明鏡   

鏡のごとく

「麦藁と御勢大霊石神社(みせたいれいせきじんじゃ)」

2018-06-03 20:32:45 | 茅葺
軒に使う麦藁を取りに小郡まで伺う。

束ねてあった麦藁を拾いつつ、こぼれ落ちた穂もかき集めていく。

トラックに積みながら、機械で刈り取られた裸の麦のようで、物腰が柔らかく、今にも折れそうではあるが、一度集まると、その柔らかさは弾力を持ち、茅を優しく支えてくれるものなのだ。と改めて思う。



その後、お近くの御勢大霊石神社に伺う。

杉皮葺の屋根を拝見する。

奥さんが出てこられて、屋根裏も拝見させていただく。

江戸時代くらいにできたもので、移築してきたお家だそうである。
御勢大霊石神社は伝説によれば、第十四代仲哀天皇が熊襲征伐にあたり的の毒矢に当てられてこの地に崩御されたという。

その後、香椎宮に祀られるようにもなったという。

御勢大霊石神社には、御朱印を求めて、旅の人が訪ねて来られていて、知る人ぞ知る場であると思われた。

「遅れてやってきた茅葺への道黄金週間」月輪寺篇

2018-06-03 20:31:41 | 茅葺
月輪寺に行く。

がちりんじと読む。

と言っても、すでに、茅葺の葺き替えに着手しており、大きな茅葺屋根の全体像は拝見できなかったが、歴史ある建物であるので、いつか手がけたいと先輩がおっしゃていたのが印象に残っている。

出来上がった時、また、訪れてみたいところではある。

「遅れてやってきた茅葺への道黄金週間」伊藤博文篇

2018-06-03 20:31:17 | 茅葺
 伊藤博文ゆかりの茅葺の建物を拝見。

 民家なので、かなり荒削りな茅の葺き方で、それがかえって、素朴な感じを、飾り気のない、どちらかというと質素な生活を思わせた。
 確か、彼の生まれ育った家だったと思われる。

 逆に、その近くには、暗殺される前に着工し、暗殺された後に出来上がったという大きな二階建ての洋風建築もあり、近代化の流れを個人の関わった建築で見てとてる日本の住処の流れをも見て取れるものがあった。
 それにしても、二階には、しっかりと畳の部屋があり、和洋折中の元祖であると思われた。

「遅れてやってきた茅葺への道黄金週間」個人宅篇

2018-06-03 20:30:00 | 茅葺
「おうちえん」をされている、大下さんの御宅の茅葺屋根を拝見した。

 おうちえんは、毎日が冒険のような、生活のような、まさしく今生きているものたちが、失っていきつつあるものをしっかりと抱きしめているような、生きる真の力を持った大人や子供が集う場だと思われた。

 ヤギにカーデガンをむしゃむしゃ食われそうになったり、鶏はオスが一匹にメスが十五匹くらいがベストな(ハーレム)状態だということを大下さんの倅の空くんに教えてもらった。

 年ではない、生活の中で知り得ることは、知恵というよりも、当たり前のこととして、普段通りのこととして、話てくれることが、嬉しかった。

 大下さんは、アフリカに行かれて、そこで感じたことを、今、やっているとおっしゃていたが、上村さんも大下さんのようにアフリカに行かれて、茅葺を作って、大下さんのお家の屋根を慈しんでいるようで、個人的なつながりを持つ屋根の、そこで暮らす人のための屋根、生きるための屋根、生活のための屋根も味わわせていただいた。

 大下さんは、農薬を使わないで何町もの田んぼで米を作っておられる。
 そもそも、農薬を使わないで米はかつて作られていたわけで、刷り込まれた農薬神話を覆し続けてもらいたいものである。

 屋根は、少し、雨漏りが気になる場所があるということで、トタンの劣化などの漏れも考慮しつつ、茅葺の吹き替えを近々することとなりそうで、大下さんたちの家族とまたゆっくりお話しできることを楽しみに、心待ちにしている。


 私はビールちょっとでヘタレてしまい、子供達はもちろん大人達ののエネルギーが力一杯漂っているようなおうちえんの中でお眠りさせてもらったが、先輩方はおうちえんの庭でキャンプをさせてもらい、虫に刺されつつも、海で捕獲した亀の手(貝の!)を味噌汁にしたり、野生児けんちゃん先輩の火起こしによる肉の炙り?を堪能した一日であった。

 もう一つの、個人の御宅は、上村さんの知人のえいみちゃんの御宅で、お父さんから受け継いだという、素敵な茅葺のおうちを訪ねた。
 冬は家の中でテント張って寒さしのいでキャンプしたよ〜というほど、去年は今までにない寒い冬であったと話してくれたが、茅葺の風通しの良い造りは、夏にこそ、その底力を見せてくれるものではあるが、雨の時もまた風情があっていい。
 音を吸収して、雨が降っているのも気づかないほど、静かなのであった。

 「風」が通る繋がりと言っては無理があるかもしれないが、「風博士」と知り合いというえいみちゃん、私も京都のミュージシャンの方々の曲が入ったみやこ音楽というCDを持っていたので、もしかして、あの風博士?と盛り上がりました。
 訪れた日も雨の日だったが、雨の日は、そのCDに入っている、風博士のシャボン玉飛ばないと、キセルのはなればなれという曲をなぜか思い出すのだった。

 ちょっと、せつなく、寂しいのが、いい。

 いいもわるいも。酸いも辛いも噛み締めてこそ、人生であるちゅう。

 私も、茅葺職人の端くれ?となれた今、茅葺の家に住んで、水も辛いも見極めたいと切に願うようになった。
 茅葺に関する出来うる限りのことを、体で知りたいのである。


 内装も上村さんの知り合いの大工さんと手がけたということで、お風呂場は五右衛門風呂で、母方のじいちゃんのうちで入った、五右衛門風呂を懐かしく思った。
 可愛いお子さんたちは、たらいで水あびをするらしい。日本の原風景?である。
 私も兄とたらいに入って水浴びしている写真が残っており、日本の原風景、ここにありである。

 また、囲炉裏の上に吊るしてある、植物で作られた円錐形のものに、チクチクした針のようなものが突き出ているものがあり、これは何と聞くと、「弁慶」というものであるという。弁慶がなくなるときに矢に射抜かれた時を思わせる名前の由来であるが、そこに、魚などをさして煽る?燻る?のであろう、貴重な生活道具であった。

 屋根は、去年ボランティアの人を交えて、葺き替えた面は、さすがに美しく、もう何十は持ってくれるだろうと思われたが、家の中まで、拝見できた体験は貴重であった。

 これからは、自分で、生活していく場としても、茅葺の道を生きていきたいものである。

 
 

「遅れてやってきた茅葺への道黄金週間」般若寺篇

2018-06-03 20:29:08 | 茅葺
 「いけにえ」となって「金龍神」を鎮めた「般若姫」の墓所「般若寺」。

 ここもまた奥日田美建の親方と先輩方が手がけた茅葺の屋根のお寺の門である。

 少し高台から、屋根を俯瞰できる眼差しを持つことができる貴重な屋根でもある。

 屋根を下から拝見できることはもちろん、屋根の上に登っている時よりもなお、上の、遠くから屋根全体を拝見できるのである。上からの立体的な眼差しを獲得し、全方角的に茅葺を見られるということは、自分にとっては、貴重な体験であった。

 屋根は山の上というのもあり、周りに木が生い茂り、門の近くにも迫り来る勢いがあり、日当たり等を考えると、どちらかというと近くには何もない方が、茅葺屋根は長持ちすると言われているが、木の中に溶け込んだ、茅葺もまた、色目の違いが際立ちもし、美しいものではある。

 軒の隅がしゅっと美しく反り上がるところが、神社仏閣などで多く見られる造りで、それを踏襲しているものの、隅を作る職人の方々の個性もまた、僅かながらも、見て取れるようになってきたのは、目が出来てきたことにもなるかと嬉しくもあったが、何より、先輩方の名前をお聞きしながら、誰があの隅を作ったという、職人の責任のような、どこまで丈夫に長持ちし、美しく出来上がっているかの、毎回の、屋根葺きのあくなき挑戦でもあるので、その重みを感じつつ、ありがたく、拝見した次第である。

 三苫親方や上村先輩から、屋根に触って、その傾きを知ることが必要であると教えていただいて、特に良い形になった時などは、体で覚えるようにおっしゃっておられるが、全身体感覚を持って、体に取り込みたいものである

 そこの空気と、時を重ねた、歴史と物語とともに。