先日東南アジア方面に文房具を送ろうというキャンペーンがありました。
どういう規模かは知りませんが、ともかくうちの事務所は参加。
子供の文房具にまで親の手が回らない国・地域に中古で良いから文房具を送ろうと言うものです。
趣意書と寄贈品入れの箱が回ってきて・・・いざ箱の中に何か入れる段になると、多少の引っ掛かりがあるのです。
趣旨はよいのだけれど。
やはり子ども時代の思い出から、何かしらスッキリしないものもある。
私の子ども時代は、戦後すぐのドサクサではないものの「ギブミーチョコレート」の陰を引きずっていたでしょうし、休職の脱脂粉乳ミルクのありがたさと同時に飼料を食べさせられたと言う感情も消えない。
私はアノ頃から、幼い頃からしつこくて執念深い性格も持ち合わせているのでしょう。
当時でもアメリカ船が入港したなら、港には敢えて行かなかったし、給食のミルクが実は家畜の飼料と聞いた時の記憶は・・・
勝者の・もてるものの驕りを感じたし、子供ながらも「高楊枝」の振る舞いをした。
今回の中古品文房具寄贈のキャンペーンは趣旨は良いのだが・・・”無い”のだから何とかしなくてはいけない・・・でも自分の子ども時代の記憶が引っかかります。
中古品で良いのか・・・出来たら新品の方が良いのではないか?・・・どちらにしても与える方の優越感があってはいけない・・・
使いかけのサインペン、ボールペン、鉛筆・・・
私は箱の中に何も入れられませんでした。
寧ろ100円玉1つの方が良いのか?
代わりとってはおかしいけれど、、、手元に鋏が5本ある。
同じところで仕事をしていると、前任者の引継ぎとか誰かが私のところに忘れていったり、鋏・定規・ホッチキス・クリップ・ピンチの類が溜まってくる。
こういうものを捨てたり処分したりしないから結構溜まる。
鋏などは普段使っているお気にいりの鋏以外に5本も溜まっている。
ですから本来の趣旨とは違うかもしれないが寄贈箱に鋏みを本入れました。
(ホッチキスの場合針が消耗品なのできっと今回の趣旨には向かないでしょう)
さて、実際に現地で役立つだろうか?
貰った子供が喜んでくれるだろうか?
私の子供時代の記憶の残り方からすれば無理でしょうね。
マア寄付する方のささやかな自己満足?
ところで中古品を人にあげると言うと、私にはクセがある。
囲碁の本で、読んでみて気に入った・ためになる。分かり易い本だと思うと人に読んで欲しくなるクセがある。
だから「どうぞ読んでみて」と人にあげる・・・貰う人が本が買えないのではないのです・・・私が友人に読ませたい・・・そして「読み終わったら誰かにあげてください」と付け加える。
本にもいろいろあるでしょう
人から人の手に渡りながら大勢の人に読まれる本。
あるいは、ずっと側において置きたいような本。
囲碁の本で言うと「日本囲碁大系」のような大判の棋譜集などは持っていれば本棚に納めたい本。
でもそれと違って、繰り返し読むために持ち歩いたり、大勢で回し読みして、1周まわって来てまた読むような本もある。
難しいのは、人に薦めるときでしょう。
きっと、良かれとは思っていても”おせっかい”かも知れないし。
「是非読んでください」も受け取り方によっては「お前様もちゃんと勉強しなよ」とか「ここが足りないのではないのですか」みたいな偉そうな・・・
マア、そんなハードルを無神経に無視してしまいますが、実際は心の中では「誤解されませんように」と祈ってはいるのです。
そういう意味では鋏5本も同じこと。
本当に喜ばれるかどうかは送る側には分からない事なのです。
どういう規模かは知りませんが、ともかくうちの事務所は参加。
子供の文房具にまで親の手が回らない国・地域に中古で良いから文房具を送ろうと言うものです。
趣意書と寄贈品入れの箱が回ってきて・・・いざ箱の中に何か入れる段になると、多少の引っ掛かりがあるのです。
趣旨はよいのだけれど。
やはり子ども時代の思い出から、何かしらスッキリしないものもある。
私の子ども時代は、戦後すぐのドサクサではないものの「ギブミーチョコレート」の陰を引きずっていたでしょうし、休職の脱脂粉乳ミルクのありがたさと同時に飼料を食べさせられたと言う感情も消えない。
私はアノ頃から、幼い頃からしつこくて執念深い性格も持ち合わせているのでしょう。
当時でもアメリカ船が入港したなら、港には敢えて行かなかったし、給食のミルクが実は家畜の飼料と聞いた時の記憶は・・・
勝者の・もてるものの驕りを感じたし、子供ながらも「高楊枝」の振る舞いをした。
今回の中古品文房具寄贈のキャンペーンは趣旨は良いのだが・・・”無い”のだから何とかしなくてはいけない・・・でも自分の子ども時代の記憶が引っかかります。
中古品で良いのか・・・出来たら新品の方が良いのではないか?・・・どちらにしても与える方の優越感があってはいけない・・・
使いかけのサインペン、ボールペン、鉛筆・・・
私は箱の中に何も入れられませんでした。
寧ろ100円玉1つの方が良いのか?
代わりとってはおかしいけれど、、、手元に鋏が5本ある。
同じところで仕事をしていると、前任者の引継ぎとか誰かが私のところに忘れていったり、鋏・定規・ホッチキス・クリップ・ピンチの類が溜まってくる。
こういうものを捨てたり処分したりしないから結構溜まる。
鋏などは普段使っているお気にいりの鋏以外に5本も溜まっている。
ですから本来の趣旨とは違うかもしれないが寄贈箱に鋏みを本入れました。
(ホッチキスの場合針が消耗品なのできっと今回の趣旨には向かないでしょう)
さて、実際に現地で役立つだろうか?
貰った子供が喜んでくれるだろうか?
私の子供時代の記憶の残り方からすれば無理でしょうね。
マア寄付する方のささやかな自己満足?
ところで中古品を人にあげると言うと、私にはクセがある。
囲碁の本で、読んでみて気に入った・ためになる。分かり易い本だと思うと人に読んで欲しくなるクセがある。
だから「どうぞ読んでみて」と人にあげる・・・貰う人が本が買えないのではないのです・・・私が友人に読ませたい・・・そして「読み終わったら誰かにあげてください」と付け加える。
本にもいろいろあるでしょう
人から人の手に渡りながら大勢の人に読まれる本。
あるいは、ずっと側において置きたいような本。
囲碁の本で言うと「日本囲碁大系」のような大判の棋譜集などは持っていれば本棚に納めたい本。
でもそれと違って、繰り返し読むために持ち歩いたり、大勢で回し読みして、1周まわって来てまた読むような本もある。
難しいのは、人に薦めるときでしょう。
きっと、良かれとは思っていても”おせっかい”かも知れないし。
「是非読んでください」も受け取り方によっては「お前様もちゃんと勉強しなよ」とか「ここが足りないのではないのですか」みたいな偉そうな・・・
マア、そんなハードルを無神経に無視してしまいますが、実際は心の中では「誤解されませんように」と祈ってはいるのです。
そういう意味では鋏5本も同じこと。
本当に喜ばれるかどうかは送る側には分からない事なのです。