Bruckner: Symphony No.8 (Haas) AKIYASU FUKUSHIMA cond. Orchester der Aichi Festspiele
ぼくの音楽人生において、節目となる演奏会はいくつかある。
中でも忘れがたいのは、2009年シュテファン寺院グランドコンサートに於けるモーツァルト「レクイエム」指揮。
ウィーンのオーケストラ、ソリスト陣とのリハーサルの緊張と高貴で神聖な空気に包まれた本番の素晴らしさ。
そして、2013年8月、バッハの聖地、ライプツィヒ聖トーマス教会に於ける「ロ短調ミサ」指揮。
これまた、ザクセン・バロックオーケストラというヨーロッパ一流の名アンサンブルとソリスト陣、そして心温かな聴衆に恵まれ、忘れがたいコンサートとなった。
しかし、さらに自分にとって重要なコンサートは、昨年10月26日愛知県芸術劇場にて行われたブルックナー「8番」演奏会ということになる。
本番直前に天から授かった全曲94分という異例のスローテンポを振り抜いたことにより、ぼく自身が生まれ変わってしまったからである。
このコンサート以後、ボクの指揮や音楽の捉え方はまったく違ってしまった。それほど、ブルックナーの音楽には霊的な力が宿っているのだ。
もちろん、それも、あの尋常ならざるテンポについてきてくれた楽員の献身あってこそ。
その意味から、上記シュテファン寺院のモーツァルト「レクイエム」や聖トーマス教会の「ロ短調ミサ」を指揮したのは、まだ本当の自分ではなかったということになる。
是非とも再挑戦しなければならない、と思っていたところ、シュテファン寺院には2017年12月5日、つまりモーツァルトの命日に再び「レクイエム」の指揮ができることが決まり、
さらには、来年3月のトーマス教会での「マタイ受難曲」を成功させることで、「ロ短調ミサ」再指揮への展望が開かれることだろう。
思えば、ボクが合唱指揮をはじめてしたのが、今から27年ほど昔、産休代替教員として出掛けた公立中学校の週1コマの「合唱クラブ」の時間だった。
そのときに、こんな音楽家としての至福が自分の未来に置かれていたとは、知る由もなかったのである。まこと幸せにして運に恵まれた音楽人生であることを、ボクに関わる全ての人々に感謝せねばなるまい。