明鏡   

鏡のごとく

「初夢を忘れてしまったから」

2018-01-02 17:42:54 | 詩小説
初夢を忘れてしまったから、もう一度だけ、夢を見ようと思うの。

と、彼女はひとりごちた。

私は、忘れてしまうことができない夢を見続けているような心持ちになった。

これまでの月日は、彼女にとっては忘れてしまった初めての夢よりもなおきれいさっぱりとしたものになってしまっていたのだけれど、私はまだ夢から覚めないまま、ずっとここにいたのだった。

彼女は私から離れていこうとしていた。体はもちろんのこと、心までも。

私は、彼女をとどめておくことができなかった。

なぜなら、彼女は初夢をすでに忘れてしまったように、私をも忘れ去ろうとしているのだから。

私は、彼女の初夢であったかのように、彼女の前から、姿を消すことになるのだ。

跡形もなく。

そして、彼女がもう一度見る夢は、一年に一度巡ってくる、初めての夢のように、思い出せなければ意味のないような、あるような曖昧な記憶の空(うろ)に溶け出していくようなものであるようで、夢を現実と見紛うような、夢を実現し、現実を超えたところに連れて行かれるようなものであるならば。

私は、もう一度見ようとしている夢に消されてしまうような、儚いものとなるのは確かなことなのだった。

私は、彼女の中には、いなくなるのだ。

私は、私でしかなくなるのだ。

そうして、初夢ではない、時々、デジャヴのように、いつか見たことがあるような、ないような、幽かな夢のようなものになるのだ。




それから。

彼女は、三が日を過ぎてから、初夢を忘れてしまった証のように、長い夢を見ていたような私の前から姿を消した。

緑の枠に収まった昔の名前を思い出したように。

かつての戦争の時のように、生きていくためにと、死の戦場に繰り出されるまえに届いた赤紙のように、赤い枠にはめ込んであった私たちの家族という形を、忘れてしまったかのように。

「茅葺の民俗学」生活技術としての民家 安藤邦廣 はる書房

2018-01-02 11:14:52 | 茅葺
「茅葺の民俗学」生活技術としての民家 安藤邦廣 はる書房より以下抜粋。


東京でも町家が瓦葺に変わったのは江戸末期で、その前は板葺、さらにその前は茅葺であったことは茅場町という地名が残されていることによっても知ることができる。

茅場町は江戸築城のとき神田の茅商人が移り住んだために呼ばれたという。

また、東北地方の宿場町や武家屋敷には茅葺がなお数多く残されている。

北海道のアイヌの住居は屋根ばかりでなく壁も茅葺である。

また、南国沖縄といえば強烈な太陽に照りつけられた赤瓦葺が印象的であるが、このような赤瓦葺の一般庶民への禁令が解かれるのは明治二十二年の事であり、今日のような赤瓦葺の景観が一般的になったのは第二次世界大戦以降の事である。

それまでの沖縄の庶民の住居といえば茅葺で、壁も茅葺としたものが少なくなかった。

このような屋根ばかりでなく壁も茅葺とした住居は本土の山村にも戦後までいくつか残されており、なかでも長野県秋山郷の民家は広く知られるところである。