なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

見えない壁

2008-08-12 19:11:55 | Weblog
夕べの北京バドミントン、オグ・シオと対戦した中国ペアは強かった。
 スピード・パワーが別格でヘアスタイルからして、まるでどこかの軍隊と戦っている感じでした。
 加えてかなりのずるさも兼ね備えている。
 この辺りが、パーソナリティーなのか、国民性なのか分かりませんが、ここまでの強さがあったならば、そこまではやらないというのが・・・多分日本人的なんでしょうね。
 正々堂々ということではなく、「横綱相撲」的ながっちり受けて立って、万全の体勢で寄り切ることに美学を感じるだろう。
 策を弄するのは、実力で劣る方の戦法みたいな感覚です
 しかし、中国の体操のエースが話していたように、「オリンピックでは強いから勝つのではなく、勝ったものが英雄になれる」ということなんでしょう。
 だから、現時点のランキングなど関係なくなりふり構わない・・・
  そして桁外れに強い・・・しかし、残念なジャッジがあった。
 オグシオが必死に頑張っている時に、明らかなアウトのシャトルがインの判定
 それは1本の判定ぐらいで精神的に影響を受ける方が弱いと言えばそのとおりだけれど、国民上げての大声援と、それにおもねるようなジャッジがあったのでは、これは堂々の勝負と言えるだろうか、、、あのペアが強いだけに残念な気がする。
 もう一組のランキングナンバー1のペアが大番狂わせで破れてしまったので、残りの選手にどんなことがあっても金メダル獲得の指令が出ているのでしょうね。
 そういうムードを感じた。
 もっとも実力ナンバーワンは夕べの中国ペアでしょうね。
 普通にやれば別格だからランキングがおかしい・・・何か作為があるのだろう

 ところでいつも感じるのですが、「勝った負けたで一喜一憂」するのは良いとして、スポーツそのものが見えていないのではないのだろうか。
 どんなによいプレーをしても自国以外は知らん振り・・・いや日本をやっつける国には大声援ですが・・・
 この国は経済的に大成長しているのに、まだ気持ちには余裕が無いのでしょう。
 昔の「大陸的な鷹揚さ」というか「大人気質」みたいなものを感じないのはどうしたことでしょう。
 マア日本も冷静な実力分析と関係なく「メダル狂想曲」では似たようなものかも知れませんが、どこかで「勝負」と「応援」「結果」を分けて考えてはいるように思う。

 そのような意味では私などのレベルのザルが、勝った負けたと一喜一憂しながら打っているのと一面似ているところはあります。
 但し個人レベルで、似たもの同士の集まりみたいなところがあるから、さしたる罪は無いでしょう。
 相手の明らかなミスで拾った碁でも勝てば嬉しいし、負けた碁は実力ではなくて運で負けたと嘯いて・・・
 まるでイソップ物語の世界でもある
 それでも判定で勝敗が左右されることが無いから、心のどこかには負けは全て実量の結果だと受け入れる気持ちはあるわけです。
 しかもネットなら、相手の家族の大声援など聞こえてこないのです。
 たまにはチーターという異人種に出会うことはありますが、マア特定の民族ではなくてどこかにはいるものに運悪く出会ってしまったと言うことでしょう。

 ところで、現在の囲碁の調子は良いらしい・・・「らしい」と言うのは謙遜ではなく、単なる結果・状況かもしれないので。
 ともかく後7点で自己MAXに到達する
 丁度、コミ分で考えると常先くらいの位置
 アマチュアのザルレベルではこの程度の差など有ってないようなものではあるのですが、実はここからが大変。
 ここまでは良い波に乗れば来れるのだけれど、ここからは単に波に乗るだけでは越えられないのです。
 いつも感じている序盤の不味さ、時に釣り込まれるように悪手を打ってしまう軽率さ、、、更に「簡明」だけではこの先は越えられないのか・・・
 私にはこの壁を乗り越えられる力がついているとは感じられないから、また今度も撥ね返されるに違いない。
 足りないところが分かっているようで実は分かっていないのかも知れない。
 だからまた、(自分の)歴史は繰り返す。