今朝は古女房殿の「今日はお休みですか?」の声で目が覚めました。
言葉の頭に「あなた」がつけば満点に近いのだが、結婚以来一度もそれを聞いたことが無い・・・マア、友達夫婦の走り見たいなものだからそういうものは一切無し。
結婚当初はお互いに呼び捨てだったのだけれど、私の両親兄弟の手前多少の遠慮があったか名前の下に「さん」がオマケされた。
子供でも目の前にいれば「お父さん」がつくこともあるけれど、今は老夫婦二人だけだから、呼び捨てもない代わりに”さん”も無し。
ですから会話にお互いの目的語「Yoo」が無いのです。
起こされながらそんなことを考えているのだから、案外長生きが出来そうですね。
ボンヤリした頭では「何故そんなことを聞かれたのか」理解できていないから、目は醒ましたものの、心は醒めていません。
最近は朝寝坊と言うものはめったに無い・・・寧ろ早く目が醒めるのですから、自分に朝寝坊という意識が麻痺していた。
高校の頃なら朝起きるのが7時50分くらいで、8時20分に教室に到着するかどうかの真剣勝負を毎朝繰り返していたので、寝坊しつつその意識は頭のどこかにあったはず。
教師が朝教室に到着するのが早いか、階段で追い抜くことが出来るかの勝負・・・これが勝率5割・・・要するに半分遅刻。
それでも何とか授業には間に合っていたから、授業時数は足りていた。
但し遅刻チャンピオンだから校長先生に母が呼び出しを受けたり・・・多分「家での生活指導」だったはずですが、母は先生の話を私には一言も言わなかった。
すでに諦めていたのか、見放していたのか・・・母の神経が太かったのか?
ともかく今はこういう事が嘘みたいに朝目が醒める。
私:「今日は何曜日?」(全く何曜日かも分かっていない)
「火曜日ですよ」
私:「今何時?」
「7時半です」
やっと大寝坊したことに気がついて『どうせ声を掛けるならもう15分早ければ良いのに』と言う言葉が頭を過ぎりましたが・・・口に出していえるほど度胸は良くない。
口出したところで、私が負ける場面しか思い浮かばないし、平和を保つ意味でも沈黙が肝要。
「自分で起きられなかった私が悪い」ですから、超特急で委託にかかる。
もっとも、寝坊ではあるけれど、顔を洗って髭を剃って、牛乳とトマトジュースくらいは飲める時間はある。
ともかくいつもより5分遅れで出発・・・これで5分遅れですから普段は朝からゆったりしているのですね。
後は自転車通勤ですから、自分の脚力次第。
元々余裕たっぷり通勤ですから5分遅れは問題なし・・・でも
いつも追い抜く人と、追い抜く場所が違う、すれ違う人とすれ違う場所が2,300メートル手前。
時間はいつもより5分違うのだから当然だけれど、それなのになんだか不安。
つまり、ペースがいつもと違う。
いつもの時間に家を出て、いつものスピードで自転車で走り、いつもの人にいつものところですれ違う・・・こういうものがペースなんでしょう。
ここ7年間のうち5年以上はこの時間に、このペースで走っているのだから体に染み付いたものがあるに違いない。
そういうことを拡大解釈すると、、、囲碁はザルとは言え初級の頃からの通算は40年近く打っているはず。
碁会所初段ですが、ザル初段から数えても30年にはなる。
ですから、染み付いてしまったものも多いに違いない。
中には良いこともあるでしょうが、感心しないこと・悪いこともあるはずで、しかも染み付いてしまっているから善悪が自分で自覚できなくなってると想像できる。
そうに違いないのですが、ザル仲間には同じ「しみつき」があるので、指摘するような感覚は鈍いはず。
それに自信を持って他人に意見を言える?事は少ないし、マア消極的ではある。
ですから、たまには高段者に打ってもらわないといけないですね・・・プロならもっと良いかもしれない。
最近はネット碁ばかりですから、同じレベルの人ばかり・・・それが悪いのでは無く、そればかりではいけないのでしょう。
対策は今までと違うことをするだけですね。
窓を開けて風を通すのに似ているでしょうか。
すぐに考え付くのは
K畑師匠がいつもいる囲碁センターに行って打ってもらう。
最近ネットのHPに出てくる囲碁センターに行ってみる・・・ここにはプロがいるはずだし・・・自宅近くから電車で4駅程度だし。
昔の老師(本当は女性プロ)にどこかで出会ったら(同じ市に住んでいるはず)指導をお願いする。
「寝坊」から考えることがあったのだから「寝坊」も無駄ではなかったか?
本当はただの夜更かしによる朝寝坊、老人性の目敏さより体力の無さが上回っただけです。
言葉の頭に「あなた」がつけば満点に近いのだが、結婚以来一度もそれを聞いたことが無い・・・マア、友達夫婦の走り見たいなものだからそういうものは一切無し。
結婚当初はお互いに呼び捨てだったのだけれど、私の両親兄弟の手前多少の遠慮があったか名前の下に「さん」がオマケされた。
子供でも目の前にいれば「お父さん」がつくこともあるけれど、今は老夫婦二人だけだから、呼び捨てもない代わりに”さん”も無し。
ですから会話にお互いの目的語「Yoo」が無いのです。
起こされながらそんなことを考えているのだから、案外長生きが出来そうですね。
ボンヤリした頭では「何故そんなことを聞かれたのか」理解できていないから、目は醒ましたものの、心は醒めていません。
最近は朝寝坊と言うものはめったに無い・・・寧ろ早く目が醒めるのですから、自分に朝寝坊という意識が麻痺していた。
高校の頃なら朝起きるのが7時50分くらいで、8時20分に教室に到着するかどうかの真剣勝負を毎朝繰り返していたので、寝坊しつつその意識は頭のどこかにあったはず。
教師が朝教室に到着するのが早いか、階段で追い抜くことが出来るかの勝負・・・これが勝率5割・・・要するに半分遅刻。
それでも何とか授業には間に合っていたから、授業時数は足りていた。
但し遅刻チャンピオンだから校長先生に母が呼び出しを受けたり・・・多分「家での生活指導」だったはずですが、母は先生の話を私には一言も言わなかった。
すでに諦めていたのか、見放していたのか・・・母の神経が太かったのか?
ともかく今はこういう事が嘘みたいに朝目が醒める。
私:「今日は何曜日?」(全く何曜日かも分かっていない)
「火曜日ですよ」
私:「今何時?」
「7時半です」
やっと大寝坊したことに気がついて『どうせ声を掛けるならもう15分早ければ良いのに』と言う言葉が頭を過ぎりましたが・・・口に出していえるほど度胸は良くない。
口出したところで、私が負ける場面しか思い浮かばないし、平和を保つ意味でも沈黙が肝要。
「自分で起きられなかった私が悪い」ですから、超特急で委託にかかる。
もっとも、寝坊ではあるけれど、顔を洗って髭を剃って、牛乳とトマトジュースくらいは飲める時間はある。
ともかくいつもより5分遅れで出発・・・これで5分遅れですから普段は朝からゆったりしているのですね。
後は自転車通勤ですから、自分の脚力次第。
元々余裕たっぷり通勤ですから5分遅れは問題なし・・・でも
いつも追い抜く人と、追い抜く場所が違う、すれ違う人とすれ違う場所が2,300メートル手前。
時間はいつもより5分違うのだから当然だけれど、それなのになんだか不安。
つまり、ペースがいつもと違う。
いつもの時間に家を出て、いつものスピードで自転車で走り、いつもの人にいつものところですれ違う・・・こういうものがペースなんでしょう。
ここ7年間のうち5年以上はこの時間に、このペースで走っているのだから体に染み付いたものがあるに違いない。
そういうことを拡大解釈すると、、、囲碁はザルとは言え初級の頃からの通算は40年近く打っているはず。
碁会所初段ですが、ザル初段から数えても30年にはなる。
ですから、染み付いてしまったものも多いに違いない。
中には良いこともあるでしょうが、感心しないこと・悪いこともあるはずで、しかも染み付いてしまっているから善悪が自分で自覚できなくなってると想像できる。
そうに違いないのですが、ザル仲間には同じ「しみつき」があるので、指摘するような感覚は鈍いはず。
それに自信を持って他人に意見を言える?事は少ないし、マア消極的ではある。
ですから、たまには高段者に打ってもらわないといけないですね・・・プロならもっと良いかもしれない。
最近はネット碁ばかりですから、同じレベルの人ばかり・・・それが悪いのでは無く、そればかりではいけないのでしょう。
対策は今までと違うことをするだけですね。
窓を開けて風を通すのに似ているでしょうか。
すぐに考え付くのは
K畑師匠がいつもいる囲碁センターに行って打ってもらう。
最近ネットのHPに出てくる囲碁センターに行ってみる・・・ここにはプロがいるはずだし・・・自宅近くから電車で4駅程度だし。
昔の老師(本当は女性プロ)にどこかで出会ったら(同じ市に住んでいるはず)指導をお願いする。
「寝坊」から考えることがあったのだから「寝坊」も無駄ではなかったか?
本当はただの夜更かしによる朝寝坊、老人性の目敏さより体力の無さが上回っただけです。