なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

見る目、考える眼

2008-08-03 16:30:18 | Weblog
 物を見る目とか人を見る目があるとか無いとか言いますが、ともかくカメラみたいに映像を取り込む機能と判断する機能があるということですね。
 時節柄スポーツ選手の例で言うと、高飛び込みの選手はしっかり着水面を見ているとか、月面宙返りの最中にも目を開けていて着地面を見ている・・・いや感じているのか。
 そして演技をイメージトレーニングで試合前におさらいするとか、一人の演技でも凄いのにシンクロ水泳とかシンクロの新体操では自分とチームの両方がイメージできないといけないのだろうか。
 ともかく世界で争う人たちのレベルは素人には想像できない。
 想像できないと言えば、プロ棋士は頭の中に碁盤があると言います・・・ですから電話でも碁盤上で起きたこと・起きなかったことの話が出来るのだそうです。
 こういう能力は・・・想像するに、修行時代の棋譜並べの繰り返しなどで出来るようになるのではないだろうか?・・・あくまでも素人の想像ですが。
 私の話はザルレベルの話

私が自分の視力に問題ありと自覚したのは、約10年前になります。
 娘の勉強を手伝っていて・・・3次元方程式の公式とか応用問題を見ていた時・・・いや見えなかったので気がついたのです。
 XとかYの右肩に小さく印刷されている数字が読めないので驚いた。
  それ以前にも碁盤の罫線が変形して見えたりして内心驚いたことはあるけれど、その場合見え方がおかしいのであって、見えないわけではなかった。
 一瞬何が起こったのか理解できなかったのですが、落ち着いて考えれば虫眼鏡で見れば見える・・・要するに老眼となっていたことに気がついてがっかり。
 これは近視と違って運転したり外を歩いたりするのには不自由が無いから気がつかなかったのです。
 新聞や本を読むときに、やや見ずらい点があったとは思うのだけれど、実際には見えていないところを勘で補っていたかも知れません(自然に勘で補うという機能があるかも知れません)。
 今でもパソコンの画面の10ポイントサイズの文字は読めない・・・12は苦しい・・・14なら眼鏡無しで読めそう。
 尤もパソコンのキーボードで作業する時は、眼鏡無しでも打てないことも無いけれど霞のかかった世界なので気持ちが悪いので眼鏡を使用している。
 要するに本を読むとき、パソコンの画面を見る・キーボードを操作するなどは眼鏡が必需品。
 反対に車の運転・自転車・歩く時などは眼鏡はかえって危険、階段を下りるときはモッテノホカ。
 なので、仕事中も眼鏡をかけたり外したりが忙しい。
 パソコンの前で仕事をしているときは眼鏡をしていて、用事があって立ち上がって歩き出すときは眼鏡を外して手に持って・・・
 今は使用していませんが、一時眼鏡に紐をつけて首から下げて・・・まさにあのジイサマスタイルが必然なのです。

 そういうことで、ネットで検索したりする時は眼鏡は必需品、この文章を打ち込むのも当然眼鏡をかけて作業しています。
 ところが、ネット碁を打つときは眼鏡を外す。
 外さなくては打てないということではないけれど、眼鏡をはずしたくなる。
 多分・素人考えだけれど、細かな物を見たり距離の近いところを見るのには老眼鏡が必要、しかし目から入ったデータを考える時は眼鏡は必ずしも必要ではない?
 それは自分で打つときは勿論ネット観戦でもそうですね
 そしてリアルの場合も同じ・・・マアこの場合は盤とか石の大きさからいって眼鏡は必要ではないけれど、ともかくかけたくない
 パソコンの画面サイズの碁盤・石なら眼鏡は無くても判断できる。
 石の位置、ハマの数を間違えることはありませんからとりあえず眼鏡は不要で、着手を考える時は不要と言うより「うっとうしい」感じがする。
 ですから対局者リストを見て、エントリーして、対局者が決まって挨拶を交わすところまでは眼鏡・・・そして対局開始と同時に眼鏡を外すのです。
 眼鏡をかけていると何かを考えるのに障害があるかのような感じさえする。

 そういえばはるか昔、競馬場通いをしていた頃双眼鏡無しでも向こう正面の馬の動きや騎手の動きが分かるような気がしていた。
 蒙古の大平原で暮らす民族ではないから、いくら視力が良くても1.5くらいなものですから、本当に見えていたのか見えてはいないのに見えているように感じていただけかは分かりません。
 もしかしたらそういうことに似ているかも。

 リアルで碁を打つとき、碁盤の上に指をついて手を考える人が居ました。
 そこまでやるのはマナーが悪いし、相手にしては迷惑だし、もしかしたらルール違反かもしれませんが、ともあれそういう風にしなければ手を考えられないのなら視力に応じた眼鏡は必要かも知れません。
 しかし、考えることが頭の中でイメージで行うならば、実際にある物を見ているわけではないのですから眼鏡は不要ですね
 それでは頭の中では何を見ているのでしょう
  「碁盤の残像?」「碁盤のイメージ?」、、、