なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

ザルは救われない!?のだ。

2008-08-01 18:15:01 | Weblog
私がいつも頼んでいるお弁当業者・・・何社か出入りしていますが私は1社に決めている・・たいていの人は各社のメニュー表を見てから決めているのですが、私はそういう手間が苦手だからメニューを見るのはいつも注文してから・・・。
 そういえば蕎麦やとかファミレスで外食の時など、メニューは見ても1番には注文しないで、ひたすら誰かが注文をするのを待つ。
 誰かから「○○ランチ」などと注文が出ると、「私もそれ」となる、合せ打ちとも言えるけれど、自主性に欠ける。
 金曜日のお弁当のメニューは大体混ぜご飯か炊き込みご飯が多い。
 子供の頃、母がよく作ってくれたので懐かしい感じがあるし、嫌いではない。
 ま、値段が安い弁当ですからその分おかずの方に皺寄せはあるようですが・・・
 ともあれ、金曜日はなんとなく楽しみではある。
  それなのに
 昼になってお弁当置き場に行ってみると、無情にも「運搬車両の故障のため到着が約15分遅れます」の張り紙。
 何ということだ、、、しかし文句を言う相手はここには居ないし、仮に居たとしてもそれは解決とは無縁だからひたすら待つしかない。
 こういう「15分」は蕎麦屋の出前の「今出ました」と同じで「単に遅れます」の意味で、15分かどうかは当てにならないのです。
 12時半になっても到着しない。
 どうしても我慢できなければ近所のコンビニという手もあるけれど、私の場合は普段からカロリー制限を指示されているのだから「これも神様の思し召し」だと考えれば良いと開き直り?気分。
 ただマア全くの空腹ですといつもの食後の薬は服用できなくなるから、そこのところだけは問題ですが。
 結局は弁当到着12時35分。
 配達のおじさんは謝罪も良いわけの言葉を出す暇なく次の配達先に走っていった。
 結局この日の昼休みは、お弁当を食べてお茶を飲んだら御終いだった。
 こういう日はきっとついていないでしょう。
 弁当に限らず「当てにしていたものがやってこない日」かもしれない。
  今日の午後は要注意で暮らさなければ・・・ゲンカツギはしない方だけれど、自分には一応警鐘。

 ここ2,3日はネットで碁を打っていない。
 接続した時に丁度良い相手が居なかったり・・・とりあえず自分の名前をエントリーしておいて観戦に回るということはしません。
 見ている碁が面白くなってきた時に、突然対局室に呼び出されることがあるので、これは中途半端な気分で対局を開始することになる。
 だから観戦のときは観戦オンリー・・・尤もそのまんまスリープもあるけれど。
 ともかくここの所打っていない。
  今夜辺りは週末でもあるし対局相手はいつもより多いでしょうからチャンス。
 相手にとってもチャンスでしょうが。
  こういう日に「お弁当からの警告」
 今日はついていない日だということを胸に刻んで打たないといけない。
  ネットにつないで、同じくらいの人がなかなか現れない程度では単なる「凶」以下の「不吉」。
 私をカモにする天敵が揃っていたら「大凶」
  なんとなく大教の予感がする。
 行く先々で街角を曲がると天敵が待ち構えていて、Uターンして別の小路に入ると鬼が通せんぼ・・・悪夢みたいな予感。
 そんなに恐ければ止めれば良いのに・・・これが止めやれないのだから「病コウコウ・・・」
 これは「ふぐは食いたし・・・」の心境?、、、いやそんなリッチではない。
  これは私の幼馴染のN坊を思い出させる
 彼のお父さんは両党ではあるが甘いものも大好きで、彼の母親以下男の子3人は大の甘党。
 中でもお汁粉は大好物・・・なんですが、ここに奇妙な問題がある。
 男兄弟3人のうち真ん中のN坊だけなんですが、お汁粉アレルギーと言うかジンマシンと言うか、食べると必ずソラマメ大の腫れ物がお腹中心に出てくる。
 これは傍目にも相当カユそうなんだけれど・・・
  N坊は大好きなお汁粉を前に必ず悩むことになる。
 そして、悩むことは悩むけれど食べるのを止めたのは見たことが無い。
 彼は「覚悟の上で食べる」のだから、痒いとかの文句も愚痴もこぼさないのです。
 「苦しいなら食べなきゃ良いのに」は他人様の無責任の言葉。
 結局私の碁もN坊のお汁粉のようなもので・・・「囲碁は聖人君子の遊びとは程遠く」・・・私にとっては「煩悩そのもの」で煩悩の焼却場です。
 燃えてなくなれば良いのにね。
  ザルは芥川のくもの糸では無いけれど、登っては落ち登っては滑る。
 救われえない遊びにハマって楽しいんで居るのでしょう。
  だから決して救われない遊びなのですね。