昨日のタイトルが「波乱の〆」ということは、当然始まりがあるわけで、まあ、どこが始まりかは曖昧なんですけどね、風邪引いたトコなのか、雨降ってきたトコなのか
ただ、土曜日が、その真っ只中にあったのは確か。
てな訳で。
雨の週末でした。
ボランティアで雨に当たるのは実は初。
準備万端で臨みます。
今回も前回に引き続き牡鹿へ。
陸前高田はどうした?と言われそうですが、忘れたわけではありません。
いつも心に一本松 でも今週も牡鹿へ行ってくるよ。
そんなわけで今回は東京まで自力で行って、2号に乗り込んでみました。
つくば発1号の到着を待って出発ですが、いかんせん雨。道中ずっと。
窓ガラスが曇って外がほとんど見えません。
病み上がりな感じも手伝って、移動中結構寝てました。
つまり、写真がほとんどありません。
まあ、相変わらず2号は妙なホッピングをして起こしてくれるわけですが、道中は大した渋滞もなく、順調に牡鹿半島入りです。
ボラセンに行く前に、昼食の調達。
この辺りで唯一営業しているコンビニの駐車場。
他のボラバスと鉢合わせ、店内エライ騒ぎでした。
そこから10分少々でボラセンに到着。
雨はパラパラ。低い雲が山のてっぺんを覆っています。
この日のお出迎えはカラス。
近付いても平然としてます。
間もなくマッチングが終了して、移動開始です。
いつもの様に撮ろうとしましたが、窓ガラスが拭いても拭いてもくもってしまうのに加え、水滴を拾ってしまってこんな感じ。
今日は夕焼けは無理ですね
さすがに海鳥たちも陸に避難。
雨が降っていたので、屋内作業になりました。
ボラセンから15分くらい戻った、大原中学校の体育館にて、漁や養殖に使う道具の整備のお手伝い。
この中学校は、昨年、他の二校と合併して廃校になっているそうです。
敷地内には仮設住宅が並んでいました。
作業量の割に、人数が多かったので、比較的のんびりやります。
漁師さん達が先生です。
いくつかの少人数のグループに分かれましたが、私はその他大勢グループ。
最初にとりかかったのはこれ。
鉛の重りに紐をつけます。
重りは直径10cm程で一個500g位ですが、じんわり筋繊維を痛めつけます。
この銀メダル?は、ホタテ養殖用の綱の一番下に付ける重しになります。
昔は石を使っていたそうです。
あっちは、綱引きのようにも見えましたが。
ホタテ養殖に使う綱の準備。
同じ長さに切りそろえて束ねます。
最終的には、4000本作るそうです。今回は、そのほんの一部。
ホタテは一年物の稚貝を北海道から持ってきて、二年間、海の中で育てます。
一般的に市場に出回っているのは三年物だそうです。
同じ様に、ホヤ用の綱も作りました。
ホヤも食べられる大きさになるのに三年かかるそうです。
これはまた貴重な経験。
定置網を組み立てているところ。
幾つものパーツを紐で結わえて作るのだそうです。
これが網を結うのに使う網針(あばり)。網結針とも。
竹でできています。手作りですよね。
網目が大きい時は、大きなあばりを使うわけです。
牡蠣の殻の固まり。
ここにホヤの卵が着けられるのだそうです。
殻一枚に30~50個。
海から引き上げられた鈴なりの養殖ホヤの中心部には、この牡蠣の殻があるわけです。
なんかねえ、お手伝いというよりは、社会科見学みたいで楽しかったよ。
お片付けもいいけれど、これから使う物を新しく作るお手伝いってのは嬉しいものです。
だって、今日作った重しの上で、ホタテやホヤが育って、全国に出荷されていくんだよ?
とか談笑を交えながら作業は午後4時頃まで。
いつもよりかなり長めですが、というのも実はこの時既にバスがえらいことになって走行不可になり、救援待ちでしたー
はい、私達ボランティア、何気に帰宅困難者集団になっていたのです。
じたばたしても始まらねえ。
そんな事も忘れて、楽しくお手伝いさせていただきました。
なんだろ、ピンチは人を逞しくするんだね。
作業終了後は、陸前高田に向かった1号と、むこうでお借りしたマイクロが到着するまで、動けなくなった2号の中で感想タイムをしつつ過ごします。
あたりがいい具合に暗くなってきた頃、区長さんが「談話室空けるから、そっちで待てば?」と仰ってくださったので、お言葉に甘えて移動。
ああ~お手伝いに来たつもりが、すっかりご迷惑を~
皆さんとお話しして盛り上がって、まあ、それはそれで良かったのかな。
私は他数人と外で様子を窺いながら1号の到着を待っていましたが、どこからか、甲高い悲鳴のような声が。
え?悲鳴?なに?貞子? と、辺り真っ暗なんで無駄に盛り上がりますが、聞いたら、野生の鹿の鳴き声だそうです。
きれいな、よく通る、力強い声。初めて聞きました。
これもまた貴重な経験。
やがて、1号とマイクロが到着(この1号も途中色々あったようですが )。
みなさんにお礼を言って、バスに乗り込んでようやく帰路に就きます。
まあ全員乗り込むまでがこれまた大変でしたが。
補助席も総動員して、座れる限り座って、ぎゅうぎゅうです。
私はマイクロの方へ。もちろんマイクロもぎゅうぎゅうです。
残していくのが非常に心苦しかった、置いてけぼりの2号。
必ず迎えに来るからね(私ぢゃないけど)待っててねっ!
なんとか牡鹿半島を出ましたが、今度は燃料の問題が
石巻市街で給油をしようとしましたが、ナビ通りに行ってもスタンドがありません。
地図を頼りに3~4軒回ったでしょうか。
その全てがありません。
恐らく、前回通った沿岸部を走っていたんだと思いますが、辺りは外灯ひとつ無く、真っ暗で周囲の様子も分からず、そして持っている地図は全く役に立たず、津波が街を根こそぎ壊していったのだと、あらためて実感しました。
まるで違う世界に迷い込んでしまったかのよう。
この暗さは、あの日を思い出します。
それでもなんとか石巻駅近くで給油して、これまた一安心。
南三陸道に入り、途中、仙台駅を回って数名下ろして、今度こそつくばへ。
東北道に乗ると、我が家がぐっと近くに感じます。
肉体労働はしてないので、大して疲れていないはずですが、意外と寝てましたね。
2号ほど揺れない、と思ってましたが、マイクロ、案外キツかった。
途中から、どんな体勢を取っても落ち着かなくなりましたよ。
つか可笑しくて笑い出しそうになった、のはちょっとヤバイ状況だったよね。
そんなこんなで。
夜が明ける前に、無事につくばに到着。
1号の後ろに、はるばるやって来てくれた岩手ナンバーのマイクロ。
このバスの並びは、最初で最後でしょう。
今日はもう帰ったのかな。
いつもは到着しても始発待ちのみんなはまだ寝ているので、とっとと帰ってしまいますが、この日間もなくTX始発の時間なので、駅が開くの待ってから帰宅しました。
いつになく色々ありましたが、その分、得た物もいっぱい。
そして、たくさんお世話になってしまった牡鹿の皆さんには、いつかご恩返しできたらいいな
また行きます。
ただ、土曜日が、その真っ只中にあったのは確か。
てな訳で。
雨の週末でした。
ボランティアで雨に当たるのは実は初。
準備万端で臨みます。
今回も前回に引き続き牡鹿へ。
陸前高田はどうした?と言われそうですが、忘れたわけではありません。
いつも心に一本松 でも今週も牡鹿へ行ってくるよ。
そんなわけで今回は東京まで自力で行って、2号に乗り込んでみました。
つくば発1号の到着を待って出発ですが、いかんせん雨。道中ずっと。
窓ガラスが曇って外がほとんど見えません。
病み上がりな感じも手伝って、移動中結構寝てました。
つまり、写真がほとんどありません。
まあ、相変わらず2号は妙なホッピングをして起こしてくれるわけですが、道中は大した渋滞もなく、順調に牡鹿半島入りです。
ボラセンに行く前に、昼食の調達。
この辺りで唯一営業しているコンビニの駐車場。
他のボラバスと鉢合わせ、店内エライ騒ぎでした。
そこから10分少々でボラセンに到着。
雨はパラパラ。低い雲が山のてっぺんを覆っています。
この日のお出迎えはカラス。
近付いても平然としてます。
間もなくマッチングが終了して、移動開始です。
いつもの様に撮ろうとしましたが、窓ガラスが拭いても拭いてもくもってしまうのに加え、水滴を拾ってしまってこんな感じ。
今日は夕焼けは無理ですね
さすがに海鳥たちも陸に避難。
雨が降っていたので、屋内作業になりました。
ボラセンから15分くらい戻った、大原中学校の体育館にて、漁や養殖に使う道具の整備のお手伝い。
この中学校は、昨年、他の二校と合併して廃校になっているそうです。
敷地内には仮設住宅が並んでいました。
作業量の割に、人数が多かったので、比較的のんびりやります。
漁師さん達が先生です。
いくつかの少人数のグループに分かれましたが、私はその他大勢グループ。
最初にとりかかったのはこれ。
鉛の重りに紐をつけます。
重りは直径10cm程で一個500g位ですが、じんわり筋繊維を痛めつけます。
この銀メダル?は、ホタテ養殖用の綱の一番下に付ける重しになります。
昔は石を使っていたそうです。
あっちは、綱引きのようにも見えましたが。
ホタテ養殖に使う綱の準備。
同じ長さに切りそろえて束ねます。
最終的には、4000本作るそうです。今回は、そのほんの一部。
ホタテは一年物の稚貝を北海道から持ってきて、二年間、海の中で育てます。
一般的に市場に出回っているのは三年物だそうです。
同じ様に、ホヤ用の綱も作りました。
ホヤも食べられる大きさになるのに三年かかるそうです。
これはまた貴重な経験。
定置網を組み立てているところ。
幾つものパーツを紐で結わえて作るのだそうです。
これが網を結うのに使う網針(あばり)。網結針とも。
竹でできています。手作りですよね。
網目が大きい時は、大きなあばりを使うわけです。
牡蠣の殻の固まり。
ここにホヤの卵が着けられるのだそうです。
殻一枚に30~50個。
海から引き上げられた鈴なりの養殖ホヤの中心部には、この牡蠣の殻があるわけです。
なんかねえ、お手伝いというよりは、社会科見学みたいで楽しかったよ。
お片付けもいいけれど、これから使う物を新しく作るお手伝いってのは嬉しいものです。
だって、今日作った重しの上で、ホタテやホヤが育って、全国に出荷されていくんだよ?
とか談笑を交えながら作業は午後4時頃まで。
いつもよりかなり長めですが、というのも実はこの時既にバスがえらいことになって走行不可になり、救援待ちでしたー
はい、私達ボランティア、何気に帰宅困難者集団になっていたのです。
じたばたしても始まらねえ。
そんな事も忘れて、楽しくお手伝いさせていただきました。
なんだろ、ピンチは人を逞しくするんだね。
作業終了後は、陸前高田に向かった1号と、むこうでお借りしたマイクロが到着するまで、動けなくなった2号の中で感想タイムをしつつ過ごします。
あたりがいい具合に暗くなってきた頃、区長さんが「談話室空けるから、そっちで待てば?」と仰ってくださったので、お言葉に甘えて移動。
ああ~お手伝いに来たつもりが、すっかりご迷惑を~
皆さんとお話しして盛り上がって、まあ、それはそれで良かったのかな。
私は他数人と外で様子を窺いながら1号の到着を待っていましたが、どこからか、甲高い悲鳴のような声が。
え?悲鳴?なに?貞子? と、辺り真っ暗なんで無駄に盛り上がりますが、聞いたら、野生の鹿の鳴き声だそうです。
きれいな、よく通る、力強い声。初めて聞きました。
これもまた貴重な経験。
やがて、1号とマイクロが到着(この1号も途中色々あったようですが )。
みなさんにお礼を言って、バスに乗り込んでようやく帰路に就きます。
まあ全員乗り込むまでがこれまた大変でしたが。
補助席も総動員して、座れる限り座って、ぎゅうぎゅうです。
私はマイクロの方へ。もちろんマイクロもぎゅうぎゅうです。
残していくのが非常に心苦しかった、置いてけぼりの2号。
必ず迎えに来るからね(私ぢゃないけど)待っててねっ!
なんとか牡鹿半島を出ましたが、今度は燃料の問題が
石巻市街で給油をしようとしましたが、ナビ通りに行ってもスタンドがありません。
地図を頼りに3~4軒回ったでしょうか。
その全てがありません。
恐らく、前回通った沿岸部を走っていたんだと思いますが、辺りは外灯ひとつ無く、真っ暗で周囲の様子も分からず、そして持っている地図は全く役に立たず、津波が街を根こそぎ壊していったのだと、あらためて実感しました。
まるで違う世界に迷い込んでしまったかのよう。
この暗さは、あの日を思い出します。
それでもなんとか石巻駅近くで給油して、これまた一安心。
南三陸道に入り、途中、仙台駅を回って数名下ろして、今度こそつくばへ。
東北道に乗ると、我が家がぐっと近くに感じます。
肉体労働はしてないので、大して疲れていないはずですが、意外と寝てましたね。
2号ほど揺れない、と思ってましたが、マイクロ、案外キツかった。
途中から、どんな体勢を取っても落ち着かなくなりましたよ。
つか可笑しくて笑い出しそうになった、のはちょっとヤバイ状況だったよね。
そんなこんなで。
夜が明ける前に、無事につくばに到着。
1号の後ろに、はるばるやって来てくれた岩手ナンバーのマイクロ。
このバスの並びは、最初で最後でしょう。
今日はもう帰ったのかな。
いつもは到着しても始発待ちのみんなはまだ寝ているので、とっとと帰ってしまいますが、この日間もなくTX始発の時間なので、駅が開くの待ってから帰宅しました。
いつになく色々ありましたが、その分、得た物もいっぱい。
そして、たくさんお世話になってしまった牡鹿の皆さんには、いつかご恩返しできたらいいな
また行きます。