一昨日、駄洒落を大学で教えると言う話をしました。
大学もくだけてきたというか、駄洒落もひとつの文化として認められたと言うか・・・でも反面”教える”という形が寂しい。
こういうものは、教わるのではなく、学びたい・身に着けたい人が勝手にやるものでしょう?
手取り足取り教わると言うか、昔の職人みたいに学び取る類だと思う。
でも、教えると言う部分も必要なのかな?
昔、小学生の頃、校長先生が朝礼の挨拶で「○○するのにやぶさかではない」と言いました・・・これは今でも鮮明に覚えています。
なぜかというと、その頃の言語知識では「やぶさかではない」の意味が分からなかったのです。
いや、今でもはっきりと分かったとは言いがたい・・・それは、年令なりに実際の使用例に接していますから意味は通じますが「やぶさか」の語源みたいなものが分からないのでスッキリしない。
従って自分では決して使わないボキャブラリーです。
そういうことでは、昔どこかの大学の先生の話で(多分ラジオ番組だったか)
どこかの入社試験だったか、試験に「やぶさかではない」と言う言葉を使って短い文章を作りなさいと言う問題を出したところ、最高の珍回答は「あなたは藪坂さんですか?、いえ私は藪坂ではありません」!!!
まさに私の少年時代と同じレベル
脱線ついでに英語の試験で、武器と言うのはarmです・・・ですから「武器よさらば」と訳さなくてはいけないところを「腕よさらば」・・・ブラックジョークにはなるかも知れませんが、やはり正解とはならないでしょう。
もっとも私が学生時代お世話になっていた生物生態の先生の試験なら”可”くらいはもらえそうです。
と言うのも件の先生のある時の試験の問題はたった1問・・・これを回答時間2時間に藁半紙1枚くらい書いても良い・・・
それで問題は「人類にとって進化とは何か」
とても大きな問題であるし、生物生態学の立場から何か回答を要求されているように感じます。
ですから学生は四苦八苦して・・・
しかしこれには模範解答のようなものは無かったのです・・・(実は受講の学生に内緒で先生に教わった)
かの先生曰く「そんなに簡単に分かってたまるか」ですから、解答用紙に「わかりません」とかいても正解。
勿論時間一杯使って、必死に回答を書いた人も努力賞。
マア白紙での提出はダメです・・・
ところで先日は雨の合間を縫って書類を届けに自転車で走りまして・・・約片道15分ですから事務服のままですし、胸には写真入の名札をつるしています。
見るからに近所の事務所のオジサンです。
道の途中で年配のオジサン(おじさんは年配に決まっていますが)が自転車の私に会釈・・・まあ、何か用事でしょうから止めます。
「あの、○○アリーナはこの近くでしょうか?」有名な施設なので知っています
「ハイ、もう一区画向こうです。歩いて5分くらいでしょう」
そして,もう少し走っていくと、今度は向こうから小走りの年配の女性が、知り合いの人に訊くみたいに、走りながら「○○アリーナはこの先ですか?」
とっさに「そうですよ、真っ直ぐ行って、大きなとおりを越したら左にあります」、急いで答えた割にはなかなか分かり易いはず。
それにしても道を訊かれやすいキャラなんだろうか?
この二人に限らずよく道を訊かれる。
外国人にも訊かれることが多い・・・まさか外国語を理解できそうな顔と言うのではないだろう。
マア、ブロークンの度胸勝負なら何とかなる?・・・それでも苦しければジェスチャーでも紙と鉛筆だって使います。
ともかく人の役に立てるのは嬉しい・・・そのくらいしか役に立たないと言うのが本当の所です。
[追伸]
今日のBS「囲碁将棋ジャーナル」を見ていたら、「知能オリンピック」出場の選手が紹介されていました。
囲碁を始めチェスなど5種目なんだそうです・・・囲碁とチェスの他は何でしょうね?
そして囲碁も男女別にプロの団体・個人・ペアとアマのペアなどあるからかなり大規模です。
ボンヤリと「知能オリンピック」と言うフレーズが頭に引っかかっていましたが、やはり本当にあったのですね。
これだけ大規模にやろうとしているのだから、中国政府は「国家の威信」として相当な自信を持っているのでしょうね・・・オリンピックでの歓声とブーイングを思い出すとそう思います。
囲碁に関しては中国と韓国の争意でしょう・・・
大会は嬉しいし楽しみですが、スポーツに続きここでも「国」「国家の威信」が顔を出すのはイヤですね。
ところで日本の囲碁人口が、(根拠は知りませんが)300万人だとすると、国の約2.5%・・・この数字は多いのか少ないのか。
今、囲碁界で世界での地位が落ち目なのは、この底辺の問題なのか、それともトップレベルに何か問題があるのか・・・あるいは両方か、それともその他の理由があるのか?
きっと、この大会後こういう問題が取り上げられるのではないだろうか?
トップ部門はともかく、底辺拡大策に学校教育で取り上げるきっかけにならないだろうか・・・子供の脳の活性化に。
大学もくだけてきたというか、駄洒落もひとつの文化として認められたと言うか・・・でも反面”教える”という形が寂しい。
こういうものは、教わるのではなく、学びたい・身に着けたい人が勝手にやるものでしょう?
手取り足取り教わると言うか、昔の職人みたいに学び取る類だと思う。
でも、教えると言う部分も必要なのかな?
昔、小学生の頃、校長先生が朝礼の挨拶で「○○するのにやぶさかではない」と言いました・・・これは今でも鮮明に覚えています。
なぜかというと、その頃の言語知識では「やぶさかではない」の意味が分からなかったのです。
いや、今でもはっきりと分かったとは言いがたい・・・それは、年令なりに実際の使用例に接していますから意味は通じますが「やぶさか」の語源みたいなものが分からないのでスッキリしない。
従って自分では決して使わないボキャブラリーです。
そういうことでは、昔どこかの大学の先生の話で(多分ラジオ番組だったか)
どこかの入社試験だったか、試験に「やぶさかではない」と言う言葉を使って短い文章を作りなさいと言う問題を出したところ、最高の珍回答は「あなたは藪坂さんですか?、いえ私は藪坂ではありません」!!!
まさに私の少年時代と同じレベル
脱線ついでに英語の試験で、武器と言うのはarmです・・・ですから「武器よさらば」と訳さなくてはいけないところを「腕よさらば」・・・ブラックジョークにはなるかも知れませんが、やはり正解とはならないでしょう。
もっとも私が学生時代お世話になっていた生物生態の先生の試験なら”可”くらいはもらえそうです。
と言うのも件の先生のある時の試験の問題はたった1問・・・これを回答時間2時間に藁半紙1枚くらい書いても良い・・・
それで問題は「人類にとって進化とは何か」
とても大きな問題であるし、生物生態学の立場から何か回答を要求されているように感じます。
ですから学生は四苦八苦して・・・
しかしこれには模範解答のようなものは無かったのです・・・(実は受講の学生に内緒で先生に教わった)
かの先生曰く「そんなに簡単に分かってたまるか」ですから、解答用紙に「わかりません」とかいても正解。
勿論時間一杯使って、必死に回答を書いた人も努力賞。
マア白紙での提出はダメです・・・
ところで先日は雨の合間を縫って書類を届けに自転車で走りまして・・・約片道15分ですから事務服のままですし、胸には写真入の名札をつるしています。
見るからに近所の事務所のオジサンです。
道の途中で年配のオジサン(おじさんは年配に決まっていますが)が自転車の私に会釈・・・まあ、何か用事でしょうから止めます。
「あの、○○アリーナはこの近くでしょうか?」有名な施設なので知っています
「ハイ、もう一区画向こうです。歩いて5分くらいでしょう」
そして,もう少し走っていくと、今度は向こうから小走りの年配の女性が、知り合いの人に訊くみたいに、走りながら「○○アリーナはこの先ですか?」
とっさに「そうですよ、真っ直ぐ行って、大きなとおりを越したら左にあります」、急いで答えた割にはなかなか分かり易いはず。
それにしても道を訊かれやすいキャラなんだろうか?
この二人に限らずよく道を訊かれる。
外国人にも訊かれることが多い・・・まさか外国語を理解できそうな顔と言うのではないだろう。
マア、ブロークンの度胸勝負なら何とかなる?・・・それでも苦しければジェスチャーでも紙と鉛筆だって使います。
ともかく人の役に立てるのは嬉しい・・・そのくらいしか役に立たないと言うのが本当の所です。
[追伸]
今日のBS「囲碁将棋ジャーナル」を見ていたら、「知能オリンピック」出場の選手が紹介されていました。
囲碁を始めチェスなど5種目なんだそうです・・・囲碁とチェスの他は何でしょうね?
そして囲碁も男女別にプロの団体・個人・ペアとアマのペアなどあるからかなり大規模です。
ボンヤリと「知能オリンピック」と言うフレーズが頭に引っかかっていましたが、やはり本当にあったのですね。
これだけ大規模にやろうとしているのだから、中国政府は「国家の威信」として相当な自信を持っているのでしょうね・・・オリンピックでの歓声とブーイングを思い出すとそう思います。
囲碁に関しては中国と韓国の争意でしょう・・・
大会は嬉しいし楽しみですが、スポーツに続きここでも「国」「国家の威信」が顔を出すのはイヤですね。
ところで日本の囲碁人口が、(根拠は知りませんが)300万人だとすると、国の約2.5%・・・この数字は多いのか少ないのか。
今、囲碁界で世界での地位が落ち目なのは、この底辺の問題なのか、それともトップレベルに何か問題があるのか・・・あるいは両方か、それともその他の理由があるのか?
きっと、この大会後こういう問題が取り上げられるのではないだろうか?
トップ部門はともかく、底辺拡大策に学校教育で取り上げるきっかけにならないだろうか・・・子供の脳の活性化に。