モーツァルト:ピアノ・ソナタ集 (第1番, 第3番, 第7番. 第10番, 第11番, 第14番, 第15番, 第17番, 第18番)
ゾルタン・コチシュを偲び、彼のモーツァルトのソナタ集(フンガロトン・レーベル)よりいくつかを聴いて眠ることにしよう。
デジュー・ラーンキとほぼ半分ずつ曲を分け合って全集を成すという趣向であり、コチシュの受け持ちは上記の9曲(したがって、ラーンキの受け持ちは第2番 - 第6番, 第8番, 第9番, 第12番, 第13番, 第16番の10曲)。
ボックスの写真の通り若き日の録音。1980年というから今から36年前、コチシュが28歳のときの記録ということになる。使用楽器は、スタインウェイのmodel B。コンサートグランドではなく、室内楽やサロン・コンサート向きの楽器で、モーツァルトには相応しいサイズといえるだろう。
今宵、針を落としたのは、4枚組(8面)のレコードのうち、第3~6面、即ち、第7番ハ長調K.307、第10番ハ長調K.330、第11番イ長調K.331「トルコ行進曲付き」、第14番ハ短調K.457、16番変ロ長調K.570、幻想曲ハ短調K.475の6作品である。
いずれも明晰かつ硬質なタッチによる名演で、歌心にも満ち、溢れ出る才能を止めようもないといった趣きが素敵だ。
並々ならぬ推進力とスコアの透けて見えるような透明性を獲得したパフォーマンスであるが、たとえば、ふたつのハ短調作品では、死の影を思わせる何かも秘められている。
これぞ、天賦の才能と呼ばずして何と呼ぼう。
ところで、ラーンキとコチシュでは個性が違うのは当然で、お互いに自らの欠番を補ったならば2つの全集が出来たはずなのだ。
そんなことを悔やんでも何にもならないので、いまは残された録音に感謝を捧げつつしみじみと味わうとしよう。