イラン映画「絵の中の池(The Painting Pool)」(マズィヤール・ミーリー監督)を見た。
軽い知的障害を持つ両親マルヤムとレザに育てられた小学生の高学年になろうとしているソヘイル。
算数も言葉も難しくなってきた。
毎日シシケバブ?とナンと生の人参のお弁当を一生懸命作ってくれるお母さんのマルヤム。
レザとマルヤムは毎日製薬会社で薬の束を箱詰めする工場で働いて自立して生きているが、どことなく、質素で、友達のうちと何かが違う事に気づいていく。
ある日、友達と喧嘩してメガネが壊れた。
先生がお手紙を両親に出した。学校の勉強についてのこと。
来なくていいといったのに学校に知的障害のある母親がやってきて、それを恥ずかしいと思うソヘイル。
メガネを買いに行ってもほしいものは高くて買えない。
メガネを買わないなら遊園地に行けると無理をしてわざわざいっても、ぐるぐるまわる乗り物を怖がって逃げ出す母親。
家で母親に辛く当たるのを見かねて、普段はやさしい父親がソヘイルをひっぱたく。
ソヘイルは両親と喧嘩して、勉強しに行っている先生のうちの息子になりたいと言い出す。
親離れしようとするソヘイル。
子離れできない両親。
メガネが壊れたように一つずつ家族の生活が壊れていく。
とうとう先生の家で暮らすようになるソヘイル。
経済制裁の中、仕事を一人追われる父親。
仕事を探して歩きまわる。
知り合いの店のおやじにお使いを頼まれたり、ピザ屋の配達をしようとしたり。
男には仕事が必要。
書けないペンにはなりたくないと。
ここいらでやりきれなくなった。
多かれ少なかれ、親の気持ちも子の気持も併せ持つ気がしたからだろうか。
車の行き交う道を渡ることができなかった母親が、息子に人参を持ってきてくれた時、息子は母の身を案じて無事に帰ったか、先生に確かめてほしいと懇願する。
先生は、両親の家を尋ね、家族のアルバムを見せてもらいながら話をする。
アルバムを見ながら、結婚の時、誓いの言葉をひとつだけいった。と両親は先生に話す。
お互いを思いやりなさい。
甘えのない思いのたけの物語。