石川県の出身で、大正末年ごろから川柳に志し、1938(昭和13〉年、29歳で東京・豊多摩病院で病死するまで数々の反戦句を作った川柳作家の鶴彬(つる・あきら)は、陸軍第九師団第七連隊二等兵だった1930(昭和5)年ごろ『金沢第7連隊赤化事件』に連座し、陸軍大阪衛戍(えいじゅ)刑務所に収監されていました。『二・ 二六事件』の将兵らは陸軍東京衛戍刑務所に収監され、北一輝・西田税と将兵ら17名が銃殺刑となりました。
昨日は雨の中、東京衛戍刑務所(衛戍監獄)跡だった渋谷区役所と渋谷地方合同庁舎に行ってきました。
明治16年の古地図(平凡社刊江戸東京大地図より)
現在の渋谷区役所と合同庁舎の地図(平凡社刊江戸東京大地図より)
鬼門(北東)の方角にある処刑場跡に1965(昭和40)年建立の「二・ 二六事件慰霊像」。勿論不浄門もあったことでしょう。
九段会館は「昭和 11 年( 1936 )に起 きた 二・ 二六事件の際には戒厳司令部が設置され、歴史的舞台」(千代田区景観重要物件) となりました。
財団法人偕行社が協賛して1975(昭和50)年に発刊された「目でみる陸軍百年史」です。
裏表紙下部分に陸軍士官学校第58期卒で日本遺族会事務局長だったのが参議院議員板垣正氏の名前があります。板垣正氏はA級戦犯で昭和殉難者として靖国神社に合祀されている板垣征四郎大将の次男で、陸軍士官学校一号館保存のときは共産党聴濤(きくなみ)弘議員らと共に保存に係わりました。ブログ記事【“左”も“右”も保存を要求した陸軍士官学校一号館】
安倍総理は「集団的自衛権」を閣議決定した後、自衛隊法など関連法規を改正すると言っていますが、「敵前逃亡」した自衛隊員を軍法会議で裁き、収監するのは拘置所や一般刑務所なのか、それとも「自衛隊刑務所」を新たに設置するのでしょうか。現平和憲法の下で益々矛盾が拡大していきそうです。