明鏡   

鏡のごとく

『ペット・ショップ』

2012-09-12 18:42:52 | 小説
 ペット・ショップでは、犬の鳴き声が聞こえない。

 そう思った。

 1メートル四方の透明な防音壁に囲まれた箱の中、一匹ずつに充てがわれた空間は、まるで、ひとつの細胞の中のひとつの核のようによじれよじれしながら、右に左に跳ねまわる。
 生きているけれど、そこで生きているといえるのかどうなのかさえ、わからなくなるような、ひとつの細胞核なのだ。

 目の前で音もなく毛むくじゃらの核がむくむくと蠢いている。
 透明な床には白いティッシュペーパーが引きちぎられた雲のように、小さな犬が動く度に、ふうわりと水の中の一筋の濁りのようにくるくると舞っては落ちてくる。

 眼の前にいながら、手に取れないもどかしさ。
 音もなく、顕微鏡を覗きこんだ一つの目玉は、兎角、錯覚を起こしがちで、そこにあるのは己と一匹の犬のような気になっているが、それらの光景をまた別の目玉に見いられていることに気づく。


  この子、可愛いでしょう。


 ペット・ショップの店員が、音もなく、すっと横に立っていたのであった。


  ええ、そうですね。まだ、赤ちゃんなんですね。


 私は思ったままを口にした。


  はい。そうなんですよ。


 店員は、目に入れても痛くないようなとろりとした眼差しで見ていた。
 毎日、接していると、158000円という値札は、目に入らないようだった。

 ふと横の箱に目をやると、値札がなかった。
 入った小さな黒と白の猫は、仰向けに寝ていた。


  ああ、あの子は、ここをもうすぐ出るんですよ。


 店員は、にこやかに歯切れよく話して、レジの方に探しものを探しに行くように、きびすを返していってしまった。


 あのこねこ。
 片目を開けて眠ってた。
 動きもしない。舌を出し。
 息をしていない、もしかして。
 ここを出ていく、もしかして。
 2つの行き先あるのだろうか。