なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

勝負のスタンダード?

2008-08-15 18:12:25 | Weblog
 夕べの男子バレーの中国戦では熱戦の末敗れたのは残念だけれど、マア勝負だから勝もあれば負けもあると言うことで仕方が無いとは思う。
 それでも後味が悪いと言うか、なんだかお笑いネタみたいで哂ってしまう事もありました。
 あまりしつこく言うと「負け犬の遠吠え」、日本のことわざでは「ひかれ者の小唄」、中国なら「敗軍の将兵を・・・」だろうが、、、
 本当に勝負に関するインターナショナルスタンダードはソレだろうか???
 昨夜私がTV観戦で、プレイの他に気がついたことがある。
 例えば中国の選手がスパイクを打ったとしましょう・・・この時日本のコートの後ろに控えているラインズマンは必ず手のひらを旗の先につけてワンタッチの判定か、もしくは旗を斜め下に向けて”イン”の判定を意思表示する。
 明らかにノータッチあるいはアウトでもお構いなし・・・こういうことを恥ずかしげも無く繰り返す事が出来る神経・・・ソレがパーソナリティーなのか、民族性なのか、あるいはどこかの筋からの指示なのか・・・あまりにワンパターンなので笑ってしまいます。
 でも、ある時この恐さに気がついた。
 例えば、明らかな判定間違いだから主審はこのラインズマンの判定を無視あるいはオーバーコールするのですが、もしも主審からも判定しにくい場合は一番近い場所にいるラインズマンの判定の影響力は大きいでしょう。
 ソレが近くで見ていた事の正確さなのか、ワンパターンの判定なのか・・・
 ソレと、主審としてもこういう判定を繰り返す「ジャッジ力」よりも「その意志が何処から来ているのか」考えてしまうだろう。
 心理的プレッシャーをかけ続けているという事にならないだろうか?
  ソレと、もう一つ「オヤッ?」と思った場面がありました。
 これは日本選手がスパイクして、中国コートに落ちた場面。
 落ちた場所が微妙ということは無いと思うのだけれど・・・
 この近くのラインズマンは”イン”のサイン。
 この時、近くにいた中国選手がラインズマンをチラッと見た・・・ような気がする。
 判定を確認したのではなく、ジャッジを下した人の顔を「チラッと見た」ように思う。
 もしその場面に勝手に吹き出しで台詞をつけるなら「おいおい、そんな判定をして良いのかな?」という台詞がピッタリな感じ。
 マア私のゆがんだ心が、映像をゆがんだ形で受け取っているだけかもしれませんが・・・これは本心ではない。
 
 ともあれ何が何でも勝ちたいというアンフェアな試合態度、、、アンフェアな審判、、、見方への応援ではなくて相手を威嚇・けなす態度。
 当然大多数の選手は懸命に頑張っているのだけれど、「悪貨は良貨を駆逐する」心配が大きい・・・特に国の「威信」などという物をかざすと。
 これが勝負のスタンダードだろうか?
 こういう大会はやるべきではないですよね。
 これから中後半に入っていくのだけれど、、、

 私レベルの碁では国の威信も何も無いから、、、単に勝った負けたと可愛いものです。
 勝ったからといってメダルはもらえませんが、負けたからといって誰かの期待を裏切ることでもない。
 それでもチーターみたいな人はいるが、ほんの一握りの異人種でしょう。
 一生懸命頑張るけれど、負ける時はきれいに負ける事・・・
  
 スポーツをやる人=爽やかなスポーツマンなんていうのは大間違いらしい。
 あるいは、基本的にはそうなんだけれど、オリンピックではそうは言ってられないのだろうか?
 そういうオリンピックならどれほどの価値があるのだろう?