昨日、4月17日(土)福島章恭シリーズ2「珠玉のモーツァルト&ベートーヴェン」、無事に終演致しました!
コロナ禍という外出しにくい環境の中、多くのお客様にご来場頂いたことを心より感謝致します。
”OVERCOME COVID-19 CONCERT with Amadeus & Ludwig" というサブタイトルとおり、モーツァルトとベートーヴェンの音楽によって、ささやかな日常の歓びを取り戻したい、音楽の素晴らしさを再認識したい、という願いを込めて演奏会を企画しましたが、聴衆の晴れやかなお顔を拝見し、「ああ、やってよかったなあ」としみじみと感じているところです。実際、演奏を聴きながら涙が止まらなかった、という声がいくつも届いております。それだけ、人々の心が乾き、音楽に飢えていたという証かも知れません。また、音楽にはそうした心を再生する神秘の力があるということでしょう。
今回は、ベートーヴェンの交響曲を振る最初の機会になります。少年時代、はじめて「運命」「第九」を聴いたときの衝撃、あの感動の大きさが今もなお継続しているからこそ、今日も音楽を生業としているわけであり、ブルックナーという絶対的な作曲家を知ったあとでも、ベートーヴェンは至高の存在であり続けています。その不滅の作品を振るということは畏れ多い行為ではありますが、挑戦したいという衝動は抑えきることができませんでした。
今回、自らに課したミッションのひとつは、「スケルツォ」を克服すること。
「7番」は、もちろん大好きな作品ではありますが、「スケルツォ」は演奏次第では単調、冗長に陥りやすいのも事実。そこで、わたしは、全リピートを敢行しつつ、一瞬たりとも退屈な瞬間のない音楽づくりを目指しました。そして、それは達成できたと自負します。それが出来たのも、マタチッチ最後の来日公演で聴いた「7番」の感動を、皮膚感覚で憶えていたからでしょう。あの記憶が、わたしの心を鼓舞してくれました。
と、自ら書いたところで自画自賛となりますので、わたしのブルックナー8番でコンマスを務めてくれた愛知祝祭管の高橋広さんの文章(Facebook「丹沢ブルックナー楽友協会」)をご紹介しておきましょう。奇しくも、スケルツォへの似たような想いが綴られているのが愉快です。
(なお、Web版で閲覧される方のために、改行のみ、こちらで追加しました)
本日4月17日の福島先生の演奏会の感想を友人限定タイムラインにアップしたところ、同じ演奏会に来あわせた友人から、「折角だから『丹沢ブルックナー楽友協会』カテゴリに転載したら?」とコメントを頂いたので、友人が登場する部分など一部カットして掲載致します。
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今日は、奇跡のような演奏体験となった愛知祝祭のブルックナー8番(2014年)を指揮して下さった福島章恭先生の自主公演を神奈川県橋本まで聴きに来ました。コンマスを務めるテアトロ練(名古屋テアトロ管弦楽団)とかぶっていたこと、コロナの状況、距離などがあり、前日まで迷いに迷いぬいたのですが、やはりあのとてつもないブルックナーを振った福島章恭という漢(おとこ)が、今どんな境地に到達しているのかをどうしても自分の耳で確かめたく、さらにこんなアゲインストな時期に敢えて自主公演を行う心意気に打たれ、結局テアトロ練前半を休ませてもらい、こちらに参加することになりました。
前プロはフィガロの結婚序曲。曲調と小編成オケであることから、さすがに巨大な演奏ではないものの横振りを多用されることによる音楽の流れや生命力が横溢する快演でした。
続いてジュピター交響曲。モーツァルトの交響曲の中でも最愛の作品であり、今回一番楽しみにしていた曲でもあります。これも愛知祝祭とのブルックナーのような巨大さはないものの、ややゆったり目のテンポの中で、実に深い呼吸感で自然に、豊かに、深々と鳴り渡ります。弦の人数は6-6-4-3-2という極めて小編成ながら、全くそれを感じさせない大らかで充実した響きがホールを満たしました。いや、小編成ながらというよりは、この編成だからこそ出来る最良のサウンドを見事に引き出し、かつオケも福島先生の意図を微細な点までしっかり汲み取り、ベストな演奏でそれに応えていたというべきでしょう。そしてティンパニとトランペットが実にいい仕事をしており、闇雲に存在をアピールするのでなく、普段はしっかりと音楽の隈取りをつけながら、ここぞの場面では文字通り乾坤一擲のサウンドでハッとさせる頂点を作り上げてくれました。最後列中央に位置するティンパニ奏者の井手上氏と福島先生の一本の太いラインが音楽を壮麗な高みへと牽引していく様は圧巻でした。特にどこまでも昇りつめていく終楽章の、決して踏み外したり割れたりすることなく、しかし凄まじい熱量で高揚していく様は、大オーケストラを指揮する往年の大巨匠の演奏に些かもひけを取らない、偉大な演奏でした。
休憩後はいよいよメインのベートーヴェン交響曲第7番。実は個人的にはベートーヴェンの交響曲中一番好きじゃない作品で、しかもあのジュピターの偉大な名演の後だけにかなり分が悪かろうと心配していましたが、第一楽章の第一音目でその懸念が吹っ飛びました。前半のモーツァルトとは全く違うストレートでシャープな、鮮烈なサウンドが鳴り響いたのです!ジュピターではフィナーレの最高潮の箇所でも決して出さなかった突き抜けるサウンド。前半だけでは分かりませんでしたが、モーツァルトの際は、極限まで薄い紗幕で包まれたような夢幻的であったオケのサウンドは、後半になって一変したのです。これだけ違うサウンドを引き出した福島先生の指揮も魔術的なら、それに完璧に応える東京フォルトゥーナ室内管弦楽団もスゴい!第一楽章序奏部からオケの決して力みはない力強さが見事で、低弦は上述の如くチェロバスで5人しかいないはずなのに、豊かで濃く熱いサウンドで福島ベートーヴェンの土台を磐石なものにしていました。続く第二楽章見事で、福島先生を含め36人が一つの有機体となってこの楽曲の核を演奏している感がありました。冒頭の方でチェロが旋律を演奏する箇所の subito p はゾッとするほどの緊張感であり、隣に座っていた聴き巧者の友人はここでブルッと体を震わせていたほどです。第三楽章は僕が一番苦手なところで普段は往年の巨匠の録音を聴いている時さえ冗長さを感じてしまうのですが、今日は退屈する暇もありませんでした。モーツァルトでも書いたここ一番のティンパニとトランペットのサウンドも、さらに鮮烈さをもって見事に決まっていました。そして遂に終楽章。ここはテンポとしては巨匠風というよりはむしろ速めで圧倒的な推進力と生命力が溢れだしていましたが、中盤の高弦と低弦が掛け合う箇所のドラマティックなルバートは、福島先生が外面的には現代的な演奏スタイルながら内面は往年の巨匠の風格も併せ持っていることをよく示していました。そしてラストはさらにテンポをさらに追い込みつつ巨大で熱狂的な音楽となって終結しました。この小編成で、しかもチェリビダーケのような遅いテンポでもないのに、フル編成のベルリンフィルの実演に接した時に勝る壮絶な体験でした。
アンコールの洒落ていながら極めて明晰なピチカートポルカ、そして愉悦感に満ちたラデツキー行進曲は、明るく楽しく生きよう!という福島先生のメッセージが深く胸に届きました。
福島先生、素晴らしい演奏会を本当に有難う御座いました!
相原千興さん率いる東京フォルトゥーナ室内管弦楽団メンバーへの謝辞も書きたいのですが、些か長くなってしますので、別の記事に書きたいと思います。