思いつくままに書いています

間口は広くても、極めて浅い趣味の世界です。
御用とお急ぎでない方は、ごゆっくりどうぞ。

兵庫芸文センターで新国立劇場主催・鄭義信三部作の第一作「焼肉ドラゴン」を観てきました

2016年05月11日 | 観劇メモ
4月9日に、兵庫芸文センター・阪急中ホールで、新国立劇場主催で鄭義信(チョン・ウィシン)氏脚本による「焼肉ドラゴン」を観てきました。
この作品は、その後4月29日に同じ劇場で観た「たとえば野に咲く花のように」と、6月に観劇予定の「パーマ屋スミレ」とともに新国立劇場 演劇2015/2016シーズン鄭義信 三部作公演を構成する作品です。

ただ、これまで私は鄭義信さんの舞台は一度しか見たことがなく、その作品「しゃばけ」が超しつこいギャグの演出と、主演の役者の不出来で、面白かったもののあまりいい印象ではなかったので、題材に魅力的だったがあまり期待せず、もっぱら三作通しのチケット割引に惹かれての(殴))、極めて不純な動機の観劇でした。
でも、実際に「焼肉ドラゴン」を観てもう目からウロコ。現金なもので、続く29日の「たとえば野に咲く花のように」は一変して期待にワクワクしながら劇場に向かっていました。

その二作を観劇しての結論からいうと、3作目は未見でも、鄭義信作品の脚本と演出(「たとえば野に咲く~」は鈴木裕美さんの演出ですが)の魅力は十分感じ取ることができました。

ということで、今回はまずVOL.1「焼肉ドラゴン」の感想です。かなりネタバレありです。

結論から言うと、この作品、60年代の日本の高度経済成長に取り残された在日コリアンの生活を描く重い話ながら、随所に笑いがちりばめられて、「三丁目の夕日」の懐かしさと、「屋根の上のバイオリン弾き」の人情味も感じさせてくれました。
まだ「パーマ屋スミレ」が残っていますが、とりあえず今年の芸術大賞演劇部門最優秀賞有力候補間違いなしです。何の賞かって?
言わずと知れた「思いつくまま芸術大賞」(殴)!!。
(っていいながら、このところ2年ばかりトンと結果発表していませんね。m(__)m)

まず始まりがユニーク。

開場とともに客席にいくと、もう舞台上では芝居が始まっていました。客席と舞台を隔てる幕などはなし。私たちは早く席に着いたのでタップリ観られましたが、開演ぎりぎりに入った観客はこのあたりの遊び心のある演出が楽しめなかったでしょうね。
超リアルな焼肉店の店先では、七輪からホルモンの煙が立ち登り、アコーディオンを弾く客と、それに合わせて歌い踊る数人の客。焼肉の煙は客席まで漂ってきます。


立ち並ぶバラックや焼肉店などのセットは、徹底的に造り込まれていて、まるで映画のような再現性に驚きます。店の換気扇は油煙に汚れ、店内に貼られたポスター類もレトロ。
店の前にある地区唯一の水道栓からはちゃんと水が出て、その水で一家の母親が米を研ぐ場面では、本当に使い古した釜の中に米が入っていたり、飲んでいる酒は白濁したドブロクだったり。
観劇しながら、こうした舞台の細部をチェックするのも楽しかった。随所に織り込まれた当時の流行歌や人気CM、事件の報道なども雰囲気を出していました。

物語の舞台は、大阪万博開幕直前の、伊丹空港滑走路端からわずか100mしか離れていないところにある、在日コリアンのN町。
太平洋戦争で左腕を失った店主・金龍吉が経営する焼肉店「ドラゴン」(店主の名前から)で繰り広げられる、彼と先妻との間に生まれた二人の娘と、後妻・英順とその連れ子の娘、そして、英順との間に授かった一人息子をめぐって繰り返される、泣いたり笑ったり罵り合ったりの話です。そうした一家とその周囲の人々の日常生活も、やがて押し寄せてきた時代の波によって変化を余儀なくされ、それぞれが別々の人生を歩みだすというところで終わっています。
ちなみに、頻繁に頭上を飛び過ぎる旅客機の重々しい爆音がリアルな臨場感をだしていました。察するところ、爆音は日航のダグラスDC-6のダブルワスプ?(殴)

そんな日本社会の片隅に生きた人々の生活を通して、
日本人と在日だけでなく在日と韓国人、韓国人と日本人、さらには韓国内でも済州島が経験した独自の悲劇(注:済州島四・三事件)」(公演プログラムより)
という差別の構造が見えてきます。このあたりの描き方が自然で本当に見事でした。

最初のうちは、長男・金時生(大窪人衛)が主人公かなと思ったり。
実際彼には、一家の夢が託されていて、希望の星的存在です。両親は苦しい家計の中から彼をなんとか有名私立高校に入れます。でも彼は校内のイジメで不登校となり、留年の末、自殺。途中であっけなく姿を消してしまいます。

結局この舞台は、みんなが主人公でした。登場する人物全員がみんなリアルな存在感があり、端役に至るまで丁寧に人物が造形されていました。こんな女たちや男たちが確かにその時代にいたと思わせる、よくできた脚本と演出でした。

というところで、各俳優ごとの感想です。例によって敬称略です。画像は当日購入したプログラムから。

まず次女・金梨花役の中村ゆり。初めてお眼にかかりましたが、いい役者さんですね。全然知らなかったのでちょっとググってみたら、多彩な経歴でビックリ。彼女自身も在日コリアン4世とのことですが、細身ながら存在感のある演技で感心しました。


芝居の冒頭、店内には梨花と清本(李)哲男高橋 努)の結婚を祝う装飾があります。でも、結婚届を市役所に出しに行った際の哲男の態度を巡って二人が口論となり、結局届は出さないまま。
やがて結婚そのものがワケありなのが見えてきます。

哲男は大卒ですがどこにも就職できずブラブラしています。この哲男が時々生硬な演説をするのでちよっと気になりましたが、これも脚本家の計算の上だったことが結末でわかります。
余談ですが、私はこの場面を観ていて、舞台の設定とほぼ同時期、在日コリアンの年少の知人が、苦労の末大学を出たものの、全く就職口がなかったことに愕然としたことを思い出さずにはいられませんでした。

その梨花と、姉・静花役の(馬渕英里何)は哲男を巡って過去に複雑な経緯があることもわかってきます。この静花がこれまたリアルな立ち居振る舞いでインパクトのある存在でした。

長女として、昔負った傷で不自由な足を引きずりながら店で甲斐甲斐しく働く細身の姿が痛々しい。でも決してか弱いだけの女性ではなく、芯の強さも見えてきます。

そういえば今回観た鄭義信作品は、共通して女がみんな強い(笑)。
それにくらべたら、店主で父親の金龍吉(韓国の俳優ハ・ソングァン)をはじめ男どもはみんな影が薄い(笑)。観ながら、私が昔見聞きした知人たちの家族も同様だったことを思い出しました。本当にいろんなことを思い出させる芝居でした。


でも龍吉は、第二次大戦で日本軍の憲兵だったときに左手を失ったが(脚本家の父の実話とのこと)、韓国の独立後何の補償も受けられないまま、日本各地を転々としながら一家の生活を支えてきた苦難を決して語りません。その寡黙さが、逆に彼の人生の苛酷さを物語っています。

その妻・高英順を演じたのはナム・ミジョン。(実年齢は42歳とのことですが、見事に老けていました)典型的な肝っ玉母さんで、生活感にあふれた存在です。

役の上では戦後韓国から三女となる美花を連れて来日した設定で、その美花役もチョン・ヘソンという韓国の俳優さんです。

美花は現代っ子(死語です)で、姉たちとは違ってアッケラカンと歌手を目指している姿が姉たちと対照的で面白い。

そして静花の婚約者・尹大樹役のキム・ウヌと、常連客の親戚・呉日白役のユウ・ヨンヤクも韓国の俳優さんでした。でもいずれも全く自然にカンパニーに溶け込んでいて、セリフを聞かなかったらわからないほど。


彼らの台詞の日本語訳は舞台両サイドに字幕で表示されていましたが、これがまた映画のようで新鮮でした。
韓国の男優ではとくにキム・ウヌがとぼけた味の演技でよかったです。
途中、静花を巡って、哲男VS大樹の恋敵同士がマッコリの呑み比べを始める場面の演出は、鄭義信の真骨頂で笑わせてくれます。

でも劇中で、尹大樹の会話を耳にした高英順が、
あれは済州島の人間ではないね」というところが、「済州島四・三事件」の悲劇を暗示していて胸を打ちました。こうした脚本のディテールが、当時の時代背景を際立たせていました。

話は、結局元のさやに納まった長女・静花が夫・哲男とともに朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮)へ渡り、次女・梨花は尹大樹に従って韓国へ、そして三女・美花は日本人(大沢健演じるクラブの支配人・長谷川豊)と結婚するところで終わります。
このあたりの父親の姿は、「屋根の上のバイオリン弾き」の主人公と重なって見えました。


美花と結婚する大沢健の長谷川豊は見るからに頼りなくいい加減な男で、歌手志望の三女をもてあそぶ嫌な奴と思っていたら、これが意外にいい人でホッとしたり。(笑)
その妻役のあめくみちこも、ベテランらしくうまい俳優さんでした。夫・豊の浮気を知って店に乗り込んでくるあたりのド迫力の開き直り演技や、二役の妹役もコミカルで、いかにもありそうな市の職員ぶりがよかったです。

この市職員は、店が国有地を不法占拠しているから、立ち退くように通告に来たのですが、ここで初めて龍吉は、「ここは俺が買った土地だ!土地を奪うなら、戦争でなくした俺の腕を帰せ、息子を帰せ」と怒りを露わにします。
しかしそんな声も無視され、強制収用で店内の什器や家財道具はすべて運び出されてしまいます。そして最後は、解体・整地を待つばかりの店から子供たちが旅立って行き、龍吉がリヤカーに体の不自由な妻と家財道具を載せて立ち去るところで終わりました。



でも、話の終わりはまた、それぞれの登場人物にとって新たな物語の始まりでもあります。
リヤカーとともに旅立った老夫婦の、その後の人生はどうだったでしょうか。
北朝鮮に渡った長女夫婦には、本当に「王道楽土」が待っていたのだろうか。
韓国に行った次女夫婦も、在日というハンディを負いながら「漢江の奇跡」を享受するには長い時間を要したでしょう。
日本人と結婚した三女も、その後の多難な人生は避けられなかったと思います。

いろいろ考えずにはいられない余韻のある舞台でした。

観終えてカーテンコールとなって、もちろん客席は全員感動のスタンディングオベーション。
客席はいつもの芸文センターとは違って年配の在日コリアンらしい人々も多く、みんな流れる涙を拭おうともせずに拍手を送り続けている姿が印象的でした。
彼らの拍手はまた、同時代を生きた自分自身と、同胞たちへの拍手でもあったでしょう。
本当に観ることができて良かったです。

鄭義信さんがプログラムで述べていた、
この三本の作品を通して、在日コリアンというものに対しての、なぜ日本で生きているのか、なぜ日本で生活をしているのかを垣間見ていただければと思っています。(略)」
という制作への思いがよくわかる作品でした。その意味では、日本人こそ観なければならない作品だと思いました。

余談ですが、プログラムに掲載されていた金時鐘さんの「済州島四・三事件」についての解説で、初めてこの悲劇を知ることができました。無知が恥ずかしいです。

しかし、最近の新国立劇場の企画には敬意を表したいです(もちろん兵庫芸文センターにも)。

前に観た「パッション」も本当に素晴らしい舞台でした。微力ながら応援したくなりました。なによりチケットも大バーゲンといっていいほどリーズナブルだったし(殴)。

さて次は「ときには野に咲く花のように」の感想です。
そのあと「アルカディア」も観たし、その後には「グランドホテル」も観ましたが、書くことは多いのになにせ筆が進まない!

つくづく私の脳内リソースの貧しさを痛感します。

(2016-05-31加筆)
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シアタードラマシティで『ETERNAL CHIKAMATSU』を観て 見ごたえたっぷりでした

2016年03月16日 | 観劇メモ
3月5日、シアター・ドラマシティで『 -近松門左衛門『心中天網島』より-ETERNAL CHIKAMATSU 』を観てきました。谷賢一の脚本をデヴィッド・ルヴォーが演出、深津絵里&中村七之助のW主演という舞台。デヴィッド・ルヴォーといえば2014年に観た難解な「昔の日々」の悪夢を思い出しますが(笑)、今回はそうならないことを期待しつつ出かけました。
↓デヴィッド・ルヴォーです


道路は空いていて、いつもより早く駐車場につき、余裕で昼食(家族亭です)。劇場入り口に戻ると、すでにこれまで見たことのない長蛇の列が出来ていました。ほどなくして開場となって、スタッフに案内されて車椅子用通路から客席へ。女性客が多かったのは中村七之助ファンの方々でしょうか。

心中天網島』はご存知の通り近松門左衛門の代表作ですが、私はこれまで舞台を観たことがありません。というわけで、心中物=悲劇ということで、さぞ重苦しく深刻な話だろうな程度の観劇でしたが、結論としては脚本も演出も極めて明快でわかりやすく(笑)、すんなりと胸に響きました。

上演時間は途中20分の休憩をはさんで約3時間。
でも出演者の力の入った演技と、絶妙の生演奏で全く長さを感じない緊張感のある舞台でした。結末もいい意味で安易な予想が裏切られて、後味のいいものでした。満足。(笑)
そして観終われば、鳴りやまない拍手のカーテンコール。前回「書く女」で立ちそびれて後悔した私たちも、今回気合を入れていち早くスタンディング(笑)。でも本当にいい芝居でしたよ。

という前置きはこれくらいで、塩分控えめ・超薄味な感想です。でも少々ネタバレありなので、未見の方はご注意です。
画像は当日買ったプログラムから。いつもの通り敬称略です。
↓プログラムです


客席に半鐘の音が響いて照明が消え、幕が開いて今流行のプロジェクションマッピングの映像が映されて、まるで映画のような幕開きでした。画面はニューヨークの映像からリーマン・ショックのニュースとなり、大阪・道頓堀のネオン街になって、舞台の設定が大阪とわかります。


しかし最近のプロジェクタはきれいですな。私などがパワポのプレゼンで使っていた時とは大違いです。

そして深津絵里ハルが登場。

彼女は借金のために売春婦となり、その完済のためにこれからどれだけの間、どれだけの男を相手にしなければならないかを細かく計算して嘆きます。まずこの場面がいきなりのインパクト。けっこう宝塚の石田昌也センセイ顔負け(笑)の際どいセリフが深津絵里の口からポンポンと出てくるのがびっくりでした。

↓プログラムの練習風景から

ところで私が深津絵里に興味を持ったのは、wowowで三谷幸喜の『ベッジ・パードン』を観てから。
それまで『悪人』や『ステキな金縛り』で映画での演技は十分承知していましたが、舞台でも凡俗のタレントとは大違いの完成度の高い演技だったので、機会があれば観たいと思っていました。期待にたがわず今回も大した演技で、ベテラン・中嶋しゅうのヤリ手ババアとの掛け合いも面白かったです。
ただちょっと彼女は痩せすぎな感じで、ヨメさんは「『十二夜』の中嶋朋子みたい」と言っていました。私も同感で、もうちよっとふっくらしてほしいですね。まあ今回は生活に疲れた売春婦役なのであまり健康的なのもいかがなものか(殴)。

ハルは常連客のジロウと商売抜きの恋をしています。このジロウ役の中島歩(花子とアンの宮本龍一ですね)は、ビジュアル的には生活力ゼロのイケメン役で(笑)ピッタリですが、セリフがちょっと聞き取りにくいのが残念。

そう思いながら観ていたら、ジロウの兄・イサオ役の音尾琢真が登場。手切金を突き付けて妻子持ちのジロウとの離縁を迫ります。この人のセリフは良く通り、ホッとしました。演技も余裕綽々、観ていて安心感があります。

そしてハルは散々イサオに罵倒され、それでも借金返済の足しになればと差し出された金を受け取ります。
しかし、やはり思いを断ちがたく、半ば自暴自棄になって街を彷徨い歩くうちに、幻の蜆(しじみ)川にたどり着き、そこに架かる橋の上で遊女・小春中村七之助)と出会うところから、一挙に江戸時代にタイムスリップ、というか、一種のパラレルワールド風の展開ですね。
↓練習風景から


舞台装置は、デヴィッド・ルヴォーの文法どおり、あの世とこの世をつなぐ橋を抽象化した極めてシンプルなもの。でもそれが、幽玄の世界にふさわしく、幻想的で過不足ない効果を上げていました。
また先に書いたように音楽もぜいたくな生バンドで、間断なく流れる絶妙な演奏と効果音の演出がよかったです。

現代ではババア役の中嶋しゅうは、江戸時代では狂言回しのようなジジイになっています。

↓ババア役のほうです

このジジイに案内されたハルは300年の時空を超えて『心中天網島』の物語に入り込み、眼前で展開される物語を傍観し続けます。ハルと私たちが同じ立位置で観る設定が面白かったです。ただそのために深津絵里がほぼ出ずっぱりとなるので大変ですな。
そして舞台上では、歌舞伎の“河庄”や“しぐれの炬燵”の世界が展開されていき、歌舞伎ファンならたまらないところでしょうね。

期待通り、深津絵里の演技は大したものでした。きめ細やかな演技と豊かな感情表現がリアルでした。それに対する小春役の中村七之助も、これぞ歌舞伎の女方といわんばかりの完成された様式美で、美しいなかにも鬼気迫るものがあって、圧倒的な存在感でした。


↓練習風景から


芝居のテーマは男女の「生と死」ですが、同時に「性と死」の世界でもあると思いました。
この不変のテーマを、300年の時代を往来しつつ描き出す、新しい視点の舞台にしてくれた谷賢一とデヴィッド・ルヴォーに感謝。

そしてそんな重いテーマでも、最後は希望を託せるホッとさせる意外な結末で、うれしい誤算。

おかげで温かな余韻に包まれて劇場を後にすることができました。脚本家の登場人物に対する優しいまなざしが感じ取れてよかったです。

もし再演されることがあったら、未見の方はぜひご覧ください。おすすめです。
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兵庫芸文センターで 『書く女』を観て -黒木華、大した役者さんでした

2016年02月17日 | 観劇メモ
13日に兵庫芸文センターで二兎社公演『書く女』を観てきました。

作・演出は永井愛、主演は黒木華(くろき はると読みます)で、2006年に寺島しのぶ主演で上演された作品の再演です。

話は井上ひさしの『頭痛肩こり樋口一葉』と同じく、一葉の短い生涯がテーマですが、描き方は全く対照的です。

井上ひさしの脚本ではかなり自由奔放に(若村麻由美の幽霊とか(笑))樋口一葉を描いているのに対して、永井愛は一葉の実生活を忠実になぞり、彼女の文学が生まれる過程や彼女に関係する人々を描くとともに、文学作品の内容にも踏み込んだ脚本になっています。

でも恥ずかしながら、私は一葉の作品は全く読んでいない(殴)ので、そのあたりの話がよくわからずもったいなかったです。読んでおられる方はさらに面白かったでしょうね。

一方で二兎社とこまつ座に共通するのは、現代の偏狭なナショナリズムが幅を利かす社会風潮に対する強い危惧ですね。

前回観た「鴎外の怪談」でもそれがよく表れていましたが、今回も、日清・日露戦争に向かう当時の政治の流れを、現在の日本に蔓延している排外主義的な社会意識と重ねて、警鐘を鳴らしています。

ただし、現代の政治状況への危機意識はこの二人だけではなく、最近観た多くの舞台でも共通して感じ取れます。このあたりに現代の舞台人の良心が感じられて心強いかぎりです。

前置きはこのくらいにして感想になりますが、本当にいい舞台でした。
(写真は当日購入したプログラムから)

先に書いたように、永井愛の一葉とその作品に対する深い理解と共感が、脚本にも色濃く投影して話に厚みを加えています。

でも今回の私たちの収穫は何といっても黒木華


もう私などの予想を覆す完成度の高い役者さんで、感心しました。観るまでは、どうせ最近売りだし中の女優なので、その人気にあやかって登用したのだろうみたいな浅はかな先入観を持っていましたが、そんな邪推は完全に吹き飛ばされました。(笑)

幕が上がって、材木を階段状に敷き詰めたような舞台を、和傘を斜めに差した人物が交錯する演出がまず目を引きました。そのあと主演の黒木華が登場。すぐに、彼女の台詞にビックリ&感心しました。
結構細身なのに、よく通る声が舞台に響きます。演技も自然で、いいたたずまいです。
これがかなり衝撃だったので(殴)、幕間に公演リーフレットを読んだら、若いのに大変な経歴の持ち主で愕然としました。何に愕然としたかというと、私の無知さ加減。(笑)

そして、テレビで見るよりはるかに美人!(殴)なのにもビックリ。表情豊かで情感を込めた一葉で、いろんな所作も完ぺき、終始見惚れていました。NHKの連続テレビ小説にも出演していて脇役ながら存在感は大きくて印象に残っていましたが、ここまでとは思ってもいませんでした。大竹しのぶの再来みたいな感じです。

しかし、樋口一葉は本当に短命でしたね。
わずか24歳と6か月!でこの世を去っています。でもその作家生活は壮絶&濃密で、20歳未満で処女作「闇桜」を発表してから肺結核で亡くなるまでの間に22もの作品を書いています。
特に1894年12月の「大つごもり」発表から「裏紫」にかけての期間は「奇跡の14ヶ月」と言われていますが、まさに「生き急ぐ」という言葉がぴったりですね。それと、黒木華の若々しい容姿が一葉にぴったりでした。

一葉の母・樋口たきは木野 花。この人の舞台はこまつ座の「イーハトーボの劇列車」以来ですが、今回はこまつ座の『頭痛肩こり樋口一葉』の三田和代と似た役作りで、いい味を出していました。


もともとしがない百姓身分なのに、夫とともに故郷を出奔後、俄か士族の端くれに列して下級官吏の身分を手に入れてから、なにかというと「ウチは士族なのに」と虚勢を張るたき。そんな母親をよく演じていました。

そういえば『頭痛肩こり‥』でも感じたのですが、今回の『書く女』でも女優陣の頑張りが目立っていましたね。

平岳大の半井桃水も、いかにも桃水はこんな人物だっただろうと思わせる説得力のあるいい演技でしたが、女性陣の迫力には負けている感じでした。でももう親の七光りなど完全に脱して、実力のあるいい役者さんになっていました。


半井桃水については、私の生半可な知識で、若い一葉を誑かした嫌なヤツだぐらいに思っていましたが(笑)、彼が朝日新聞の特派員第一号として釜山にわたり、その経験を活かして朝鮮半島を舞台とした小説を書いていたとか、朝鮮半島の人々に同情を寄せていたとか、その体験から朝鮮半島の併合にも反対していたなど、私の知らない一面が紹介されていたのが新鮮でした。勉強になります。

桃水の妹・幸子役の早瀬英里奈はとにかく絵に描いたようなかわいらしさで目立っていました。彼女が出てくると舞台がパッと明るくなる得な存在でした。美人は得です。(殴)


一葉の妹・くに役は朝倉あき

この妹も『頭痛肩こり‥』の邦子同様、しっかりものです。苦しい生活の下でも姉の小説家としての力量を信じていて、そのために自分を犠牲にしても家のために尽くすという健気な女性です。朝倉あきは、深谷美歩の邦子同様、一家の雑事を一手に引き受けて健気に働く妹をうまく演じていて、光っていました。

伊藤夏子役の清水葉月は一葉の終生の友として、折に触れて一葉を支える優しい女性です。初めて見る女優さんですがこの人も、一葉を陰に陽に見守り続ける姿が印象的でした。


一葉のライバル・田辺龍子役の長尾純子も初めてお目にかかる俳優さんでしたが、最初は一葉のライバルとして張り合っていたものの、次第に力量の違いを見せつけられ、それでもメゲずにたくましくしたたかに生きる女性をユーモラスに演じていました。意地悪な役かと思っていましたが、そうではなくよかったです。敵役になったら面倒そうな人物でしたから。(笑)


こうした女性陣の活躍ぶりに比べると、脚本上仕方がないですが、男優陣は少々影が薄かった。でも、出番は少ないものの(本当に終わりごろになって出てきます(笑))、古河耕史演じる斉藤緑雨はインパクトがありました。一葉と反目しあいながらも、互いに共通するものを嗅ぎ取っていたような二人の関係が面白かったです。男優陣では一番魅力的な人物でした。


その他の男優では、平田禿木役の橋本淳も以前観た『海の夫人』ですでにおなじみだったので、勝手に親近感をもって観ていました。(笑)
不純な動機で一葉に近づいてきた悪いやつかと思っていたら、そうではなかったので好印象。(殴)

兼崎健太郎の川上眉山もよかったです。でもやはりこの芝居、男子の影が薄いなあ。(笑)

最後になりましたが、音楽は作曲と生演奏担当が林正樹。
曲も演奏も素晴らしく、舞台を劇的に盛り上げていました。


そして、結末となりましたが、もう大感激でした。不覚にもついホロッとな。

よくできた脚本と、それにこたえる芸達者のいい役者ぞろいで、それを最前列センターで観られて、本当に至福のひとときでした。

拍手しながら、ヘタレな私は立つタイミングを見計らっていましたが(殴)、そうしているうちにカーテンコールが二回で終わってしまってガックリ。ヨメさんも同様だったとみえて、「もうこんどは一人でも立つ!」と後悔しきりでした。

もし再演される機会があったら、今度はもう少し一葉の作品の知識も持って、ぜひ観たいと思いました。おすすめです。


そういえば当日のロビーではこまつ座の「頭痛肩こり‥」の再演がアピールされていました。今回は永作博美が一葉とのことですが、あとは前回と同じメンバーなのでまた観てみようかとヨメさんと話していました。唯一前回は小泉今日子が残念だったのですが、今回はどうでしょうか。




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梅芸メインシアターで『プリンス・オブ・ブロードウェー』を観て

2015年12月17日 | 観劇メモ
12月3日に梅田芸術劇場メインホールで「PRINCE OF BROADWAY」を観てきました。

財布に厳しいチケット(笑)なので気が進みませんでしたが、ヨメさんは早くから観る気満々だったので、付き合うことにしました。
まあ私も柚希礼音の退団後初ステージで、しかもブロードウェーの現役の実力派スター11人の共演ということで興味もあったので、何とかWeb経由でチケットゲット。それにしても高いよな~。(笑)

18列席だったので、ヨメさんは階段を上がれないだろうと、自分で車椅子スペースを依頼していました。でも当日実際に席を見ると、通路から5段ぐらい上がるだけだし、なんといっても車椅子スペースより見やすいので、ヨメさんも頑張ってチャレンジ。なんとか本来の席で観られました。
平日でしかも高いチケットにもかかわらず(しつこい!)、明らかに礼音目当てとわかる(殴)女性客で3階席まで埋まる盛況ぶり。おまけに宝塚の植田理事さんとか演出家の酒井澄夫さん、そして麻路さきさんもご観劇。麻路さんは私たちより後ろでご観劇でした。

ということで以下感想です。でも我ながらかなり薄~い感想です。いつもの通り敬称略。

当たり前ですが、やはりブロードウェーで第一線で活躍しているメンバーがウリなだけあって、歌もダンスも超素晴らしい。聞きなれたミュージカルナンバーでも、彼らが歌うと実に新鮮で情感タップリの歌でした。

そして目玉の柚希礼音ですが、よく頑張っていました。

特にダンスは、本場の一流どころに交じっていても全く遜色ない出来栄えでした。現役時代からさらに技量の進化したダンスは見ごたえ十分。よかったです。並んでいても見劣りしないばかりか、スタイルは柚希礼音が一番。体もしなやかで鍛錬のほどが窺えました。
ただ、歌は‥。^^; まあ比較するほうが無理なほど高水準の美声ぞろいなので、頑張ってはいても苦しい感じなのは仕方ないですね。また思ったほど出番も少なくて、ようやく出てきたと思ってもダンスだけだったりして。



ご存知の通り(でも私は知らなかった(^^;)、今回の「PRINCE OF BROADWAY」は、ミュージカルといっても一つのまとまった話ではなく、ハロルド・プリンス演出の名作ミュージカルを、発表順に時系列で紹介していくオムニバス構成。
で、最初初めて観る「フローラ、赤の脅威」でカンパニー全員がそろい、柚希礼音も登場しますが、その後も私のようにミュージカルの知識のないものには初めての作品ばかりが続き、しばらく静観モードに。(笑)

でも「屋根の上のヴァイオリン弾き」から俄然息を吹き返して(殴)、「キャバレー」「オペラ座の怪人」と一気に眼と耳に馴染みのある作品続きでホッとしました。(笑)
ただ「屋根の上のヴァイオリン弾き」では、「トラディション」は良かったですが、「サンライズ・サンセット」がなかったのが残念。
そういえば今回は、どの作品も通好みの選曲で、これも私たちには物足りなく感じました。でも「オペラ座の怪人」は圧巻。「ウエストサイド物語」のあとの「フォーリーズ」では柚希礼音が華やかなショーガールで登場。本当にスタイルいいです。

今回一番驚いたのは「ライトガール」でのヤズベックのタップ。やはり宝塚で見るタップとは段違い平行棒(殴)で、汗を飛ばしながら踊り続けるヤズベックは鬼気迫り、圧巻でした。すごいものを観てしまったという感じでした。
「キャバレー」で柚希礼音はアンサンブルのピアニストを演じていましたが、いつ歌いだすかと期待していたのに歌わずに終了してまたガッカリ。(^^;

休憩を挟んで、「エビータ」になり、「アルゼンチンよ泣かないで」に感心したあと、「タイムズ・スクエア・バレエ」でブロードウェーに憧れるダンサー役で柚希礼音が登場。このダンス、本当に良かったです。彼女の本領発揮でした。

また「蜘蛛女のキス」では、蜘蛛の巣の前で主題歌を日本語で歌ってくれました。ただ、他のメンバーの高音までよく伸びる歌が続く中では、宝塚時代からの彼女の低い声の歌は目立つものの、ちょっと苦しい感じでした。

今回歌で一番感銘したのは「ショーボート」でした。「Can't help lovin' that man」を歌うブリヨーナケイリーはさすがに聞きごたえ十分、大感動でした。これを聞いただけでもブロードウェーミュージカルの真髄が窺えて、高いチケット代も十分モトが取れた(と思いたい(殴))舞台でした。
でも商業的にはかなり苦戦していた様子で、幕間ではリピーターチケットの案内が何度も流されていました。やはり以前のフランス版ロミジュリ同様、チケット価格が原因でしょうね。

これで今年の観劇はすべておしまいです。来年は正月の宙組公演から。いい舞台だといいですね。

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兵庫芸文センターでミュージカル『パッション』を観て 大感動の観劇でした

2015年11月25日 | 観劇メモ
ミュージカル「パッション」を観てきました。
何ともすごい作品でした。
まず台本が素晴らしい。使われている楽曲がどれも素晴らしい。その上に、出演者全員の歌と演技が完ぺきで、さらに、その出演者の力を存分に引き出した演出家の腕の冴えに脱帽です。当然フィナーレは大感動。何の躊躇もなく即座にスタンディングしたのは久しぶりでした。(笑)
ということで、今回の「パッション」は、今年の演劇大賞ミュージカル部門金賞の最有力候補です。何の大賞かって?言わずと知れた「思いつくまま演劇大賞」!(殴)

今回の観劇はF列上手側の席でした。いつもは悪くてもB列。
ところが今回の公演は、先行予約の日に劇場のWebにログインしたら、いきなり残席表示がE列始まり。もうガックリでしたが、その席さえあっという間になくなって、なんとかゲットできたのはF列。まあそれだけ人気が高い=いい作品と自分を納得させていました。ところが、当日劇場に行ってみたら、あろうことかF列は前から二列目!
そうです。生演奏!のオケボックスで前四列がつぶされていたのです。(笑)
ということで一気に上機嫌モード(殴)で開演を待ちました。その間に公演プログラムもゲット。持ちやすい大きさで値段も800円とリーズナブル。

今回観ようとヨメさんと決めたのは、井上芳雄と和音美桜が出るからです。これだけで観る価値大有りということで、楽しみにしていました。

ということで感想です。いつものとおり敬称略。(画像は当日購入のプログラムから)
幕が上がると、舞台上にベッド(今回はベッドが鍵になっていますね)が置かれていて、二人の男女が同衾しています。やがて女の方が上半身を起こし、裸の背中を客席に見せます。この衝撃シーンには本当に驚きました。その後女はするりとベッドから出て、ガウンを羽織って‥となりますが、けっこうハラハラしましたね。(笑) この冒頭シーンがまず大ドッキリ。

女はクララ(和音美桜)で、男はジョルジオ(井上芳雄)。二人は目下熱愛中ですが、騎兵隊所属のジョルジオ大尉は、勤務地が変わったことをクララに告げます。突然の異動話に驚くクララに、「毎日手紙を書くから」とジョルジオはなだめます。

この展開から始まって、以後二人の愛情の強さを示す歌の場面が何度も挿入されて、すっかり私たち観客は二人の関係に感情移入してしまいますが、実はこれが台本の罠。(笑)
二幕目からは、そうした二人の関係に対する私たち観客の印象は大きく変わっていきます。

冒頭のミラノから辺鄙な田舎の駐屯地に赴いたジョルジオですが、そこで上官リッチ大佐(福井貴一)から彼の従妹フォスカ(シルビア・グラブ)に引き合わされます。フォスカは心身ともに病んでいますが、新任のジョルジオに一目惚れして一方的に思いを募らせ、ストーカーのように追いかけ始めます。

しかしクララとの愛に夢中のジョルジオはフォスカが疎ましく、冷たくあしらって相手にしません。しかしそんなジョルジオも次第に‥‥。
という話ですが、まず先のドッキリシーンで宝塚時代の印象を一変させられた和音美桜ですが、歌の方は正当進化で(笑)、「レディ・ベス」のアン・ブーリンからさらに磨きがかかった素晴らしい歌を聞かせてくれました。
曲自体も美しく、彼女が歌い始めてすぐに「これぞミュージカル!」というワクワク感が一気にこみ上げてきました。それに応える井上芳雄の歌も見事で、まさに相思相愛を絵に描いたような場面でした。

という具合に一幕目はクララがヒロインですが、二幕目になるとジョルジオとフォスカの会話シーンが増えてきて、それにつれて次第にフォスカの身の上も分かってきます。逆にクララは実は人妻で、二人は不倫関係にあることも分かってきます。
それで私たちも、初めはジョルジオのフォスカに対する冷たい態度に全く同感だったのが、ジョルジオの気持ちの変化とともににだんだん変わってきて、彼女がかわいそうになってきて、最後に二人が結ばれて、その二日後にフォスカがこの世を去る場面では客席のあちこちでハンカチで眼を拭う姿が見られ、私もついホロリとな。
まあよくできた台本でした。
二幕の芝居でヒロインが入れ替わる展開の妙と、それを巧みに演出した宮田慶子(私は新神戸オリエンタル劇場の「サラ」以来でした)の力量がさすがでした。
ということで、各出演者別の感想です。

まず主人公のジョルジオ大尉の井上芳雄

いつもこの人の演技を観て思うのは「さわやかさ」です。『モーツァルト!』の感想でも書きましたが、やはり彼の持ち味はさわやかさですね。『組曲虐殺』『イーハトーボの劇列車』でも、役柄は全く異なりますが、共通していたのはその印象でした。
とくに後者の宮沢賢治はさわやかな学生服&東北弁が印象的でしたが、今回もスッキリさわやかジョルジオでした。彼の台詞はその一つ一つに自然な説得力があって、私たちもつい感情移入してしまって、彼の心情をフィルターにしてヒロイン二人を見るという展開になりました。
そしてなんといっても魅力的なのは伸びのある歌。絶品でした。ソンドハイムの名曲とがっぷり組んで、見聞きごたえ十分。今後の観劇が楽しみです。

次はクララの和音美桜

兵庫芸文センター初登場ということですが、私たちにとっては『レディ・ベス』のアン・ブーリン以来の舞台でした。

やはり歌唱力は大したもので、繊細な表現力は素晴らしい。今回は歌もたっぷりで久しぶりに堪能しました。
彼女が宝塚を退団したときは非常に残念でしたが、退団後の活躍を見たら、今となっては早く辞めてよかったのかなとも思えてきたり。
でも今回、純情な女性役と思っていたら、実は純愛ではなく人妻の火遊び。ジョルジオを手玉に取りながら自分の生活は死守するという(笑)けっこう打算的な人妻だったので、ちょっと役としては気の毒だったり。(笑)
でも舞台ではジョルジオをうまくたぶらかしていて(殴)、私たちも騙されました。(笑)

そしてフォスカのシルビア・グラブ

初めてお目にかかる人かなと思っていたら、プログラムによれば、この兵庫芸文センターで私たちも観た「Into tHe Woods」に出ていたということ。でもその時はあまり印象に残らなかったのですが、今回のフォスカは本当に熱演でした。病に侵されて弱り切った猫背の体から振り絞るように話す台詞。
初めは、ストーカーまがいにジョルジオに付きまとうフォスカを観て「なんとか早く手を切らないと」と私たちも焦っていましたが(笑)、やがて過去に結婚していて、相手の男に騙されて持参金も両親の財産もすべて奪われて、それがもとで両親は亡くなり、自身も心身を病んで、唯一の身寄りの従兄に引き取られて居留地にいるという事情がわかってきます。
このあたり、シルビア・グラブのリアルで抑制のきいた演技でうまく展開されていて、芝居としての大きな見どころになっていました。
最後の方でジョルジオが彼女を見舞う場面で、か細い声で「来てくれたのね」というフォスカの言葉が身に沁みました。さらに「あなたには幸せになってほしいと思っていたのよ」という言葉でとどめを刺されました。(泣)
そして二人は愛を確かめ合って、その二日後、彼女はあの世へと旅立ちます。そして主人公は魂を病んで病棟に‥。
でも最後は、主人公がフォスカの思い出とともに生きていくことを示唆する結末となっていました。
この舞台、最初のクララとのベッドシーンと、最後のフォスカのベッドの場面との対比が印象的でした。

ちなみにこのミュージカルのベースは、映画「パッション・ダモーレ」ですが、その映画の原作は19世紀のミラノの雑誌に連載された「フォスカ」という小説だそうです。作者はイタリア人のイジニオ・ウーゴ・タルケッティで、小説のモチーフは作者の実体験とのことですが、実は作者が死亡したため小説は未完で、結末は友人の作家が仕上げたとのことです。

あとは福井貴一のリッチ大佐もよかった。

この人の舞台は『familia~4月25日誕生の日~』以来ですが、フォスカを思いやる気持ちと、でも私情を入れずジョルジオに接する上官としての役柄を懐の深い演技でうまく演じていました。リッチ大佐がジョルジオと決闘して敗れる場面がありますが、わざと負けたのか、ジョルジオが強かったのか、今も結論が出せません。(笑)

今回の舞台では、どの役者さんも歌がうまかったですが、中でも伊藤達人のトラッソ中尉がまさにオペラ歌手な歌を披露して驚かせてくれました。これから歌がみんなこんなオペラふうになるのかと思ったほど。(笑)
その他の出演者もみんな歌ウマぞろいでしたが、中でも「モーツァルト!」のアンサンブルメンバーでもあった獣医バッリ中尉のKENTAROをはじめとする将校+コックの5人組が大活躍。狂言回し兼アンサンブルとして見事な五重唱を聞かせていました。

ということで、舞台はおわりましたが、実は観劇した11月15日がこの公演の大千秋楽でした。


なので、ただでさえ大感激なのに、主演の井上芳雄をはじめヒロイン二人のトークショーみたいな挨拶もあって客席も大盛り上がり。観客全員、スタンディングでその熱演にエールを送りました。対する井上芳雄も、機知にとんだ面白い挨拶で楽しませてくれました。その中で、「大千秋楽ということでいろんな思いがあって、普段歌詞を間違わないので有名な私ですが、今日は三か所も間違いました」と告白して笑わせてくれました。

続いて和音美桜も挨拶し、この公演の稽古開始からの思いを話してくれましたが、いろんな苦労があったのか、話の途中から目からこぼれるものが‥。
そしてシルビア・グラブの挨拶。内気なフォスカと違って、素の彼女はかなりガハハおばさん(殴)みたいでしたが、そんな彼女も話し始めてすぐ「あ、ヤバイ、ヤバイ!」と話を中断。流れる涙を拭っていました。そんな様子を見てさらに観客も大感激。鳴りやまぬ拍手で答えていました。
本当に、久しぶりに心から感動した舞台でした。

何度目かのカーテンコールで例の五人組が登場し、KENTAROが舞台上から客席に謎かけ。
「パッションとかけて」
「パッションとかけて」
「野菜の育たぬ土地と説く」
「その心は?」
「菜園(再演)が必要です」
これには全員大笑い。そして見事な五重唱で締めていました。

本当にいい舞台でした。音楽も贅沢な生演奏で、舞台の完成度を高めていました。
再演されることになったら絶対観たい作品です。
もし機会があれば、ぜひ皆さんもご覧ください。
おすすめです。










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シアター・ドラマシティで『CHESS』を観て

2015年11月16日 | 観劇メモ
今回の「CHESS THE MUSICAL」は、1986年初演のミュージカル『CHESS』の日本版で、2013年に日本で上演されたのは『CHESS・イン・コンサート』だったので、ミュージカル版としてはこれが本邦初公開とか。

私たちはコンサートバージョンは観ていないのでその違いは分かりませんが、今回のミュージカル版は日本初公開ということと、安蘭けいが出るということで興味はありました。

でも気が付いたら先行販売も終了、多分チケットはないだろうとほぼ見送り決定でしたが、9月に他の劇場に行った際、たまたま宣伝パンフを見て、「まだ宣伝しているということはチケットアリ?」と梅芸のサイトをチェック。案の定、結構いい席が残っていました。
というわけで10月22日(遅い感想です^^;)にシアタードラマシティに出かけました。

事前に調べたら、キャストが安蘭けい / 石井一孝 / 田代万里生 / 中川晃教 / AKANE LIV / 戸井勝海 / 天野朋子 / 池谷京子 / 角川裕明 / 高原紳輔 / 田村雄一 / 遠山裕介 / ひのあらた / 横関咲栄 / 大野幸人 といずれも歌ウマぞろい。(ミュージカルなので当然か)
そして使われている曲はすべてABBAのビョルンとベニーの作詞・作曲になるもので、それにプラス『ジーザス・クライスト・スーパースター』、『エビータ』などで有名なティム・ライスも作詞と舞台化に参加しているとのことで、大いに期待していました。


当日は高速道路はがらすき、予定よりかなり早く劇場につきました。

開場時間になってスタッフに案内されて車椅子で客席へ。
舞台はチェスの盤面を模した黒白のセットが配されていました。

で、感想の結論から。
今回はコンサートバージョンではなく、ミュージカル版ということですが、ちょっとそんな感じはなかったです。しいて言えばミュージカル風コンサートといった印象でした。台詞が少なくて、ストーリーがほとんど歌でつながれていくので、話のディテールがわかりにくい。^^; しいて言えばフレンチミュージカルな感じです。

フレンチミュージカルと言えば、以前観たフランス版「ロミオとジュリエット」を思い出しますが、ロミジュリは話が分かっているので、台詞が少なくても全く無問題でした。でも今回はまったく知らない話。舞台上で楽曲とともに話が進んでいっても、そのディテールがよくわからない。ということで、結局登場人物の誰にも感情移入できないままでした。

物語としては、「米ソ冷戦」時代に、「亡命」をテーマに展開していくお話です。登場人物は実話をベースにアレンジしたとのことです。

『ワールド・チェス・チャンピョンシップ』が開催された北イタリア・メラノとタイのバンコクを舞台に、アメリカ人のチェス・チャンピオンで世界チャンピオンのタイトル保持者のフレディことフレデリック(中川晃教)と、恋人でマネージャーのフローレンス(安蘭けい)、そして挑戦者のソ連代表のアナトリー(石井一孝)と彼のマネージャー(実はKGB)モロコフ(ひのあらた)が、チェスの勝負に両体制の威信をかけた駆け引きを繰り広げ、それに審判のアービター(田代万里生)、アナトリーの妻のスヴェトラーナ(AKANE LIV)が絡むという展開です。

でも、上に書いたように、そんな細かい登場人物間の駆け引きがわかり難く、観始めて戸惑ったのですが、なんといってもABBAの楽曲がどれも素晴らしく、途中からこれはコンサートと割り切って(笑)、聴きほれていました。

どの曲も本当に名曲ばかり、しかも幅広いジャンルにわたる変化にとんだ曲なので感心しながら聞いていました。おまけにそれを歌うのが安蘭けいをはじめ歌ウマな俳優ぞろいなので、高いチケットの値打ちはありました。(笑)

そんな中でも私的に一番気になったのがAKANE LIV。

神月茜時代とは別人の印象で(殴)、長身が映えて、舞台に立っているだけで目を引くのに歌がまた説得力のある美声。ずっと目で追っていました。でもあまり出てこなかったのが残念。(笑) 
観劇しながら思い出しましたが、この人、2011年5月に観た『MITSUKO~愛は国境を越えて』でもイダ役で好印象でしたが、今回はさらにいい役者さんになっていてよかったです。

安蘭けいはやはりド安定な歌で、安心して聞いていられました。ただ、やはり歌が中心なので、演技としては心理描写などは限界
があってちょっと残念。


まあ感想としてはこんな感じで超簡単!!(殴)、でもABBAのいいコンサートに行ったということで二人で納得して(笑)、満足して帰途につきました。


さて次は『パッション』です。どうなりますやら。

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梅田芸術劇場で『夜への長い旅路』を観て。 疲れました。(^^;

2015年10月19日 | 観劇メモ
『夜への長い旅路』は20世紀アメリカの劇作家でありノーベル賞作家でもあるユージン・オニール作の戯曲ということで、
妻メアリーを麻実れい、その夫ジェイムズは益岡徹、長男ジェイミーは田中圭、次男エドマンドを満島真之介という配役でした。

もちろん観るといったのはヨメさん。麻実れいさん目当てです。(笑)
でも観劇日が近づくにつれ、「シンドイ話みたい」と弱気になっていましたが、いまさらそんなことを言われてもね。(笑)
当日は道も空いていて、40分で梅芸に到着。いつもの店で昼食後、劇場前に行きました。開場時間となって、劇場スタッフに案内されて車椅子で客席へ。観客層はけっこう年齢の幅が広かったですね。

以下、感想です。といってもいつにも増して薄い感想ですが、ご容赦ください。例によって敬称略で、画像は当日購入のプログラムから。

今回の芝居は、原作者のユージン・オニールの実人生を舞台化したような話で、日本文学でいう「私小説」ジャンルに入るような作品です。私は、昔読んだ島尾敏雄の「死の棘」のような印象を感じながら観ていました。
とにかく家族4人が、果てしなくののしり合って非難の応酬で、悲嘆にくれていたかと思うと和解し、さらにまた傷つけ合うという場面が延々と続くので、最初はどんな話かと緊張感をもって観ていましたが、しだいに体内の防御反応が働き出して、瞼が‥。(殴)

チラッとヨメさんの様子をうかがうと、じっと見入っているので私も慌てて眼を見開きましたが、それも長くは持ちません。(^^;

とにかく話が進まない。演出家の熊林弘高自身が、「この戯曲には物語がない。」と言っていますから確かです。(笑)
麻実れいも同じくプログラムで「山手線みたいに台詞がぐるぐると繰り返される。起承転結がない」と語っていますが、いつまでたってもエンドレステープのように話が循環し続けたまま。
登場人物はとにかくひたすら口論し、誹謗中傷し、和解したかと思ったらすぐ取っ組み合いを始めるという具合で、途中、幕間を挟んでも状況が変わらないので、もうこちらが限界状態。(笑)

だんだん瞼が重くなってきて、でも一方では、ヨメさんに気付かれないように観ているフリもしなくてはならないし(殴)、台詞を聞くどころではなくなりました。もうこれは苦行そのもの。

ちょっと気分転換をと(殴)、同様な人がいないか周りを見渡すと、結構おられましたね。(笑)
特によくお休みだったのは私の右隣の男性客。(笑) 幕間になる前からすでにガックリ頭を垂れておられました。でそれを見た私は、かくてはならじと姿勢を正したものの、ついコクッとな。何度かそれを繰り返していたらなんとか幕間になり、ホッとしました。
さすがにヨメさんも、「やっぱりシンドイ話やね」。

まあ最近観た麻実れいの舞台では、ほぼ「昔の日々」と並ぶ眠い芝居でした。(殴)

ところで先のお隣さんですが、幕間に席を立ってしばらくして戻ってきましたが、座るなり就寝モード。(笑)
そのまま、ほぼ最後までお眠りでしたが、驚いたのは舞台が終わってから。
カーテンコールになった瞬間、彼氏はムクッと起き上がり、いきなり爆竹拍手を開始。(笑)
もうこちらはその鮮やかな変わり身に感心するばかり。すごいです。
この人、後日友人などに会ったら、「いゃあ、いい舞台だったよ」とかいうのでしょうかね。まるで本日5人目の役者さんといってもいい変身ぶりに脱帽でした。(笑)

まあこんな感想ばかりでは何なので(殴)、少しばかり役者さんごとの感想です。

まず主役の麻実れい

こんな脚本なのによくやっているなあ(殴)と感心しました。薬物依存の妻メアリー・キャヴァン・タイロン役をリアルに演じていました。この人、いつも思うのですが、緩急自在の台詞回しが見事で、とくに低い小さいつぶやくような台詞でも明瞭に聞き取れるところがすごいです。
それと、どんな役でも自分のキャラクタによく馴染ませているところも感心します。演出家にとって本当に得難い存在でしょうね。

その夫、ジェイムズ・タイロン役が益岡徹です。

テレビではおなじみですが、芝居は今回初めてお目にかかりました。難しい脚本で、ほとんどしゃべりっぱなしという舞台ですが、頑張っていました。台詞もいいし、演技もリアルでわざとらしさがないし、これでもっと物語性があったらと、残念でした。

もう一人初めてだったのは長男ジェイムズ・タイロン・ジュニア役の田中圭です。
若々しく見えますが、プログラムによれば芸能界デビューは2000年とのことで、結構ベテランなんですね。

今回の演出家とは2度目とのことですが、感情の起伏の激しい台詞をこなしていて、頑張りはよく伝わってきました。(笑)

最後は次男エドマンド・タイロン役の満島真之介

この人は、「祈りと怪物~ウィルヴィルの三姉妹~」 蜷川バージョンで初めてお目にかかって、その後も「おそるべき親たち」でも好演していたのでおなじみですが、今回も頑張っていたとはいえ、話が話なのでもったいなかったですね。まあこんな難解な話も、役者としての経験上無駄ではないと思いますので、今後またお目にかかれることを期待します。

ということで俳優陣は頑張っていたものの、こちらは最後まで話が見えないままの幕切れで、残念でした。

帰りの車の中でも二人とも話は弾まず、もう気持ちは次の観劇に切り替えていました。(笑)


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こまつ座 『國語元年』 観劇メモ 朝海ひかるも好演していましたが‥

2015年10月17日 | 観劇メモ
兵庫芸文センターで、久しぶりにこまつ座の芝居を観てきました。『國語元年』です。
芸達者ぞろいなキャストでした。中でも一番の関心は朝海ひかる。退団後舞台で観るのは初めてだったので、楽しみでした。
ただ、余裕の演技で変わらぬ姿を見せてくれましたが、彼女の力量からするといささか役不足で、ちょっと物足りなかったですね。
でも本当に充実したキャストで、芝居の面白さを堪能しました。


話は明治維新後の標準語制定をめぐる話です。

あらすじです↓
時は明治七年。
維新で廃藩置県となったが、日本の話し言葉はテンデンバラバラだった。維新までは、農民たちは原則各藩に縛り付けられていたので、話し言葉は藩ごとのお国訛り丸出し。
そこで明治政府は、文部省官吏の南郷清之輔に対して、全国統一の話し言葉を制定するよう命令を下した。
しかしその南郷家では、家長の清之輔が長州出身、その妻と、同居している妻の父は薩摩出身なので薩摩弁。
そして三人の女中たちは、江戸・山の手言葉の女中頭と、その配下の女中が下町のべらんめえ、もう一人の女中は羽前米沢のズーズー弁。
おまけに車夫は遠野弁、そして書生は名古屋弁。さらに南郷家に押しかけてきたお女郎は河内弁、そしていつのまにか居候を始めた貧乏公家は京言葉。
最後は会津藩士が押し込み強盗で入ってきて、さながら南郷家は日本の言語状況の見本となっていた。


とまあこんな感じで、とにかく方言が乱れ飛び、台詞の洪水です。

ただし、私がすんなりわかるのは女中頭の江戸山の手言葉と、同下町べらんめえ、そして女郎の河内弁ぐらい。あとは名古屋弁がなんとか聞き取れますが、その他はかなりあやふやなリスニング(笑)。それだけでも、維新前後の混乱がわかりますね。

ということで感想ですが、主人公・文部省官吏の南郷清之輔を演じる八嶋智人は大した役者さんでした。

NHKの連ドラでおなじみになりましたが、失礼ながら舞台でこんなにしっかりした演技ができる人とは思っていませんでした。
帰宅後ググッてみて、まず分かったのは私の無知さ。(笑)
バラエティ番組をはじめドラマや映画、ナレーターまで幅広い活躍ぶりでビックリでした。それと、テレビでの活躍に比べると舞台での経験はそれほど多くはないようですが、台詞も演技もしっかり芯があって、舞台役者完成度が高く、感心しながら観ていました。こまつ座の芝居によくあうキャラクタだと思いましたね。
彼が何度も試行錯誤を重ねて標準語制定のための案を練るところが見せ場になっていました。

今回初めて観てびっくりしたのが、女中頭・秋山加津役の那須佐代子

役としては、もとは旗本の奥方だったが、夫が彰義隊に参加したため没落し、自宅だった南郷家さの屋敷に住んでいるという設定です。当然抱いているであろう、世が世ならばと思う気持ちを押し殺して、でも元の身分の矜持はしっかりと持って仕事に励む秋山加津が光る演技でした。女中の身ながら、実際は彼女が南郷家を仕切っていました。
観劇の途中からまたまた私の脳内の自動追尾機能が勝手に立ち上がって、視線は常時彼女にロックオン状態。(笑)
また舞台で観たいと思った女優さんでした。

で、ようやく朝海ひかるです。

そもそもこの舞台を観ようと思ったのは、こまつ座公演というのが第一ですが、朝海ひかるの出演というのも大きかったですね。いえ別に、「あの人は今?」みたいな週刊誌的関心でじゃなくて(笑)、退団後の彼女の舞台は初めてだったので期待していたのです。ほんとです。(←ムキになるところが怪しかったりして(殴))

役は南郷清之輔の妻・光。おっとりとして上品でたおやかな妻ですが、話す言葉は薩摩弁。このあたりのギャップも面白く、演技は余裕綽々、劇中の歌でも変わらぬ歌唱力を披露していました。でもちょっと役不足ですね。台詞も少ないし、話の進行にそれほど絡んでいないし。
もう勿体ない感大ありでしたね。でも全員で歌うアンサンブルになると俄然本領発揮。とくに澄んだ高い声が耳に残りました。

ちなみに彼女、終演後のアフタートークにも出ていました。私たちはいろいろ面白いエピソードなどを披露してくれるかと期待していたのに、あまりしゃべらないのが残念でした。
八嶋智人と竹内都子の間に座っていたので、今に話をリードしてくれるのだろうと思っていても、話題を振られたら応じるものの、いつまでたっても自分から話を切り出さないのが超意外。在団時もこんなに控えめだったのかなと思ったり。でこれに関連して思ったのが舞羽美海。在団時は他の娘トップと同様、男トップの影で日陰に咲く花みたいな風情でしたが、退団したら一変、スカステなどでもよくしゃべっているし、表情も別人のようで、あの楚々とした娘トップは何処へ?と、今昔の感に堪えない昨今です。(殴)

それはさておき、今回の芝居は最初に書いたように芸達者ぞろいでしたが、たかお鷹の演じた貧乏公家・裏辻芝亭公民(うらつじたみてい きんたみ)も超絶品。

違和感ゼロの京言葉で、落魄の身でも気位だけは高く、でもしたたかな打算も透けて見えるという人間臭い役を怪演していて、登場するなり客席を沸かしていました。この人もずっと舞台を追い続けてしまいました。

あとは、組曲虐殺にも出ていた山本龍二が魁偉な容貌を生かした(殴)押し込み強盗(笑)でド迫力でした。
でもただの悪人ではなく、彼も彼なりに維新の犠牲となった哀しい事情がわかり、つい同情してしまったり。この役、組曲虐殺でのどこか哀愁の漂う刑事役にも通じるいい味が出ていました。


同姓同名の男にだまされて南郷家に押しかけてきた女郎役の竹内都子の河内弁がやはり耳に馴染みました。(笑)
でも今では、さすがにあんな河内弁は地元でもあまり聞くことはないですが。

持ち前のコメディセンスがよく生かされていて、いい登用でしたね。

こまつ座ですっかり常連の久保酎吉は朝海ひかるの父・南郷重左衛門(ということは主人公は入り婿?)。
この人もいい味の演技で、これまで観たこまつ座の芝居の中では一番役にハマっていました。よかったです。

この人がプログラムで、
">「この芝居の舞台となった明治7年は、徴兵制が始まった頃。精之輔の台詞にも軍隊を作るには共通語が必要だとありますが、軍国主義への足音も示唆している戯曲です。そのあたりが民意とかみ合わないまま政治が進んでいく”今”に通じる気がします。」と記していますが、まさにこの芝居を今上演する意味がよく伝わってきました。

今回もいつものこまつ座公演と同じで、他の役者さんもみんなレベルの高い芸達者ぞろいで、見ごたえがありました。

しかし、話の結末は結構悲惨。(笑) 

結局、主人公の案はどれも不発に終わり、それがもとで清之輔は精神に異常をきたして東京癲狂院に収容され、明治27年秋に病死。
それとともに一族は離散し、妻・光は清之輔の入院後に鹿児島に戻り、明治12年に病没。
その父・南郷重左衛門は明治19年に田原坂で討死。秋山加津も南郷重左衛門とともに鹿児島に行き、身に付けていた技術を活かして和裁教室を開き、明治20年に死去します。ほかの人々もそれぞれの人生を送ります。

で、肝心の標準語がどういう経過でできたかは劇中では明らかにされていませんが、途中で出てくる、参勤交代のために各大名が作った各藩の方言と江戸言葉を対比した単語帳のようなものがベースになったのでしょうね。
井上ひさしの次の言葉がそれを示唆しています。

使っている人の言葉のそれぞれが日本語で、その総和が日本語なのだ 井上ひさし

ということで、ちょっと感想としては肩透かし感があって、幕が下りてヨメさんはたった一人スタンディングしていましたが、私は立てなかったです。^^;

さて、いつもと同じ締まりのない感想になりましたが、ここまでご覧いただきありがとうございました。

次は梅芸の『夜への長い旅路』ですが、これはもうとても私の手に負えない舞台でしたが、なんとかアップします。(^^;
でも期待しないでください。(殴)


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兵庫芸文センターで観た『トロイラスとクレシダ』、熱演には拍手。でもやはり難解でした。

2015年08月24日 | 観劇メモ
8月15日に西宮の兵庫芸文センターで『トロイラスとクレシダ』を観てきました。
シェイクスピア原作・翻訳/小田島雄志、演出は文学座の鵜山仁。世田谷パブリックセンターと文学座、そして兵庫芸文センターの共催の公演です。

私の観たシェイクスピアは「マクベス」、「タイタス・アンドロニカス」、「アントニーとクレオパトラ」、「ロミオとジュリエット」、「十二夜」の5作だけ。(^^;
今回の演し物「トロイラスとクレシダ」はどんな話か全く知りませんでした。
でもパンフレットを見たら、渡辺徹江守徹をはじめとする文学座の豪華メンバーに加えて、「ビッグ・フェラー」で寡黙な消防夫マイケル・ドイルを好演していた浦井健治と、「モーツァルト!」で見逃した(笑)ソニン、「炎 アンサンディ」で好印象だった岡本健一や、ベテランの吉田栄作などが出演するとのことで、ヨメさんも「これは観たいよね」との仰せで、某日、先行予約の画面からポチッとな。
ただし、いつもと違ってこの公演、結構前評判が高いのか、先行予約ではA列があっという間に無くなって、ゲットできたのはB列。でもまあセンターブロックなので良しとしました。







ということで8月15日に、お盆休みの渋滞を気にしながら出かけましたが、なんと道中はウルトラスムース、一時間足らずで駐車場にたどり着きました。
早めの昼食を済ませて阪急中ホールに戻ると、人出がそれほどでもなくちょっと拍子抜け。花も一つだけという寂しさ。
舞台は円形の一段高い台のおかげで見やすい配置。帆船の帆のような布が二枚つるされていて、場面に応じてさまざまな形に変わるのが効果的でした。
ということで感想です。いつものとおり敬称略。画像は当日購入したプログラムを勝手にスキャン&トリミングしています。m(__)m

あらすじです。
舞台はギリシャとの7年に及ぶ戦争を続けているトロイ。
トロイ王プライアム(江守徹)の末の王子トロイラス(浦井健治)は、神官カルカス(廣田高志)の娘クレシダ(ソニン)に恋い焦がれている。その二人をクレシダの叔父パンダラス(渡辺徹)が仲介して二人は結ばれ、永遠の愛を誓い合った。
しかしトロイを裏切ってギリシャに寝返ったカルカスは、娘をギリシャの捕虜となっていたトロイの将軍と交換することを提案し、クレシダはギリシャに引き渡されてしまう。ギリシャの将軍ダイアミディーズ(岡本健一)はクレシダを一目見て気に入り、クレシダを口説く。ギリシャの陣営を儀礼訪問していたトロイラスは、ダイアミディーズの求愛をクレシダが受け入れる姿を目撃して惑乱する。他方、トロイ王の長男ヘクター(吉田栄作)は、膠着状態になった戦況にケリをつけようと、ギリシャ軍に一騎打ちを申し出るが‥

舞台は小林勝也の狂言回しから始まります。

この人も「ビッグフェラー」に出ていて、IRAから派遣された調査員を演じていました。そのときはそう感じなかったのに、今回は少々滑舌が悪くセリフも不明瞭で、ときどき噛んでいたりでプチ残念な出だしでした。ちょっと『藪原検校』の浅野和之を思い出したり。
でもその後、渡辺徹とのアドリブの応酬で客席を沸かせていました。渡辺徹を舞台で観るのは初めてですが(そもそも文学座所属も知らなかったし^^;)、ややおネエの入った女衒を軽妙洒脱に演じていて感心しました。一時激ヤセな姿をテレビで見たりして健康が心配でしたが、今はそんな気配は全くなし。むしろ心配なのはメタボかな?(殴)
とにかくテレビで見るのとは全く違う渡辺徹が新鮮でした。
 

そして話は、その渡辺徹の叔父パンダラスが仲介して、クレシダ役のソニン浦井健治のトロイラスとの愛の場面へと変わります。

でも正直な話、ソニンを初めて生で観て、「エッ、こんな小娘だった?!(殴)」とプチびっくり。まあ単に無知なだけですが。
とっさに「レディ ベス」&「モーツァルト!」の平野綾を連想してちょっと不安でしたが、それもつかの間のこと。観ているうちになんとも驚愕のリアル演技に再度びっくり。大したものです。人間、先入観で安易に判断してはいけませんね。m(__)m
シェイクスピア劇につきものの、到底リアルな感情表現とは言い難い、古典的な美文調&形容詞満載の台詞なのに、よくまあこんなに気持ちの入った演技ができるものだと感心しまくりでした。脱帽です。

今や舞台に引っ張りだこというのもよくわかります。

ただ、この二人の話から、トロイとギリシャのそれぞれの将軍たちの話になると、展開は一挙にスローダウン。そして先のように美文調&形容詞満載の台詞が飛び交い続けるので、会話の内容を追いかけるのに疲れてきて、私の両瞼はプラス5Gくらいの重力がかかってきて、同時に頭にもプラス2Gの重力が波状的にかかってきて、耐えきれずについコックリとな。(殴)
でもそれは私だけではなかったようで、幕間でヨメさんも「なんか会話ばっかりで話が進まないね-。寝なかった?」と聞いてきたので、「いや全然」とキッパリ否定しました。(殴)
その後、そんな眠りを吹き飛ばしてくれたのは、松岡依都美ヘレンが登場するところから。このヘレン、戦争の原因になるだけあってコケティッシュで色っぽくて、すっかり目が覚めました。(殴)

女優といえばヘクターの妻アンドロマキ荘田由紀とヘクターの妹で予言者のカサンドラ役の吉野実紗も出番は少なかったものの印象に残りました。まあ男臭い舞台なので、女優さんが出てくるとそれだけで一服の清涼剤。(殴)
そしてカサンドラの予言どおりこのあと話は一路破滅へと進んでいきます。

荘田由紀と吉野実紗の二人が、必死にヘクターを戦地に行かせまいとする姿もリアルでよかったです。

今回の主人公のトロイラス役の浦井健治ですが、印象としてはソニンに負けていて(笑)、愛を得る場面でも完全にクレシダがリードしていて、手玉に取られていました。

実際は『トロイラスとクレシダ』ではなくて『クレシダとトロイラス』です。(笑)
トロイラスが、ギリシャに渡ったソニンが気になってユリシーズ(今井朋彦が好演しています)の案内で見に行って、クレシダとダイアミディーズとの会話に一喜一憂する姿もまことに気の毒でした。(笑)
「ビッグ・フェラー」とは全然違う役ですが、動揺し疑心暗鬼となるトロイラスをよく演じていました。


そのユリシーズな今井朋彦は、ちょっとゲシュタポ将校みたいな服装(そういえば今回の衣装は現代的なデザインの軍装とか女性の服と、古代の衣装が混在しているのが面白いです)で、演技もそういう味付けで目立っていました。ユニークな持ち味のいい役者さんですね。


クレシダに言い寄るギリシャの将軍・ダイアミディーズの岡本健一

岡本健一は先の「炎 アンサンディ」で何役もこなして大奮闘でしたが、今回はトロイラス同様にクレシダの虜となって振り回される役です。ただ、今回は芸達者な役者による海千山千の将軍が舞台に大勢登場するので、クレシダとの絡み以外はあまり目立たなかったですね。(^^;

ヘクター役の吉田栄作は、一騎打ちのはずが、横田栄司アキリーズの策謀で、寄ってたかって切りつけられて非業の死。

アキリーズの横田栄司↓

先述のように、ヘクターはカサンドラの予言で後半は死の影が付きまとっている役ですが、それをよく体現してどこか悲壮感のある演技でした。役に合わせて体を絞っていたのか、ちょっとやつれた感じなのもよく役に合っていましたね。

で、最後は御大・江守徹トロイ王プライアムですが、舞台姿が私の中のイメージとはかけ離れた体型(殴)で、顔もちょっとむくんだ感じで、パッと見では誰かわからなかったです。(^^; 
声もドモホル‥のCMとは違って(笑)少し不明瞭なのが残念でした。まあ1966年からの文学座員ということで年かなと思ったりしましたが、調べたらまだ71歳。今の時代、ちょっと老けるには早いと思いますが、まあ個人差もあるのでなんとも言えませんね。今回は出番も最小限でした。

そして劇の結末は、舞台狭しと駆け回る迫真の殺陣の大立ち回り。演出の鵜山仁が目指していたという「崩壊のエネルギー」全開で、最後は死屍累々。タカラヅカのスローモーションな殺陣(笑)と違ってド迫力でした。
この凄惨な結末は、プログラムの記事に「この作品は、国際紛争に加担しようとしている日本人が今まさに見るべき劇に思えてならない。」とあるように、憲法違反の戦争法案をゴリ押しして、わざわざ売られてもいないケンカを買いに行く安倍内閣に対するタイムリーな批判にもなっていました。

ただこの劇は、「トロイラスとクレシダ」という題名から連想する甘美な恋愛ものとは程遠く、主役?二人+ダイアミディーズのその後がどうなったのか、結末が示されないまま終わったのは驚きでした。それと、あれほど愛を誓い合ったはずのクレシダの心変わりも謎で、やはり発表以来問題作とされ続けてきたのもよくわかりました。
というわけで、最後は出演者の熱演に客席から大きな拍手が送られましたが、腑に落ちない幕切れとあって、全員総立ち!には至らなかったです。
私たちとしては、ソニンの演技力などの収穫がありましたが、やはり難題で不完全燃焼な結果となりました。

さて、あと数日で星組公演観劇です。好評のようで楽しみです。

ここまでご覧いただき、ありがとうございました。

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兵庫芸文センターでこまつ座 『戯作者銘々伝』を観てきました

2015年07月06日 | 観劇メモ
まず劇場までのメモです。
往路は道路も大して混まず、いつもどおり約一時間で劇場に到着。ホールに行くと男性客が多かったです。
劇場入り口の花は西岡馬さんへの一つだけでした。

今回の公演の脚本はこまつ座公演といっても、井上ひさしの脚本ではありません。ひさし没後の新しい作品として、「劇団桟敷童子」の東憲司が、井上ひさしの短編集『戯作者銘々伝』と、中編小説『京伝店の烟草入れ』をもとに書き下ろしたものです。しかし今回観劇して、いくら原作があって、それをもとに戯曲化したといっても、出来上がった作品が井上ひさしワールドになるかというと、これがなかなか難しいですね。


そう思ったのは一幕目。
舞台には江戸時代の戯作本「黄表紙」の代表作の大きな表紙絵が並んでいます。全員三角頭巾を付けた亡霊たちが出てきて、井上ひさしワールド全開かと期待したのですが、




続いて戯作本ごとに、各作者とその内容を紹介するあたりから猛烈に眠くなってきました。
井上ひさしの脚本と違ってとにかくテンポが遅くて平板。
それでも初めは興味津々で観ていましたが、話が細切れで、セリフが説明的なのがつらいところで、だんだん集中力が持たなくなって、普段から睡眠不足気味な私は、ついコックリとな。(殴)
そのたびに、何事もなかったように姿勢を正しますが、しばらくするとまた頭がカクッ。^^;この調子で最後まで行くのかと心配になりました。

横で観ていたヨメさんはどんな退屈な舞台でも絶対寝ない感心な人ですが、さすがに今回は限界を超えていたようで、幕間に彼女が書いていたアンケートをチラ見すると、感想欄に「脚本がダメ」とキツイお言葉。(笑) 安心しました。(笑)

ところが、これが二幕目になると、打って変わっていい出来になっていてびっくり。眠気は吹っ飛んで、集中できました。

話は、中編小説『京伝店の烟草入れ』をもとに、幕府の弾圧でたばこ屋に転じた京伝(北村有起哉)と、前人未踏の3尺の大玉を打ち上げることに必死になっている花火師幸吉(玉置玲央)の物語です。
京伝がたばこ屋になるいきさつ、同業の戯作者との交わり、花火師との出会いと三尺玉の打ち上げに至る経過、そして最後にご禁制を破って打ち上げに至るクライマックスまで、前半とは全く異なる緊張感のある展開でぐいぐい引き込まれていきました。
素人の思い付きですが、この脚本は、二幕の『京伝店の烟草入れ』をもとに、一幕の話の要素などを適当に織り込んでまとめたほうがいいと思いました。そのほうが主題がはっきりするし、それに絡めて各戯作者を取り上げるというほうが、芯がしっかりしていいのではと思いました。

というところで出演者別の感想です。いつものとおり敬称略。画像は当日購入したプログラム掲載の練習風景から。
まず出演者の集合写真です。みんな亡霊です。おまけに手鎖の刑を受けていたりします。


主演は山東京伝の北村有起哉

この人の舞台を初めて見たのは「黙阿弥オペラ」です。彼の演じる素浪人・及川孝之進のすっとぼけぶりが面白くて、一度で名前を覚えました。
今回の役も、幕府の圧力で筆を折らざるを得なくなって、いろいろそれに対して思うところもありながらチャッカリたばこ屋でももうけ、でも同じくご禁制の三尺玉の打ち上げには加担するという、なかなか複雑で屈折した人物像をうまく表現していました。はっきりとポリシーを持って抵抗するのではなく、それに順応しているように見えながら、しかし心の奥には熱いものも持ち続けている京伝に、井上ひさしの温かいまなざしを感じました。

今回の観劇で改めて歌唱力が印象に残ったのが新妻聖子

『それからのブンとフン』の小悪魔役でその歌と演技にびっくりし、『炎立つ』でもそれを再認識したつもりでしたが、今回の舞台で改めて心に沁みこんでくるような歌に感動しました。本当に大したものです。ヨメさんも幕間に「うまいねー」と感嘆していました。
『それからのブンとフン』の小悪魔↓

『炎立つ』↓

もちろん歌だけでなく、演技も素晴らしかった!
今回の役は亡霊・百合・お園・板行屋・お菊の五役!でしたが、これがすべてなりきり演技。亡霊と板行屋(瓦版屋ですね)以外は戯作者の妻で、夫の一人は狂死、一人は石を投げられて非業の死、もう一人は自害して、所払いにあう妻役ですが、それぞれくっきりと演じ分けていて見応えがありました。
緩急・強弱・高低にメリハリの利いたセリフと表情が自在に変化するのを、ただただ感心しながら見入っていました。つい、こういう人が宝塚にいたらと妄想してしまったり。(笑) とくに私的に、この人の笑顔にはすごいインパクトを感じました。

他の役者さんでは、まず玉置玲央もよかったです。

4役を演じていましたが、やはり後半の花火職人・幸吉が心に残りました。ひたむきに三尺玉の打ち上げにこだわっていますが、それだけではなく、どこか孤独な陰のある人物をよく体現していました。少ないセリフでもよく伝わってきました。

熱演ぶりに感心したのは山路和弘

今回は6役をこなしていますが、とくによかったのは春町の段の喜三二。新妻聖子のお園との掛け合いで、夫・春町が自害した後、彼女を陰になり日向になり支え続けた喜三二を涙を流して熱演するなど、迫真の演技でびっくりしました。
これまで舞台ではお目にかかっていませんでしたが、いい役者さんですね。

それ以外のキャストでも、版元・蔦屋重三郎役の西岡馬はもちろん、阿南健治相島一之と、芸達者ばかり。


とくに、出番は短かかったものの、阿南健治の徒士役はぴったりのイメージでよかったです。登場しただけで、いかにも!な出で立ちに感心しました。


相島一之の式亭三馬や蜀山人も地味ながら味のある人物像になっていました。


というわけで、前半はつらかった舞台ですが、後半はグッとよくなって最後はまことにこまつ座らしい幕切れ(笑)で大満足。

とくに政府・与党の憲法違反の戦争法案ゴリ押しと、そのための言論弾圧が露骨に前に出てきた今の世相を批判するにふさわしい内容で、満席の客席と出演者が一体となった感動のスタンディングとなりました。
なので結果としてはいい作品ということになりますね。(笑) でも再演時はぜひ前半を見直していただきたいです。

いつものことですが、薄い感想をここまで忍耐強くお読みいただき、どうもありがとうございました。


さて次は宝塚大劇場の観劇感想です。

もう公演も後半になっていますが、なんとか千秋楽までには間に合わせ‥られるかな?(殴)

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兵庫芸文センターで 『海の夫人』を観て

2015年07月02日 | 観劇メモ
6月6日(土)兵庫芸術文化センター・阪急中ホールで「海の夫人」を観てきました。
もちろん、観ようと言い出したのは、長年麻実れいファンを継続しているヨメさん。で、反対する理由もないので(殴)、パソコンで先行予約しました。でもこの先行予約、1月24日の話ですよ。1月!!
いくら先行でも程があると思いますね。昨日のことでも忘れるのに半年近く前!
でも、チケットは財布にやさしい5,000円です。(笑)

この公演は、新国立劇場での「JAPAN MEETS...─現代劇の系譜をひもとく─」シリーズ第十弾として、宮田慶子芸術監督の演出で5月15~31日まで上演されたのち、全国公演として兵庫芸文センターで1日だけ!上演されたものです。
しかし東京だと2週間以上の公演期間なのに、関西ではたった1日1回だけの上演。やはり関西は文化不毛の地なのか、人口を考慮しても、その差については考えてしまいますね。


原作は1888年に出版され、翌年ノルウェーとドイツで同時上演されて大成功をおさめたそうです。有名な「人形の家」につづく、社会的自立を求める女性と、それを阻む当時の世相をテーマとした社会劇です。

舞台装置は、巨大な簀子みたいな反り返ったウッドデッキが据えられただけのシンプルなもの。

あらすじです。

話の舞台は北部ノルウェーのフィヨルドに面した小さな町だそうです。

灯台守の娘だったエリーダ(麻実れい)は、初老の医師ヴァンゲル(村田雄浩)の後妻となり、先妻の二人の娘ボレッテ(太田緑ロランス)とヒルデ(山薫)とともに暮らしています。でもこの二人の娘との関係はギクシャクしていて、とくに妹ヒルデは反感をあらわにして全く馴染んでいません。
そしてエリーダは、ヴァンゲルとの間に設けた息子を生後すぐに亡くしてからは、精神が不安定となり、毎日海で泳いでばかり。そんなエリーダを周辺の人々は「海の夫人」と呼んでいます。
そこに、かつてボレッテの家庭教師をしていた教師アーンホルム(大石継太)や、胸を病んだ画家リングストラン(橋本淳)、便利屋バレステッド(横堀悦夫)といった人物がからんで一幕目の話が展開しますが、ここまではあまり波乱もなく、状況説明みたいなユル~い流れです。

しかし、そこに謎の男(眞島秀和)が登場して一変。二幕目からはサスペンス物みたいな緊張感のある展開となります。ようやく眠気は一掃されました。(殴)
その見知らぬ男はかつてのエリーダの恋人。その男から、この町を出ようと誘われるエリーダ。今の生活に満足できず、ずっと外の生活にあこがれてきたエリーダは動揺しますが......。まあ結末はまた再演もあるでしょうから言わないことにします。

ただ、今回の芝居のテーマはまだ完全に過去のものとは到底言えませんね。たびたび繰り返される政府与党要人の事態錯誤な「女は子供を産んで家で子育てしていればいい」発言や、今国会での派遣法改悪などを見るにつけ、労働者、特に働く女性にとって、この国のありようはイプセンの時代からほとんど進歩していないと痛感します。

ということで、全体の感想はここまで。薄いです。(殴)

以下は役者さんごとの感想です。これまた薄いですが、ご容赦ください。^^; 例のごとく敬称略です。
まず主演の麻実れい

まあピッタリの役。他に誰が演じられるか思いつかないほど。というか、役のほうが麻実れいのキャラクタに乗っ取られているというか。(笑)

いつも気怠そうで、しかも心の奥底では何を考えているのかわからない謎めいた女性です。毎日泳ぎに行くのも人の目を欺く一流の韜晦でしょう。ただし、あの『炎 アンサンディ』で久々に全力投球、圧倒的な演技力を見せてくれた麻実れいなら今回の役は余裕しゃくしゃく、さすがに『ボクの四谷怪談』までとはいいませんが、かなりの省エネ・アイドリングで充分こなしていそうです(殴)。大体、かなり地のままで行けそうなキャラクタだし。
(笑) いえ、手抜きといっているのではありません。^^; それほど「炎‥」が凄かったということです。

対する夫役の町医者ヴァンゲルは村田雄浩

テレビや映画、舞台と幅広い活躍で知られていますが、私は舞台でお目にかかるのは初めてです。初老の温厚な医者役がぴったりでした。この役も感情を表に出す激しい役ではないので、役者さんとしてはよくわかりませんでしたが、これまでの人生にほとんど疑問を抱くことなく生きてきた地元の医者というのはよく表現できていたと思います。この人、今回舞台で見て初めてかなり大柄なことがわかりました。

感心したのは姉妹役のボレッテ=太田緑ロランスとヒルデ=山薫

ボレッテは、内には学問にあこがれ、社会に出て自己実現したい想いを秘めながら、誰にも言えず半ば諦観しながら生きている女性。これを
太田緑ロランスが自然な演技でよく体現していました。しっとりとしたリアルな演技で心に残りました。この人も舞台では初めて見ましたが、いい役者さんです。
妹のヒルデ役の山薫も、継母への反感から、生活のことごとくに反抗する多感な少女をうまく演じていました。クルクルと舞台を駆け回って、嫌な子供全開でした。(笑)

教師アーンホルム(大石継太)や、胸を病んだ画家リングストラン(橋本淳)、便利屋バレステッド(横堀悦夫)、謎の男(眞島秀和)も芸達者ぞろい。


大石継太はブログの記事を見直したら二度目の観劇になっていますが、前出の『ボクの四谷怪談』が誠にアレな作品でして(笑)、ほとんど記憶にありません。(殴)
でも今回のアーンホルムはいい味出ていました。いかにもその辺にいそうな人物です。画家の橋本淳は初めてです。この人もセリフ・演技いずれもまったく自然で達者なもの。
味のある演技といえば、便利屋バレステッド役の横堀悦夫も、出番の少ないのが残念ないい演技でした。そして、後半の要となる謎の男の眞島秀和。ミステリアスな登場から始まって、少ないセリフでも迫力のある人物になっていました。おもに映画やテレビドラマで活躍していますが、舞台でもなかなかの演技です。もっと舞台経験があるかと思っていましたが、去年の「ボクの妻と結婚してください。」以来二作目とか。

というわけでよくできた舞台でしたが、先に紹介したとおりいささか地味な話なので、観終わって余韻に浸るとまではいかなかったですね。帰途の車中でも、ヨメさんもいつもと違ってあまり感想を語らず。(笑)

私の印象としては太田緑ロランスが予想外の(殴)いい演技で心に残りましたが、芝居全体としては佳作といった感じです。

次はまた同じ劇場で観たこまつ座公演の感想です。そしてそのあとは「王家‥」も控えているので、しばらくかなりのプレッシャーな日々が続きます。^^;
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兵庫芸文センターで『シャーロック ホームズ2 ~ブラッデイゲーム~』を観て

2015年06月03日 | 観劇メモ
5月21日(木)に、兵庫芸文センター阪急中ホールで『シャーロック ホームズ2〜ブラッディ・ゲーム〜』を観てきました。
この公演の観劇を決めたのは、チラシにあった出演者の中に、一路真輝別所哲也橋本さとし、そして懐かしい春風ひとみの名前があったからです。

まあホームズと名がつけば探偵もの、だいたい中身は予測できるよねということで、出演者以外の予備知識はゼロ、ぶっつけ本番の観劇でした。いつものことですが。(笑)

最近は定位置になっていますが、今回も最前列での観劇です。ただこの席、よく見えるのはいいけれど、出演者が至近距離なのでこちらが少々気恥ずかしい。大体コックリできないし(殴)。それと、逆に舞台全体のイメージがつかめないのはちょっと難ありかな。でもまあ贅沢な話ですね。

ということで、以下、感想です。敬称略です。
画像は当日購入したプログラムより(@2,000円でした。高い!!)↓


まず結論から(笑)。
なんとも難しい舞台です。演じる役者にとっても、観ている観客にとっても難しいです。その第一が台詞。メロディに乗せて台詞が語られるのですが、複雑な旋律に乗せた長台詞が延々と続く感じなので、聴き取るのが大変です。まるでお経のような(殴)感じで、とくに一幕目がキツかった。(笑)

観客も大変ですが、やっている役者さんも大変だろうと思います。耳になじむ旋律とはいえないし、全体に早口なので、「よく覚えられものだな」と変なところで感心したり。

でも休憩を挟んで二幕目から動きが出てきて俄然面白くなりました。

ただ、題名から予測できるような、複雑な犯罪トリックを解き明かす緻密な探偵もの、ではないですね。むしろ犯人の背負った怨念とか、社会への挑戦から連続殺人に至ってしまう歴史的な過程がメインな話です。

でも出演者が芸達者で、芝居としてストーリーの展開の面白さよりも役者の魅力が勝っているといった感じでした。

最後のどんでん返しもそれほど効果的ではなかったし。
というわけで、そもそもスケジュール的に不可能でしたが、そうでなくてもリピートはまずなかったですね。でも一度は観るべき価値はありました。音楽も生演奏でよかったです。

で、出演者別の感想です。
まずワトソン役の一路真輝

今回のワトソンは、ホームズの助手ではなく、かなり勝手に動いています。犯人と直接対決したりで、ホームズのほうが影が薄いくらいの活躍ぶり。
舞台上の一路真輝、変わらないねーといいたいところですが、やはり容姿は相応にお年を召されていました。(殴)

余談ですが、彼女を初めて舞台で観たのは、『はばたけ黄金の翼よ』のクラリーチェ。初々しくきれいな娘役が出てきたと思ったら実は男役で、臨時に娘役に抜擢されたと聞いてびっくりでした。その印象があったので、トップ就任後もどこか線の細い感じがあったのですが、ご存じトートで大ブレーク。大したものでした。

今回の舞台でもその歌唱力は変わらず、先に言ったように活発な役で、演じるのものびのびと楽しそうでピッタリでした。

そしてホームズの橋本さとしです。

この前、『十二夜』でマルヴォーリオを観たばかりで、ご縁があります。(笑)
で、プログラムを見たら今回の公演の稽古と『十二夜』への出演の期間がかぶっていたとのこと。大変ですね。よく務まるものだと感心です。
この芝居のホームズは、先にふれたように緻密な頭脳派探偵ではなく、かなり肉体派というか体育会系の探偵役です。だから、あまり知的ではないホームズ。(笑) 
でもそんな親しみのある人間臭い人物を演じていて、難曲ぞろいな歌も頑張っていて、芸達者の面目躍如でした。演技のダイナミックレンジが広いです。

この芝居の目玉キャストの一人がマリア・クララ役の秋元才加ですね。AKB48の出身だとか。
でも私は今回の観劇で初めて名前を知りました。(殴)

盲目の役で、聖母マリアのイメージの役だそうで、確かにそんな感じがよく出ていました。ベテランぞろいの役者さんの中でも臆せず、存在感もそれなり。でも歌はまだ課題が多いと思いますね。声はよく出ていると思いますが。

今回一番観たかったのが、春風ひとみ

エミリー院長役ですが、過去の場面ででてくるだけで、出番は少ないです。もったいないです。院長のあとは、娼婦役のアンサンブルで登場(これが少々ドッキリな姿でした(笑))。
でも出番は少なくても、舞台に出てくるだけで存在感十分。懐かしいあの「マリア公爵夫人」が目前によみがえってきました。やはり再演を重ねても、いまだにこの人を超えるマリア公爵夫人にはお目にかかれないですね。

私たちの観た日は、役代わりのエドガーは小西遼生ではなく良知真次

そういえば小西遼生も『十二夜』に出ていたので、やっぱり忙しかったでしょうね。
前者のエドガーも観たい気がしましたが、良知真次のエドガーも若々しくて似合っていました。この人も初めてお目にかかりましたが、難しい歌とダンスをよくこなしていました。演技も自然で、後半のプチどんでん返しにはうまくひっかけられた感じです。

一番魅力のある役だったのが、ジェシカ/オリビア役のまりゑ

とくにダンサーのジェシカはスタイル抜群でゴージャス、”ロンドンの太陽”という形容詞のまんまで魅力的でした。一方オリビアは”お堅い鉄のパンツ(プログラムより)”な女性政治家。両極端な儲け役で、終演後のトークショーでも司会役として手際よくリードしていました。今後注目したいです。

そして最後は別所哲也

この人とはFMの番組でおなじみですが、舞台を見るのは初めてです。
役名はなんとクライブ・オーウェン! 警部役です。
舞台が始まって、その名前を聞いてついニンマリ。
クライブ・オーウェンといえば、ご存じ『ザ・バンク 堕ちた巨像』とか『シャドウ・ダンサー』での演技が印象的なイギリスの俳優ですが、言われてみればどこか別所哲也と通じるものがありますね。
↓Wikipediaより

ということで、目の前の警部はクライブ・オーウェンが演じているんだと思いながら観ていました。(笑)
しかし、別所哲也は大した役者さんですね。歌も演技も台詞も味があります。歌など、観劇しながら、この人のファントムを観てみたいと思ったほど深い味のあるものでした。もう感心しまくり。最大の収穫でした。

今回のシャーロック ホームズは、タイトルに「ブラッディ・ゲーム」とあるように、謎解きよりは、血みどろの連続猟奇殺人とその背景を、過去にさかのぼって読み解いていくといった話でした。

ただ、繰り返しますが、台詞の大半が観客にも聴取パワー(笑)を求める難曲になっているので、話を追うだけでもけっこう疲れます。笑

それで兵庫芸文センターでのチケットの販売状況は、初日の幕が上がっても苦戦していたようで、トークショーでも出演者が口々に「またのご来場をお待ちしています」と言っていたのが印象的でした。

さて、この2日後は『1789‥』の2回目観劇でした。その感想はまたのちほど。
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梅田芸術劇場で『十二夜』を観て

2015年04月21日 | 観劇メモ
梅田芸術劇場メインホールで「十二夜」観てきました。


『十二夜』はシェイクスピア喜劇の最高傑作だそうです。

話はご存じの方も多いと思いますが、音月桂が一人二役で演じる、船の難破で離れ離れになった双子の兄妹が主人公。
その二人にからんで、妹が男に扮することで登場人物の間に生じるさまざまな勘違いと片想いが交錯するコメディですが、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのディレクターも務める、『レ・ミゼラブル』などで有名なジョン・ケアードがどう作り上げているのか、興味津々でした。
音月以外でも、小西遼生や、『おそるべき親たち』の中嶋朋子、そして『祈りと怪物 ~ウィルヴィルの三姉妹~』の橋本さとしと、出演メンバーも豪華です。

土曜日の12時公演ということで、朝10時に出発。

この日は車も少なく、予定通りのコースタイム40分程度で駐車場に到着。地下一階のシアタードラマシティ近くで早めの昼食をとってから、車椅子を押して地上へ。
時間があったので劇場前で写真などを撮っていると、近くにいたスタッフの男性が声をかけてくれて、そのまま劇場内に案内されました。この劇場、ロビーにはエレベーターがないので、車椅子だと楽屋のエレベーターで入らなくてはならないのがプチ残念。
私たちの席は中通路から6列ほど上がったところだったので、慣れないヨメさんは一苦労。でも何とかたどり着けました。ただ後ろとはいえ、ほぼセンターで舞台はよく見えました。
見渡せば1階席は埋まっていました。けっこう男性客も多かったです。でもやはりメインホールは大きすぎの感ありで、ドラマシティのほうがいいかなと思ったり。
という前フリは終わりにして、以下いつも同様の薄味感想になります。

プロローグは最近はやりの幕なしのいきなりのスタート。
まず目に入ってくるのは舞台のセット。

デザインしたのは、衣装も担当したヨハン・エンゲルスです。当人は昨年11月、このデザイン完成させた直後に亡くなったそうで、まさに遺作となった作品です。衣装も豪華でしたが、セットも本当によくできていました。

舞台上には円形の、八百屋になった台が置かれていて、それを取り囲むように石の壁を模したセットが置かれています。


余談になりますが(えっ、もう余談?(笑))、このセットと、『十二夜』つながりで思い出したのが、16年前に訪ねた「ミナックシアター」。イギリス・コーンウォール半島の先端部に位置する野外劇場です。


どうですか?似ているでしょう。後ろ向きに立っているのは当日主演していたイギリスの有名女優、ではなくウチのヨメさんです。(笑)

さらに手作りのコンクリート+芝生の客席の下面には『十二夜』(Twelfth Night)と上演年の1933が刻まれていました。
観劇しながら思わずこの写真がよみがえってきました。

大西洋に突き出た断崖の上に作られたこの野外劇場は、ロウィーナ・ケードという女性が生涯の大半を費やして、たった一人の使用人とともに岩を削って舞台を作り、セメントをこねて芝生を植えるなどして客席を設けるなど、50年かけて手作りしたものです。

セメントに混入した砂は、切り立った断崖を90m下って海岸からバケツで運び上げたということです。私たちも海岸まで降りてみましたが、一度でどっと疲れました。(笑)
今回の舞台でも、はじめのうちは背景に海が見える設定になっていたので、観劇しながらさらに懐かしさが募りました。
みなさんもランズエンドなどに行かれた際は、ぜひ足を延ばしてみてください。

余談はこれくらいで(殴)、まず主役の音月桂から。
↓当日買ったプログラムから

雪組サヨナラ公演以来、本当に久しぶりの音月桂でしたが、変わらぬ容姿に安心しました。(笑)もともと宝塚時代から若々しい容貌がそのまま維持されているのにプチびっくり。劣化が少ないです。(殴)


とくに今回の演目が、彼女のキャラクタにぴったりでした。女が男に扮するとかはお手の物だし、しかももともと雪組時代から爽やかなボーイッシュなイメージだったので(あくまで個人の感想です)、演じる人物に自然になじめました。


セバスチャン/ヴァイオラ(シザーリオ)という二役の兄妹を、声のトーンや話法、身のこなしや細かなしぐさを使い分けて巧みに演じていて、当然とはいえ感心しました。いい役を選んだものですね。
立ち回りも決まっています。

劇の終盤に兄妹が同時に現れる場面があって、一瞬アレ、どうやっているんだろう?と思いましたが、そっくりなキャスティングをしてあって面白かったです。
↓オーシーノ公爵の小姓になったシザーリオ


プログラムで自身が言っているように、音月桂は退団後映像の方に関心があったとのことですが、今後はもっと舞台でも活躍してほしいですね。演技も歌も定評がある彼女の今後の活動が楽しみです。

次は、そのヴァイオラに勘違いして言い寄る伯爵家の令嬢オリヴィア役の中嶋朋子

さすがにベテラン、うまいですね。喜劇とはいえ自然な演技で安心して観ていられました。
はじめのうちは、兄の喪に服するという理由で冷たくオーシーノを拒み続けているオリヴィアです。


私はそんな様子がまるでエリザベートみたいだなと思って見ていましたが、そのオリヴイアがシザーリオに出会ったとたん一目惚れ。
絵にかいたようなツンデレぶりで面白かったですね。シザーリオに身も世もなく夢中!なオリヴィアと、その強引な勘違いぶりに戸惑うシザーリオとの絶妙のやりとりが一番の見所でした。

ただ、お疲れなのか、役年齢(若き令嬢ですから)&実年齢より老けた感じ(殴)なのが気になりました。ただどこか大竹しのぶにも似た台詞の声は若々しくて、すぐ容姿は気にならなくなりましたが。

うまいといえばオーシーノの小西遼生も存在感たっぷりで、スノッブな公爵ぶりが板についていました。




貫録さえあって堂々としています。舞台では初めて見ましたが、セリフも明瞭、いい役者さんですね。

執事マルヴォーリオの橋本さとしは、騙されてイジられて笑いものにされる、かわいそうな役をうまく演じていて、客席から大きな笑いを誘っていました。




しかし、今回の公演でうまさが光っていたのは道化者のフェステを演じた成河
台詞も歌も道化の仕草もうまい!!
のびのびと自由闊達、余裕さえ感じられました。大活躍でした。





陳腐な言い方ですが、滑稽さと悲哀が巧みに表現されていて、感心しました。
昨年観た『ビッグ・フェラー』でもIRAの若手メンバーの一人・ルエリ・オドリスコル役がピカイチでしたが、今回もそれに劣らぬ活躍ぶりでした。今後の活動に注目したいです。

それ以外の役者さんもそれぞれいい仕事ぶりでしたが、中にはちょっと台詞の不明瞭な方もおられて、ちよっとコックリとな(殴)としそうになったり。
ご存じのように、シェイクスピアの台詞は、一流の美文調で形容詞満載なので、聞き取りにくいと台詞が睡眠術の呪文みたいに聞こえてつい瞼が‥(殴)
でもそんな序盤をなんとか持ちこたえたら(笑)、中盤から一転俄然面白くなってきて、客席も笑いの連続。面白かったです。

最後は客席も大いに乗ってきていました。
カーテンコールの出演者全員の歌は鳥肌モノ。圧巻でした。


というわけで、シェイクスピアかと身構えて観劇に臨みましたが(なにしろ十二夜は初めてなので)、素直に楽しめて面白かったですね。なにより厚みのある俳優陣と、一流の演出に、重厚なセットと衣裳。上質な演劇を堪能できました。

音月桂の大阪演劇デビュー、成功して本当によかったです。



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梅田芸術劇場で『モーツァルト!』を観て

2015年01月17日 | 観劇メモ
今年最初の観劇は、1月8日の梅芸メインホールでの「モーツァルト!」からスタートしました。年金生活者にはチトお高いチケットでしたが、なにしろ豪華キャストなので、ネットでポチッとな。でも人気公演で2階席しかなく、ヨメさんにはムリ。事前に劇場に連絡して車いすスペースに変更してもらいました。

当日は正月明けとあって道路はもうガラすき。予定通りに地下駐車場に到着。12時半開演といういささか変則パターンでしたが、いつもの店で昼食も済ませて、スタッフに案内されて余裕で劇場内に。

以下は、その感想です。全然絶賛していないので、観劇されて今も感動に浸っておられる方はスルーしてください。ただし、印象だけの感想なので、ネタバレはほぼありません。(笑)

例によって敬称は略させてもらっています。
(画像は当日購入の公演プログラム(2,000円もしました!)から部分的にスキャン)

私たちが観たのはヴォルフガング・モーツァルトが井上芳雄で、


モーツァルトの妻・コンスタンツェが平野綾、


ヴァルトシュテッテン男爵夫人が春野寿美礼というバージョン。


で、いきなり全体の結論ですが、残念ながらいささか期待はずれでした。ドラマチックな盛り上がりに欠ける脚本でガッカリ。特に前半が同じような場面が続くため退屈でした。後半になってようやく面白くなってきたものの、全体としては「こんなはずでは」感がぬぐえなかったですね。
それと、音響効果が最近体験したことのないほど悪く感じました。せっかくの生演奏ですが、音声より音量が大きくて、歌詞にかぶって聞き取りにくく、おまけに台詞のかわりに歌をつないで舞台が進行するので、話がよくわかりませんでした。

そんな中で一番よかったのがヴァルトシュテッテン男爵夫人で今回初参加の春野寿美礼。私たちはこの人の舞台を観るのは「ア ソング フォー ユー」以来。
本当に久しぶりで、私たちとしてはWキャストの香寿たつきも観たかったのですが、チケットの都合で春野寿美礼になったものの、再見が楽しみでした。で、結果ですが、彼女の歌う「星から降る金」、よかったですねぇ~。
とにかく春野寿美礼が非常に気持ちよさそうに歌っていて、その気持ち良さがこちらにもモロに伝わってきて、一体となって引き込まれました。劇場の音響の悪さも、ソロで歌う場面だと目立たなくなったのが救いでした。

「ア ソング フォー ユー」以来の懐かしささえ感じる(笑)歌唱力に加えて、曲も今回の舞台随一の流麗な旋律。
まったく春野寿美礼の独壇場でした。香寿たつきも、彼女ならではの深みのある好場面になったことと思いますが、春野寿美礼の持ち味の伸びのある歌声で聞かせてくれました。これが最大の収穫。

あと収穫といえば、やはり全く衰えを見せない花總まりの容姿。それほど見せ場がない姉のナンネール役なので、ちょっともったいない感がありますが、エリザベートの初演時からの時間の経過を考えたら、驚きの若さです。

もっと華のある役で、歌う場面も多かったらと残念でしたが、父レオポルド役の市村正親とのやりとりもしっとりとして自然な演技でいい感じでした。本当に賞味期限が長いですねぇ~(殴)

まだまだ今後の活躍が期待できますね。
(宝塚といえば、「モーツァルト!」の常連の秋園美緒も、変わらぬ美声で活躍、健在ぶりを示していました。)

その市村正親はさすがに大病を経たせいか、舞台では以前と比べたらちょっと小さく感じましたが、「それからのブンとフン」のコミカルな演技とは違うシリアスな父親像を見せてくれました。頑張ってほしいです。

でようやくヴォルフガング・モーツァルトの井上芳雄について。

私たちがこの人の舞台を観るのは三回目です。最初はこまつ座の「組曲虐殺」で、初めて見る彼の舞台でしたが、いい演技で好印象を受けました。さらにその印象が深まったのが同じくこまつ座の「イーハトーボの劇列車」
さわやかな宮沢賢治で、セリフも演技も明快で本当に好青年。まあ実際の宮沢賢治とは違うかもしれませんが、感情移入のできる人物で、一挙に井上芳雄をひいきにしたくなりましたね。
でも今回はそんな冴えがない役回りで、音響の悪さと脚本のせいで歌もセリフも前二作ほどこちらに伝わってくるものがなかったのは残念でした。


その妻コンスタンツェが平野綾です。
この人、公演プログラムで小池修一郎が書いているように、童女のようなキャラクタです。平たく言えば小娘的で、それが受けるのでしょうが、「レディ ベス」同様にちょっと違和感がありました。これはまったく私の好みの問題なので、ひいきの方には申し訳ないですが。

そういえば「レディベス」と今回の「モーツァルト!」は順序は逆ですが、クンツェ・リーヴァイ・小池のトリオが手掛けるシリーズ作品で、キャストもかぶり、全体の印象も似ていますが、やはり「エリザベート」を超えることはできていませんね。「エリザベート」の偉大さを改めて再認識しました。ミュージカルはまず曲の出来栄えが第一だとつくづく思いますね。いくら「エリザベート」を生んだ名手トリオといえども、それを超えるのは至難の業だとも思いました。

好みといえば、コロレド大司教の山口祐一郎も頑張っていましたが

イマイチしっくりしない感じで、私としては「レディベス」で見た石丸幹二がやってくれたらもっとよかったのにと思ったり。
ええ、これも個人的な嗜好の問題です。

というわけで、本公演初観劇でしたが、あまり気乗りのしない感想になってしまいました。
とにかく音響の悪さが気になりました。それは座る位置でも違うのでしょうが、少なくとも私たちの座った、客席上手から下手へと横断する通路の上手端では、歌もセリフも明瞭とはいかず、ただバックの演奏だけが響くという感じで興ざめでした。まるで二昔前ぐらいの大劇場みたいでした。(笑)
それに、史実によるモーツァルトの生涯はかなり波乱にみちたものですが、脚本では掘り下げ不足。それは歌を多用し過ぎる構成にも因ると思いました。
それで、とくに一幕ではついコックリ。終わっても感動のスタンディングという気分にはなれなかったのが残念でした。

さて今週はいよいよ宝塚です。なかなか好評のようなので楽しみです。




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兵庫芸文センターで『familia~4月25日誕生の日~』を観て

2014年12月07日 | 観劇メモ
11/30(日) 兵庫芸文センターで大空祐飛主演の『familia~4月25日誕生の日~』を観てきました。退団以来久しぶりの大空祐飛さんの舞台で、演出・振付・作詞/謝 珠栄ということもあって大いに期待して出かけました。以下少々ネタバレアリ、そして大絶賛!!モードではないどころか最近にない辛口感想なので、これから観劇予定の方はスルーしたほうが吉です。

日曜日の11時公演とまるで宝塚大劇場みたいな日程ですが、2回公演なのでこうなったのでしょう。なので昼食は公演が終わってから。
この日と前日の土曜日はどういうわけか高速道路はどこもガラすき。ラッキーでした。ちょうど1時間で兵庫芸文センター地下駐車場に到着。しかし、今年はよく通いましたね。今回を入れると7回も。
劇場前のホールに行くと、すでにたくさんの観客でにぎわっていました。退団してかなりたっているのに、大空祐飛ファンらしい多くの女性客のグループがあちこちに集まっていました。最近にない活気です。そして開場10分前にはもう長蛇の列。

大した動員力です。

花もたくさん飾られていました。


さて、まず全体の感想です。

最初に書きましたが、私たちは今回の公演が謝珠栄作品ということで大いに期待していました。

で、感想の結論ですが、大空祐飛をはじめ出演者全員がんばっていました。でもその熱演にもかかわらず、かなり期待はずれなものになりました。その原因はプアーな脚本。芝居が始まって、観劇しながら、あれ、これがホントにあの謝 珠栄?の脚本?という疑問が湧いてきました。
とにかく話が薄い。演劇の脚本としては今年観たなかでは一番の不出来だと思いました。

あらすじは公式サイトに紹介されていますが、こうなっています。↓
TSミュージカルファンデーション familia~4月25日誕生の日~ 公演情報
1973年、ポルトガル。
独裁政権から続く圧政により、アフリカでの植民地戦争は凄惨を極め、人々は自由な思想や言論を奪 われ続けていた。
そんな民衆の姿が、親の顔も知らず孤児として生きてきたエヴァの目にはまるで、悲しみを抱えなが らも黙って耐える子供達の様に映る。
置き去りにしたままの過去から目を背け生きていくことは、自分も反発を忘れた民衆と同じだと思い、不安な気持ちを奮い立たせ、エヴァは自分を捨てた両親を探す為に首都リスボンへと向かう。
そこで出会ったのは陸軍少佐のフェルナンドと、革命派に身を投じた幼馴染、アリソンだった。
やがてラヂオから聞こえるファドの調べにのせて、エヴァと二人の人生は大きく交錯する。
そして1974年4月25日、“リスボンの春”が訪れる。ポルトガルの革命と共に、エヴァは自らの運命に立ち向かうのだった......。

それで、幕間の休憩時間に急いで公演パンフレットを確認したら、なんと脚本/斎藤 栄作とな!
謝 珠栄さんは演出・振付・作詞担当ということでした。^_^;

それでまあ納得、は出来ないけど納得。

芝居は上記の引用のように、ポルトガルで40年以上続いたアントニオ・サラザールとその後継者マルセロ・カエターノによる独裁体制を倒した「カーネーション革命」を背景に、大空祐飛演じる主人公エヴァが、見知らぬ両親を求めてリスボンでその行方を探すというものです。
話としてはあの「炎 アンサンディ」にも通じるものがありますが、出来は大違い。そういえば、両作品とも宝塚出身女優が主演というところも同じですね。

でも「炎‥」のほうは、母の過去の世界を姉弟がたどっていくなかで、それぞれの登場人物との関わりを通して、一人の人間としての母と、母の生きた時代そのもの、そしてその子である姉弟の衝撃のルーツが見事に明らかにされていきました。映画でもすごいと思いましたが、舞台ではまた違ったものに仕上がっていて、見ごたえ十分でした。

それに対して、今回の「ファミリア‥」では、革命前夜のポルトガルの状況が劇を通して描き出されるのではなく、その断片だけで、それもほとんどが説明台詞に頼っていて、それでも足らずに各場面で登場人物に狂言回しをさせたりと、脚本の仕上がりでは雲泥の差がありました。
こんなふうにすべて台詞で説明してしまったら紙芝居になってしまいますね。
そして話としても、孤児が3人も出てくるとか安易なご都合主義で、途中から結末が予測出来てしまうなど、芝居の面白さが感じられなかったのは残念としか言いようがありません。

そもそも長期にわたる独裁政権のもとで、その政治的腐敗や、それに対する民衆の怒り、植民地政策をめぐる軍内部での対立と抗争など、芝居として格好の材料が豊富にあるのに、通り一遍の説明的な描き方になっています。このあたり、よく謝珠栄サンがゴーサイン出したものだとおもったほど。

というわけで全体としては残念な結果でしたが、これは脚本の問題なので、以下主な出演者ごとに感想を書いてみます。
例によって敬称略。画像は公演パンフレットから部分引用しています。

まずは主人公エヴァの大空祐飛

うまく俗世界に馴染んでちゃんと女優していますね~(殴)。
宝塚を退団すると聞いたとき、そんな姿が想像できなかった(殴)ので、舞台に登場したとき、本当に新鮮な感じでした。
完璧に女優しています!

退団公演以来久しぶりの舞台姿を間近(B列でしたからね)に観て、結構メリハリの効いたナイスなスタイルやな(殴)とか、あらぬことを考えていました。(笑)

台詞も聞きやすくいい声で、演技も在団当時と変わらぬ力量を見せてくれましたが、なにしろ脚本がアレなもので‥^^;。
↓練習風景です。

ただ歌はヅカ時代と変わらぬ縮緬ビブラートなのでちょっと私には合わない感じ。

今回の舞台では女優は大空祐飛だけで、あとはむくつけき男どもばかり(笑)。しかも結構若い人が多くて、初めて見る人がほとんど。そんな中で、知っていた唯一の役者さんがアニーバルの福井貴一

1989年の「レ・ミゼラブル」のアンジョラス役が印象に残っていますが、あれから幾星霜、今やヒゲの似合う中年男になっています(笑)。
男優陣が全体に若いので、この人が出てくるとさすがの演技で、歌も聞かせてくれて舞台が引き締まります。
でも肝心の話の結末は完璧に予想の範囲。(笑) あと二ひねりぐらいして欲しかったですね。

フェルナンドの岸祐二と、ラモンの坂元健児もともに歌唱力や演技力が際立っていました。
いずれもはじめて観ましたが、精悍ないい役者さんです。

↓フェルナンドの岸祐二


↓ラモンの坂元健児


この芝居での若手男優の代表格になっていたのがアリソン役の柳下大です。

私は知らないですが、ホールには花も飾られていたので、人気があるのでしょうね。
パンフレットではTVドラマや映画、ミュージカルにも多数出演して活躍中とか。ただ今回の舞台では終始台詞のテンポが遅い感じで、他の役者さんとの掛け合いではちょっと違和感がありました。

しかしくどいようですが今回の舞台、全体として芸達者な俳優ばかりだったので、なおさら残念感がありましたね。
それと、ミュージカルなので当然歌が多いのですが、その歌のために話が途切れるので、余計話の展開が深まらなかったように思いました。観劇しながら、宝塚をはじめ他のミュージカルの脚本はよく出来ているものだなと改めて感心したり。

今回は大空祐飛の新たな活躍ぶりと福井貴一の近況がわかっただけでもよしとしましょう。

余談ですが、最初この公演の題名「familia~4月25日誕生の日~」を見て、それがポルトガル革命にちなんだものと分かったたとき、懐かしかったです。そして話の中でもリスボンのサンタアポローニア駅が出てきたり、カモンエスの詩アズレージョのことが紹介されたりして、ますます懐旧の情がフツフツと湧いてきました(笑)。

2000年の4月下旬にポルトガル一周のパック旅行に参加して、ちょうど4月25日に「4月25日橋」をバスで渡ってリスボンに入りし、翌日の自由行動では私が途中で急に腹が痛くなってサンタアポローニア駅構内で必死になってトイレを探したりしたこととか。(笑)
ちなみにトイレのサインはなんとWC。もう死語かと思っていました。

4月25日橋です↓


そしてカモンエスの有名な「~ここで地果て、ここより海はじまる~」という詩の紹介場面ではロカ岬のその碑を思い出したり。
↓ロカ岬 リスボンから30km西。ユーラシア大陸の西の果てです。ちょっとランズエンドに似ています。




当時は隣国スペインと比べて格段に治安がよく、言葉が通じなくてもリスボンの街歩きが楽しめましたが、今はどうなっているのでしょうか。
というとりとめのない話で(笑)、今回の感想は終わりとします。

今年はこれで観劇予定はすべて終了しました。気まぐれで偏見に満ちた当ブログをご覧いただいたみなさんには心から感謝の意を表させていただきます。どうもありがとうございました。

これからもよろしくお願いいたします。



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