「家系図作成専門 行政書士 山下幸二 事務所 」と、Facebookのやり取りをしています。昨日は、「士族」についての投稿がありました。
母方の三宅家は、加賀前田家の筆頭家老本多の家来でした。在沢中に金沢中央図書館で「明治三年 由緒兼一類附帳」を複写したことがありますので投稿いたします。
この「明治三年 由緒兼一類附帳」は、士族が戸籍簿とは別に、上司である家老へ届け出たと考えられます。石高は五石で身分は小将組でした。五石であっても三宅家の屋敷跡は、石川県立工業高校の敷地となっている程広大であったようです。
因みに、父方の長谷川家は金沢市高尾町の足軽でした。金沢市足軽資料館で勉強しましたが、株を買えば足軽になれたそうですので、農民であった長谷川家先祖は、江戸末期に足軽の株を買ったと考えています。
士族三宅家の長女外菊は、足軽だった長谷川七太郎に嫁ぎました。しかし、長男は何としても軍人にさせたかったのでしょう。長男の政男を陸軍士官学校に入学させました。三男の父は、金沢商業を卒業後は東京へ逃げ出したようです。
本多家の墓がある金沢市大乗寺にある三宅家之墓
2011年大乗寺門前にて
(了)