明鏡   

鏡のごとく

ながれのいきつくところ

2010-08-24 17:38:22 | 
博多駅の拡張工事はいつまであるのだろう
あるはずの通り道には
灰色の通行止めの覆いがかぶさっている
硝子張りの柱の中の広告塔には 何も貼られていない
支えているものの姿が見えない
やきたてのくろわっさんの匂いだけが
そこにとどまって 人は流されていた
拡張されているのは 人の意識だろうか 駅の売り場だろうか
あるいは ぐるぐるまわるこーるたあるの ろーたりーくらぶだろうか

城下町と商人の町
が別れていたころも
はかたんまちを
人は流れになって走っておったが
真夏の早朝にだけ
時間はくりかえしとまっていた
祭りの終わった朝に生まれたせがれは
後の祭りを名残惜しむように
息苦しい血塗られた産道をくぐり抜けて
この世に生まれて来たのだ

産道は参道につながり
へその緒のよじれは注連縄のよじれとなって
おまいりする対象は
抜け出したからっぽの子宮で鏡か石か言葉の他には何もない神棚
だとするならば
ひとは神に参るのではなく
じぶんのきたみちにまいっているだけなのだ
等と思いながら
せがれたちとすわるところのない駅で
すわるところをさがしつづけていた