なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

寂しい話

2008-08-06 17:06:46 | Weblog
先日の赤塚不二夫さんの訃報は二重・三重に寂しいですね。
 少年マガジンで連載された「おそ松くん」は丁度私の学生時代とダブります。
 首都圏にある大学ですが、当時はかなりローカル色があって、歩いて15分くらいで植物採集の練習が出来る雑木林などがあったのですから・・・その森の中には貝塚もあったり。
 植物採集=食べられる野草採集だったり・・・、生まれて初めてタラの芽を採集して食べたり、野生化した三つ葉を集めたり山芋など掘ったりしたのもこの雑木林のおかげ。
 ともかくそういう時代で、たいていの学生は学食などで昼食を取るのですが、私は裏門を出たところにある駄菓子屋専門。
 パンとコーラを買って、その家の縁側で売り物の少年マガジン・少年サンデーを見るのが昼の日課。
 当時連載されていたのが「六つ子」のおそ松君とか天才バカボン

 
 学生時代の思い出は「ギャグ漫画」と「学園闘争」の比率が大きい
  赤塚さんは享年72だとか・・・ほぼ1回り違いです。
  「まだ早すぎる」という感じだし、自分自身もそういう年令に近づいていることを実感する。
 先輩連中が元気でいてくれないと、順番が早く回ってくるような気がします。
 
 ところで、学生時代1年生の時から、工学部の4年生グループとか法律・経済の2年生グループに可愛がってもらっていた・・・いや雀荘の仲間に入れてもらっていただけで、弟分というか、、
 同じような仲間に薬学部の先輩がいて、彼の綽名が「チビ太」
 見た感じは「イヤミ」を小さくした感じですが、性格と言うかイメージは「チビ太」・・・そしていつの間にか通称チビ太で通っていた(近くの雀荘の間ですが)、、、後輩の私が綽名で呼ぶと「お前にはそう呼ばれたくない」と怒ったものです。
 「チビ太」と最初に命名したのは建築科の先輩・・・実は彼はイヤミを大きくした感じ・・・まるで赤塚ワールドでした。
 皆同じ大学ですが学部・学科が違い、雀荘だけでの付き合いですから卒業後の音信はありません。
 でも今回の赤塚さんの訃報で、もしかしたらあの時代のことをチラッと思い浮かべているのではないだろうか・・・

 さて、”大昔”縁側でお昼を食べた駄菓子屋さんですが、数年前に通りかかったらすっかり様変わりしていた。
 道も整備されて車の通りも多かったし、駄菓子屋ではなくて今風のビッグチェーンのコンビニなっていた。
 経営者が同じかどうかは分かりませんが、、、昔はバアサマと嫁さんでやっていた。
 時代は変わるのですから、ソレも時の流れでしょうね。
  私自身、風の吹くまま、時の流れに流れ流れて生きているようなものですから

 今日のネット碁の一局
 結果オーライの○ですが、例によって内容が「おそ松」
 白番で地合いややリードの中盤で黒さんの勝負手にシノギの場面。
 途中状況不明の戦いになりかかった。
 そこのところが「読めていない」し「読もうとしていない」ところがある。
 困った場面に追い込まれてから腰を据えて読んでいる・・・
 結果は白に決定的な破綻が来なかったので中押しとなりましたが、局後読み直すと「何故この手に気がつかなかったんだ」というような手を読んでいない。
 「安全」で「お得」な手なのに・・・もっとも普通な手筋なのに
 もう少しで「後で気がつく○○○」になるところでした。
 メイエン先生の言うように「どう打っても勝ち」というものは殆どなくて、実際は「必勝コース」しかない。
 今回は運が良く「単純・明快必勝コース」を外したのに、「難解・ゴリ夢中コース」でゴールにたどり着きました。
 いつもシンプル・イズ・ベストと考えているはずなのに肝心なところで外れました。
 勝率は5割でも、「勝ちに入った時はカンヌキがかかったように外さない」・・・そういうスタイルを目指しているのに情けない話です。