なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

変な勝負

2008-08-16 15:32:39 | Weblog
 勝負事というのは、どんなものでもともかく勝ちたいものです・・・普通は。
  いろんな生活の場面での賭け事?
 例えば次に向こうからやってくる車のナンバーの末尾の数字が偶数か奇数か・・・あるいは次に踏み切りを通過する貨物列車の車両の数が偶数か奇数か・・・いずれも丁半博打の変形ですが、テクニックも無ければ読みも無いタダの賭け事。
 そういうものなら、1対1のジャンケンの方がもう少し頭を使うでしょう。
 いずれにせよいろんなネタで賭け事をする・・・そんなことにまで賭けるなんてと思うものにまで。
 もしかしたら人は本能的に賭け事が好きなんだろうし、賭けていなくても勝つことが好きですね。
 一時やっていたTVCMで、通勤の人たちが先を争って歩く・・・公園の角などでショートカットして相手の前に出て、見えないところでいかにも嬉しそうにニヤッとする・・・相手を出し抜いて勝つことに喜びを感じるのですね。
 勝ったからと言って誰も褒めてくれないし、ましてや何の褒美も出ないのに

 ザル碁も似たようなものです。
 賞金も出ないし生活がかかっているわけでもない・・・逆に言えば負けても一向に家族に迷惑はかけないのですが。
 マア、多少不機嫌にはなりますが、分けも無く当り散らすなどということは無い・・・それだけ負けることに慣れていますから。
 逆に勝てれば嬉しい。
 勝ちたい、その為には強くなりたいと言うことの他に多少は”良い碁を打ちたい””良い碁を打てるようになりたい”もあるから、それなりに本を読んだり師匠に教わったり、人の碁を観戦したり、プロに教わったり。
 「良い碁」と一言に言ってしまいましたがいろんな切り口があるとは思います。
 例えば序盤からの組み立てなど、当然相手との相対的な関係があるから必ずしも思うようにはならないまでも、思い通りに近い進行で打てたか・・・
 強弱・巧拙はあるにせよ、自分なりに精一杯打てたかどうか、、、凡ミスはやらなかったか。
 相手との緊張感のある碁が打てたか・・・
 それで結果が良ければ尚良いわけです。
 そういう碁を打つに当たって、いや打とうとして基本的な心構えがある。
 勝利を目指して打つのですが、まずは「勝利を目指す」という事が最低条件です。
 勿論ルールの範囲内のことで、自分の持っている力を出すということで・・・
 対局に当たっては最善・最強を目指す・・・マア「目指す」のです。
 それが、自分にとっても相手に対しても最低のマナーだと信じている。
 ですから上手に教わる時は勿論、多子局の白番でも同じこと・・・最強・最善を考える(置かせ碁で”ムリヤリ勝に行かない”と言うのは別)
 ことさら言うまでも無く誰でも自然にやっていることでしょうが、それでも時として「オヤッ?」と思うこともあるのです。
 対局しながら隣の対局ばかりに気を取られていたり・・・まるで自分の相手は眼中に無いという態度にも見える・・・
 あるいは相手が打つと、すぐにポンと打ち返して・・・
 そういう時「真面目にやってよ」とイラツクか「そういう相手には勝ち易い」と内心ほくそえむか・・・
 私には前者の傾向が強いから、案外盤外作戦に引っかかり易い方だろう。
 ともかく全力に近い形でプレイするのが勝負の前提です。

 そういう意味では私の理解の範囲を越えている奇妙な碁がありました。
 嘗てのザル仲間でNさんという方が居まして、この人に気が合うのかMさんが好敵手。
 第三者的に見るとMさんはNさんに二つくらいのはずですが、両者のデスマッチではNさんの常先・・・マア両者の勝手ですが、これには分けがあることに後で気がつきました。
 と言うのは・・・
 序盤はたいていワンパターンの立ち上がり・・・人のことは言えませんが工夫とかを感じない。
 そして、早い時期にNさんが優位に立つように思える。
 それはそうでしょう、ハンデ違いですから。
 でもこういうことは良くある、、、親しい間柄で多少の棋力は無視して常先というのはあることです。
 でもそこからが、私の理解を越えていく。
 私の性格では最強・最善を目指さなければいけないのですから、チャンスがあれば決めに行かなくては行けない。
 きちんとした碁を打ちたいというか、勝利を目指してキチンと決めに行かなければかえって相手に失礼だと思う。
 ところがNさんは「決め所」で敢えて急所を外す。
  と言って自分が負けるように打つのではありませんが、勝負が長引く方向で打つ・・・つまり相手に「投げさせない」。
 このためにMさんの常先らしい。
 こういうときのMさんの心理も私には微妙に理解できない。
 「生かさず殺さず」・・・これは勝負をするものに屈辱的だから・・・即投了だと思うのですが、延々と対局は続く。
 要するにNさんにとってはMさんに最後まで打たせて数目勝つことを目指しているらしい。
 ではMさんにとっては、、、
 Nさんの意図を承知しつつ、最後に「数目」という結果を出させないことを目指しているらしい。
 だから、終局して以外の大差でNさんが勝っても、意図を外したMさんの勝みたいな。
 土日には両者の、こういう碁が何局も繰り返される・・・
  こういう事に楽しさを感じるなんて私の理解を越えているし、マナーも絶対的なものでも無いらしい。
 
 

勝負のスタンダード?

2008-08-15 18:12:25 | Weblog
 夕べの男子バレーの中国戦では熱戦の末敗れたのは残念だけれど、マア勝負だから勝もあれば負けもあると言うことで仕方が無いとは思う。
 それでも後味が悪いと言うか、なんだかお笑いネタみたいで哂ってしまう事もありました。
 あまりしつこく言うと「負け犬の遠吠え」、日本のことわざでは「ひかれ者の小唄」、中国なら「敗軍の将兵を・・・」だろうが、、、
 本当に勝負に関するインターナショナルスタンダードはソレだろうか???
 昨夜私がTV観戦で、プレイの他に気がついたことがある。
 例えば中国の選手がスパイクを打ったとしましょう・・・この時日本のコートの後ろに控えているラインズマンは必ず手のひらを旗の先につけてワンタッチの判定か、もしくは旗を斜め下に向けて”イン”の判定を意思表示する。
 明らかにノータッチあるいはアウトでもお構いなし・・・こういうことを恥ずかしげも無く繰り返す事が出来る神経・・・ソレがパーソナリティーなのか、民族性なのか、あるいはどこかの筋からの指示なのか・・・あまりにワンパターンなので笑ってしまいます。
 でも、ある時この恐さに気がついた。
 例えば、明らかな判定間違いだから主審はこのラインズマンの判定を無視あるいはオーバーコールするのですが、もしも主審からも判定しにくい場合は一番近い場所にいるラインズマンの判定の影響力は大きいでしょう。
 ソレが近くで見ていた事の正確さなのか、ワンパターンの判定なのか・・・
 ソレと、主審としてもこういう判定を繰り返す「ジャッジ力」よりも「その意志が何処から来ているのか」考えてしまうだろう。
 心理的プレッシャーをかけ続けているという事にならないだろうか?
  ソレと、もう一つ「オヤッ?」と思った場面がありました。
 これは日本選手がスパイクして、中国コートに落ちた場面。
 落ちた場所が微妙ということは無いと思うのだけれど・・・
 この近くのラインズマンは”イン”のサイン。
 この時、近くにいた中国選手がラインズマンをチラッと見た・・・ような気がする。
 判定を確認したのではなく、ジャッジを下した人の顔を「チラッと見た」ように思う。
 もしその場面に勝手に吹き出しで台詞をつけるなら「おいおい、そんな判定をして良いのかな?」という台詞がピッタリな感じ。
 マア私のゆがんだ心が、映像をゆがんだ形で受け取っているだけかもしれませんが・・・これは本心ではない。
 
 ともあれ何が何でも勝ちたいというアンフェアな試合態度、、、アンフェアな審判、、、見方への応援ではなくて相手を威嚇・けなす態度。
 当然大多数の選手は懸命に頑張っているのだけれど、「悪貨は良貨を駆逐する」心配が大きい・・・特に国の「威信」などという物をかざすと。
 これが勝負のスタンダードだろうか?
 こういう大会はやるべきではないですよね。
 これから中後半に入っていくのだけれど、、、

 私レベルの碁では国の威信も何も無いから、、、単に勝った負けたと可愛いものです。
 勝ったからといってメダルはもらえませんが、負けたからといって誰かの期待を裏切ることでもない。
 それでもチーターみたいな人はいるが、ほんの一握りの異人種でしょう。
 一生懸命頑張るけれど、負ける時はきれいに負ける事・・・
  
 スポーツをやる人=爽やかなスポーツマンなんていうのは大間違いらしい。
 あるいは、基本的にはそうなんだけれど、オリンピックではそうは言ってられないのだろうか?
 そういうオリンピックならどれほどの価値があるのだろう?
 

似たような心理?

2008-08-14 18:15:39 | Weblog
 私には他人様が当たり前に出来ることを苦手としているらしい。
 いや、”らしい”ではなくて”そう”なのです。
 その分人様が苦手にしていることをいともやすやすと出来るなら、プラマイ0と言うことで開き直れるのですが、そこのところは今ひとつはっきりしないので、まさに致命的な欠点みたいになる。
 例えば時間通りの確率の高い電車は待てるけれど、運行時間があやふやなものは待てない。
 自分自身に関する面倒な書類はその日延ばし・・・仕事に関するものは逆に猛烈に細かく調べる・・・
  ともかく、自分についてやらなくてはいけない事を放っておく性格?
 還暦の誕生日を過ぎてだいぶ経つのに「年金請求手続き」を投げ出していて・・・例によって女房殿からお尻を叩かれた。
 まるで叩かれるのを待っていたかのように・・・鞭が入らないと動かない性格ですから、鞭を振るう人が居ないと生活できないのかも。
 そこのところが「B型人間」のプロトタイプなのだと開き直る
  自分がやりたくない事・気が向かないことと言う判断基準優先で、そうでないものにはテコでも動かない・・・マア長年私を制御している女房殿にしてみれば単に「だらしが無い}だけなのです。
 だらしが無いのも血液型の影響にすると、娘も息子も皆B型・・・確かにオヤジに似ているところがある・・・但し私のお知り叩きかかりのバアサマもB型だからそこのところがやや血液型の信用度は落ちるかな。
 でももしたしょうでも当てはまるところがあるならば我が家は恐ろしい全員B!

 ともかく、お金に関わることなので何時までも放っておけないので社会保険事務所に行って来ました。
 その前に朝8時半、市の出先機関に寄って、戸籍謄本を取っていたのが間違いでした。
 いやこれも必要な書類ではあるのだけれど、手順の間違い。
 9時に事務所に着いたときには私の前に20人は並んでいる・・・
 先に順番(予約)を取ってから市のほうに行くのが正解でした・・・まるで大きな総合病院で診察順の順番取りみたいです。
 ともかく「年金特別便」関係の相談も多いのでかなりの混雑です。
 こうなれば、待合室の椅子に座って備え付けのTVで「甲子園」を見ながらひたすら待つしかない。
 自分の故郷のチームでもなく、応援しているチームでもないのですが、そんなことは言っていられない。
 ま、出来たら個人的には「甲子園」より「北京」あるいはなにかの「ドキュメント」が良いのでが、流石にあそこでチャンネルを切り替える勇気は無い。

 何でこんなに込むのだろうか?
 答えは簡単でした・・・団塊の世代が多いのですね
 そして時間の余裕がある世代だから、待つことに覚悟が出来ている
 中には夫婦で来所しているのですから
 ふと考えたのですが、私を含め皆今日中に用事が済むのなら・・・仮に皆がばらばらに来ればこんなに待たなくても良いのではないのだろうか?
 それでは、何故皆朝一番みたいにやって来る?
 多分朝「やらなくてはいけない事を片付けないと気持ちが悪い」のだろう・・・
 そういう私だってそうだ
 仮に午前中にネット碁を打って、昼食後ゆっくり出かけるとしたら・・・
 多分朝の混雑が一段落しているような気がしているのですが、まだ試していない
 それに、午後に出かける用事があるような状況で、多分落ち着いて碁を打てないのかも知れない。
 だからかなりの「待ち時間」で時間を空費したとしても、午後は囲碁三昧としたほうが落ち着くみたいなところがあります。
 尤も、安心して観戦しながら寝てしまう可能性は大きいのですが、それでも安心優先。
 皆多かれ少なかれそういう真理なんだろうな。

 似たような光景を見ました。
 市の出先機関が入っている建物の1階に「入国管理事務所」がありました。
 朝8時半前には、そこのシャッターが上がる前に多くの人が並んでいる。
 いろんな国の人、、、家族連れの人、、、
 皆朝早く着て事務手続きなのか、何かの審査なのか、、、社会保険事務所に並ぶ人よりは真剣表情です。
 ですから、こちらは単に手順の問題ではなく、切実な問題を解決するために朝から来ているのでしょう。
 マアそれでも、早く手続きを終えてすっきりしたいと言う真理には変わりが無いでしょう。

 私の手続き?
 今回の申請相談で足りない書類がはっきりしたので、次回は全部揃えて来週提出することにしました・・・さて今度は夕方近く行って見ようかな・・・時間切れ打ち切りなんていうのはあるだろうか?

格言の信用度

2008-08-13 17:40:11 | Weblog
「やまぎし」様コメント有難うございます。
 私も試合の放送の後でネットのニュース配信で観客の掛け声の意味を知って愕然としました。
 放送中は、「うるさい観客たちだな」とか「ポイントが決まってから拍手すれば良いのに」と感じていたのですが「シャー」とは愕然です。
 まるでカンフー映画の世界
 「五千年の歴史」って何だろうと思ったり、その昔長安(西安)は国際都市だったはずなんだけれどなどと思ったりしましたが、、、私が個人的に知っている人たちは皆良い人たちばかりだし、一くくりにして考えてはいけないんでしょうね、やはり。
 
 何と言っても私の囲碁の老師(=師匠、ラオシ)は牛力力先生で中国出身。
 妹のシェンシェン先生と一緒に来日されて、随分たくさん打って貰いました。
 もっとも「指導碁」などという日本的なテクニックは無いらしく、指導=容赦なく叩き潰されていたのです。
 まあ、もう少し良い言葉で言うと「鍛えられていた」。
 尤も、鍛え甲斐の無い弟子ですから未だにザルをやっていて、弟子の数の内に入っているかどうか心配です。
 牛先生は来日当初からきれいな発音で正しい日本語を話していて・・・弟子たちの方がスラング・ブロークンの日本語でした。

 ところで先日の「囲碁研究」の付録「思わず納得囲碁格言②」(中山典之六段)
 (牛先生の教室に何度か中山先生が来られたので、牛先生・呉先生のライターと言うイメージとともに、中山先生・梶原先生などと連想が繋がっています)
 付録の巻頭に信用度100%と言う”格言”が出ています。
 「上達したければ棋譜を書け」だそうです。
 これは信用度100%だそうです。
  確かに、自分の碁を打ちっぱなしにしないで、それを棋譜に書いておくことが出来て、且つ研究することを習慣に出来れば・・・
 私もザル仲間の中では自分の碁を記録する方ですが・・・今はネット碁など自動で記録されるのでついつい楽をしています。
 棋譜倉庫から取り出して振り返って自動再現しているだけ・・・やらないより良い程度だけれど、どれだけの差があるかは分かりません。
 ザル仲間は単に面倒なのか、あるいは「自分の棋譜に興味が無いのか」それとも「テレ」があるのか、並べない人が多い・・・
 そういう意味では「上達したければ・・・」の裏返しであるから「ザル」のままで不思議は無いのだけれど、私程度の棋譜の振り返りでは大差は無いということですね・・・
 ですから棋譜の自動振り返りでは書いていることにならないから「信用度100%」の範疇ではないと言うことでしょう
 
 例題みたいな問題の答えに「信用度%」がついています。
 格言そのものに変わったものは有りませんが、信用度が参考になるかも
1  大きい所に打て (95%)
2  敵が右ならワシャ左 (80%)
3  好機逸すべからず (90%)
4  攻防兼備に打て (90%)
5  石の方向を知れ (90%)
6  厚いと厚がりは大違い (60%)
7  ポンヌキ三十目 (51%)
8  敵の急所は味方の急所 (80%)
9  既着の石を泣かせるな (80%)
10 ヨセは2線 (80%)
11 要石、いただくべし (80%)
12 定石を覚えて二目弱くなり (60%)
13 次の狙いを持て (80%)
14 弱石作るべからず (90%)
15 碁は調和なり (90%)
16 ピンチの時がチャンス (70%)
17 サバキはツケよ (70%)
  信頼度の大きさを、何故そうなのか考えるのも面白いでしょうね
 ここでの私の一押しは何と言っても16番です。
 自分では普通に思っているのだけれど薄いらしい・・・髪は薄いですが。
 ともかく薄く早くで後は頑張って凌ぐ。
 ですから、当然相手はお灸をすえに来るから、ピンチは慣れっこ・・・こういう時「今がチャンス」と喜ぶような気分になる。
 マアそのまんまピンチのまま潰されることもあるけれど、ピンチで損をしないで凌ぐ、あるいは凌ぎながら相手の弱いところを突く・・・それが出来たら・密かな楽しみです。
 それが信用度70%はチト低すぎないでしょうか
 
 
 

見えない壁

2008-08-12 19:11:55 | Weblog
夕べの北京バドミントン、オグ・シオと対戦した中国ペアは強かった。
 スピード・パワーが別格でヘアスタイルからして、まるでどこかの軍隊と戦っている感じでした。
 加えてかなりのずるさも兼ね備えている。
 この辺りが、パーソナリティーなのか、国民性なのか分かりませんが、ここまでの強さがあったならば、そこまではやらないというのが・・・多分日本人的なんでしょうね。
 正々堂々ということではなく、「横綱相撲」的ながっちり受けて立って、万全の体勢で寄り切ることに美学を感じるだろう。
 策を弄するのは、実力で劣る方の戦法みたいな感覚です
 しかし、中国の体操のエースが話していたように、「オリンピックでは強いから勝つのではなく、勝ったものが英雄になれる」ということなんでしょう。
 だから、現時点のランキングなど関係なくなりふり構わない・・・
  そして桁外れに強い・・・しかし、残念なジャッジがあった。
 オグシオが必死に頑張っている時に、明らかなアウトのシャトルがインの判定
 それは1本の判定ぐらいで精神的に影響を受ける方が弱いと言えばそのとおりだけれど、国民上げての大声援と、それにおもねるようなジャッジがあったのでは、これは堂々の勝負と言えるだろうか、、、あのペアが強いだけに残念な気がする。
 もう一組のランキングナンバー1のペアが大番狂わせで破れてしまったので、残りの選手にどんなことがあっても金メダル獲得の指令が出ているのでしょうね。
 そういうムードを感じた。
 もっとも実力ナンバーワンは夕べの中国ペアでしょうね。
 普通にやれば別格だからランキングがおかしい・・・何か作為があるのだろう

 ところでいつも感じるのですが、「勝った負けたで一喜一憂」するのは良いとして、スポーツそのものが見えていないのではないのだろうか。
 どんなによいプレーをしても自国以外は知らん振り・・・いや日本をやっつける国には大声援ですが・・・
 この国は経済的に大成長しているのに、まだ気持ちには余裕が無いのでしょう。
 昔の「大陸的な鷹揚さ」というか「大人気質」みたいなものを感じないのはどうしたことでしょう。
 マア日本も冷静な実力分析と関係なく「メダル狂想曲」では似たようなものかも知れませんが、どこかで「勝負」と「応援」「結果」を分けて考えてはいるように思う。

 そのような意味では私などのレベルのザルが、勝った負けたと一喜一憂しながら打っているのと一面似ているところはあります。
 但し個人レベルで、似たもの同士の集まりみたいなところがあるから、さしたる罪は無いでしょう。
 相手の明らかなミスで拾った碁でも勝てば嬉しいし、負けた碁は実力ではなくて運で負けたと嘯いて・・・
 まるでイソップ物語の世界でもある
 それでも判定で勝敗が左右されることが無いから、心のどこかには負けは全て実量の結果だと受け入れる気持ちはあるわけです。
 しかもネットなら、相手の家族の大声援など聞こえてこないのです。
 たまにはチーターという異人種に出会うことはありますが、マア特定の民族ではなくてどこかにはいるものに運悪く出会ってしまったと言うことでしょう。

 ところで、現在の囲碁の調子は良いらしい・・・「らしい」と言うのは謙遜ではなく、単なる結果・状況かもしれないので。
 ともかく後7点で自己MAXに到達する
 丁度、コミ分で考えると常先くらいの位置
 アマチュアのザルレベルではこの程度の差など有ってないようなものではあるのですが、実はここからが大変。
 ここまでは良い波に乗れば来れるのだけれど、ここからは単に波に乗るだけでは越えられないのです。
 いつも感じている序盤の不味さ、時に釣り込まれるように悪手を打ってしまう軽率さ、、、更に「簡明」だけではこの先は越えられないのか・・・
 私にはこの壁を乗り越えられる力がついているとは感じられないから、また今度も撥ね返されるに違いない。
 足りないところが分かっているようで実は分かっていないのかも知れない。
 だからまた、(自分の)歴史は繰り返す。

付録

2008-08-11 18:07:18 | Weblog
昨日は久し振りに娘夫婦がやって来て・・・娘が先日の旅行の写真をプリントアウトして持ってきました。
 元のものはデジカメなのでTV画面で既に見てしまっているのでプリントの方はまだ見ていない・・・実はその時ネットで対局中で、勝つ切った張ったの勝負中でそれど頃ではなかったのです。
 娘たちは1時間くらいはいたはずなのですが・・・もしかしたら30分くらいかな?・・・声だけは聞いたのですが、顔は見ず終い。
 ともかく女房殿はその写真を持って明日は実家のある田舎に行くらしい。
 娘と一緒に旅行して現地で息子に合流した写真を老母に見せるのがお土産 
 写真を見ながら「息子が現地の人みたいにカッコよくなったでしょう」などと、何時まで経っても親馬鹿です。
 そういえばこの息子は小さな頃アマえっ子で、姉から「マザコン」などと苛められていたことがあった。
 マザコンの意味はたいして理解できていないのに、「悪口」ということは分かるらしくべそをかいていいたものです。
 それが今ではよく育ってしまって、年の離れた姉弟がよく似た感じで、不幸にも父親似。
 引き継ぐような地位も財産も無いのだけれどDNAだけは伝わっている。
  それはともかく写真の数が凄い・・・210枚を越えている。
 但し当人は多いとは思って居ないのだから不思議。
 「旅行の前半はよく写真を撮ったけれど、後半は撮り疲れてかなりペースがおちた」のだそうです。
 もしも尻上がりに調子が出ていたら大変な数字になるところ。
  マアこの辺りも私には理解できない・・・旅行=写真を摂る事なら、パンフレットを集めれば良いだけですからね・・・言えないけれど。

 さて付録の話
 私自身が5人兄弟の5番目ですから、生まれながらの付録みたいな感じです
 上が女三人と男一人・・・本家の伯母さんなど、自分の子供は一人きりなので臨月の母のところへ来て「もしも生まれてきた子が女の子だったら、是非養子に欲しい」と頭を下げたのだそうだ。
 実際に私は男だったからオバサンにしてみればオオはずれ、家族としても付録の子
 もしも、女の子だったらどうだったでしょうね。
 母は「自分の子だから、絶対人にはやらない」と言ってはいたが、さて、あの時代ですから、分からないでしょう。

 ところで「囲碁研究」の古いバックナンバーは買って正解だったようです。
 これで、足りない穴が埋まったと言うようなことではなくて、全くの雑誌感覚でパラパラめくっていますが、なんといっても税込み105円です。
 三冊で315円、値段以上に楽しませてもらっている。 
 この値段でと言うところは出版社の意図とは違うでしょうが、持った感じ新本の手触りですから、紙のゴミとして処理されないで古本屋に来たようです。
 それに3冊のうちの1冊には未だ付録が輪ゴムで留まっていた。 
 流石に他の2冊にはついていなかったけれど、付録がついていてなんだか儲かった感じです。
 囲碁研究2005年7月号の付録は「思わず納得囲碁格言②」中山典之六段
 小さなサイズの64ページほどの小冊子
 17個ほどの格言が、問題形式で出ていて信用度%が表示されている。
 特別変わったものは有りませんが・・・
  格言は100%出ないところが囲碁格言だろうか・・・
  100%なら格言の枠を通り越して、真理とか定理とかの部類
  反対に50%以下なら口に出す方が恥ずかしいでしょう。
 この小冊子のなかで、気に入った格言
 「ピンチの時がチャンス」(信用度70%)
  私の碁はピンチに出会う局面が多いのだから、その度に「これはチャンス」だと思うことにする・・・そうですね、ピンチらしいピンチも無くきれいに負かされたらショックですものね。

 さて、付録の私・・・両親にとっても私自身にとっても「アタリではなかった」です。

”自己防衛”発動!?

2008-08-10 15:14:55 | Weblog
 私は囲碁も好きですがスポーツや読書も好きですから、今は大変な状態です。
 北京オリンピックの中継が一日中ある・・・未明には前日に生放送できなかった種目があり、午前中・午後そして夜・・・ですからその気なればほぼ24時間放送がありそうです。
 もし仮に、本当にそれをするとなると、TVが置いてある部屋に布団を敷いて、横になったまま観戦するしか無さそう・・・体力勝負みたいなところがある。
 もっとも私はまだ2日目なのにもう食傷気味ではあります。
 オーバーに期待されていたほどの状況では無さそうと言うことではありません。
 ”期待はずれ”はともかく、「勝手な期待」で当人たちにプレッシャーをかけているほうが心配ですが・・・
 まあ、少なからぬ公的資金で国民に娯楽が提供されているということでしょう。
 但し、同じ時期に「甲子園」はあるし、「J1」はやっているし、スポーツ以外でも本を読む時間は欲しいし、ネットで碁を打つ時間も必要。
 当然ながら、平日は仕事をしているのですから、勤務時間+睡眠・休養時間は必要。
 だから、好きなスポーツを全て見ることは出来ない、、、無理がある。
  第一一日中TVの前にいて、スポーツの話題に終始していると・・・短い期間かもしれないが「自分が益々アホになる」ような不安を感じる。
 そういうことで、早々に自分の部屋に引っ込むと・・・「図書館から借りた本を返していない」事に気がつきました。
 期日は昨日ですから、1日ではあるが延滞。
 ペナルティーは無さそうですが、早速返却に行きました。
 それで、返すだけではなく、また新たに数冊の本を借りてきてしまいました。
 返却期限は2週間ですから、オリンピックとダブル事になる。
  金曜日にポケット版だけれど1冊買って、更に古い囲碁雑誌を3冊買って・・・自分でも呆れてしまう感じです。
 まあ「ヘビィな本」は避けてますが。
 ですから、図書館でも今回は囲碁の本はパス。
 囲碁の書棚までは行ったのですが、新しく来た本が無かったので敢えて借りなかったのです。
 それでも未練たらしく隣の将棋の棚に間違って囲碁の本が入っていないか確かめたり、小説家が囲碁をテーマに何か書いていないか探したり。
 
 そういえば、ネット碁の対局の掲示板をみると、多少少ないような気がする。
 やはりスポーツの方を観戦しているのでしょうか
  さてさてこの2週間は大変な期間になりそう。
 私は”刹那主義”ではないけれど、誘惑には弱いですから体調の管理は薬だけではダメでしょう。
 命がけ・北京と心中?・・・いやいや親戚の子供が出ているわけでもないと割り切るしか無さそう。

古い雑誌

2008-08-09 17:37:56 | Weblog
 夕べは北京オリンピックの開会式の中継がありましたが殆ど見ていません。
 ”殆ど”というのは・・・実は赤提灯のお店のTVで開会式前のセレモニーをやっているのがちらちら見えましたが・・・家に帰ってから暫くしてから入場行進が始まりましたが、”いつものオリンピックとそう変わらないだろうからマアいいか”と言う感じでネット碁の方に行きました。
 ところで私にしては”赤提灯”は珍しい。
 年に1度あるかないかということ・・・マアひたすら飲み物はウーロン茶ですが
 そのウーロン茶を飲みながら、『もしここに”青汁”があったらきっと試してみるのになァ』などと空想したり。
 ともかく、夕べは3年前の職場の同窓会のような集まりでした。
 その年、その職場で一緒に働いていた仲間が年に1度か2度集まるのです。
 当時課長以下9人の仲間・・・今日は多少出席が悪かったのですが、それでも7人集まりました。
 
 既に元の職場には2人しか残っていないので、いろんなところから集まってきます・・・たまたま私の勤め先に近いところが集合場所だったので、約束の時間までに余裕があったので本屋さんを回りました。
 こういうことには、普段見せない勤勉さを発揮します。
 狙いは大きな本屋さんで、囲碁関係の本が多い店
 ところが1軒目は大はずれでした。
 前は確か囲碁将棋の本がたくさんあったはずなのに、かなり貧弱になっていたので、書棚の前でUターン。
 すぐ近くの大きなショッピングの中のブックストアーに移動
 ここは若者向けのファッションが中心ですが、それでも7階建ての店の7階部分は音楽とか書籍がたくさん並んでいる。
 ここも以前に比べたら囲碁将棋は少し寂しくなったけれど、それでもマアほかよりはましか・・・
 いつもの生活習慣病の検診の時に行く書店は”マイコミ”が多いのですが、ここには殆ど無い。
 更に家の近所の大型スーパーの中の本屋には入門書とか初級向けの本が多いのですが、ここはそうでもない・・・
 本屋さんにもいくつかの系統があったり、品揃えにも多少の差があるようです。
 ともかく今日は飲み会芽の時間潰しです
  待ち合わせの待ち時間に公園のベンチでも読める本ということでポケットサイズの本にしました。
 小さな打ち碁集が並んでいましたが今日はNo7の張栩さんの本にしました。
 このシリーズは十数冊並んでいましたが800円という値段は手頃だし、持ち運びに便利なサイズ・・・だからキオスクなんかにあっても良さそうなんだけれど、そこまで囲碁人口が多くは無いのですね。
 マア6局というのは少ないかも知れませんが、サイズと本の厚みを考えればこのくらいのものかも知れませんね。
 個人的には視力の関係で、もう少し薄くても良いから大きなサイズにしてくれるとありがたいですね。
 出先で、眼鏡を取り出さずに読めますからね。
 例えばA4サイズで14ポイント程度の活字で・・・3局くらいの分量でも良い・・・そして500円くらいなら丁度良い
 ということなら、例えば今週は張さん翌週は趙治勳などのように週刊誌ペースで発行してくれると毎週買いそう。
 あるいは毎週、その集のベスト3局の棋譜でも良さそう・・・他の企画はいらない・・・棋譜と対局者のコメント、あるいは観戦記者のメモなので。

 さて2軒の本屋さんに行ったのに、まだ30ほど時間がありました。
 そこで、赤提灯の傍にある「ブックオフ」に寄って見ました。
 ここはコミックが多くて、文庫本などもあるけれど囲碁関係の本は期待薄だったのですが、この日は嬉しい大はずれ。
 本ではなかったのですが・・・囲碁関係の雑誌が並んでいました。
 古い「囲碁ワールド」と「NHK囲碁講座」
 バックナンバーが揃っているわけではないけれど十数冊並んでいました
 その横に「囲碁研究」が5,6冊
  「囲碁研究」の発行は「日本囲碁連盟」とあるから・・・確かこれは梶原先生が通信講座をやっていたような記憶がある。
 2005年7月号の表紙に「思わず納得囲碁格言② 中山典之6段」とあるから間違い無さそう・・・この雑誌のフロクはついていました。
 2005年1月号、2月号の巻頭企画が、「羽根泰正・最新の中国流」「江鋳久・注目の韓国流布石」となっているので、今となっては最新では無いのですがその3冊を買いました。
 お値段は・・・1冊105円〆て315円
  この値段なら買って損ということは考えられません・・・マア古い雑誌と言うのが読んでみてどんなものかは読んでみないと分かりませんが。
 ともかく古い雑誌を買ったのは初めてです。
 その日は中国北京オリンピックの開会・・・「温故知新」と言うことかも

決める時に決めなくては・・・

2008-08-08 22:47:43 | Weblog
 昨日の「先が思い遣られる」へのGO!様のコメント有難うございます。
 確かに自分の子どもはでていませんが、高校の後輩が監督をしていていたり、選手だったり・・・ともかく好きなスポーツなので気になります。
 最大の敗因は「決める時に決められない」事でしょうね。
 それだけかというと、そうでもなくていろいろありそうですが、、、
 「決める時に・・・」のみを言うとあまりにも潔すぎる。
 レフェリーの件とか・・・アメリカに作戦負けしたとか・・・
 確かシドニーの時もアメリカには作戦負けしている。
 あの時はベスト8の戦いで、ともかくアメリカに徹底的にサイドを攻められた記憶がある。
 巧いとか、強いとかではなく、徹底して作戦を遂行するという感じでした。
 今回は明らかに後半勝負の作戦。
 ですから日本はそれに合せて後半勝負にかけるか、あるいは消極的なあいてに徹底的に攻めの体勢を敷くかのどちらかだったのに、中盤を厚くしてやや守りながら攻めるという半端な感じ・・・
 あのフォーメーションでうまくいったことが・・・記憶に無い・・・それよりあれは嫌いです。
 結果を恐れず、まずは自分たちの力を出さなくてはいけないのに・・・まだ世界ランキングを云々するようなレベルでは無いでしょう。
 ともかく精一杯やって、結果は結果で。

 と、ここまで書いてきてふと考えると、、、自分の碁のことを考えるとあまり偉そうなことは言えないことに、、、。
 マアしかし、世界の舞台で戦うレベルと、ローカルなネット碁とか碁会所のザル碁ですから、比較して遠慮するのも恥ずかしいくらいですから言いたい事を言わなければストレスが溜まります。
 碁に関して言うとこちらにも「決める時に決めなくてはいけない」はある。
 それも、少なくとも局後に自覚できるものは少なくて、気がつかなくて見過ごしているものが多いだろう。
 プロの先生の指導碁の後に指摘されたり
 仲間と打っているのをプロの先生が見ていて後で教えてもらったり、、、
 「あそこでこう打てば・・・」「ここに打っていいれば・・・」
 守るにせよ攻めるにせよ急所を外してはいけない。
 そんなことはとうに分かっていることでしょうが・・・「言葉で分かっている」からといって「決定力不足」というものは解消されるわけでもない。
 ザル碁が急所を外すのが改善されるわけでもない。
 してみるとこれは永遠のテーマでしょう
  北京ーロンドンーと続き・・・
 ザル碁の方は私が墓に入るまで続きそうです。

先が思い遣られるⅡ

2008-08-07 18:02:36 | Weblog
 夕べのサッカーの試合をTVで見て、オーバーに言えば暗澹たる気持ちです。
 第一は審判の質の悪い判定・・・その割には堂々としている立派さと言うか厚かましさには、それだけで負けそう。
 サッカーの場合も余程のことがない限り判定は覆らないし、ルールの解釈ではなくて判定そのものへの抗議は更に厳しい処分も呼ぶ可能性さえある。
 だから当事者である選手たちも執拗な抗議はしないのでしょうが・・・ああいうのは精神的疲労とかダメージにならないのだろうか?
 そこのところまで鍛えているということなのでしょうか?
 この競技に限らず、国際試合では日本人は審判に舐められているような・・・変な表現ですが。
 少々の誤審なら審判の権威を持ってすれば押し通せるという、まさに審判は神様です。
 こういうところが、例えば甲子園などで、一切審判に抗議をしないことを標榜しているような・・・そのことを国際レベルに当てはめているような・・・人がよいというか・潔いというか・一人よがりの潔癖さと言うか。
 機能の場合はPK1、スローイン3は明らかに誤審。
 更にいくつかの競り合いでの曖昧な判定基準があって、見ていてどういう判定になるのかハラハラです・・・そういうスリルはありましたが。

 そういえば少し前この国で開催されたアジアカップサッカーでの観客のマナーと、当時の審判の質。
 観客のムードは今回も変わらないようです・・・マア期待してはいなかったのですが。
 もしも開催国不利の判定が下ったら、どういう事が起きるのか心配と言うか、楽しみというか。
 それとレフェリー
 あの時はイスラム圏の国と戦う時に、イスラム国の審判・・・これが非常に微妙と言うか・・・これもあまり声を大にして言うと私自身の質の低さを突かれそうなので、大きな声ではいえませんでしたが・・・
 今回は大英帝国時代のファミリー国の審判と言うことだろうか?
 それでは今から始まる男子のアメリカ戦・・・この審判がイラン当たりの審判だったら、さてどういうことになるのだろうか?
 ともあれ未だ本番のオリンピックはこれから。
 この国ではいまだスポーツそのものを楽しむところまで来ていないようなので、競技より、それを取り巻くところの問題が心配です。
 サア、今から男子の試合・・・勝っても負けても後味の悪い試合は嫌ですね。

寂しい話

2008-08-06 17:06:46 | Weblog
先日の赤塚不二夫さんの訃報は二重・三重に寂しいですね。
 少年マガジンで連載された「おそ松くん」は丁度私の学生時代とダブります。
 首都圏にある大学ですが、当時はかなりローカル色があって、歩いて15分くらいで植物採集の練習が出来る雑木林などがあったのですから・・・その森の中には貝塚もあったり。
 植物採集=食べられる野草採集だったり・・・、生まれて初めてタラの芽を採集して食べたり、野生化した三つ葉を集めたり山芋など掘ったりしたのもこの雑木林のおかげ。
 ともかくそういう時代で、たいていの学生は学食などで昼食を取るのですが、私は裏門を出たところにある駄菓子屋専門。
 パンとコーラを買って、その家の縁側で売り物の少年マガジン・少年サンデーを見るのが昼の日課。
 当時連載されていたのが「六つ子」のおそ松君とか天才バカボン

 
 学生時代の思い出は「ギャグ漫画」と「学園闘争」の比率が大きい
  赤塚さんは享年72だとか・・・ほぼ1回り違いです。
  「まだ早すぎる」という感じだし、自分自身もそういう年令に近づいていることを実感する。
 先輩連中が元気でいてくれないと、順番が早く回ってくるような気がします。
 
 ところで、学生時代1年生の時から、工学部の4年生グループとか法律・経済の2年生グループに可愛がってもらっていた・・・いや雀荘の仲間に入れてもらっていただけで、弟分というか、、
 同じような仲間に薬学部の先輩がいて、彼の綽名が「チビ太」
 見た感じは「イヤミ」を小さくした感じですが、性格と言うかイメージは「チビ太」・・・そしていつの間にか通称チビ太で通っていた(近くの雀荘の間ですが)、、、後輩の私が綽名で呼ぶと「お前にはそう呼ばれたくない」と怒ったものです。
 「チビ太」と最初に命名したのは建築科の先輩・・・実は彼はイヤミを大きくした感じ・・・まるで赤塚ワールドでした。
 皆同じ大学ですが学部・学科が違い、雀荘だけでの付き合いですから卒業後の音信はありません。
 でも今回の赤塚さんの訃報で、もしかしたらあの時代のことをチラッと思い浮かべているのではないだろうか・・・

 さて、”大昔”縁側でお昼を食べた駄菓子屋さんですが、数年前に通りかかったらすっかり様変わりしていた。
 道も整備されて車の通りも多かったし、駄菓子屋ではなくて今風のビッグチェーンのコンビニなっていた。
 経営者が同じかどうかは分かりませんが、、、昔はバアサマと嫁さんでやっていた。
 時代は変わるのですから、ソレも時の流れでしょうね。
  私自身、風の吹くまま、時の流れに流れ流れて生きているようなものですから

 今日のネット碁の一局
 結果オーライの○ですが、例によって内容が「おそ松」
 白番で地合いややリードの中盤で黒さんの勝負手にシノギの場面。
 途中状況不明の戦いになりかかった。
 そこのところが「読めていない」し「読もうとしていない」ところがある。
 困った場面に追い込まれてから腰を据えて読んでいる・・・
 結果は白に決定的な破綻が来なかったので中押しとなりましたが、局後読み直すと「何故この手に気がつかなかったんだ」というような手を読んでいない。
 「安全」で「お得」な手なのに・・・もっとも普通な手筋なのに
 もう少しで「後で気がつく○○○」になるところでした。
 メイエン先生の言うように「どう打っても勝ち」というものは殆どなくて、実際は「必勝コース」しかない。
 今回は運が良く「単純・明快必勝コース」を外したのに、「難解・ゴリ夢中コース」でゴールにたどり着きました。
 いつもシンプル・イズ・ベストと考えているはずなのに肝心なところで外れました。
 勝率は5割でも、「勝ちに入った時はカンヌキがかかったように外さない」・・・そういうスタイルを目指しているのに情けない話です。
 
 

読みと感覚

2008-08-05 18:10:03 | Weblog
 メイエン先生の読みと感覚の話が面白い。
 尤も先生の話はプロとか高いレベルでの話で、ザルレベルでは微妙にずれるところもある。
 「プロはそうなんだ」と部分と「ザルは少し違うぞ」という部分を器用に聞き分けて行きます。
 スタートが「読み」と「感覚」が相反するものだという感じ方・・・これはプロもアマも同じだと思いますが・・・実は両者は相反するような部分はあるにせよ、表裏一体のように密接な関係があるという方向へ話が行きます。
 それなりに”なるほど”です。
 マア、「それが分かったからといって棋力にどれほどの影響があるのだろうか?」などとイヤらしいことを考えてしまう自分が情けないですが。

 昔、昼休碁の仲間だったFさん・彼は向こう3子か4子です。
 彼は時に「これは感覚の一手」などと言いながら石を置いたものです。
 同じ棋力の人たちの中では感覚が優れているのかどうかは別として、さっきの言葉を普通の日本語に翻訳すると「ろくに考えないで打った手」と訳しても概ね間違いないと感じていた。
 少しひいき目に考えても「読みの裏づけがないのだけれどやってみた」かもしれないけれど・・・3,4子置かせている立場からすると、「読みの裏付けを取る努力をしてよ」というかんじなんですけれど。
 「読みきれなくても」「読む努力を惜しまないで・・・」口に出したら「人のことでは厳しいことを言うものですね」と反撃が来そうで、口には出せない。
 「感覚の一手」という言葉には「読んでいない事へのテレ」はあるかもしれない
 但し、「読み切れていないけれど、カッコ良いでしょう」は困る。

 さてメイエン先生によると、「読みを打ち切るのは”感覚”」とある。
 「これ以上考えても結論が出そうにないから読むのを停止」とか「ここから先はやってみなくてはわからない」とかの決断を下すのはそれぞれが持っている「感覚」なんですね。
 そこに個人差が現れてくる。
 更に個人差で言うと、ある形でソレを考えるかどうかという感覚 
 囲碁にはアマが開発した物をプロが発達させた定石があります。
 プロでは考えないアマの感覚の中に、プロの盲点があったりするのですね 
   変な例ですけれど、鉱山の古河市兵衛と言う人が居ましたね・・・「人が諦めたところをもう少し掘ってみた」という事が成功に秘訣何だそうですけれど、冷静に考えてみると半分は結果論かなとも思うのです。
 行き止まりの向こうにお宝が埋まっているかどうか、、、人が諦めた先が問題ではなく、そこを掘り進むかどうかの問題でしょうね。
 そういう意味では、囲碁で「普通考えないようなことを考える」のと少し似ているのかも。
 但し、もしかしたらソレまでに99人失敗した後の100人目だったかも。
 でも、何でもかんでも人が放棄したところで試したわけではないでしょう。
 囲碁のプロの所謂「感覚の手」だって、全くのその場の思いつきというものは少ないでしょう。
 少なからず読みが入っていたり、密かに研究していたもので、試したのが初めてだったりするわけです。

 何時だったか趙治勳さんに関するエピソードで、他の観戦棋士がインタビューで「凄いですね挑戦手合いの番碁で新手を試すのですか」「私など対局中に思いつくなんて・・・」のような問いかけをしたところ、趙さんの返事は「普段から早碁で試して、勉強しておけば良いのですよ」と答えたという。
 マア相手の”不勉強”という日本人特有の表現に反発したのかも知れませんが、ともかく、全くその場で思いついたものではないこと、読みに基づいていることは分かった。
 プロだといって皆同じレベルとは思えないけれど、少なくとも「思いつき」=「感覚」と言う短絡したものでは無さそう。
 また思いつきであっても、ソレを選択するかどうかと言う「感覚」があるかどうか、、、

 まあザルの世界とは大違い
 私らの世界では常識派の対局に存在するのが感覚派・・・言い換えれば非常識派です
 中には勝敗と同等に、相手を驚かすことに生きがいを感じている人だっている。
 勿論そういう人は自称「感覚派」です。
 そういう意味では彼らに言わせると私などは「常識派」を通り越して「退屈派」かもしれません。
 もっともあまりに「普通の手で勝つ」に拘ると、それもまた異端児なのかも

ザル以下の日

2008-08-04 18:36:07 | Weblog
今日の暑さは格別
 だからといってエアコンをガンガン聞かせた涼しさは好きではなくて、窓を開けておくと涼しい風が通るような爽やかさが好き(誰でもそうでしょうが)。
 そこで、どの程度の暑さなら耐えられなくてエアコンのスイッチを入れるのか家では微妙な感じがあります。
 私一人なら、窓を開け放しておいて扇風機の風で結構耐えられる・・・と言うかその方がエアコンより好きなんですが、家族がいたりするとそうもいかないし、ましてや勤め先では全て皆さんにお任せです。
 さて今日の暑さは、ここ数日の凌ぎやすさとの落差あるのでしょう、結構こたえる。
 そういう日に限って出かける用事が出来たりします。
 もっとも、こう暑い日に制限つきのエアコンの部屋にいるより、思い切って表に出た方がすっきりします。

 勤務先は出先機関なので、上部期間に送る書類とか、誤ってここに送られてきたものなどあるので、定期的に持参するのです。
 ジイサマが「郵便でーす」と行くのです。
 歩けば片道25分くらい、自転車で12,3分、車は駐車させてもらえないので選択できません。
 結局マイチャリで行くことになる。
 今日のような暑い日は午前中・・・本当は午後もなるべく遅い時間の方が良いでしょうが・・・毎日どこかで汗をかくのが良いとは思いますが程度問題で、、、それと雨の日も出来たらパス。
 ともかく午前中に気持ちよく汗をかくくらいの気持ちで「行ってきまーす」
 ですから「この暑いのにご苦労様」といわれると、半分は好きで行くようなものなのでくすぐったい。
 「この暑いのによくやるよ」と言う意味ならそれも半分アタリ。
 ともかく「モアッ」と暑いのには弱いけれど、「カッ」と暑いのはそれほど苦にしない。
 
 カンカン照りは若い頃より直射日光の影響を受けやすい頭をしているのでヤヤ不安ですが、帽子は被らない
 あまりの似合わなさに、自分で呆れて被る気がしない。
 雨の日用の帽子はあるけれど、ともかく晴れていたら被らない。
 街路樹の蔭、建物の蔭を拾って走る 
 今日は目的の建物のエレベーターの前でがっかり
 3台あるうちの1台はお休み、もう一台は時間制限で一時休み、結局1台限りの営業・・・今日の天気予報から電力不足対策に先手を打ったとか・・・
 こういうの、なんだかやり過ぎで変!
 そんなに節電などを言うのなら、業務を夏の間は月水金に限れば良いのに・・・そうすれば一斉休業で相当の効果がありそうなのに・・・なんだか「やっている」のを見せ付けるための対策みたい。
 きっとこれを命じた人はめったにエレベータで移動しない人なんだろうな・・・

 ところで土日のネット対局は2勝1敗、星だけなら贅沢はいえない。
 しかし、勝った碁はともかく(負けた人に失礼かな)、負けた碁が酷い
 勝った方は2局とも3目半勝ちで、途中から最後までそこそこ緊張感があってまずまずだったのが、負けたほうの碁は、、、
 王メイエンミステリーで紹介されていたプロの・・・自分でとられに行くダメ詰めをした手・・・アレみたい、アレより酷い。
 プロにはあるまじきではあろうが、ダメ詰めを勘違いして打ってしまった・・・マア、ザルならありそうな。
 私のは「取るか取られるかの決戦場」で緊張感が最高潮の場面。
 その場面で先が見えたのが災いしたようです。
 どう打っても負けはない・悪くても仮セキで最後はセキクズレ。
 この「どう打っても」が曲者です。
 現実に相手が投げたわけではないので、手順とおりきちんと打たなくてはいけない。
 それなのに、この部分はもう解決済みみたいな気持ちが災難を呼ぶ。
 将棋なら相手がどんなに抵抗しようと、頭金を乗せるまで緩んではいけない
 それなのに相手が打った手を見ていない!!
 自分では読みどおりAーB-Cの順番で進行していると思い込んでいる
 しかし現実は相手はBではなくDと打っていた。
 手順としては全く意味のない手・・・ただアタリだから打ってみただけの手・・・それを見ていないボケ老人。
 一瞬でナイターの試合が暗転したみたいな、コンサートが一瞬で暗転。
 当然相手は「アタリにつがないのならご馳走様」でゲームセット。
 いくらザルでもこれは酷い・・・今まで自分をザルだと言って来ましたが、今日はザル以下。
 夏でも冬でもザルは好きですが(深い意味はありません)しかしザル以下はいけません。

見る目、考える眼

2008-08-03 16:30:18 | Weblog
 物を見る目とか人を見る目があるとか無いとか言いますが、ともかくカメラみたいに映像を取り込む機能と判断する機能があるということですね。
 時節柄スポーツ選手の例で言うと、高飛び込みの選手はしっかり着水面を見ているとか、月面宙返りの最中にも目を開けていて着地面を見ている・・・いや感じているのか。
 そして演技をイメージトレーニングで試合前におさらいするとか、一人の演技でも凄いのにシンクロ水泳とかシンクロの新体操では自分とチームの両方がイメージできないといけないのだろうか。
 ともかく世界で争う人たちのレベルは素人には想像できない。
 想像できないと言えば、プロ棋士は頭の中に碁盤があると言います・・・ですから電話でも碁盤上で起きたこと・起きなかったことの話が出来るのだそうです。
 こういう能力は・・・想像するに、修行時代の棋譜並べの繰り返しなどで出来るようになるのではないだろうか?・・・あくまでも素人の想像ですが。
 私の話はザルレベルの話

私が自分の視力に問題ありと自覚したのは、約10年前になります。
 娘の勉強を手伝っていて・・・3次元方程式の公式とか応用問題を見ていた時・・・いや見えなかったので気がついたのです。
 XとかYの右肩に小さく印刷されている数字が読めないので驚いた。
  それ以前にも碁盤の罫線が変形して見えたりして内心驚いたことはあるけれど、その場合見え方がおかしいのであって、見えないわけではなかった。
 一瞬何が起こったのか理解できなかったのですが、落ち着いて考えれば虫眼鏡で見れば見える・・・要するに老眼となっていたことに気がついてがっかり。
 これは近視と違って運転したり外を歩いたりするのには不自由が無いから気がつかなかったのです。
 新聞や本を読むときに、やや見ずらい点があったとは思うのだけれど、実際には見えていないところを勘で補っていたかも知れません(自然に勘で補うという機能があるかも知れません)。
 今でもパソコンの画面の10ポイントサイズの文字は読めない・・・12は苦しい・・・14なら眼鏡無しで読めそう。
 尤もパソコンのキーボードで作業する時は、眼鏡無しでも打てないことも無いけれど霞のかかった世界なので気持ちが悪いので眼鏡を使用している。
 要するに本を読むとき、パソコンの画面を見る・キーボードを操作するなどは眼鏡が必需品。
 反対に車の運転・自転車・歩く時などは眼鏡はかえって危険、階段を下りるときはモッテノホカ。
 なので、仕事中も眼鏡をかけたり外したりが忙しい。
 パソコンの前で仕事をしているときは眼鏡をしていて、用事があって立ち上がって歩き出すときは眼鏡を外して手に持って・・・
 今は使用していませんが、一時眼鏡に紐をつけて首から下げて・・・まさにあのジイサマスタイルが必然なのです。

 そういうことで、ネットで検索したりする時は眼鏡は必需品、この文章を打ち込むのも当然眼鏡をかけて作業しています。
 ところが、ネット碁を打つときは眼鏡を外す。
 外さなくては打てないということではないけれど、眼鏡をはずしたくなる。
 多分・素人考えだけれど、細かな物を見たり距離の近いところを見るのには老眼鏡が必要、しかし目から入ったデータを考える時は眼鏡は必ずしも必要ではない?
 それは自分で打つときは勿論ネット観戦でもそうですね
 そしてリアルの場合も同じ・・・マアこの場合は盤とか石の大きさからいって眼鏡は必要ではないけれど、ともかくかけたくない
 パソコンの画面サイズの碁盤・石なら眼鏡は無くても判断できる。
 石の位置、ハマの数を間違えることはありませんからとりあえず眼鏡は不要で、着手を考える時は不要と言うより「うっとうしい」感じがする。
 ですから対局者リストを見て、エントリーして、対局者が決まって挨拶を交わすところまでは眼鏡・・・そして対局開始と同時に眼鏡を外すのです。
 眼鏡をかけていると何かを考えるのに障害があるかのような感じさえする。

 そういえばはるか昔、競馬場通いをしていた頃双眼鏡無しでも向こう正面の馬の動きや騎手の動きが分かるような気がしていた。
 蒙古の大平原で暮らす民族ではないから、いくら視力が良くても1.5くらいなものですから、本当に見えていたのか見えてはいないのに見えているように感じていただけかは分かりません。
 もしかしたらそういうことに似ているかも。

 リアルで碁を打つとき、碁盤の上に指をついて手を考える人が居ました。
 そこまでやるのはマナーが悪いし、相手にしては迷惑だし、もしかしたらルール違反かもしれませんが、ともあれそういう風にしなければ手を考えられないのなら視力に応じた眼鏡は必要かも知れません。
 しかし、考えることが頭の中でイメージで行うならば、実際にある物を見ているわけではないのですから眼鏡は不要ですね
 それでは頭の中では何を見ているのでしょう
  「碁盤の残像?」「碁盤のイメージ?」、、、

王メイエンミステリー

2008-08-02 17:53:50 | Weblog
 先月の中頃だったろうか、自転車で通勤する途上、信号待ちで止まる時に気がついたのですが、ちょっとした道端の草むらに青い花が咲いていた。
 ツユクサです、、、この青い色が好きですね。
 道端で咲く花でカタバミやタンポポみたいに黄色の花、ヒメシオンのように白中心の花、紫蘇科の紫系の花が多い中で、ツユクサの青は目立つ気がします,,,
青色系統の花が好きなので私には目立つのかも知れません。
 丁度浴衣の地色にあいそうな感じがしますが、どうでしょうか。
 気をつけて見ると、割合道端のアチコチで咲いています。
 概ね「道端」が多いですね、空き地の草むらの真ん中ではなく。
  昔、私はこのツユクサが好きだったので、荒地から取ってきて家のプランターで育てたことがありましたが、家のものは「こんなところにまで雑草が入り込んできた」「これは管理する人の手入れが悪い」とばかり引き抜かれて捨てられてしまいました。
 その後、ツユクサの親戚のアオバナを入手してプランターに植えました。
 さすがに買って来た苗だけに、捨てられませんでしたが、結局は「なんだツユクサの仲間か」と言う具合に軽視?され、花が終わると引き抜かれて・・・引き抜かれても、そのプランターに時折水をやっていると翌年再生するのです。
 そういうことで引き抜かれること3度・・・今年は4度目の子孫です。
 野生のツユクサは咲いたのに、家のはどうしたのかと思っていたところ、先週辺りから花をつけ始め、今真っ盛りです。
 花は、野生種の3倍くらいの大きさ、西陣の下絵の染料に使うので花は毎朝摘むそうですが、家ではそういう目的は無いからそのまま。
 朝咲いて、夕方にはしおれてしまいますが、翌朝にはまた別の花がたくさん咲きます。
 人目を引くような派手さは無いのですが、どこか魅かれるところがある。
 今年は「花が終わっても絶対に引き抜かないでくれ」と言ってはありますが、さてどうなることやら・・・

 ところで今日は王メイエンの囲碁ミステリーツアーを読んでいる。
 先日来勤め先での昼休に読もうと思っていたのですが、鞄に入れ忘れたり・・・伸び伸びになっていました。
 この本は期待通りに面白いと感じました。
  いや、実は素人が簡単に面白いと言って良いか気が引けるところがあるのですが・・・
 内容が、非常に細部の込み入ったところが話題になっていたり・・・寝転んで週刊誌を読むような感じとは少し違う。
 棋譜がたくさん出てきますが、自分で碁盤に石を置いてみないと筆者の話の断片も分からないかも知れない・・・そういうところがあるのですが・・・でも面白く感じる。
 「メイ探偵」「幻庵」「小太郎」が耳赤の一局を題材に話が進む・・・こういう話の展開が好きです・・・細部のコウがらみのヨセまでを完全に理解できるわけではないのですが・・・でも素人なりに面白い。
 次の「読み」と「感覚」の話も、プロってそういうものかという感じだけれど面白い。
 素人がこれを読んだからと言ってすぐに役立つような本ではないのですが、「読もうとするか発想が感覚」とか「読みを打ち切る感覚」・・・そういう事なのかとは思う。
 大胆に言ってしまえば、少しは参考になるかも知れない(期待)・・・

 これまでの会話形式で解説する本では登場人物が「プロ棋士=著者」「師範あるいは師範代くらいの高段者」「4,5段の腕力の強い人」「2,3段の伸び盛りの若手」「初段前後の女性」などという役どころが多かったのですが、メイエン先生の話は探偵社なので筋立てが少し違う。
 会話仕立てなのが読みやすさの秘訣?なのか一気に半分まで行ってしまった。
 碁盤に並べなければ分からないところも多かったのだから、最低3回は往復しなくては・・・