なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

恐いもの見たさ

2008-08-26 17:29:24 | Weblog
 今年はオカルト番組を見ずに夏が終わりそうです。
  例年ですと、私が居間のTVでこの種の番組を見始めると、気の小さな息子はスーッと自分の部屋に引っ込み、女房殿は台所仕事に立って行ったものですが、今年の夏はオリンピックの影響か・・・私がスポーツ以外の番組に手が回らなかったと言うこともありますが、見ずに夏が行く。
 マア、遊園地のお化け屋敷に今年は行っていないという感じ
 異次元の存在を、見たことが無いので信じているわけでもないけれど、逆に全面否定するほどの信念も無い。
  心の中では「一度で良いから”ほんもの”を見たら”いる”事を信じられるのに」と思っているから、深夜にトイレに立つ時など”もしかしたら”と振り返ってみる。
 いや、本当に見たことが無いものがいたら、きっと絶叫・卒倒ものでしょうが、それでも振り返ってみたくなる。
 そういう点では、埋立で造成した土地の集合住宅・水洗トイレというのは清潔ではあるが、深夜の迫力は無いです。

 こういう話には、われながら軽薄ではあるが、落語の「お菊さん」の話に乗っていくようなところがある・・・この辺りは講談の調子とは違う。
 そういえば、昔月に2回くらい四谷方面に行く用事があった。
 まさに「お岩三」がまるられている所のすぐ側で、行き返り必ずそこの前を通ります。
 よくこの怪談話などを映画や舞台でやるときは関係者一同がお参りするはず。
 でも初めて通った時・・・「割とこじんまり」と言う印象。
 それに、有名な割には普通の家や事務所のある町の中にある・・・
 ということは「田宮某・・・」他関係者以外には祟らないのではないだろうか?
 そうでなければ近所に住めないですよね。
  あるいは、時代がたって祟るパワーが逓減してしまったか、祟るのに相手飽きたのか、、、あるいは今はいお休み?
 ともかく肝は小さいのだけれど「恐いもの見たさ」と言うところはある。
  夜中に出かけて「出たーッ!」と真っ先に逃げるタイプ。

 「恐いもの見たさ」と言うと悪い評価ですが、「好奇心が強い」と言えば多少持ち直し、「新しいものに積極的に取り組む」といえばかなり良いイメージでしょう。
 実際のところはこれに「意地」とか「痩せ我慢」が加わって微妙なブレンドです。
 子ども時代に兄弟や年上の従兄弟にオカルト攻めをされている時代、”恐がってばかりいたら尚更絶好のターゲットにされる”と言うこことが分かっていたから、必死の「平気顔」の抵抗をしたものです。
 そういう痩せ我慢的な心と、やはり恐いもの・珍しいものを見たいという気持ちもある。
 だから、囲碁の中盤の曲がり角・・・「切れば戦い必至」の場面で、好戦的ということのほかに、戦いを回避してその後勝負どころが無く・・・と言うのを恐れるし、戦いを避けた場合の局面の変化はある程度予想できるが、真っ向から戦った場合は「やってみなければわからない」部分もある・・・ザルですから尚更一寸先は闇のことが多い。
 そういう時、頭から闇の中に飛び込んでみたい衝動がある。
  度胸は無いけれど、「なに、命までとられるわけでもないだろう」
 無鉄砲と言うか、無分別と言うか、「恐いもの見たさでしょうか」