「トリエステの坂道」を読み返している。
竹屋さんの奥さんとお話ししているうちに、エッセイがお好きとお聞きし、なんとはなく、須賀敦子の面影をお話しの節々に感じていた私は、もしかして須賀敦子がお好きですかとお聞きしたら、最後まで手元に取っておいたのが彼女の読みものだと言いながら、単行本を貸してくださった。
久しぶりに読み返す須賀敦子の、孤独な、どこか読み物の中を漂うためだけに辿った坂道のような、自分の悲しみではないが、少し距離を置いた失ったものへの悲しみのようなものを、初めて読んだ時に、私は感じていたのだろうか。
あまり覚えていなかった。失われた旅の記憶のような。その場に立つとやっと思い出すような、思い出のような。
今の方がより、彼女の想いに近くなったような、異国の坂道を、サバの詩を思いながら、そこはかとなく、たださまよった年に、近くなっているような。
書かれたものの中にある、彼女の淡々とした眼差しに、正直、戸惑っている。
距離感。
親族でありながら、親族ではないような。
親しいようで、とてつもなく遠いような。
ただ言葉と歩く坂道。
竹屋さんの奥さんとお話ししているうちに、エッセイがお好きとお聞きし、なんとはなく、須賀敦子の面影をお話しの節々に感じていた私は、もしかして須賀敦子がお好きですかとお聞きしたら、最後まで手元に取っておいたのが彼女の読みものだと言いながら、単行本を貸してくださった。
久しぶりに読み返す須賀敦子の、孤独な、どこか読み物の中を漂うためだけに辿った坂道のような、自分の悲しみではないが、少し距離を置いた失ったものへの悲しみのようなものを、初めて読んだ時に、私は感じていたのだろうか。
あまり覚えていなかった。失われた旅の記憶のような。その場に立つとやっと思い出すような、思い出のような。
今の方がより、彼女の想いに近くなったような、異国の坂道を、サバの詩を思いながら、そこはかとなく、たださまよった年に、近くなっているような。
書かれたものの中にある、彼女の淡々とした眼差しに、正直、戸惑っている。
距離感。
親族でありながら、親族ではないような。
親しいようで、とてつもなく遠いような。
ただ言葉と歩く坂道。