自分が忘れないための覚え書。
「題名のない音楽会」で観たバッティストーニ。
無尽蔵のエネルギーとアクティブな指揮ぶりにばかりが注目されがちだが、それだけではない。
その運動だけをみても、多くの日本人指揮者に欠けているものを持っている。
肩甲骨からのしなやかで柔軟性な腕の動き。懐の深さも半端ではない。
たっぷり酸素を補給しながらの運動なので、疲れを知らず、一点へではない広範な視野への同時進行的な集中力を有する。
起伏の激しい情感に運動がシンクロし、カンタービレの波が全身から溢れでて枯れることがない。
とかく、日本には肩から先の腕だけで振る指揮者が多すぎるのだ。打点ばかりに気を取られ、呼吸や歌のない指揮も多い。
バッティストーニの棒から生まれる巨大な音楽が、ただ、恵まれた肉体やアクションの破天荒さに起因すると思ったら大間違いである。