後に絶望的な戦争に突入していきます。

さて舞台の感想など。

照明を落としたうす暗い舞台上に一段上がった丸い舞台があり、その上にはただいくつかクッションと布切れが置かれただけ。あとは2か所にろうそくなどが置かれています。他は椅子程度で超シンプルです。カーテンや幕も一切なくて、始まる前から舞台が丸見えでした。この丸い小舞台は劇中時折ゆっくり回転します。
開演時間になって、舞台上に母親イヴォンヌ(麻実れい)が出てきて、けだるそうにクッションに身を横たえたりしていますが、客席の照明はついたままです。その間音楽も台詞も一切なし。明るい客席には遅れて次々に入ってくる観客の姿がはっきり見えているので、「あれ、進行はどうなっているのかな」と思いながら舞台を見ていました。
すると、上手側客席前方に女性の劇場スタッフが出てきて、いきなり事務的ないつもの注意アナウンスを始めたので一気に緊張がほぐれました。その説明の間にイヴォンヌは姿を消しました。アナウンスが終わってやっと客席の照明は消え、ようやく芝居が始まりました。意表を突く幕開きです。

今回の芝居、公演のテーマに即しているのか、全体に暗い照明設定になっています。それは公演パンフレットやプログラムの写真にも共通で、すべてが暗いです。衣装も同様で、全員が黒っぽい服を着ていました。

話は、イヴォンヌ(麻実れい)が溺愛する一人息子のミシェル(満島真之介)に恋人ができたところから始まります。
で、子離れのできていないイヴォンヌは当然その交際に錯乱状態になり、反対します。途方に暮れたミシェルは、同居する母親の姉レオ(佐藤オリエ)のすすめで、父ジョルジュ(中嶋しゅう)に相談します。しかし息子から恋人の名をきいたジョルジュは絶句。なんとミシェルの恋人マドレーヌ(中嶋朋子)は彼の愛人でした。

これだけでも十分にややこしいですが、さらに叔母のレオは、昔ジョルジュと婚約していたのを妹イヴォンヌに取られ、それでも密かに彼を愛しながら同居していて、隙あらば彼を我が物にしようと考えています。とりあえず純真なのはミシェルだけですね。(笑)
佐藤オリエのレオは、よくある堅実で控えめで貞淑な役かと思っていたら、

そんな一家が、それぞれ下心をもってマドレーヌの家を訪問することになります。ここまでが一幕。全体が後半の展開に向けた伏線になっています。
舞台が始まってすぐにわかりますが、5人の役者のアンサンブルは大したもので、それぞれの役柄が際立っていて、持ち味を生かした見事な台詞バトルが展開されていました。
そして15分の休憩となります。ここまで観てきてずっと緊張しっぱなしだったので、この休憩の「弛緩タイム」はありがたかったですね。(笑)

ここから出演者に沿っての感想です。
まず、ミシェルの恋に動揺するイヴォンヌ役の麻実れい。もう喜怒哀楽・緩急自在の感情表現で余裕シャクシャクの演技ですね。前回の公演で読売演劇大賞最優秀女優賞受賞をしたのも当然ですね。全体に地味な色合いの衣装ですが、二幕目の殴り込み時の勝負衣装(笑)は王侯貴族なみの豪華さで、それを完全に着こなしていたのはさすがでした。
麻実れいは今回も華やかで艶っぽいです。息子との危険な関係を露骨に見せつけるアブない演出(本人の発案とのことです)を嫌らしさを感じさせずに演じていました。

麻実れいといえば、最近スカステの100周年記念に関連したインタビュー番組が放映されていました。番組では彼女も珍しく多弁でしたが(笑)、やはり宝塚時代の思い出ではモックとのコンビについてが一番らしく、いろいろ語っていました。
彼女はふだんはおっとりとした話し方で、退団後の一時期、神田明神の境内で遊んでいた子供時代の話を耳タコ(笑)で聞かされたりしたので、あまり器用そうに見えなかったのですが、いったん舞台に立つと豹変、『サラ』みたいな膨大なセリフの難しい舞台でも難なくこなしていたのを観て、役者としての実力に驚かされてきました。
何をしても麻実れいそのものなのに(笑)、それが邪魔になるどころか逆に役の魅力を大きく引き立てているのですからすごいです。

息子の恋人が自分の愛人だと知って焦りまくるジョルジュ役の中嶋しゅう父であり夫であり昔の彼女に想われていて息子の彼女を愛人にしている・ややこしいがあまり生活力のない中年男の狼狽ぶりが面白いです。
ただ、全篇を通して、女性陣のド迫力に押されっぱなしで、その存在は薄いですね。この芝居、コメディには程遠いドロドロした人間関係のもつれあう深刻な劇ですが、それでもところどころでコミカルな演出が散りばめられていて、ひんぱんに客席から笑いが起こるのは井上ひさしの作品に一脈通じるものがありますね。

イヴォンヌの姉レオは佐藤オリエです。このレオという役、最初のうちは他の芝居でもよくありがちな、主役を陰日向なく支える、堅実で貞淑でどんなシチュエーションでも沈着冷静で賢明な脇役のように見えました。実際レオは、23年もの間、生活力のない妹夫婦を支える家政婦役を務めてきました。しかし実は深謀遠慮、その生涯をかけた復讐計画を実行に移すという役です。

プログラム掲載の稽古風景から 暗いですね


舞台の進行とともに、地味なのは見かけだけで、実際は今回の芝居を主導する仕掛け役的な存在であることが次第に分かってきます。ちょっとセリフがかすれ気味のようでしたが、演技は細かな感情表現が読み取れて説得力がありました。さすがに大したものです。「恐るべきレオ」でした。

息子ミシェル役の満島真之介は前回の公演が初舞台だったそうですが、2度目とあって全く危なげなく、セリフもしっかりしていました。ただ、上記の通りで今回の話は女たち3人のほうがアグレッシブなので損をしていますね。まあただのマザコンともいえなくもないですが。(殴)
観劇しながらどこかで見たなと思っていたら、以前に「祈りと怪物~ウィルヴィルの三姉妹~」 蜷川バージョンでお目にかかっていたのを思い出しました。そういえばこの時も三姉妹のインパクトが大きくてあまり印象に残らなかったですね。(笑)

感想が最後になりましたが、マドレーヌを演じる中嶋朋子もよかったですね。今回最初に舞台上に出てきた彼女を見たときは、その役とはやや年齢的なズレを感じましたが(殴)、そのギャップは演技力で補正して、次第に役年齢に似合ったように見せていた(笑)のはさすがでした。
今回の公演はどの役も感情移入しにくい(笑)のですが、それでもマドレーヌはまだノーマルな部分が残っているキャラクタでしたね。

この芝居、導入部からしばらくは痴話喧嘩を濃縮したような筋書(笑)で、これでずっと引っ張られるのかと思っていたら、二幕目から話は大きく流れが変わり、最後は衝撃の大逆転。

プログラム掲載の稽古風景から これも暗いです


その途中で繰り広げられるイヴォンヌとミシェルの尋常ではないスキンシップや、やたらに多いミシェルとマドレーヌのじゃれあいながらのキスシーンがけっこう生々しいです。役者さんも大変です。(笑)

そして最後はスパッと切れのいい結末
これが逆に余韻たっぷりで、満足の観劇となりました。

題名から連想した観る前の気の重さがいい意味で裏切られた内容の濃い舞台でした。未見の方は、機会があればぜひご覧ください。
おすすめです。


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今年のこまつ座初観劇は『太鼓たたいて笛ふいて』です

2014年02月26日 | 観劇メモ
自慢にならないことですが、私は林芙美子の作品は全く読んでいません。
なので彼女の作品がどんなものか、そもそもどんな作家なのか全く知りませんでした。林芙美子と聞いて想い浮かべるのは森光子がでんぐり返る「放浪記」ぐらい。(笑)

でも、「太鼓たたいて笛ふいて」はなんといっても井上ひさしだし、主演は大竹しのぶだし、脇を固めるのも芸達者ぞろいと来ては、観ないわけにはいかないと、かな~り以前(最近は各劇場とも青田刈りというか、チケットの売り出しが本当に早いですね)にチケット確保。それから二人で心待ちにしていた舞台です。

劇場はシアターブラバ。
大阪城ホールの対岸にあるかなり安普請な施設です。駐車場はもちろんなし。
隣接するタイムズに停めるしかないので、当日は対岸にある大阪城ホールのイベント情報をチェック。
というのは以前、ウィルヴィルの三姉妹を観たとき大阪城ホールでのイベントの影響で駐車場が満車になり入庫がかなり待たされて焦ったことがあったので。
しかしこの日も某グループのコンサートがあるとの情報でしたが、午後6時開演とのことでまあ大丈夫かなと。
でも、正午過ぎに駐車場に到着したらすでに車の列。対岸を見ると同じくビックリの長蛇の列でした。焦りまくりましたが、なんとか開場前に劇場に入れました。なんでこんなに重なるのでしょうかね。

開演のかなり前には劇場内は満席。こまつ座公演ということで男性客も多く全般的に年齢層も高め。

1時を少し過ぎてから、ピアノ演奏の朴勝哲が客席から登場して幕が上がりました。
やはり電鉄会社ならではの時間厳守なタカラヅカを観なれていると、開始が少しでも遅れると気になります。(笑)

芝居の始まりはお約束の出演者紹介タイムから。6人の顔ぶれがすごいです。


舞台装置はいたってシンプルで、舞台の背景として原稿用紙のマス目が描かれているだけ。家を表すものはこれまた原稿用紙に似た格子の障子+欄間みたいセットが一対。あとは畳とか卓袱台などの小道具。はじめはちょっと寂しいなと思ったりしましたが、話の面白さでそんなことは霧消。音楽はさきほどのピアノ演奏のみ。でもそれで充分でした。何しろ出演者の歌が素晴らしい!聴きごたえ大有りの耳福でした。
ちなみに最後の場面で使われる絵は芙美子の描いた自画像で、その絵の顔の部分だけ大竹しのぶに替えたものが上掲のパンフ表紙の絵だそうです。夫の影響で芙美子は絵もよく描いていたようですね。

話は『放浪記』で一躍有名になった女流作家・林芙美子が、創作活動に行き詰まり、やり手のプロデューサー・三木孝の「戦争はもうかる」という説得に応じて、従軍記者としての体験を活かして作家活動の巻き返しを図ろうとします。

ちなみに、劇中でこの「戦争がもうかる」という話の例で挙げられている日清戦争で得た賠償金がすごいです。日清戦争前の国家予算の4年分を上回る金を得たのですから。これに味を占めて、以後日本は戦争に明け暮れるようになります。
そして今、政府・自民党が現在の憲法を「押しつけ憲法」として否定し、過去の軍国主義憲法を「取り戻す」ために、治安維持法顔負けの悪法「特定秘密保護法」を強行制定し、「集団的自衛権容認」で昔のように戦争に明け暮れる国にしようというのはとんでもない話です。

開戦前の1893年(明治26年)度国家予算 8,458万円(軍事費27.0%、国債費23.1%)
清の賠償金と還付報奨金による収入総額が3億6,451万円(イギリス金貨(ポンド)で受領する)


三木孝の勧めで芙美子は内閣情報部と陸軍の肝煎りの『ペン部隊』の紅一点として、南京攻略戦から始まってシンガポールやジャワ、ボルネオと各地を従軍。
初めは国威発揚・戦意高揚の国策に沿った提灯記事を書いていたものの、やがて「聖戦」・「大東亜戦争」の実態が日本軍による東アジア侵略であり、戦場が悲惨極まりない状態にあることを現地で目のあたりにします。6年間の従軍体験の後は夫の実家のある信州に疎開。芙美子は敗戦が不可避なのを知って「こうなったらきれいに負けるしかない」と発言して、逆に当局の監視下に置かれたりします。
戦後林芙美子は、騙されたとはいえ「太鼓たたいて笛吹いて」軍国主義をあおってしまった自身の贖罪のように、『浮雲』や『めし』など、庶民の生活に密着した作品を書きつづけます。舞台はそんな作家・林芙美子を音楽評伝劇として描いています。

観ていてわかってきたのは、林芙美子の大らかさと好奇心の強さ、そしてフットワークの軽さ。
公表されている彼女の年譜などを見ても、本当にあちこち飛び回っています。奔放で大らかな性格は、母親キク譲りのものであることがこの芝居でもよくわかります。母性の系譜ですね。
軍国主義の片棒を担いだかと思うと、その前には共産党に寄付したとかの行為で特高警察に調べられたりという林芙美子。しかし別に一貫した信念とか信条があるわけではなくて、その時々の世相に庶民的な興味からかかわってしまうという感じでしょうか。
今回の観劇を契機に実像を少し調べてみたりしましたが、本当に自分に正直な愛すべき人物みたいですね。
そういった芙美子の人となりについては、劇場で買ったこまつ座のパンフレット「the座 No.77」に掲載された太田治子の「心やさしき女親分」によく描かれていました。

予想通り、大竹しのぶはお化けでした。最近見たテレビの大竹しのぶのインタビュー番組などではフワーっとした雰囲気で、ちょっと舌足らずな喋り方でつかみどころのない印象ですが、舞台に立つとそんな印象は一変、完全に林芙美子になりきっています。もう演じているというより、舞台の魔物が彼女に憑依して、その体を勝手に動かしているという感じです。

初めて彼女の舞台を観たのは「グレイ・ガーデンズ」でした。所詮タレントの余芸だろうとタカをくくっていた私が浅はかでした。(笑) 観終わってもう茫然自失、完全にギブアップでした。
しかも演技のみならず歌もびっくりのド迫力の歌唱力。余談の余談ですが、この「グレイ・ガーデンズ」で大竹しのぶの役の若い時を演じたのが彩乃かなみ。初めはこの歌ウマ誰かな?と思っていましたが、すぐわかりました。久しぶりに彼女の元気な姿と歌が聞けてうれしかったですね。

さて「太鼓たたいて‥」に戻ると、大竹しのぶは満身で怒って・笑って・泣いて林芙美子の半生を演じきって、終わってみれば2人とも感動のスタンディングオベーション。
陳腐な表現ですが、顔の表情の変化はまるで万華鏡。感情表現がすごいです。素のときと違って(笑)セリフも明瞭で、よく伝わってきます。パンフレットではいろんな思いを込めて演じていることがよくわかります。
-以下画像はこまつ座「the座 N0.77」の舞台写真の部分です-




そんな大竹しのぶとガップリ組んでいたのが、商売上手で機を見るに敏なプロデューサー・「三木孝」役の木場勝己。彼も大竹しのぶ同様初演から演じています。彼の歌を初めて聞きましたが、これがまた絶品でした。聴きホレました。うまいですね。
ヨメさんも終了後しばらく絶賛モードでした。パンフレットで本人が書いていますが、役の上での「とても積極的でエネルギッシュで、ちょっと調子のいい人」の裏に潜むさまざまな隠れた部分の存在まで想像させる深い演技でした。


この二人に続くのが母・「林キク」役の梅沢昌代と「島崎こま子」役の神野三鈴
梅沢昌代は井上ひさしが役を宛書したとのことで、もう天衣無縫・軽妙洒脱・緩急自在、余裕の名演技です。「余人をもって代え難い」とはこのことですね。「the座」によればこの人も今の社会状況に対して強い危機感を抱いていて、そんな思いを持ってこの作品と向かい合っていることがよくわかりました。


こま子の神野三鈴も負けず劣らず良かったです。

彼女は「組曲虐殺」でもいい演技を見せてくれましたが、今回のこま子もハマリ役。
純粋で、人を疑うことを知らず、一途にやさしくて、人の心の中の良いところだけを一身に凝縮したような役ですが、本当にこんなだっただろうなと思わせる演技。説得力があります。感情移入しやすい役でした。
井上ひさしの作品にはこういう女性がよく登場しますね。どこか『頭痛肩こり‥』の妹「樋口邦子」(深谷美歩)に通じるところも感じました。

「加賀四郎」役の山崎一も『組曲虐殺』で観ていますが、この人だけ今回の出演が2回目だそうです。
『組曲虐殺』での特高刑事と通じる役ですが、時流に乗っているようで、実は流されている当時の庶民の一典型のような姿を演じていて、いろいろ考えさせられます。誰しも持っている愚かしさとたくましさをよく演じていました。

「土沢時男」役の阿南健治も初演時から出ているとのことです。時流に乗るというよりは、一生懸命に生きようとしているのに流されっぱなしの不器用でまっすぐなどこにでもいる庶民。そんな姿をよく表していましたが、後半の東北弁はリアルすぎてかなり聞き取りにくいのでネイティブでない観客は苦労します。


そういえば今回は全般的に音響に難アリで、聞こえない場面が結構ありました。私だけかと思ったらヨメさんも「聞こえにくかった」とのこと。ちょっと残念でした。

観終わってまず感じたのは、作者がこの作品を今の時代に宛書していたのではということ。
10数年前に書いていながら、今のキナ臭い世相が鋭く描かれています。何度同じ間違いを繰り返すのかという作者の声が伝わってきます。
同時に、林芙美子に対する井上ひさしの温かいまなざしも感じられました。実際に愛すべき人物だったようで、未読な私も読んでみようという気になりました。

今回も浮かんできたのは「面白うて やがて悲しき 鵜舟かな」でした。
未見の方は、機会があればぜひご覧ください。私のつたない感想などよりはるかに多くのものが得られると思います。おすすめです。

今月は、明日27日も大劇場での観劇。物忘れが激しいので更新が大変です(笑)。忘れないうちになんとかアップしたいと思いますが、その折にはまたご覧いただければと思います。


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2013年の観劇Myベストは? なかなか難問です。

2013年12月11日 | 観劇メモ

改めて今年観た舞台を振り返ってみたら、20回の観劇でした。結構観ていました。
その中でどれがベストかと考えてみましたが、なかなか難問です。
とにかく一口に舞台といってもジャンルが違うので、単純に比較できないですね。

でそれを考える前にまず今年観た舞台の記事を時系列で古いものから並べてみました。日付は投稿日です。

1. こまつ座&ホリプロ公演「組曲虐殺」を観て 井上ひさしに脱帽です (2013-01-23 19:27:56 | 観劇)

2. 宝塚月組公演 「『ベルサイユのばら』 明日海オスカル編」を観て  (2013-02-04 15:53:09 | 宝塚)

3.「祈りと怪物~ウィルヴィルの三姉妹~」 蜷川バージョンを観て  (2013-02-14 00:26:50 | 観劇)

4. 「テイキング サイド~ヒトラーに翻弄された指揮者が裁かれる日~」を観て (2013-02-25 14:59:13 | 観劇)

5. 宝塚花組公演 『オーシャンズ11』を観て感じたこと (2013-03-11 14:25:13 | 宝塚)

6. 宝塚宙組公演『モンテ・クリスト伯』『Amour de 99!!-99年の愛-』を観て (2013-04-01 12:39:08 | 宝塚)

7. アトリエ・ダンカン公演「しゃばけ」@新歌舞伎座を観て (2013-05-11 13:41:55 | 観劇)

8. 兵庫芸術文化センター・「完全姉妹」の不完全な感想  (2013-05-26 00:08:30 | 観劇)

9. 宝塚星組公演「ロミオとジュリエット」を観て  (2013-06-28 17:08:40 | 宝塚)

10. 宝塚宙組全国ツアー「うたかたの恋」「Amour de 99!!-99年の愛-」を観て (2013-07-24 12:10:56 | 宝塚)

11. 兵庫県立芸術文化センターで「象」を観て (2013-08-06 12:13:16 | 観劇)

12. こまつ座第100回公演「頭痛肩こり樋口一葉」を観て (2013-08-20 12:06:27 | 観劇)

13. 花組公演『愛と革命の詩-アンドレア・シェニエ-/Mr. Swing!』を観て  (2013-09-02 13:33:05 | 宝塚)

14. 朗読劇 「藤沢周平『蝉しぐれ』より-永遠の初恋、ふく-」を観て  (2013-09-15 11:47:30 | 観劇)

15. 宝塚宙組公演 「風と共に去りぬ」を観て  (2013-10-07 13:47:19 | 宝塚)

16. 宝塚バウホール公演「第二章」を観て  (2013-10-16 12:36:10 | 宝塚)

17. こまつ座&ホリプロ 音楽劇「それからのブンとフン」を観て感じたこと  (2013-10-23 13:05:12 | 観劇)

18. "いのうえシェイクスピア"「鉈切り丸」、絢爛豪華な舞台でした  (2013-10-26 15:51:14 | 観劇)

19. こまつ座第101回公演「イーハトーボの劇列車」を観て  (2013-11-27 13:39:55 | 観劇)

20. 宝塚雪組公演 『Shall we ダンス?』『CONGRATULATIONS 宝塚!!』を観て  (2013-11-30 16:23:38 | 宝塚)

まあ結構観ていますね。やはり宝塚が一番多く、次はこまつ座です。

で、まずそれぞれの記事について、1月から今日12月10日までの間の、1日ごとの訪問者数をグーグル・アナリティクスで集計してみました。ただし、この数はあくまでもグーグルが把握したものなので、gooブログのアクセス解析で調べた実際の閲覧数と比べるとおよそ3割~4割程度少ない数字になっています。

なので、絶対数で見れば順位が逆転している記事があるかもしれませんが、gooのアクセス解析は3か月間のデータしかないので、ページごとの1年単位での正確な訪問者数は把握できません。ということで、以下はあくまでグーグル・アナリティクスでみたこのブログの観劇記事の順位ということになります。
もうひとつ、記事をアップしてからの期間が長いと、当然訪問者数も多くなるので、その点も割り引いて見てください。

それと、もともと観劇記事そのものが私たち夫婦の偏った選択(笑)で観劇した感想ですので、極めて客観性に乏しいということもご理解ください。(笑)

というわけでいろいろ注釈が多くなりましたが、以下訪問者数のランキングです。

ページ別訪問数でトップだったのは6月の星組公演「ロミオとジュリエット」の感想で5,646でした。まあ初演から2度目の公演ですが、やはりトップコンビの人気が反映していますね。
もうかなり以前の記事ですが、今でも少ないながらもアクセスが続いています。


2位は花組公演「愛と革命の詩-アンドレア・シェニエ-/Mr. Swing!」4,447。私たちは今年のタカラヅカでは1番の出来と思っていたので、順当なところだと思います。本当にもう1度観たいと思った舞台でした。退団発表でさらに人気に拍車がかかっていました。この記事も、公演終了後もコンスタントにアクセスがあります。

全く余談ですが、印象的だったのは東京公演の千秋楽のニュース。
最後のあいさつの中で蘭トムが、退団する春風弥里に対して惜しみないはなむけの言葉を送っていました。最近とみに涙腺の緩い私などは、思わずウルウル。(笑)
今回だけでなくこれまでも、このような場で何度も蘭トムは組メンバーであったもの・新たに組メンバーに加わったもの・そしてめでたくトップに昇格したものに対して、真情にあふれた偽りのない言葉をかけていますが、私の知る限り、これらは並み居るトップ、歴代のトップの中でも稀有なことだと思います。彼女の人柄が偲ばれて心が温まりました。

3位も花組で、「オーシャンズ11」3,773。花組、健闘しています。星オーシャンズとは違ったトップコンビをはじめとする花組の持ち味が出ていました。予想以上の出来でした。

4位は宙組公演『風と共に去りぬ』で、結構ネガティブな感想(笑)だったのに3位に迫る3,610となりました。これも好演終了から時間がたっていないこともあってアクセスが続いています。もうすぐ3位に上がるかも。
あまりいい評価が出来ない企画でしたが、どちらかというとAパターンのほうがまだよかったと思います。でもやはりあの内容で一本ものとは辛いですね。

5位も宙組で、全国ツアー「うたかたの恋」「Amour de 99!!-99年の愛-」3,387。全ツーとして久しぶりの観劇でしたが、やや古さを感じたものの、「風‥」よりはいいと思いました。

6位は月組公演「『ベルサイユのばら』 明日海オスカル編」の感想で2,862です。月組観劇はこれだけでした。^^; まあもう何度も観た化石芝居なのであまり期待していなかったのですが、オスカルの美しさは予想以上でした。最近は閲覧も停止状態になりつつあります。

7位は宙組公演「『モンテ・クリスト伯』『Amour de 99!!?99年の愛?』」2,661です。この舞台だけ2回観たので記事も続編をアップしています。ちなみに続編の閲覧数は1,972ですが、ダブるので除外しています。
こちらは凰稀かなめの演技が期待通りで良かったですね~。勢いで2度観てしまいました。いい芝居は2度観るべきですね。(チケットがあればの話ですが(笑))でもアクセスは伸びなかったです。^^;

8位は初めて宝塚以外の舞台でいのうえシェイクスピア「鉈切り丸」の感想です。2,175と健闘しています。主演の森田剛人気ですね。でも私たちにとっては脇の若村麻由美と麻実れいの演技がツボで、逆に巴御前がかなりの難アリという印象です。やたら血しぶき・水しぶきの飛ぶド派手な舞台でした。

9位も宝塚以外で「祈りと怪物~ウィルヴィルの三姉妹~」 蜷川バージョンの感想で1,759。これは出演者と演出家
両方の知名度でしょうか。ストーリーは途中で追うのをあきらめました。(笑) それでも、前年に観た同じ演出家の「ボクの四谷怪談」よりはよほどまともでした。(笑)

10位はこまつ座第100回公演「頭痛肩こり樋口一葉」1,092
ただし、これは最近NHKのBSで録画が放映されたのを受けて突然アクセスが急上昇したので、ちょっとアンフェアかも知れません。でも今年上演されたこまつ座の舞台としては1番人気があるのは間違いないでしょうね。主人公の描き方に脚本家の世界観がよく出ていました。
このあたりで閲覧数は1,000を切っています。

で11位は、宝塚に戻ってバウホール公演の「第二章」825
まあバウなので観客数が限られていたのでこの数は妥当かと思いますが、舞台は小品とはいえいい出来でした。
最近になって急にアクセスが増えて来たので不思議でしたが(笑)、来年5月に再演されるとのことで、納得しました。轟 悠、英真なおき、夢咲 ねね、早乙女わかば、それぞれ個性と持ち味がよく生かされた作品でした。楽しいフィナーレが最高!(笑)

12位が仰天の結果。現在上演中の宝塚雪組公演『Shall we ダンス?』『CONGRATULATIONS宝塚!!』 がわずか589のアクセス数でした。まあ巷にあふれる絶賛上演中!!な感想じゃなかったので敬遠されたのか、意外でした。作品としては破たんしていないし(誉めてないか)、壮一帆をはじめ出演者もみんながんばっていたのですが、やはり他にもっといい作品があるので絶賛とはいかなかったです。^^;

13位はこれも意外な結果で朗読劇「藤沢周平『蝉しぐれ』より-永遠の初恋、ふく-」の感想で273。もう全くのネガティブ感想ですが、やはり岸恵子のネームバリューですね。感情のこもった朗読だったので「すべらないバージョン」があれば高評価間違いなしですが。

14位はこまつ座の「組曲虐殺」263
内容が重いし上演期間も短かったので閲覧数は少ないですが、井上ひさしが生前よく口にしていた『むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに』がそのまま劇化されていて面目躍如、感動しました。

15位はアトリエ・ダンカン公演「しゃばけ」@新歌舞伎座200/strong>ちょうど。出演者も多彩で個々に役者を見ればそれなりの出来だったのですが、主人公のセリフに難があり、演出のしつこさが鼻について、全体としてはいい感想とはいかなかったですね。麻実れいが儲け役で目立っていました。(笑)

16位は兵庫芸術文化センター・「完全姉妹」の感想で154。これはちよっと期待していたのですが、姉妹でもかなり力量に差があったのは経歴の差でもあるのでしょうか。

17位はこまつ座第101回公演「イーハトーボの劇列車」135。このあたりになると「人跡まれ」な感じですが、でも私的には本当にいい芝居でした。まず井上芳雄の宮沢賢治が爽やかでピュアで滑舌もよく素晴らしい。実物の賢治がさわやかだったかどうかは?ですが(笑)。
それと、感想でも書いたように、宮沢賢治が経済的に恵まれた家に生まれて、結構親のスネかじりだったというのも新発見。
脇を固める役者の層も厚く、それぞれ芸達者だったのもオトク感がありました。

18位はこれもこまつ座の「それからのブンとフン」118
いつになく事前に原作を読んでしまったのが失敗で、途中まで台本を復唱しているみたいな観劇になったのが残念でした。(笑)
これからは事前調査などしないと心に決めました。
遊び心たっぷりの芝居で、市村正親・小池栄子・新妻聖子などよく役にはまっていて面白い観劇でした。

19位は兵庫県立芸術文化センターで観た「象」で74。不条理劇ですが、テーマとするところは現在の日本の状況との暗合を示唆していて深いものがありました。大杉漣の舞台演技を初めて観ましたが、さすがにうまかったです。あとの木村了や奥菜恵、山西惇、金成均、 野村修一、橋本健司、神野三鈴なども好演していました。
地味な芝居で、公演期間も短く、観られた方も少なかったので、この閲覧結果になりました。

最後の20位は「テイキング サイド〜ヒトラーに翻弄された指揮者が裁かれる日〜」。閲覧数は71でした。ただ、これも政治と芸術、芸術の戦争責任という重いテーマを取り上げていて、過去の話ではなく今もなお普遍性のある面白い内容でした。
筧利夫と平幹二朗のセリフのバトル、脇の福田沙紀や小島聖、小林隆、鈴木亮平もよかったです。それだけに閲覧された方が思ったより少なかったのが意外でした。

以上が私のブログ記事の閲覧ランキングです。

全体の感想としては、宝塚はまあ星ロミジュリがトップなのは総合的な人気からみて順当ですが、再演なのでやや新鮮味に欠けますね。新作という点では2位の花組「アンドレア・シェニエ」が一番だと思いました。舞台装置も素晴らしいし、蘭トムにぴったりの主人公で観ごたえがありました。これで二本物ですからCP高いです。(笑)
あとは雪組を除けば順当だと思います。

こまつ座はどれも甲乙つけがたく、順位を考えても答えは出ませんでした。敢えて分類したら、内容の重さ・特定秘密保護法案など現代の状況にあったタイムリーさでは「組曲虐殺」、出演者の豪華さでは「頭痛肩こり樋口一葉」、これも特定秘密保護法案で示されている表現の自由の危機とも関連するものの、どちらかというと肩の凝らない面白さでは「それからのブンとフン」、絶妙のキャスティングが光った「イーハトーボの劇列車」というところでしょうか。

というわけで、Myベストといってみたものの、結局はいつものとおりの竜頭蛇尾・締まりのない結末になりました。m(__)m

さて皆さんは、今年一年について、どういった観劇ランキングになったでしょうか。

来年は星組のナポレオンから観劇スタートですが、続く2月のこまつ座の「太鼓たたいて笛吹いて」ともに期待しています。

そして新しい1年どんな観劇の体験となるか、楽しみです。





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こまつ座第101回公演「イーハトーボの劇列車」を観て

2013年11月27日 | 観劇メモ

今回はがんばって劇場の先行予約で最前列の席をゲット。


ただあまりにも舞台に近いので、熱演する出演者の口から出る飛沫(はっきり見えました(笑))を浴びるのではと心配したほどでした。(笑) 自分の前に観客が誰もいないというのはすごいです。本当に久しぶり。とにかくすっぽり浸れる臨場感です。

最初は出演者全員の挨拶から。「農民たちによる注文の多い序景」の場です。
以下画像は当日購入した「the座」に掲載された「稽古場風景」と役者紹介の記事の写真の一部です


挨拶に続いて、「大正七(1918)年十二月二十六日夜の上野行き上り急行二○二列車の車内」の場面へ。

向かい合わせの列車の椅子と窓枠がやや傾斜した楕円形の盆の上に置かれています。


ここは賢治が上京するところ。汽車の擬音が愉快です。

まずここでいきなり宮沢賢治役の井上芳雄↓が目と耳に飛び込んできました。うまかったですねー、セリフも演技も。


まず東北弁がよかった。(笑)もっとも、非関西在住の役者の関西弁が関西在住者には違和感を感じることがあるように、東北の方が聞かれたらしっくりこないかもしれませんが、とにかく彼の東北弁のセリフはきわめて明快で、自然に聞き取れるところにびっくり。東北弁独特の抑揚がクセになります。(笑)
まあ明快な東北弁というのも変かもしれませんが(殴)、朴訥とした語り口でありながら、あの時代の青年らしい純なキャラクタで極めて好印象。大したものでした。私は「組曲虐殺」では彼についてはさほど印象に残らなかったのですが、今回の観劇で見直しました。いい役者です。それと学生服が実にカッコよく、似合っていました!

この列車には、人買いで曲馬団団長の神野仁吉(田村勝彦)と、


その人買いに買われた娘(鹿野真央)、


西根山の山男(小椋毅)と


熊打ちの淵沢三十郎(土屋良太


が乗り合わせています。

井上ひさしの作品には真の悪人はいないといわれますが、田村勝彦演ずる人買いの曲馬団団長もそうですね。
人買いというと、私などの世代は子供の時に聞かされた「サーカスに売られる」といったイメージが強く、また「女工哀史」なども連想しますが、この神野仁吉はどこか温かくて憎めないところがあり、彼も彼なりに、サーカス団で働かせることでなんとか当時の悲惨な農民の家族を救おうとしたいい人だったのではなどと考えたりします。(笑)

人買いに売られた娘役の鹿野真央は今回が初舞台とのこと。でも周りのベテラン勢に臆せず頑張っていて、最初のウブで売られたわが身の不幸を嘆くばかりだった少女から、世間の荒波に揉まれながらしたたかな大人の女に変わっていくあたりをうまく演じていました。セリフは「お食べ」だけですが。(笑)
とても初舞台とは思えなかったです。

小椋毅の「山男」は、急速に近代化しつつあった当時の日本から取り残されたような東北・岩手県を象徴する土俗的な存在として描かれています。同時にこれは宮沢賢治の分身のようで、彼の内的な世界を表象したような存在でもあります。

その後、病院のベッドが2つ置かれた場面になります。ここが今回の観劇で一番ハマったところです。
ベッドには賢治の妹・とし子(大和田美帆)と


福地ケイ子(松永玲子)がいます。


大和田美帆もあまりセリフがないのですが(この芝居は全体的に女優のセリフが少ないですね)、実際に仲が良かったといわれている兄妹の間柄が偲ばれるひたむきに賢治を慕うとし子をうまく演じていました。小顔が印象的です。

福地ケイ子役の松永玲子も同様あまりセリフがないので、どういうキャラクタの役なのかわかりにくかったのですが、少ないながらも兄・福地第一郎役の石橋徹郎と息の合ったセリフのキャッチボールが良かったですね。この兄妹も仲がいいです。


で、その福地第一郎役の石橋徹郎。うまい役者さんです!
第一郎は三菱の社員で、当時の殖産興業のシンボルみたいな役です。初めて知った役者ですが、井上ひさしの十八番、膨大なセリフを立て板に水、見事にこなしていて、本当に観ごたえ・聞きごたえがありました。まだまだ知らない役者さんが多いです。セリフ劇としてまずこの石橋徹郎と井上芳雄のバトルがすごかったですね。

そして彼と、賢治役の井上芳雄(彼のセリフ量も半端じゃないです)がそれぞれの妹の見舞いに来て顔を合わせます。
対極といえるこの2人の兄のコミカルで息の合った掛け合いを通して、明治から大正、昭和という時代、その時代を生きた宮沢賢治の価値観や人生観などが笑いとともに展開されていくところは、これぞ井上ひさしワールド!ですね。こちらも観ていて盛り上がったところです。

人間の肉食についての「ベコ」の話とか、財閥三菱と賢治の父の生業を批判した「物を左右に動かすだけで儲けたり、金を貸して利子で儲けるなどは人の労働じゃない」という賢治のセリフは、今の時代にこそあてはまる批判ですね。

あと、母親役と稲垣未亡人の二役を演じた木野花、うまいのはいうまでもないところですが、この人も登場場面が少ないので二人の区別がつき辛いのが気の毒です。名前を聞くまでどちらの役か区別がわかりにくかったです。


順が逆になりましたが、重要な役が残っていました(殴)。
辻萬長みのすけです。

辻萬帳は賢治の父親と、思想警察の刑事の二役ですが、すごい存在感。父親役としてはまさに家父長そのもので、刑事も得体のしれない凄みのある存在です。父親は、賢治とは宗教や処世感が全く違っていて対立していますが、それでいて賢治に仕送りするなど、複雑な親子関係がよく演じられていて説得力がありました。
思想警察の刑事役も味のある演技で「組曲虐殺」の刑事にも一脈通じるところがあって、これも根っからの悪人ではないかなと思ってしまいますね。脇役として十二分にいい演技をみせていてました。

みのすけの車掌は、唯一吊りもので登場する派手な存在です。さまざまな事情を抱えて、道半ばで意に反してこの世を去らざるを得なかった人々の思いを「思い残し切符」として後世に配る、この世とあの世の橋渡し役を務めています。
劇の最後にこの「思い残し切符」が客席に撒かれましたが、これは作家から私たちへのメッセージそのものですね。拾おうかどうか迷っている間にどなたかに拾われてしまいましたが。(笑)

劇の進行では中盤でやや中だるみ的なところがあったり、最後の場面ではかなりクサいセリフが気になったりしましたが、まあ実際の宮沢賢治自体、啓蒙主義的でやや農民に対する教化主義の傾向が感じられるので、作家自身これは確信犯的に演出したのでしょうね。

演出では場面転換を出演者が行ったり、役者自身が擬音などで効果音の代わりにしていたりで、手作り感たっぷり。素朴でエコな宮沢賢治らしさが出ていました。

ちなみに私はこの芝居を観て初めて、賢治が裕福な家庭の長男でけっこうな親のすねかじり(笑)だったことを知りました。
それまでは、きっと貧農の生まれで、苦学して農学校を出て教師になったのだろうと思い込んでいましたが、そうではなかったのですね。そのあたりの賢治の立ち位置の甘さを痛烈に批判する農民の言葉が衝撃的でした。
知っていたつもりでも宮沢賢治について知らないことばかりでした。劇の中で紹介されていた賢治のいろいろなエピソード(親子の宗教的対立など)も面白かったです。

いつものことですが、観劇後いろいろなことを考えていました。とくに最近発表された政府のTPP参加に合わせた減反政策廃止決定などを聞くにつけ、これからの農業政策について考えてしまいますね。

まあそんな下世話な話は別にして、今回の舞台、本当に全員芸達者ぞろいで観ごたえ十分でした。おすすめです。


今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

次回のこまつ座公演観劇は来年2月の「太鼓たたいて笛ふいて」からスタートです。楽しみです。




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"いのうえシェイクスピア"「鉈切り丸」、絢爛豪華な舞台でした

2013年10月26日 | 観劇メモ

今回は同じ井上でもいのうえひでのり演出の舞台です。初めての観劇となります。
私たちが観たのは10月24日(木)。上演されるのはもう久しく行っていない劇場なので事前に調べたら、直営の駐車場はなし。でも契約パーキングはあるので、そこに停めれば3時間500円の補助券がもらえるとのこと。
ただし結構離れているので、台風接近とあって天候が心配でしたが、当日はまさかの好天。車椅子でも大丈夫でラッキーでした。
正午に劇場前に着いたら、すでに開場を待つ大勢の人が歩道や近くの公園に集まっていました。

まもなく劇場内に入れてくれたので、中で開場時間まで待つことができました。このあたり、直前のシアター・ブラバとは大違いです。
待っている間にスタッフの女性が声をかけてくれて、客席の状況などを説明してくれました。その後トイレに行って時間を調整。

その間に気付いたのですが、この劇場、オリックス劇場として2012年に再オープンした際に全面改装して、最新鋭の舞台設備に更新され、同時にエレベーターの新設や女性用トイレの増設、完全バリアフリー化なども実施されたとか。
実際障害者トイレも最新の設備で快適、さらに今回利用した車椅子スペースが、席番号でいうと11列の17・18番相当のものすごく見やすい場所。

そこに行くまでの経路も完全にフラットで感激しました。こんな見やすい車椅子スペースはこれまで経験したことがありません。それだけでもうれしくなりました。障害者の利用しやすさでは関西一(いや日本一かも)。

今回は主人公のファンなのか、若い女性客が目立ちました。

さてようやく感想です。(またまた長い前フリです。m(__)m 文中例によって敬称略です)

開演前にプログラムを買いました。ずっしり重く大部で、値段も2,000円と高価!でも情報豊かな内容で、買う価値はありました。

それを読んでいるうちにオープニングのテーマミュージック?がかかりましたが、映画のテーマのような迫力のある音楽です。それを聞いてさらに期待が高まりました。ちなみに劇中の音楽は生演奏で(録音も併用)、キーボードとパーカッション、篳篥でいい効果を上げていました。

舞台には幕がなく、代わりに竹藪の植わった木製のセットが全体を覆っています。この出し入れで場面転換されるのですが、舞台の一か所になにか突起でもあるのか、毎回左右に分かれて動かすたびにゴトンと音がするのが気になりました(笑)。

1時にスタート。
最初の立ち回りの場面、舞台上方からミストのような水が降ってきて、そのカーテンで雨を表現しています。
立ち回りのシーンはさすがにタカラヅカのスローモーションなゆるい斬り合い(笑)と違って、迫力があります。
そして森田 剛扮する主人公・鉈切り丸こと源範頼が登場。
生まれつき背中に大きな瘤を背負い、片足を引きずり、顔には醜い傷があるという設定。鉈でへその緒を切ったから「鉈切り丸」の幼名となった源範頼が、シェイクスピアの「リチャード3世」という想定でした。

森田 剛、この鉈切り丸を渾身の演技で頑張っていました。観ているうちにようやく「祈りと怪物 ~ウィルヴィルの三姉妹~」のトビーアスを思い出しました。(そういえば、あの感想では一切森田剛について触れていませんでしたね。申し訳ない。(殴))
ただ、後半では見た目の老け具合と、若い声がますます合わなくなる感じがやや惜しいかな。でも、前回の観劇と違って、今回は建礼門院と共にこの芝居の流れをリードする重要な役割を十分に演じていて印象に残りました。
(↓以下、すべて 当日購入のプログラムより)


史実で伝えられている源範頼と異なり、今回の「鉈切り丸」の範頼は生来の悪役ですが、同じような極悪人として描かれた井上ひさしの「藪原検校」ほどドライなワルではありませんね。後者のスコーンと突き抜けたような血も涙もない悪逆非道ぶりの痛快さと比べると、鉈切り丸はセリフも常に同情を誘う詠嘆調(笑)で、シェイクスピア風というより「和」のテイストが強いです。(笑)

続いて他の役者の感想になりますが、まずネガティブなところから行くと、成海璃子の巴御前が最大のミスキャストに感じました。


この役、冒頭から最後まで話に絡む重要な役ですが、この女優にはまだ荷が重すぎ。セリフも演技も水準とはいえず、観初めて即座に「ああ、アカン」と思いました。
義仲に逃げろと言われたとき、本当にこんな巴御前では足手まといになるだけだと思ってしまいました。
もっと野性的で芯のあるキャラクタのはずなのに、全然表現できていないのが残念でした。
とくに今回、女優陣があまりにも豪華な顔ぶれなので、その差は歴然、彼女の登場する場面は本当に長く感じて辛かったです。
でもこれは本人の責任ではなく、選んだ方の責任だと思いますね。興業的な打算で登用するのではなく、実力本位で選んでほしかったです。
これが例えば最近見た「それからのブンとフン」の新妻聖子とか小池栄子だったらどんなに良かっただろうと、観劇しながら考えていました。

ネガティブな評価としてはこれぐらいにして、良かった順ではなんといっても若村麻由美




この人が演じる「北条雅子」の前では、頼朝も形無し。演出家の想定では「リチャード3世」でのエリザベスだそうですが、本当に強い女性でした。頼朝をアゴで使っていましたからね(笑)。とにかくセリフの力がすごいし、メリハリの利いた表情でどんな役にもなりきれるダイナミックレンジの広さが強みですね。それでいて、たまに入るコミカルな演技もうまくこなして、大したものでした。
余談ですが、たまたま今テレビを見たら、三宅裕司の「コントの劇場 10月号」が放送されていて、若村麻由美がゲスト出演。途中からでしたが面白く、即興でよくできるものだと感心しました。ちなみに北村有起哉も出ていて思わず黙阿弥オペラの「釣竿の浪人」を思い出したり。

若村麻由美と並ぶのが「建礼門院」の麻実れい。平家の怨念を象徴する生霊役で、これまたすごい存在感。出てくるだけで周囲を圧するのはさすがですが、二人とも低い声も高い声も、大きな声も小さい声もくっきり明瞭でした。
建礼門院は鉈切り丸と並んで狂言回し的な役廻りです。でも同じ狂言回しでも、建礼門院はすでに滅亡してしまった平家の怨霊なので、歴史の進行に影響を及ぼす力はありませんが、鉈切り丸のほうは、傍流とはいえ歴史の勝者・源氏側なので、頼朝を操ってどんどん現実を変えていきます。
そんな怨念の象徴でも、麻実れいがやると凄い迫力で、出番は少ないものの強いインパクトがありました。


頼朝は生瀬勝久。この舞台を観る前はいつものパターンで、狷介で嫉妬心や猜疑心が強いいやな権力者という頼朝像を予測していましたが、現れたのはそれとは正反対。まったく政子のいいなりのままのダメ夫ですが、そんな彼が時折見せるコミカルな演技が、重苦しい話を適度にほぐす役割を果たしていました。この人の眼の演技が印象に残りました。時折かましてくれるギャグが秀逸でした。全く意表を突かれた頼朝像でした。


女優ではイト役の秋山菜津子もベテランらしい安定した演技で、感情の起伏の多い難しい汚れ役を十分に演じ切っていました。
終わりの方で、母として鉈切り丸と対面して激しくやりあう場面でも堂々と伍していて大したもの。この人、「藪原検校」での好演もまだ記憶に新しいところです。


梶原景時の渡辺いっけいも味のある演技で、弁慶の千葉哲也とともに脇を固めていました。この二人が芝居に厚みを出していましたね。全編権謀術数が渦巻くこの芝居で、いつ梶原景時が裏切るのかというのも興味がありましたが、かろうじて踏みとどまっていましたね(笑)。
弁慶の立ち往生もうまくできていました。この芝居、血しぶきを上げて切られるシーンとか、随所に凝った仕掛けも見られます。




義経は須賀健太。頑張っていましたが、まだ発展途上の印象。私としてはビジュアル的に義経のイメージには合わないと思いました。もっと絵にかいたような美青年であってほしかったなあ。


演技では木村了の和田義盛が、真っ直ぐな人柄をよく演じていました。立ち回りはキレがあり、台詞もハッキリスッキリ聞きやすい。男優では一番台詞がよかったと思いました。


逆にやや聞こえにくくで残念だったのは大江広元役の山内圭哉。ふだんの会話をドモらせる演出もどうかと思いますが、吾妻鑑を読むときは明瞭なはずがちょっと聴き取れなかったりしたのが残念でした。この人もコミカルな部類のけっこうおいしい役回りでした。


あと、宮地雅子が被り物で笑わせてくれました。比丘尼役も演じていて、余裕の演技で座を和ませていていい仕事ぶり。初めの被り物は移動とか大変そうです。詳しくは観てのお楽しみ。


全体としては、なんといっても青木豪の脚本が素晴らしい。スケールが大きくて大作の風格たっぷりです。細部も鉈切り丸が頼朝をそそのかし、思うままに操っていく筋書きなども説得力があります。頼朝でなくても納得しますね。観劇しながら、和物の題材でもこれだけの脚本ができるのかと感心しました。宝塚の座付作者も奮起してほしいものです。
宝塚と言えば、今回の演出では随所にタカラヅカ的な要素が見られました。セレモニーの場面での群舞とか、建礼門院の羽根の衣装とか、まんま使えそうです。
それと音楽が効果的でした。篳篥の生演奏で歴史ものらしい雰囲気が強調されていました。
舞台装置では最初に書いたように竹藪の生け垣のセットが場面転換で効果的でした。このセットを見ていて、マクベスの動く森を連想しましたね。そういえば巴御前とイト、そして建礼門院が3人の魔女みたいにも思えたり。後、不気味にリアルな生首とか(笑)。

最後は圧巻の立ち回り。「祈りと怪物‥蜷川バージョン」のラストみたいな演出で、主人公は大変だなあと同情しました。詳細は観てのお楽しみということで触れずにおきます。(笑)

繰り返しますが、本当に見ごたえのある舞台でした。最後に客席は全員感動のスタンディング!!

同じいのうえでも、いのうえひでのりはまた違った味わいのある演出で、楽しい10月の観劇となりました。また同じ劇場で、この脚本家+演出家の作品が上演されればぜひ観てみたいです。

「鉈切り丸」、おすすめです!




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こまつ座&ホリプロ 音楽劇「それからのブンとフン」を観て感じたこと

2013年10月23日 | 観劇メモ

井上ひさしの作品を観るようになって今回で6作目です。最初の観劇は「黙阿弥オペラ」。前に井上ひさしの作品の感想を書いた際に「組曲虐殺」が一番といいましたが、今振り返ってみると、最初の衝撃を差し引いても、「黙阿弥オペラ」が一番だと思います。謹んで訂正いたします。とくに好きだったのは釣りの浪人でした。
次に見たのが「キネマの天地」。これも面白かったですね。作者一流の凝ったドンデン返しの展開が痛快でした。女優陣が豪華でした。そしてインパクトの強かった「藪原検校」に続いて、小品ながらよくできた「芭蕉通夜舟」。

今年に入っては「頭痛肩こり樋口一葉」、そして今回の「それからのブンとフン」になります。まあ短期間によく観たものです。

今回の「それからのブンとフン」は、井上ひさしの初めての小説「ブンとフン」(1969年刊)を、1975年に作者自らが戯曲化したものです。そんな小説や芝居があるとは全く知らなかったのですが、38年ぶりの公演と聞いて、販売開始まもなくチケットを購入。今月20日の観劇となりました。

当日はあいにくの雨で、シアター・ブラバにはすでに劇場入り口の小さい庇の下で雨宿りする観客がたくさん詰めかけて開場を待っていました。
この劇場、現在の水準からいうと本当に設備がお粗末。でもスタッフは親切でした。

今回の芝居は、井上ひさしが、まだ戯曲を手掛け始めた時期の1975年に、劇団テアトル・エコーのために書き下ろしたものです。
話としては、自らの小説「ブンとフン」を基本に、出版後の時代の変化を反映して後日談を書きくわえたものとなっています。

当時は70年安保闘争を挟んで社会は大きく変動していて、オリジナル小説の、ある意味では平和な結末ではとてもその変化に対応しきれないので、後日談を加えて「それからの‥」となったのでしょうね。

演出は、生前から井上ひさしの信頼が厚かった栗山民也。そして主人公の作家フンを演じるのは、意外にも井上ひさし作品には初出演という市村正親ということで、大いに期待しての観劇でした。
シンプルな舞台装置ですが、効果的でいい仕事です。誰かと思ったらアンドレア・シェニエ松井るみが手掛けたとのこと。
この人、現在の日本の舞台公演を多数手掛けていますが、こまつ座でも常連だったんですね。
演奏は朴 勝哲で、手練れでした。

あらすじは、大きく変化した結末を除けば、大部分小説「ブンとフン」のままです。

幕が上がると、舞台は売れない貧乏作家・大友憤(おおともふん・憤慨のフンとのこと)の、文字通り赤貧洗うがごとき暮らしぶりの紹介から始まります。
市村正親、さすがに堂に入った演技で、余裕の客席いじりで笑わせてくれました。この人自体、最近とみにむさくるしさが増加しているので(殴)、今回の役はぴったりでした。

話は、全く売れたことがなかったフンの小説がベストセラーになると同時に、世界中で不可解な事件が次々と起こり始め、その後は「ひさしワールド」全開の奇想天外な話となります。
シマウマのシマが盗まれ、別のシマウマにそのシマが加わってタテヨコ十字模様のシマウマになったり、自由の女神が突然消えたり、奈良の大仏が瞬間移動で、鎌倉の大仏の隣に現れたり、大学対抗ボートレースの最中、競技が行われているテームズ川の水が消えてしまったり、日本中のアンパンからヘソが消えたと思ったら、カエルにそのヘソがくっついたりとか‥。
小説ではこの盗難事件がもっと大規模に多方面に起こっていて笑わせてくれます。

ただし、今回事前に原作小説を手に入れたのは大失敗でした。観劇しながら後悔しきりでした。
というのは、観劇前夜に、予備知識を得ようとそれをかなり読み進んでしまったので、本来ワクワクしながら観るはずの連続盗難事件が、全然面白くなかったのです!(泣)

↑新潮社も商売熱心で公演の宣伝も入れています(笑)。
原作とはいえ、舞台化するに当たってはかなり脚本も変わっているだろうと思い込んだのが大間違い。
省略された箇所はあっても、残された所はほぼ小説どおり。これは辛かったです。話に入るより、両者の違いをチェックする方に関心が行ってしまって白け気分。同時に瞼も下がってきました。(殴)

教訓:長編文芸大作の舞台化などと違って、今回のように作者自らが小説を戯曲化したような舞台は、絶対事前に読んではいけませんね。読むのは観劇後にしましょう。

それでもまだ救いがあったのは、読んだ範囲が半分程度だったこと。(笑)それで、一幕目の後半あたりから気を入れて観劇できるようになりました。うまい具合にそのころから話も俄然盛り上がり、面白くなってきました。

話の筋に戻って、この奇妙で荒唐無稽な犯罪の犯人が、4次元の大泥棒・ブンの仕業とわかってきます。
フンについて小説ではこう書いています。
『ブンとは何者か。ブンとは時間を超え、空間を超え、神出鬼没、やること奇抜、なすこと抜群、なにひとつ不可能はなくすべてが可能、どのような願い事でもかなう大泥棒である』。

その主人公が、突然、小説から抜けだして活動し始めたのです。そしてブンが犯人と分かったとたんに、小説『ブン』はさらに売れて、世界中でベストセラーに。
そしてそれぞれの本から本の数だけブンが出現し、世界は無法地帯になってしまいます。そのうち大泥棒ブンは、形のあるものを盗むことをやめ、人間の見栄、権威、虚栄心、記憶、歴史など形のないものを盗み始めます。ここからが井上ひさしの真骨頂。劇中で「歴史に学ばないのだから、人間に記憶など無用」というのは痛烈です。

小さくて見にくいですが歌詞は↓のとおり
プログラムの画像です


いやなやつからいやなところをとったら、残りはいいところばかりになりますね。
悪いやつから悪いところをとったら、善人になるしかありません。
この歌を聴いていて、なんとなく「組曲虐殺」の劇中の「絶望するには、いい人が多すぎる。」「希望を持つには、悪いやつが多すぎる。」「どこかに綱のようなものを担いで、絶望から希望へ橋渡しをする人がいないだろうか。‥いや、いないことはない」というフレーズを想起していました。
まさに「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに~」ですね。

「全ブン闘」の世界大会のあと、ブンたちの収容されたリゾートホテル顔負けの刑務所に、微罪を犯して入所を希望する多数の人々が押し寄せるというところで終わるのが小説版ですが、「それから‥」では焚書坑儒ならぬフンへの弾圧と作品の発禁処分、ブンが死んでからまたフンが自分の血で執筆活動を再開して、またブンたちも復活していくというところで終わっていました。

その違いは、小説の書かれた時期から戯曲化に至る数年の間の社会情勢の変化を反映しています。あっけらかんとした小説の結末とそぐわないほどいろいろな状況の変化があり、作者自身それを書かずにはいられなかったのでしょうね。
それほど井上ひさしは時代に寄り添いながら、しかもそれに流されることなく根柢にあるものを凝視していたのだと思います。

私のきわめて個人的なツボは、「全ブン闘」の世界大会で「偽ブン」が演説するところ。小説に書かれていて劇では削られていた「日本共産党代々木派(懐かしい!)」に対する野次(これは帰宅してから小説を読んで確認(笑))がなくても、偽ブンが何を指しているのかその場ですぐわかって1人で「異議なし」と笑って観ていました。そのあと偽ブンは刺殺されますから、何とも過激です。(笑)

次に簡単に出演者について。(敬称略です)
まずはフンこと市村正親。
初めに書いたように、最近急速にむさくるしく濃くなってきたという印象ですが(殴)、今回の役はまさにはまり役。彼が井上ひさし作品に初出演とは意外でしたが、作者一流のコミカルな脚本をぴったりの演技で完全消化。楽しんで演じている様子がよく伝わってきました。

あるインタビューで彼は「俳優生活40年目に、井上先生の魂に触れる役に出合え本当にうれしい」と話し、「約40年前に書かれた『ブンとフン』が、今の時代を言い当てていて驚いています。改憲や国民総背番号の話も出る。井上先生の分身のようなフン役、先生の思いがにじむようにやりたいです」と抱負を述べていましたが、そのとおりですね。
今回の観劇で市村正親を改めて見直しました。
以下すべてプログラムからの画像です


次に光っていたのがメインのブンを演じた小池栄子。
着物に束ねた髪という作者のイメージ通りだったと思います。スッキリの立ち姿に明瞭なセリフ。テレビドラマ出演でデビューとは思えないほどしっかりした発声で、演技も上々、歌も水準に達していました。初めて眼にした舞台ですが、よかったです。


インパクトがあったのはヒットラーみたいな警察長官の橋本じゅん。うまいです。悪役でも魅力的なのはキャラクターによるものでしょうね。登場しただけで笑ってしまいました。


もう一人大活躍だったのが悪魔の新妻聖子。「‥樋口一葉」の若村麻由美の幽霊といい、今回の悪魔といい、こまつ座の芝居に出てくる魑魅魍魎はどれも憑りつかれたいと思うほど魅力的で蠱惑的です。(笑)
そして歌もびっくりの歌唱力で、大したものでした。歌といえば今回の出演者、みんなうまかったですね。音楽劇だから当然とはいえ、眼福で耳福な舞台でした。


その他、山西 惇や久保酎吉(いい味出していました)、さとうこうじ、吉田メタル、辰巳智秋、飯野めぐみ(猫がなんとも魅力的)、北野雄大、角川裕明、保 可南、あべこ、など芸達者の顔ぶれで、みんな宝塚顔負けの役替わりと早変わりに奮闘していました。そのおかげで役者の数は実人数以上に多く感じました。
でもみなさん、衣装の着替えだけでも大変だったようです。













観終わって、こまつ座が今この芝居を上演した意味について自分なりに考えながら帰途につきました。
芝居の中で「各国代表のブンたち」が語っていたことや、劇中の政府による情報統制の動きと出版物の発禁処分、国民総背番号制、隣国との紛争などなど。井上ひさしが挙げたことは今も何一つ変わっていないどころか、ますます悪くなっていますね。

今回も「面白うて やがて悲しき 鵜舟かな」という観劇でした。

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。

次回の観劇は、同じ井上でもいのうえひでのりの「いのうえシェイクスピア 鉈切り丸」。(てか、それ、明日(10月24日!)のことですよ、明日。)
筆が遅くて追いつかず、なかなか更新のお約束も果たせないまま観劇が続きますが、ご容赦ください。m(__)m



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朗読劇 「藤沢周平『蝉しぐれ』より-永遠の初恋、ふく-」を観て

2013年09月15日 | 観劇メモ

8月の「頭痛肩こり樋口一葉」から約3週間ぶりの兵庫県立芸術文化センターで、岸恵子の朗読劇を観てきました。(聞いてきましたという方が正確かも)
当日買ったパンフレットです↓


この公演、関西では一回きりの公演です。
開演が午後2時なので、昼食は自宅で済ませてから出発。ほぼ1時間で到着、劇場前のホールへ。開演まで時間があるのに、ホールは岸恵子のファンなのか、敬老の日のイベント会場(殴)みたいになっていました。お年寄りは集まるのが早いです。もちろん私たちもその一員(笑)。
前回の「頭痛肩こり樋口一葉」より確実に年齢層は高く、女性の比率も高かったです。

さて朗読劇ですが、演者は岸恵子。そして題材は「蝉しぐれ」。ただ私はあまり気が進まなかったのですが、ヨメさんは演者と題材が気に入ってチケットを買うことにしたようです。
なぜ私があまり気が進まなかったというと、「蝉しぐれ」のような長い話をどう台本にするのかということと、岸恵子の年齢。なにしろ1932年にこの世にデビューですから、滑舌の黒柳徹子化(殴)は避けられないだろうし。

ホームページから↓


でも幕が上がって、すっきりと立った岸恵子の姿を見て、年齢の不安はかき消されました(と思った)。
和服を連想させる衣装で、60歳代でも通るほどの、衰えを見せない(ように見えた?)容姿(ウィッグ提供:アートネーチャーだそうです)と、(マイクがいいので?)思ったより聞きやすい台詞。
舞台のセットは彼女のパリの自宅をイメージしたというカーテンのついた窓枠のセットと、大きな帆立貝のような背もたれのついた籐椅子など。シンプルですが効果的でした。

岸恵子は最近小説を書いたとのことで、始まる前の挨拶でも自著の小説(老いらくの恋な感じ)と今回の朗読劇と結びつけた内容のことを話していました。彼女、結構この小説には自信があるのか、当日買ったパンフレットでも触れていますね。

パンフレットより

 
さて脚本です。
演題通り、ふくと文四郎が絡む場面を中心に、要領よくまとめられていました。ヤマカガシの話、文四郎の父の非業の死と荷車の話、藩内の陰謀に巻き込まれてふくとその子を助け出す話、そして最後の密会へと、まあ常道とはいえよくできた台本になっていました。
ちょっと話はそれますが、私的には、「蝉しぐれ」の劇化ベストはNHKのドラマです。
でも、宝塚の「若き日の‥」もよくできていますね。なんといっても、上記ドラマ化のはるか前に、「蝉しぐれ」に着目してミュージカル化した先見性とまとまりの良さには脱帽です。ワーストは映画。NHKのドラマを手掛けた人物が監督を務めたとは思えない出来の悪さにがっかりしました。

それはさておき、岸恵子の朗読劇ですが、結論としてはガッカリでした
最初のうちはそうでもなかったのですが、お疲れなのか後半はセリフをカミまくり。台本を前にして、それを読みながらなんで言い間違う?と思うほど頻発。前半はいい感じだっただけに、後半のダメージは大きかったです。

これまでの他の役者の観劇でも、一度や二度はありますが、まあ許容範囲、ご愛嬌という程度ですが、今回はとにかく多かった。
それも、単純な単語の言い損ない→すぐ訂正というレベルならまだしも、例えば主人公の「ふく」を別の名前と間違えたり(それは間違わないだろう?普通)、何度も訂正しようとしてさらに間違ってしまうなど、ちょっと見たことがないミスが続きました。

はじめは、聞いているこちらも興が削がれても、なんとか集中しようとしましたが、持ち直しつつあるところで再発するとだんだんシラケてきますね。

一番ダメだったのは、最後の逢瀬の場面。ふくと文四郎のそれぞれの長い想いを確かめ合うクライマックスですね。
そこでかんでしまったらダメでしょう。それも主語+述語のフレーズで間違って言い直すという(私的には)致命的なレベル。なんとかこちらとしても、いろいろあったけど、まあいい朗読劇だったねと言い聞かせて帰途に就きたいところでダメ押しされてしまったので、最後の拍手もお付き合い気分。

舞台俳優として本格的にトレーニングされていない彼女の限界(年齢的?)を見てしまった観劇でした。こういう舞台としては最近でも毬谷友子の「弥々」とか、麻実れいの「停電の夜に」とかを観ましたが、噛んだりすべったりとかは全くありませんでした。
大体セリフの量としてはもっと多い芝居がたくさんあります。今回の台本は覚えられない量ではないと思いますね。台本を観ながら何度も間違うのが不思議でした(裸眼のように見えましたが、ひょっとして遠近両用コンタクト?)。

よかった点を挙げると(今頃言う?)、やはり台本の中でセリフになるとちゃんと演技していましたね。情感を込めたセリフは大したものでした。舞台の経験は少ないですが、演技は確かでした。
それだけに余計、残念感が強かったです。

全くネガティブな感想になってしまいましたが、これを書いている時点でまだこの公演は各地で行われますから、なんとか汚名返上してほしいと思いました。みなさん期待して観劇されることと思いますから、それにこたえてほしいですね。

付け足しですが、藤沢周平が全作品を読むほど好んでいた作家が私のお気に入りのカロッサシュトルムであったことをパンフレットで知ったのは、うれしかったですね。今回の観劇のせめてもの収穫でした。



コメント (2)
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