明鏡   

鏡のごとく

大安吉日の家族

2023-09-13 21:48:37 | 詩小説
大安吉日であった本日
我々は家族のようなものから
紙の上での家族となった

我々には茅葺という純愛があった
文学に熱愛が
音楽に愛浴があるように 

茅葺の屋根の下でねころびあい
茅のたましいとゆらゆらしながら
杉皮の面を作るのだ

ねこのめ

2023-01-07 23:53:01 | 詩小説
茅を運んでいたら
猫の子の亡骸を見つけたという
茅の山の間に眠っていたという
茅と猫がとけあっていたという

茅倉庫の台の上に水筒が置いてあった
ピラミットの中の目のようなものに
足が描いてあった
働いているようで働かない監視カメラの目のような

金と菌と禁を積み重ねて
世界のピラミットの要といいながら
働くものを笑うものは
いらない目にあう

金をすればするだけ長者と言われるものと
働けば働くほど長けたものになるのと
死ぬか生きるか
働くか働かないかほどかけ離れていく

軽トラに茅を積みかさねて
車輪の横でくろねこにあう
黄色い片目だけが光るねこのめにあう
こちらをじいとみているめにあう

あがりめ さがりめ くるりとまわって ねこのめ

いきている しんでいる あのこをさがした ねこのめ




杉皮の壁

2022-11-04 13:24:30 | 詩小説
杉皮の壁を作った

杉皮葺の屋根は
屋根の傾きに
皮だけになった身をそらしながら
一寸弱だけずらしながら重ねていき
竹で押さえ
またその上に
竹が見えなくなるように
杉皮で葺いていくのだ

杉皮の壁を作った

壁は垂直であり
竹で押さえることもせず
ばすばすと一枚づつ固定していく
ゆるりと皮がなめされていくように 
杉皮のざらりした肌目の波に
手心を委ねて
白い粉と杉のヒゲを
はらはらとはらいながら
杉皮が重なっていく
壁が大きな樹になっていくのだ

お見送りの朝

2022-10-14 01:26:31 | 詩小説
軽トラックに乗って、杉皮葺の屋根で使う、杉皮のうめものと茅のうめものを運んでいた。
道を左に曲がり坂道を登っていくと、朝の挨拶運動で幟を立てている人たちが、軽トラックに向かって挨拶をしていた。
おはようございます。
という声はお互い聞こえないまま、窓越しの透明な無音の中、自分も会釈をしながら、通り過ぎていた。
どこかの宿にでも泊まって、お見送りでもされている、奇妙な気持ちになっていた。
何かがいつもと違うような気がしていた。
坂道を下り始めると、ふと、現場への道とは反対方向の道を走っていることに気づいた。
このまま、引き返そうか。
とも思ったが、あの一度目のお見送りの後に、また引き返し、二度目のお見送りをされる気持ちにはなれず、そのまま、反対方向の道を下って行った。
道は、下ったところでまた別の道を上がってくることにはなるが、ぐるりと繋がっているのだった。
それにしても、なぜ、この道を通ってしまったのか、無意識にしても、なんだか、奇妙な朝だった。少し遠回りになるが、このような日は、何か起こりそうで、いつもより安全運転で焦らないように、現場に向かった。

仕事が終わって、家に帰り、晩御飯を作って、食べ終わり、ゆっくりと、お茶を飲んでいた時に、姉からの携帯電話がなった。

じいちゃんが危ないらしい。病院から、呼び出しがきたと。
コロナでも、面会はできるっていうことやけん、かなり危ないんじゃなかと。
今、ばあちゃんたちと病院に向かっとる。
あんたは、仕事があるけん、夜遅くなるし、無理せんでいいけん。

とりあえず、行くわ。索道と道成と。

夜の道を、道成が運転した。

30分は早く着くけん、高速に乗るよ。

いつもは下道で、ゆっくりと道道のものを眺めながら走るのだが、今日は、いつもと反対の道を行く日のように思えた。

病院に着くと、姉が戸口で待っていた。
時間外なので、特別に戸を開けてくれたのだった。

エレベーターを降りると、部屋がすぐそこだった。
何ヶ月もチューブに繋がれて、口から飲み込むこともできず、チューブを通ってやってくる点滴だけが、じいちゃんの透明な唾液のようで、唾を飲み込むこともままならず、身体中にねっとりとした透明なものを注ぎ込まれ続けていた。

じいちゃん、血圧が下がっとう。

景気を見ると、上が65でしたが33しかない。

ばあちゃんが、じいちゃんのくの字に曲がってしまった手や細くなった手首や腕をさすっていた。

二時間くらいさすっとったとよ。

ばあちゃんは、目をショボショボさせながら、言った。

席を譲られた私は、じいちゃんの決して口を開くことがない、きっちり、頑なにしまった鳥のくちばしのような手をさすり始めた。

じいちゃんの手、ずっと、このままやけん、指と指の間に垢が溜るとよ。

ばあちゃんが言った。

へそのゴマみたいやね。

私はそう言って、じいちゃんの手をヤワヤワとさすり始めた。
少し暖かかったが、指先の方がくちばしのように、血の気がなく、かたくなっていた。

ばあちゃんと姪っ子と姉が疲れ果てていたので、隣の空いたベットで横になったり、椅子に座ったりしていたが、道成は索道を迎えに行ってくれた。

次の日は、東京に出張なので、空港近くの宿いたのだが、少しでも、じいちゃんに会える時に会っていた方がいいと、迎えに行ってもらったのだった。

索道が来ると、ずっと目をつぶっていたじいちゃんの目をそおっと開けるつもりが、みんなが見えるかもしれないと、こじ開けて目をひんむいてしまっていた。

じいちゃん、索道に道成が来たばい。みんなもおるよ。

もう、じいちゃんは、何も言わなかった。

脈と頭だけは、脈々と動いていた。というよりも、痙攣のように、小刻みにリズムをとるというよりも、無意識のうちに頭を振る癖のそのままのように、何かの音頭をとるように、動かし続けていた。

この前来た時、何が食べたい?

って聞いたら、

キャベツ食わせろ。野菜ば食わせろ。

と言っていたのに、もう、何も食うことができんのやね。

私が言うと。

アッコ、キャベツば食わせろ。

と、じいちゃんの真似がばさりこうまい道成が、かすれた声でじいちゃんの真似をしていたのを思い出した。

索道と道成がじいちゃんの顔に触った。

今度は、じいちゃんのふくらはぎば、もんじゃろうね。第二の心臓やけん。

姉が、ぎゅうぎゅう、もみ始めた。

そうやね。

私も、ぎゅうぎゅうもみ始めた。

皆で、交代でもんでは、仮眠をとっていった。

索道は、一目会えたので、とりあえず、安心して宿に帰っていった。

朝方、ベット脇で、控室の椅子を繋げて、仮のベットにして、じいちゃんの手首を握って眠ってしまっていた。

じいちゃんの仕事の関係で、イランに行っていた時に、よくソファで、掘建小屋を作ったり、ベットにしたりして遊んでいたのを思い出していた。

遊び道具が、あまりなかったので、あるもので、なんでも遊んでいた。紙に住みたい家の間取り図を描いて、その上で、ボールペンの先っぽの黒いペン先が出る穴の開いたプラスチックの方を、人に見立てて、やたらと地味な遊びをしていたのを思い出したりしていた。

朝が来ていた。

お医者さんが来て、一通り、計器を見て、

酸素が行き渡らなくなってきたのもあるから、気をつけて。

と言った。

血圧が少し上がっていたので、姉は家の用事で部屋を出て、私と道成は、サンドイッチと飲み物を買いにいった。

突然、携帯が鳴った。

姉からだった。

じいちゃん、危ないらしい。

急いで、病室に帰った。

じいちゃんは、もう、首を振ることもなくなっていた。

娘さんたちがいなくなって、寂しかったんやね。

お医者さんがいった。

サンドイッチに挟まれた野菜を食わせたかったなあ。

じいちゃん。





















『霖雨』葉室麟著、『日田広瀬家三百年の歩み』

2022-09-03 15:12:12 | 詩小説
『霖雨』葉室麟著、『日田広瀬家三百年の歩み』拝読。

『霖雨』葉室麟著。

天領日田で私塾咸宜園(かんぎえん)を主宰する広瀬淡窓とそれを支える弟九兵衛を通して、広瀬家に関わる人々を描きながら、大塩平八郎の乱などの起こる時代背景を浮かび上がらせている。


咸(ことごと)く宜(よろ)し=すべてのことがよろしいと言う中国最古の詩集『詩経』にある「殷、命を受く咸宜(ことごとくよろし)、百(ひゃく)禄(ろく)是れ何(にな)う」から来ている咸宜園の名。
現在、史跡咸宜園跡には、江戸時代に建設された居宅「秋風庵(しゅうふうあん)」や書斎「遠思楼(えんしろう)」が良好に保存され公開されている。

秋風庵は、杉皮葺の屋根となっていて、真冬の雪が降りしきる中、補修をさせていただいたことがある、とても、思い入れのある屋根でもある。

淡窓が病弱だった若かりし時、肥後の天台宗の高僧豪潮律師が日田の永興寺に来て連日加持を行っていたので、秋子が病気がちな兄の淡窓のために大誓願を立てたという。


体が弱いということで、家業を継ぐことなく、儒者となり、私塾を開き、日記や思想、詩を書き続けたと言う淡窓の、「敬天」の心持ちは、弱者から始まっているようで、身分よりも、学ぶことに集中出来る場を作り、その後にも考え続けることをし、人の芯を作っていく術を育てたと言える。

大塩平八郎は飢饉の際、備蓄してある米があるのに死んでいく人々とともにあり、決起したのだが。
天領日田でも同じような状況下にあって、九兵衛は粥を振る舞ったりしていたが、当時、日田金と言って、大名にも金を貸し付けていた博多屋を取り仕切っている九兵衛に対する圧力は大きくなっていた。九兵衛が当時の郡代に命ぜられて手がけた、日田の灌漑事業の成功ののち国東などの灌漑事業も任せられてはいたものの、そこに駆りだされたものたちが、すぐに利益が得られたわけではなかったので、不平等感とともに不平が噴出していたという。
淡窓は、力ではなく、敬天の思想を軸とした、学問の上で平等を目指していたと言えるだろうが、九兵衛は、商いを通して、実践していこうとしたと言えるが、そこには、軋みもあったと言える。

今の世において、自由度は、増しているようにも思えるが、「税」に関しての不平等感は拭えないものとなっている。
個人事業主からは、インボイス制度を押し付け始めており、サラリーマンからは、間違いなく税を絞りとるだけ取り。
大企業においては、法人税を払わないでいる企業もあり、税金など、払ってもいない状況の者たちは、野放しという状況は、見えなくされている。
諸外国においては、コロナの影響もあり、消費税をある程度免除する方向の国もあるというが、この日本では、議論にもあげようとしないでいる現状を鑑みて、金を刷り続ける国家というものに、そもそも、税金などいらないというのが、自分の考えである。
不自由を押し付けられることなく、金の奴隷を作らないということは、まずは、何より、いらぬ税金を取らない・取られないということが必要である。

その金を擦り続けている打ち出の小槌状態の機関である国あるいは世界政府と言われているものが跋扈する世界の在り方を、心底から、考える時期に来ている。


「金」を媒体としない、相互扶助の成り立つ世界を目指すことも一つの形と言えるかもしれないが。
本当の自由とは、究極は、自分で何事も完結できることなのかもしれないと思う今日頃ごろではあるが。



閑話休題。

「休道の詩」は、馴染みの方もおられると思う。



「桂林荘雑詠」(けいりんそうざつえい)
『遠思楼詩鈔』に掲載されている七言絶句である。淡窓26歳のときの作で、以下の4首からなる。2首目を「休道の詩」、3首目を「諸生に示す詩」とも通称する。これら4首のうちの特に2首目は詩吟として読まれることもある 。
(1)
幾人負笈自西東  幾人か笈を負ひて(いくにんかきゅうをおいて) 西東自りす(さいとうよりす)。
両筑双肥前後豊  両筑(りょうちく) 双肥(そうひ) 前後の豊(ぜんごのほう)。
花影満簾春昼永  花影(かえい) 簾に満ちて春昼永く(すだれにみちてしゅんちゅうながく)。
書声断続響房櫳  書声(しょせい) 断続して房櫳に響く(だんぞくしてぼうろうにひびく)。
(2)(休道)
休道他郷多苦辛  道ふを休めよ(いうをやめよ) 他郷苦辛多しと(たきょうくしんおおしと)。
同袍有友自相親  同袍友あり(どうほうともあり) 自ら相親しむ(おのずからあいしたしむ)。
柴扉暁出霜如雪  柴扉暁に出づれば(さいひあかつきにいずれば) 霜雪の如し(しもゆきのごとし)。
君汲川流我拾薪  君は川流を汲め(きみはせんりゅうをくめ) 我は薪を拾はん(われはたきぎをひろわん)。
(3)(諸生に示す)
思白髪倚門情  遙かに思ふ(はるかにおもう) 白髪門に倚るの情(はくはつもんによるのじょう)。
宦学三年業未成  宦学三年(かんがくさんねん) 業未だ成らず(ぎょういまだならず)。
一夜秋風揺老樹  一夜(いちや) 秋風(しゅうふう) 老樹を揺がし(ろうじゅをゆるがし)。
孤窓欹枕客心驚  孤窓(こそう) 枕を欹てて(まくらをそばだてて) 客心驚く(かくしんおどろく)。
(4)
長鋏帰来故国春  長鋏帰りなん(ちょうきょうかえりなん) 故国の春(ここくのはる)。
時時務払簡編塵  時時務めて払へ(じじつとめてはらえ) 簡編の塵(かんぺんのちり)。
君看白首無名者  君看よ(きみみよ) 白首にして名無き者を(はくしゅにしてななきものを)。
曾是談経奪席人  曾て是れ(かつてこれ) 経を談じて席を奪ひし人(けいをだんじてうばいしひと)。




『日田広瀬家三百年の歩み』
最初は堺屋と言われていたが、その後、博多から移住してきたのもあり博多屋と言われたと言う広瀬家の日田に居を構えて三百年の足取りを、辿っている。
広瀬家八賢人と言われる、月化・桃秋・淡窓・秋子(ときこ)・九兵衛・旭荘・青邨・林外。
現、大分県知事の広瀬氏の祖先の方々ということである。