なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

好機逸すべからず

2008-08-17 15:08:57 | Weblog
 先週買った古い囲碁雑誌の付録・2005年囲碁研究7月号「思わず納得 囲碁格言②」(中山典之六段)に17個の格言が出ています。
 私に一番あっている?のは「ピンチの時がチャンス」だと思う。
 普段の対局で一応「出来るだけ厳しい手を打ちたい」と考えていますが、元々が”のほほん型”だし、「簡明で勝つ」=「普通の手で負けない」思っていますからザル仲間からは、実際にはそれほど厳しい手を打つとは思われていないと思われる。
 それでも、一見普通に見える場面にもチャンスが潜んでいるかもしれないとは考えながら碁盤を見て、相手も僅かな隙間でも見逃してくれないはずですから、険しい局面に陥ることはある・・・多分多いと思う。
 それは、一寸かっこよく言うと昨日見た卓球の試合みたい・・・厳しい手を打つと、、、厳しい回転をかけた球を入れると、その回転が残った球が返ってくる、、、厳しい手を打つと厳しい分厳しい手が返ってくる。
 と言うことで、チャンスとピンチは紙一重、いやチャンスとピンチは裏表だろう

 そういう意味で、この「格言のミニ本」に出ている「好機逸すべからず」は先にあげた格言の親戚みたいなものでしょう。
 このオリンピックでのスポーツの観戦でも、、、例えば男子のサッカーで「あそこで決めていたら」とか「そこを凌いでいたら」結果がどう転んでいたか分からないという試合がありました。
 いや、これは日本の男子サッカーだけではなくて、「勝負事」には概ねついてかまわることのような気がする。
 「タラ」「レバ」は無いとは言いながら、繰言・悔やみ言とは区別がつけにくいけれど、反省点しなければいけないところは反省しなければいけない・・・
 それで、試合の途中経過点で得たポイントあるいは逃したポイントは単独に存在するものではなくて、必ず途中の出来事は、その後に影響を残す。
 ですから、「ポイントを得るべき場所で得られない」と言うのは得点0と言うより、失点に近い0だと思う。
 一方、大ピンチで失点を防げれば、もしかしたら得点に近い0かもしれない。
 
 中国にちなんだ言葉・・・たしか史記のなかのどこかに「天命を受けないならば、必ずあなたに災いがある」みたいな言葉があったと思う。
 それは天子になるとか、天下を取るとかの話だけれど、かなりミニ化してザル碁の世界でも「好機を逸したならば災いがある」だろう。