なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

情けはひとのためならず?

2008-08-31 15:37:04 | Weblog
 本当は昨日「情けはひとのためならず」と言う話をしようと思ったら、「やぶさかではない」で引っかかってしまいました。
 さてこれは余りにも有名だし(イヌボウかるたにもありますよね)、近年間違った解釈も有名・・・
 まずは正調から行くと「人に良いことをすれば、回り回って自分に返ってくる」ですから、「功徳を積む」みたいな感じでしょうか。
 間違ったと言うか、近年の捻くれた解釈では「人のためと思って助けても、本人の自立を妨げるなど、必ずしも良いことではない・・・従って助けない方が良い場合もある」・・・こんなところでしょうか。
 間違った解釈はには必ずしも賛成は出来ませんが、時には「どちらの情け・・・?」か唸りたくなるときもある。
 人の援助を当然のこととしていたり、はじめから織り込み済みとか、逆に催促されたり、助け甲斐がないというか・・・マアこれらは言葉の解釈以前の問題でしょう。
 正調のほうなんですが、個人的にはヤヤ臍曲がりでしょうか「回り回って自分の為」と言うところが嫌い。
 何かそこに計算された目的があるみたいに感じます。
 私はやはり結果的に人に感謝されるようなことであったとしても、「自分がそれをやりたいからやる」と言うところに拘りたい。
 ですから、報われるとか報われないとか関係の無いことで、自分がそうしたいかどうかが問題。
 勿論「人を喜ばせる」も「誰かを守る」もありなわけです。

 そういえば昔100人余りの、余り大きくない会社に勤めていた頃、私は相当思い切った言いたい放題の社員でした。
 勿論自分のためではなくて、数少ない自分の部下が不利益を受けないためには、すぐに前面に出てしまう。
 相手は社長とか総務・経理部長・・・どちらも囲碁ファンで
  当時社長とは向こう4子、部長には向こう6子
 私はまだ若かったから「言いたい事を言うひよこ」だったかも知れませんが、ともかく「そうしたかった」
 出世・昇進を考えたら控えめの方が良かったはず・・・少なくとも自分のためにはなっていない。
 
 そういえば、その頃から「ザルだけれど、家族で生活が出来て、碁が打てる生活ならそれでいいじゃない」だったから、リターンなど何も期待するものが無かったのです。
 それで、「ひとのためならず」の部分・・・勿論何のご利益も無いけれど、それは初めから考えていないことなのでそれで良い。
 では諺の「ひとのためならず」は間違いか、あるいは私に関しては例外だったか・・・私は自分の気付かないところで他人に迷惑をかけているかも知れないので、どこかで相殺されているかも知れない。
 と言うことならば、、、自分のためになっている?。