福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

ニューイヤーコンサート 大成功に終わりました 2020/01/06

2020-01-06 00:11:19 | コンサート
福島章恭コンサートシリーズvol.1 ウィーンの花束2020 シリウスにご参集の沢山のお客様の前にて無事終了しました。


まずは、新春のお忙しい時期にご来場くださった聴衆の皆様、そして、運営を影で支えてくださったやまと国際オペラ協会さん、ゲイツオンさんに感謝を致します。

限られた練習時間の中で、難しい課題に集中して取り組んでくださった、相原千興さん率いる東京フォルトゥーナ弦楽合奏団の皆さんも素晴らしかったです。5月2日(土)ベートーヴェン記念演奏会での「7番」「ミサ曲ハ長調」での彼らとの再会が俄然楽しみになりました。


それにしても、チャイコフスキーの「弦楽セレナード」は名曲ですね。実は大フィルとの「海道東征」が終わってから、「弦楽セレナード」のことばかり考えていましたが、今日の出来映えには現時点では納得しています。もちろん、ここで満足してしまっては向上も止まります。ただ、今の自分の力として納得できる、とは言えるのです。


後半のヨーゼフ&ヨハン・シュトラウスⅡとコムツァークのステージでは、管や打楽器のないハンディキャップを楽員一同の集中力によって、乗り越えてゆけたのでは? と思います。個人的には、「南国の薔薇」「バーデン娘」の2曲が実に楽しかった。帰宅して録画を観ましたが、やはり愉しい演奏でした。いつかは、オリジナルのフルオーケストラにて再演したいものです。



さて、次の本番は、2月29日(土)、やまと芸術文化ホールに於けるモツレク&ドン・ジョヴァンニ抜粋となります。どちらか片方だけでも演奏会の組める重量級のプログラム。かなりの重労働となりそうですが、頑張ります!






大フィル合唱団 2019年の集大成の「第九」

2019-12-30 00:09:13 | コンサート



大フィル「第9シンフォニーの夕べ」初日が終わりました。尾高先生とは三年連続の年の瀬の「第九」となりますが、1年1年、新しく、深みを増してゆくマエストロの凄みを感じさせて頂きました。ご一緒できたことを幸せに思います。

お客様の熱い反応が、演奏の素晴らしさを物語っていましたね。実際、客席で聴きながら、何度か鳥肌の立つ瞬間があったほど。

本年は、ブラームス・チクルスという4つのコンサート(埋葬の歌、運命の歌、哀悼の歌、アルト・ラプソディ、運命の女神たちの歌)を経て、コーラスとマエストロの結びつきも一層強いものになったように思います。ひとりの作曲家に、同じマエストロとともにジックリ向き合うことの大事さを実感しています。
12月30日の歌い納めの「第九」は、文字通り2019年の集大成となることでしょう。そして、来るべき「ミサ・ソレムニス」への序章とも言えるのです。

さらには、森谷真理(ソプラノ)さん、清水華澄(アルト)さん、福井 敬(テノール)さん、甲斐栄次郎(バリトン)さん、という豪華ソリスト陣。声の饗宴とアンサンブルの妙! これを聴き逃す手はありません。

2019年は心豊かな音楽で締めくくりましょう。当日券もあり! 
皆様には、大掃除や年賀状書きを少し早めに切り上げ、観たいテレビ番組は録画予約をセットし、是非ともフェスティバルホールへお運びください!


第9シンフォニーの夕べ

2019年12月30日(月)
午後7時開演
※開演時間が前日(29日)と異なります。ご注意ください。

フェスティバルホール

<出演>
指揮:尾高忠明
独唱:森谷真理(ソプラノ)
   清水華澄(アルト)
   福井 敬(テノール)
   甲斐栄次郎(バリトン)
合唱:大阪フィルハーモニー合唱団(合唱指導:福島章恭)

<曲目>
ベートーヴェン/交響曲 第9番 ニ短調「合唱付」作品125


「海道東征」コンサート 作品の美が呼んだ涙

2019-11-10 23:03:20 | コンサート

「海道東征」コンサート、無事終了することができました。まずは、ザ・シンフォニーホールの客席を埋め尽くし、あたたかな拍手をくださった聴衆の皆様に御礼を申し上げます。初めの頃は、「海道東征」が演奏されると言うだけでニュースとなったものですが、いまや、大阪、東京のみならず、全国各地で上演されるスタンダードなレパートリーとなりつつあり、純粋に音楽を楽しみにいらっしゃるお客様が大半となり、それは「海道東征」という作品にとって幸せなことではないでしょうか?

海道東征コンサート 壮大・華麗な交声曲に聴衆魅了 産経west https://www.sankei.com/west/news/191108/wst1911080044-n1.html

前半のシューベルト「未完成」交響曲は、最終的に予告通りのスローテンポとはならず、かつての長大なブルックナー8番(愛知祝祭管)の再現を期待されたお客様には肩透かしのような格好になりましたが、けっして妥協とではなく、オーケストラとの練習を通して行き着いたテンポであり、むしろ、新たな表現の材料を頂戴することができたと、前向きに考えております。いずれにせよ、わたしの音楽に変わりありません。いつか、当初のプランを振り通すために、もっともっと、指揮の技量やら胆力を高めていきたいと心に誓っているところであります。

メインの信時潔「海道東征」では、ソリスト陣、コーラス、オーケストラが渾然一体となり、ステージの上で大きな花を咲かせることができたのではないか? と自負しております。

ソプラノⅠの幸田浩子さんとは、過去3回の「海道東征」コンサートでもご一緒しましたが、今回もこの作品への理解と愛情の深さをその清廉かつ優美な歌唱で示してくださいました。ソプラノⅡの清野友香莉さん、アルトの石井藍さんも作品にマッチした声と表現、そして、三者によるアンサンブルも桃源郷のような美に満ちていました。独唱のうち、「海道東征」でもっとも重たい役を担うのは、バリトン歌手でありましょう。原田圭さんは、その豊かな声と表現、明晰な日本語ディクションによって、今回の演奏の頼れる推進役となりました。テノールの小原啓楼さんとは、以前共演をお約束しながら、諸般の事情からお預けになった経緯があり、偶然にも、大阪の地で念願が叶ったことをお互いに歓んだところです。輝かしく力強いい声こそ、この神話に基づく音楽のの求めるところであり、さらには第7曲「白肩津上陸」では、原田さんとのアクロバット的な二重唱を見事に決めてくれました!

初回から、ご一緒と言えば、大阪すみよし少年少女合唱団も同じです。この度は、オケ合わせ前に2回ほどレッスンに伺いましたが、団員のマナーの良さは気持ちよく、さらに助言への飲み込みと消化の速さには舌を巻くほど。そして、オケ合わせまでにわたしの要望を120%の高みまで引き上げてくださった前田章先生、中村恵美先生には感謝を捧げます。

大フィル合唱団を褒めると手前味噌のようで少々憚られますが、見事だったと呼んでも許されるでしょう。この作品を歌い込んでいることについては、全国のどの合唱団にも負けていないはずで、その表現の悉くが、内面から沸き上がってくるかに自然であったし、普段、大フィル定期ではラテン語やドイツ語ばかりを歌っていながら、日本語の発音も明瞭で、本当に指揮台の上から頼もしく眺めておりました。回を重ねる毎の成長を讃えたいと思います。第4曲「御船謡」に於ける腰の据わった「ヤー!」の声には、この掛け声に拘られていたという信時潔先生もご満足頂けたのではないかしら? 

さて、当然のことながら、大フィルも素晴らしかったです。日頃、彼らが対面している世界や日本の一線級の指揮者たちと較べてしまえば、我が哀れな指揮など「屁」のようなものだと想像しますが、それでも、コンマスの須山暢大さん以下の全員が、終始よい演奏をしようという姿勢を崩すことなく、ステージ上では表現者としての止むにやまれぬ魂をメラメラと燃え上がらせてくれました。「海道東征」で声楽陣を盛り立ててくださったのはもちろん、「未完成」では、第1楽章展開部の凄絶さ、第2楽章の目眩く転調の妙など、一流のプロにしかなし得ない境地を間近に聴かせて頂けたことは幸せでした。

終演後、直接、間接に多くのお客様よりの感謝や感動のお言葉を頂戴することができました。わたしとして、意外というか、新鮮だったことは、「聴きながら自然に涙が溢れてきた」「感動で泣いてしまった」という声が少なくなかったことです。第2ヴァイオリン奏者のおひとりも、演奏しながら、ハンカチで涙を拭うお客様が見えた、と語っておられました。むろん、舞台上のわたしたちは、「客を泣かせてやろう」などという下種な考えなど持ち合わせておらず、ただひたすら、作品に献身していただけです。それで、このような現象が起こるというのは、やはり北原白秋による詩と信時潔の音楽による「海道東征」という作品の美しさによるものだと思われます。とはいえ、たった1度の本番で究極の到達することは適いません。もう一度、機会が与えられるなら、表現の無駄を削ぎ落としつつ、さらなる高みを目指し、表現を深化させたいと考えております。

最後に、このような素晴らしい演奏会を企画してくださった産経新聞様に感謝の念を捧げると共に、わたしを指揮者として抜擢してくださった大フィル事務局F氏の蛮勇を讃えたいと思います(笑)。

 

交声曲「海道東征コンサート

2019年11月8日(金) 18:30開演(17:30開場)

<出演>
指揮:福島章恭
独唱:幸田浩子(ソプラノ)
   清野友香莉(ソプラノ)
   石井 藍(アルト)
   小原啓楼(テノール)
   原田 圭(バリトン)
合唱:大阪フィルハーモニー合唱団(合唱指導:福島章恭)、大阪すみよし少年少女合唱団

<曲目>
シューベルト/交響曲 第7番 ロ短調 D759「未完成」
信時 潔/交声曲「海道東征」

 

 


尾高忠明&大フィル ブラームス・チクルスⅡ

2019-10-03 09:47:55 | コンサート


遅れてやってきた、尾高先生&大フィルのブラームス・チクルス第2弾。

尾高先生渾身の「2番」でした。

遅れてやってきたのは、コンマスの田野倉さんも同じ。このタイミングで再会、共演できたことをお互いに喜び合いました!

我ら大フィル合唱団は、「アルト・ラプソディー」「運命の歌」の2作品で参加。ひとつの演奏会に2曲歌わせて頂けるとは何という幸せ!



「アルト・ラプソディー」での大フィル合唱団男声部は、清水華澄さんの圧巻の独唱に傷をつけないよう、頑張ってくれました。男声だけで世界を作ることの難しさ。この公演のための挑戦は、大きな財産となることでしょう。

「運命の歌」は、シモーネ・ヤングさんとの共演以来、二度目の取り組み。団員もわたしも、前回よりも作品の本質に近づけたかな? 少しは成長できたのでは? との感触があります。しかし、益々、目指す頂は高くなり、ゴールの遠のくのも感じます。



それにしても、清水華澄さんの歌は素晴らしかった。オーケストラも男声合唱も、彼女のために音量、声量をセーブする場面は皆無! 
豊かな声と深い情感によって、「アルト・ラプソディー」のワーグナー的本質を余すことなく描いてくれました。
年末の「第九」で再びお目にかかれることが、とても楽しみです。

長岡混声合唱団第15回定期演奏会 ~ 特別な感動を伴ったステージ!

2019-09-12 01:11:32 | コンサート



もう4日も経ってしまったが、長岡混声合唱団第15回定期演奏会は成功裏に終わった。

「ドイツ・レクイエム」に関しては、2月のサントリーホール、6月のベルリン・フィルハーモニーホールにつづき、今年三回目の本番指揮となる。

260名を越す大コーラスと対峙したサントリー公演、いかにもドイツといった重厚なサウンドをもつベルリン響とのベルリン公演、いずれもが印象深いものであったが、

今回の室内オーケストラ版での演奏には、特別な感動があった。

最も小さな編成の合唱団、室内オーケストラ、そして、長岡リリックホールという中規模のホールでの演奏。

フルート(ピッコロ持ち替え)、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン(1パートを2奏者に振り分け)、ティンパニ、弦五部のためのアレンジに、オルガンを追加しての室内オーケストラは、

オリジナルの大編成に較べ、1人当たりの奏者の演奏する分量も多く、さらにアンサンブルには緻密さが求められる。それが、実に見事なパフォーマンスを見せてくれたのだ。

その夢のように美しいサウンドに乗せて、長岡混声合唱団は持てる力をすべて、否、実力以上の力を出してくれたと思う。

専門的音楽教育を受けたメンバーが多いわけでもなく、平均年齢が若いわけでもない。

技術的には、これより上手い合唱団はいくらでもあるだろうが、そこに生まれるハーモニーには独特の味わいがあって、聴くものを惹き付ける。

そのことは、独唱を務めてくださった馬原裕子さん、与那城敬さんのお二人も認めてくださったことである。

さて、そのお二人のソロが最高で、オーケストラと一体になったギリギリの表現は、ひとつのゾーンに入っていたと思う。

その奇跡の時間を指揮台の上で体験できたわたしは、幸せであった。

前半の髙田三郎「心の四季」は、長年のパートナーである小山惠さんのピアノで。

休憩後の静寂とは違って、客席にちょっとしたざわつきや物音が多く、指揮に集中するのが難しかったが、髙田作品の美しさを伝えることはできたと思う。

「心の四季」に関しては、来る21日(土)長岡造形大学に於ける県文化祭での再演が決まっているので、さらによい演奏をしたいと思う。

※いま、手元に本番やコーラス付リハーサルの写真がないため、オーケストラ稽古の写真のみにて失礼致します。


いよいよ本番「ドイツ・レクイエム 」室内オーケストラ版

2019-09-07 20:53:33 | コンサート


尾高先生&大フィルによるブラームス・チクルスvol.3 について、書く間もないまま、東奔西走。

本日のブラームス「ドイツ・レクイエム」室内オーケストラ版のオケ合わせを迎えた。かねてより、演奏機会を窺っていたバージョン。長岡混声合唱団定期演奏会で採り上げるなり、いよいよ明日が本番となった。



今回のCarus版による編成は、管楽器: フルート(ピッコロ持替え)、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン各1名、ティンパニ1名、弦五部というものだが、今回はホルンパートを2パートに振り分けるとともに、ポジティフ・オルガンを追加した。



コンパクトな編成ながら管楽器のお一人お一人のご負担は、オリジナルよりも重いものとなっており、その管楽アンサンブルの妙が、このバージョンの魅力ともなっている。

ハープの代用を弦のピツィカートやクラリネット、フルートで行うあたり、とてもチャーミーグだったりする。



ソプラノ独唱の馬原裕子さん、バリトン独唱の与那城敬さんともに、惚れ惚れする歌唱。オケとコーラスとの合わせは順調で、明日の本番が楽しみとなった。








なかにしあかね先生への感謝(後れ馳せながら・・)

2019-07-29 09:56:12 | コンサート

この週末は混声合唱団ヴォイス(厚木)~大フィル合唱団~長岡混声合唱団集中レッスン。密度の濃い時間を過ごしました。



混声合唱団ヴォイスは、ここのところ7月15日(祝・月)の厚木市合唱祭に向け、なかにしあかね先生の「いつだったか」「今日もひとつ」の稽古に集中していたため、ベートーヴェン:ミサ曲ハ長調に復帰しての二回目の稽古。

いま振り返っても、厚木市合唱祭でのなかにしあかね先生との心の交流は美しいものであった。まだまだ、発展途上にある我々の良いところだけを見つめて評価してくださり、さらには会場および打ち上げの全体合唱では、厚木市合唱連盟の委嘱作「よかったなあ」からの「けやき」の指揮をしてくださった。その指揮の美しかったこと。なかにしあかね先生の指揮は、所謂指揮者の指揮ではないのだけれど、その心の自由さ、伸びやかさ、優しさが全身から溢れていて、歌う我々の心まで清らかにしてしまう。



この体験の有る無しで、今後のなかにしあかね作品へのアプローチはまるで違ってしまうほどの希少にして、感動的な時間でした。


(あ、これは、悪友・宍戸純先生とのツーショット。かれこれ30年近いお付き合い)

素敵なご縁を作って頂いた厚木市合唱連盟、そして、なかにしあかね先生に深く感謝致します。


又吉秀樹 テノール・コンサート・イン町田

2019-07-23 18:11:57 | コンサート


昨日、7月22日(月)は、我が地元、町田市民フォーラムにて、又吉秀樹さんのテノール・コンサートへ!

第1部:イタリア古典歌曲、第2部:日本歌曲 第3部:オペラ・アリア&重唱 

という休憩無しの3部構成。

第1部では、声楽家としての基礎を問われる古典歌曲で真っ向勝負し、第2部では明瞭な日本語ディクションとともに類い希な芸達者ぶりを見せつけ、

そして、第3部では、2人のゲスト、金持亜実(ソプラノ)、井上雅人(バリトン)を迎えての声の饗宴!

イタリアのテノールに必携の声の輝かしさと男も酔わせる色気を満喫してきました。

共演のお二人の声と歌にも大満足。

聴きながら頬が緩みっぱなし、いやあ、本当に愉しいコンサートでした。

終演後には、熱烈なベイスターズ・ファン3人組による記念写真を撮影。

いつか、一緒にハマスタで応援したいものです。

 

入場料1,000円という破格の企画(なんと第148弾!)をしてくださったのは町田イタリア歌劇団さん。

地元ゆえ、何度もチラシやポスターで目にしてきたお名前でしたが、今回が初体験。

歌手が素晴らしければ、オーケストラでなくてもこんなに楽しめるのだ、ということを教えてくれました。

これなら応援したいし、本公演にも行ったみたいですね。

心よりの拍手とともに、帰りがけには額は僅少ながらカンパもして参りました。

又吉さんとは、来年5月2日(土)、紀尾井ホールに於けるベートーヴェン:ハ長調ミサでの共演も決まっています。

その日が、本当に楽しみになりました!


シャルル・デュトワ ドイツ復帰公演「兵士の物語」

2019-06-24 23:06:40 | コンサート


ハンブルク最後の夜は、再びライスハレへ。
マルタ・アルゲリッチ音楽祭よりデュトワ指揮のストラヴィンスキー「兵士の物語」を聴くため。休憩前には、アルゲリッチによるバッハのパルティータ2番というのは嬉しいカップリング。



結論から言うと、前半アルゲリッチのバッハが神品だった。1曲目シンフォニア、グラーヴェ・アダージョは、まるで、ロ短調ミサ、キリエの冒頭のように峻厳にそそり立つ音。つづくアンダンテは、上行音型がまさに天を駆け昇る。
アルゲリッチは、まるで孤高の聖女のようであった。昨夜のプロコフィエフで、カンブルランのつくる枠の内外を行き来していたとするなら、今宵のアルゲリッチの魂は、もはや天上世界にあったと言ってよいだろう。
融通無碍のロンドーから躍動する終曲カプリッチョへ移行する際の間のよさなど、まさに天才の業であった。



後半の「兵士の物語」は、シャルル・デュトワが指揮をし、アルゲリッチとの娘アニー・デュトワが語りを務めるという趣向。兵士と悪魔の1人2役は、ルイージ・マイオ。

ルイージ・マイオは、たいへんな達者な役者だが、フランス語の上演で字幕がなかったせいか、客の反応は(哀れなわたしを含め)今ひとつ。途中退席する客も10人以上はあったか?

アニー・デュトワは決して器用な役者とは言えなかったが、それよりも問題は、2人がマイクを利用していたこと。舞台間口の上方ど真ん中に吊されたPAスピーカーは、恐らくは会場のアナウンス用のもので芝居に使うには質的に物足りない。2人が舞台のどこに居ても、いつも同じ場所から聞こえてくるため遠近感が生まれないし、如何にも電気的に増幅されたという台詞が、しかも大きめのボリュームで耳に痛く響いたのだ。

ライスハレはそんなに広い空間的ではないし、ワーグナーやリヒャルト・シュトラウスのような巨大なオーケストラと対峙するでもなし、さらには音楽なしの台詞だけの時間が長いので、マイクは不要だったのではないだろうか?

ルイージ・マイオの声は間違いなく立派だったことから、アニー・デュトワの発声をカバーするための措置なのか? 或いは、音楽ホールの豊かな残響に台詞の明晰さが奪われることを避けたのか? その2つくらいしか、わたしには思いつかない。

肝心の音楽は、もちろん良かったけれど、ヴァイオリン、コントラバス、クラリネット、ファゴット、トランペット、トロンボーン、打楽器という7人だけの室内楽編成ゆえ、大フィルとの「サロメ」や幻想交響曲で見せた「デュトワならでは」というゾクゾクする瞬間には出逢えなかったのは仕方なかろう。

なお、第2部後半、3つの舞曲でバレエを披露したのは、YUKI KISHIMOTOという日本人ダンサー(お名前の漢字が分からずスミマセン)。これが見事。その健康的なエロスで観客の心を惹き付けていたことは嬉しかった。



ところで、本公演はシャルル・デュトワのドイツ復帰演奏会、しかも、旧夫婦とその娘の共演ということで、もっと注目を浴びてもよい筈だが、客席には空席が目立った。2階席だけ見ても3分の1も入っていなかったのでは? 宣伝が足りていないのか? マスコミが敢えて採り上げないのか? 音楽を聴く市民の絶対数が少ないのか? 或いはほかの要因か? 
エルプフィルハーモニーの連日の狂ったような盛況を思うと淋しいことである。



ところで、曲が終わると、わたしの左方向から「ブラヴォー」と女性の声が上がった。なんとアルゲリッチそのひと。どうやら、わたしの4つか5つ隣の座席に居たらしい。うーん、あと数席左の座席を買っておくんだった(笑)。

まあ、PA含め、いろいろ不服のある公演だったが、アルゲリッチがあんなに歓んでいたなら、それで良しとするか。

アルゲリッチ&カンブルランのプロコフィエフ第3!

2019-06-24 10:10:56 | コンサート
エルプフィルハーモニー前のタクシー乗り場に急いだものの、目の前で2台が行ってしまった。しかし、徒歩+バスよりは早かろうと佇んでいると、5分ほど待ってようやくタクシーの影が! いざ、乗ろうと手を上げると、たった今、やってきた二人組ご婦人が、図々しくも割って入ってきて乗り込もうとしたので、心ならずも蹴散らしたことは既に書いたとおり(笑)。まったく油断がならない(先にグイッとタクシーのドアノブを掴んだだけ。念のため)。



ヨハネス・ブラームス・プラッツに建つライスハレは、所謂ヨーロッパの伝統的な音楽ホール。現代の科学と技術の粋を尽くしたエルプフィルハーモニーを生涯最高のホールと讃えたばかりの口で言うのも変だが、こういう昔ながらの木のホールに入るとホッとするのも事実である。



マルタ・アルゲリッチ音楽祭からの1公演で、カンブルラン指揮ハンブルク響によるヴェーベルンのパッサカリア、アルゲリッチ独奏によるプロコフィエフの第3協奏曲、休憩を挟んでチャイコフスキーの第5という魅惑のプログラムだ。



座席はここ。
背もたれに背を付けると、舞台の上手半分は見えなくなる。やや身を乗り出しても3分の1は隠れる。当地では、身を乗り出す御仁が少なくなく、わたしの両隣が豪快に身を乗り出してくれたので、わたしも控え目に乗り出して聴くのに躊躇はなかった。時々、右隣の男性が、メロディーを一緒に歌い出すのには辟易したが(笑)。

第1曲、極上のヴェーベルンを耳にして、ああ、間に合って本当によかった、と思った。

なんという精緻にして、魅惑の音楽であり、演奏であったか。それでいて、頭で考えた冷たい音楽とは無縁。ケント・ナガノの力に任せた演奏の後だけに、わたしには、その優美さ、高貴さが際立って聴こえた。そう、音楽には気品というものが必要なのだ。どんなに激しいときも、どんなに弾けるときも、どんな苦渋のときにも下品であってはならない。

カンブルランは何度か聴いていてもおかしくない存在なのだが、ついに日本で聴く機会を持っていない。どうもわたしの日程と読響のコンサート・スケジュールの相性が悪いらしく、ワーグナー「トリスタン」もメシアン「アッシジの聖フランシスコ」も涙を呑んだのだ。しかし、このヴェーベルンによる出逢いは最高だった。

つづいては、アルゲリッチとのプロコフィエフ。恥ずかしながら、生のアルゲリッチは40年近く昔(正しくはあとから調べます)、小澤征爾指揮の新日フィル定期でチャイコフスキーの第1協奏曲を聴いて以来。あのときは、ボヤボヤしないで着いて来なさいよ、とばかり自由奔放なアルゲリッチに、指揮もオーケストラも翻弄されっぱなしだったのを微笑ましく思い出す。

今回のアルゲリッチも自由ではあるのだけど、その加減が絶妙であった。つまり、カンブルランの描く枠の内でもなく外でもなく、ギリギリの線を出たり入ったり、そのスリリングさが堪らない。技巧は冴え渡り、音色も輝かしく、パッションも一流となれば、終演後の聴衆の熱狂も頷けよう。拍手、歓声、足踏みなど、ライスハレに地鳴りが起こったような騒ぎ。因みに第1楽章終了時にも拍手はあったが、それは聴衆がマナーを知らないというより、コーダ以降の目眩く鮮やかさと興奮に思わず拍手してしまった、という極めて自然な流れに感じられた。



チャイコフスキーの第5も素晴らしいものであった。カンブルランの醸し出す高貴の香りがチャイコフスキーによく似合うのだ。どこまでもコントロールされながら自由を失わないオーケストラ。歌心も満点だ。第1楽章こそ、もう少し緩急を付けた方が効果的ではないかと思う場面もインテンポで通り抜けたが、第2楽章以降はルバートの悉くが自然で美しく、フィナーレのコーダの輝かしさも申し分なし。



6月23日(日)に聴いたハンブルクの3つのオーケストラでは、NDRエルプフィルの実力が頭抜けているのは明白だが、ハンブルク響も相当に高いレベルにあった。とにかく音楽的。残念ながらケント・ナガノ率いるハンブルク・フィルはかなり遅れをとる。

もしかすると、そこがエルプフィルハーモニーというホールの恐ろしいところかも知れない。良いものはそのままに、悪いものもそのままに客席に伝える、という・・。

さて、ただいま6月24日午前10時過ぎ。今宵、マルタ・アルゲリッチ音楽祭よりシャルル・デュトワ指揮のストラヴィンスキー「兵士の物語」他が、我がドイツ・レクイエム旅の締めとなる。開演まで10時間弱、荷造りや買い物などしながら、ノンビリ過ごすとしよう。