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野田聖子『私は産みたい』に関する疑問

2004-12-26 22:54:42 | 野田聖子批判
23日の読売朝刊の「顔」欄に野田聖子のインタビュー記事が載った。『私は産みたい』の著者としての紹介記事だが、もちろんこの人が郵政大臣であったことなども紹介されている。

不妊治療や体外受精のことに関しては私はほとんど基礎的な知識もないので、非常に書きづらいが、こうした紹介記事を読んだだけで暗然とした気持ちになることを正直に告白したい。

まずこうした問題に関して自分が夫であれば口外することは許さないし、親族でそういうものがあれば協力はできない。それは生まれてくる子供のことを考えてのことである。つまり、これだけの苦労をして自分が生まれたということを記録に残すということに子供がどう反応するか、生まれてもいない子供の心をかってに推測することはできないはずであるのに、生まれる前からこれだけ子供を作ることに苦労をしていることを商業的利益や名声と結びつく形で発表していることには、きわめて不快な印象を禁じえない。

いうまでもなくこの問題は高田夫妻の問題でさんざん論じられてきた問題であるはずだが、こうした体外受精や不妊治療といった問題が有名人の告白のような形で論じられることが実に残念であるのは、この国会議員の言葉の中にある種のおごりのようなものを感じるからだ。

「人生は二者択一じゃない。仕事と出産・育児は両立して当たり前でしょ。」これはインタビューの中の言葉であることを考えるべきであるにしても反発を感じざるを得ない。「両立を目指すことが許されるのは当たり前」というのなら分かるが、野田の言い方にはそのようなひかえめな言い方とは明らかに全く違う専業主婦蔑視とも取れるような響きがあると私は感じている。

こういう女性議員の言葉を読むと、今私は実際の文章をここに確認していないが、三島由紀夫のそれこそ女性に対する偏見に満ちた文章の中で女性議員に対して激越な嫌悪感をもよおしていた文章を思い出してしまう。

ここまでいってしまうのが適当か分からないが、こういう人のコメントの中には、インテリ(と自負している)女性の非常に屈折したコンプレックスがあらわであって、寅さんの「俺は便所のうじ虫とインテリの女ほど嫌いなものはなねぇんだ」という言葉まで思い出してしまう。

私は野田が子供を生もうと努力することは自由であると思う。しかし、こういうインタビュー記事から受ける印象は野田が仕事と出産・育児を両立させる女性を目指しているということであるよりは、それができない人間に対する抑圧的な態度であって、自分の経験や苦悩というものがいかにも尊いものであって、それ以外の生き方をさげすむような視線である。

私はどんな社会問題でも経験に根ざした議論というのは尊重に値するとは思うけれども、そこには一般論として敷衍するにはふさわしくない部分が生じてくる可能性も忘れてはいけないと思う。

野田の主張に垣間見えるのは「女性」あるいは「家族」に対する信じがたいまでの大雑把な一般論またはステレオタイプとも言うべき強権的言辞であって、とても見過ごすことのできないおごりを感じる。

今私は『私は産みたい』を持っていないが、野田のサイトにある論文もきわめて分かりづらい内容でこれは別の機会に論じてみたいが、いずれにせよ野田の視点に欠けているのは、自分が国会議員という、特権的な地位にあることの特に「特権」という部分に対する自覚であるように思える。

われわれはすでに、刑事事件の被告で拘留されているものや、長期療養中のものが議員の職を離れずにいた例をいくつでも見てきたはずだ。

おそらくは野田は自分はその人たちとは違うというであろう。私もそれとは違うと思うが、議員の職務というのはよく考えてみると本会議を欠席したらその分減俸になるとか、そういった話しは聞いた事はないのであって、その仕事というものはあくまで、自分で決められるものではないかということだ。

極端な話し、学校の先生であれば産休には産休補助の先生がついてその任に当たるが、国会議員に産休の間、他のものが代わりにその仕事をしていたということがあっただろうか。

繰り返すが私は野田の本を読んでいないが、そうしたことは全く触れずにインタビューで仕事と出産・育児の両立などということに触れるのはいかにもまずいと思う。

もちろん大部分の有権者や読者はそんなことは十分承知のはずだがあえて筆を執った次第。

P.S.文中敬称略。それと細かな部分をたびたび直しています。