グリーンブレーカーズ by 高木肥料店

農業の現場の おはなしなどなど。

三股町由来のカッパのはなし。

2014-07-20 23:49:11 | Weblog
三股町由来のカッパのはなし。

前回は、長い年月をかけて沖水川がつくり出した長田峡をご紹介しました。そし
て、この長田峡の周辺では、

 ● 沖水川周辺では、河童は “がぐれ” と よばれていること
 ● その がぐれ に関するはなしが 伝承されている

というお話を、すこしばかりさせていただいたのです。そんなことを考えながら
毎年夏が近づくたびに涼を求めて長田峡の周辺に通っていたのですが・・・本年
の4月末に 寝耳に水のビッグニュースがとびこんできました。

なんとそれは、「都城市にある都城島津伝承館にて4月19日から6月22日ま
での間、江戸時代に三股町の川岸で銃殺されたカッパの手足が初公開される」と
いうもの。

その都城島津伝承館によるカッパの手足の写真 こちら 。
そしてこの展示に関する新聞記事が こちら となります。

この新聞記事にはありませんが、じっさいにはもっと詳しい謂われが、この手足
とともに伝わっており、その添付文書によると

 文政年間、侍の上村休助が現在の三股町梶山でカッパを銃で射止めた後、急病
 になったが、 友人の大川原世則が修験者にまじないを頼み回復。世則は休助か
 らお礼にカッパの両手足をもらい、 一対を同家に献上した


と記されているのだそうです。

カッパの手足が本物か否かももちろん気になりますが、それよりも事件に関する
詳細と関係する人物のはなしが、このような文章という形としてはっきりと残って
いるのがすごい
なと、
でかけていった都城島津伝承館でカッパの手足を眺めながら、わたしは思いました。

ちなみに 添付文書にある三股町梶山。この場所は 長田峡よりも 下流にあり
ます。・・・ということはですよ、 梶山よりも沖水川の上流にあたる長田峡や、
もっと上流には いまでも カッパ/がぐれ が いてくれないかなぁって ねが
わずにはおられませんでした。

つづく。


◎ それにしても上村休助さん。見かけたカッパをいきなり[だと思う]撃つって
  いうのも、すごく豪胆ですねっ。よっぽどカッパが悪さしてたのかしらん。

51P4M6yKWYL__SL500_SS75_.jpg 「夢で終らせない農業起業」「里地里山複合大汚染」