5月3日に「第9回戦争の加害パネル展」で、初めてお目にかかった「日中口述歴史文化研究会」李素楨常務副会長、森彪理事、岡本隆敏理事と新宿区議会待遇者控室でインタビューを受けました。日中戦争研究者小池一輝氏と島村英子「人骨の会」事務局員も同席しました。
新宿区役所正面玄関「平和都市宣言板」前で
待遇者控室で李素楨常務副会長と管理人
李素楨常務副会長からは、管理人の戦争体験を聞きたがっていましたが、元八王子村に縁故疎開したこと、P-51ムスタングのロケット砲で元八王子国民学校が消失して杉並区井荻の自宅に戻ったこと、8月15日の玉音放送を聞いた後に、父は「女はアメリカ兵から乱暴されるから気をつけろ。」と言ったことを話しました。
元八王子国民学校三年生(管理人は最前列右から二人目)
米軍戦闘機P-51ムスタング
父が、金沢第九師団第九輜重連隊に応召して「第二次上海事変」に参戦したことを「軍歴照会」、「追悼 金澤輜重兵聯隊」、「第九師団戦史」から説明しました。そして「南京大虐殺」には直接参加していないが、父の輜重連隊が運搬した銃弾や砲弾によって中国人を虐殺した。その父の責任を強く感じて70歳と80歳の時に「南京謝罪の旅」をしてきたことをお話ししました。
石川県軍歴照会
大阪港から出帆する前に同僚と民家に宿泊した。(子供を抱いているのが父。)
蒲田区御園町(現・大田区)の実家にいた、母と管理人(生後6ヶ月)が戦地に送った写真
「第九師団戦史」より
輜重兵第九聯隊「輸送軍需品数量表」
70歳の「南京謝罪の旅」
80歳の「南京謝罪の旅」
(了)