明鏡   

鏡のごとく

「日本奥地紀行」イザベラ・バード 平凡社

2017-09-27 23:40:19 | 茅葺


新潟の魚沼に茅葺職人体験に伺った時に、福島にも足を伸ばし茅葺銀座?「大内宿」を訪れた時のことである。

猫が縁側で眠っていたので、近づいてみると、その横にイザベラ・バードがこの家に泊まったことがあるということが書いてあった。

店番をされているその家の子孫の方が、イザベラ・バードはぶどう酒を持っていて、それを飲んでいるのを見て、住民が不気味がったという話をお聞きした。

ぶどう酒が人の血に見えたらしい当時の方々が、生き血を飲む珍しい人を、訝っていたという、今では笑い話であるが、本当にあった異文化交流話である。

イザベラ・バードが日本の奥地を旅したのは、自分の健康を慮っての、気分転換のためのものではあるが、日本を視察する目的も大いにあったようで、もの珍しいということにおいては、外から来た者にとっても、うちにある者にとっても、同じ思いであったようである。

オーストリア公使館のシーボルトの報告と当時の日本の情報を照らし合わせていたということ。

アメリカ外交の成功を長く記念するとイザベラ・バードがいう、アメリカ人の命名したリセプション湾、ペリー島、ウェブスター島、サラトガ岬(富津崎)、ミシシッピー湾(根岸湾)というものも知らなかったが、名前というものは名付けるものの思いが重なってはいるものの、当時の方々にとっては、はた迷惑な、わけのわからない、勝手なことであったともいえよう。

いやいや、勝手に命名するなよ。と。


人力車が初めて街中をはしりだしたのが1871年(明治4年)であるということ。も知らなかった。

今では、いつ始まったかなど覚えてもいないことを書き記すことによって、刻みこまれるものもあるということ。

大内宿にたどり着く前に、イザベラ・バードの見たであろう日本を、これからじっくり読み、寄り添うように、たどっていこうと思う。

大内宿で眠っている猫の夢のようなものであるかもしれない。ひとときのものであるかもしれないが。