こくご食堂

小学生向けこくご塾を創業しました。[こくご]の楽しさを、様々な切り口から発信していきたいと思っています。

[かわさき女性起業家フォーラム]

2017-09-06 05:00:00 | こくご日記
はじめまして。2018年、川崎で小学生むけ[こくご]を中心とした塾を創業予定のamimです。よろしくお願いいたします。
「こくご食堂」本日調理する食材は、[かわさき女性起業家フォーラム]です。

昨日、川崎溝口のすくらむ21で開催された、「かわさき女性起業家フォーラム」に参加してきました。せっかちの私は、また3,4日先を見ていました。金曜日に参加するセミナーと開始時間を勘違いしていて、10時30分開始と思ってまいたが、10時開始。到着するともう始まっていました。


▲参加を決めたチラシ


コーディネーターの中村ふみよさんの講演の最中。第二部では、先輩起業家の体験談でした。

耳つぼジュエリー otemba(おてんばと読むそうです)の西川志穂さん。西川さんは、起業1年目。耳をもみほぐした後、チタンシールを貼るというものです。イベント出店をしていて、お客様から継続して通いたいという声を聞きき、今の店舗に決めたそうです。お洒落なカフェを昼お借りして営業をしているそうです。チラシだけではあまり興味がなかったのですが、お話を聞いているととても魅力的な方で、是非一度行ってみたいと思いました。商売で人柄も資産ですね.西川さんは「癒し系」です。


▲耳つぼジュエリーotemba


NAE(苗)/多肉ガーデン代表の辻須美子さん。教員を早期退社されて苗・蜂の花・植物を販売しています。自宅店舗、鶴見駅西口から近い場所、イベントなどが主な出店場所だそうです。辻さんは、職場のストレスを植物で癒すことができた。このことを、もっと伝えたい、とおっしゃっていました。そして、「買った植物は枯れてもいい。枯れたということは、家族の中の悪いものを植物が持っていってくれたことになるから。」私も枯れてしまうと罪悪感が残り、植物を買かいませんでした。目からうろこの発想でした。観葉植物でも買ってみたいな、という気持ちになりました。


▲NAE(苗)/多肉ガーデン


マイサロン・マイショップ・マイギャラリー「カフェマイム(舞夢)」の店長、萩美千代さん。萩さんは、声も通り、自分の言葉で自信を持って講演されました。創業11年の貫録でしょうか。すごい迫力です。川崎駅西口にある、産業振興会館2階でカフェをしています。マイサロンでは、場所の提供。・マイショップではボックスショップで販売委託業務。マイギャラリーでは、絵画などの展示即売。そしてカフェをしているそうです。来週産業振興会館に行くので、立ち寄ってみようと思います。萩さんのお話は、会計に関することです。萩さんからはニ問問題がでました。第一問、30万の家賃、何日間の売上で回収しないといけないか?答えは3日。その計算を覚えて帰ってください。家賃30万円なら、一日10万の収入がないと続かないということです。第二問、飲食店のテーブルの脚の数は何本ですか?答えは一本。一本なら、机のどの方向からも坐ることができる。意識したことがありませんでした。次回から飲食店に行ったら、テーブルの下ばかり見てしまいそうです。

この後の懇親会では、読み聞かせをしている方や語学教室を開きたい方、そのほか数人とフェイスブックでつながりました。今後もどんなコラボレーションができるのか楽しみです。


[あってもなくてもよいもの]

2017-09-05 05:00:00 | こくご日記
はじめまして。2018年、川崎で小学生むけ[こくご]を中心とした塾を創業予定のamimです。よろしくお願いいたします。
「こくご食堂」本日調理する食材は、[あってもなくてもいいもの]です。

「あってもなくてもいいもの」なんて、本来この世には存在しないかもしれません。しかし、生活してゆく中で必要なものはあります。着るもの、食べるもの、住むところ。衣食住とはよくいったものです。高級服、高級食材、高級住宅は、必ずしも必要なものではありません。

あってもなくてもいいものとは、そういったもののことです。

音楽、映画、絵画、スポーツなども、その「あってもなくてもいいもの」にあたります。しかし、人は壁にぶつかったとき、その、「あってもなくてもいいもの」に癒されることがあります。もっというと、それでしか解決の糸口をみつけることができないものなのです。

私は去年、やりたい仕事とこなしている仕事の、狭間でとても悩みました。休みの日は、一日寝ているだけの日々。そんなとき救ってくれたのが、映画でした。とにかく、一人で映画をみました。映画館にいると、その映画の中に入り込むので、悩みも忘れ、気分転換になりました。そのうちに、自分の好きな映画を見るために、日々やっていたことを時間短縮で行うようになり、規則正しい生活を手に入れると、心も健全になって正しい判断ができました。判断が鈍ってきたら、危険信号ですよ。

実は、「あってもなくてもいいもの」は、「なくてはならないもの」なのかもしれません。ここで必要なのは、リカバリーです。壁にぶつかったとき、どのように起き上がるか、または、その起き上がり方を自分で探せるか。

リカバリー能力をつけるために、普段からいろいろなものに興味をもち、何が自分を救ってくれるか、何がストレス発散させてくれるものなのか、探しておくことです。そこで最も必要なのは、「問題は必ず好転する。」と信じることです。起き上がることに何回失敗しても、「好転する。」と信じていれば、何度でもチャレンジできます。このリカバリー能力は学習、仕事、家族関係、なんでも利用できます。

何度でもおきあがりましょう。「必ず好転する。」と信じて。


▲これからみたい映画のチラシ


[素晴らしい指導者]

2017-09-04 05:00:00 | こくご日記
はじめまして。2018年、川崎で小学生むけ[こくご]を中心とした塾を創業予定のamimです。よろしくお願いいたします。
「こくご食堂」本日調理する食材は、[素晴らしい指導者]です。

毎週楽しみにしているテレビ番組があります。「ボクらの時代」フジテレビ日曜AM7時。

http://www.fujitv.co.jp/jidai/

3日(日)の放送では、ビートたけしさん、星野仙一さん、松尾雄治さんがゲストでした。みなさん明治大学の出身です。たけしさんは映画監督、星野さんは元プロ野球の監督、松尾さんは元ラグビー監督とみなさん指導者を経験しています。その中で素敵なお話がありました。

星野仙一さんが明治大学野球部時代、監督は島岡吉郎さんでした。早稲田大学との試合、ピッチャーの星野さんは3回でノックアウトされました。深夜、
「早稲田に負けて腹立たないのか?パンツ一枚でグランドに来い。」
と島岡監督に呼び出される星野さん。深夜12時。ピチャ―マウンドの上で正坐をさせられました。雨は降ってくる。明け方になり、辺りが白々としてくると、ホームベースに人の気配が。島岡監督です。
「それから、YESマンになりました。」

島岡監督、素晴らしい指導者です。指導者が教える者と同じことをするのは、なかなかできないことです。

中学時代、クラブ活動で剣道をしていました。男子剣道部の顧問の先生が、一緒に稽古をしてくださいました。寒い冬の体育館。道着と防具で体は温かいのですが、裸足の足の裏は感覚がありませんでした。床に血が付いていると、誰かの声がして皆一斉に足の裏を見ると、私でした。血豆がやぶけて出血していました。みると、顧問の先生の足の裏も同じでした。同じ苦しみを味わうと、その情景も忘れられません。

私も島岡監督や剣道部の顧問の先生のような指導者になりたいです。大人の目線だけではなく、生徒の目線で物を見て、生徒と一緒に考えて体験してゆく授業がしたいです。

[生徒との再会]

2017-09-03 05:00:00 | こくご日記
はじめまして。2018年、川崎で小学生むけ[こくご]を中心とした塾を創業予定のamimです。よろしくお願いいたします。
「こくご食堂」本日調理する食材は、[生徒との再会]です。

金曜日の夕方、仕事が終わり最寄り駅で下車したところ、教え子にそっくりな青年がいました。半信半疑でしたが、声をかけても聞こえておらず、自動販売機のほうに行ってしまいました。追いかけて声をかけると、O君でした。彼は私が自宅で週に三回、5教科教えていた時の最初のクラスの生徒でした。

O君のクラスは、6年生から授業を開始しました。中学一年生になるまでは、英語と数学を学習して、入学してから5教科としました。理科と数学が抜群にできる生徒で、とにかく効率がよい学習方法をしていました。英語の宿題はやってこないことが多いのですが、もう一人やってこない生徒と、授業中にアット言う間に仕上げるという技を持っていました。

中学三年生になり、希望する高校に入学するために、後期試験を受けることにしました。当時の神奈川県公立高校は、前期試験と後期試験があり、前期受検は内申と面接のみ。後期試験は5教科の学力試験を受験することになっていました。O君以外の生徒は前期試験で合格しており、O君と私は最後の数カ月はマンツーマンで頑張りました。今回逢った時も、
「懐かしいな。二人でがんばりましたよね。」
と言ってくれました。学校では、前期試験で合格した生徒が浮かれて遊んでいる中、ひたすら学習をするのはつらかったと思います。O君は見事志望高校に合格しました。そして、入学式では生徒代表で演説もしました。

大学では理学療法士で病院勤務をしているそうです。
「彼女いるの?」
と聞くと
「忙しくてそれどころではありません。」「年配の方々には人気ですけどね。」
中学の時と同じ、とても素敵な笑顔で答えてくれました。

近くに住んでいても、行動時間が違っているとなかなか、会う事もありません。同じ時間に同じ電車に乗っていたのもご縁です。言葉づかいも丁寧で、社会人としてしっかり生活している姿を見て、涙がでそうになりました。元気で幸せそうなO君の姿を見ることができて、私も元気をもらいました。
「来年、こくごの塾をやるの。」
と言うと、
「頑張ってください。」
と言ってくれました。がんばりますよ。

[褒められる]

2017-09-02 05:00:00 | こくご日記
はじめまして。2018年、川崎で小学生むけ[こくご]を中心とした塾を創業予定のamimです。よろしくお願いいたします。
「こくご食堂」本日調理する食材は、[褒められる]です。

貴方は誰かに[褒められる]経験がありましたか?
[褒められる]経験は、一生残るものです。

初めて[褒められる]ことがあったのは、父でした。私が落書きをしていると、「絵がうまいね」とたびたび言っていました。今思えば、親のひいき目。まったく上手くなかったです。そこから絵が好きになりました。高校のとき追っかけしていた「米米クラブ」のボーカルのカールスモーキー石井さんは、画家。入学時した大学では美術史を学ぶ、とつかながっていきました。本当に絵が好きだったのか、絵が好きなような気がしていたのか不明です。それでも、「褒められる」経験はその人の人生に関わってくるのです。

私の書いた文章が「褒められる」経験は人生で3回ありました。1回目は、小学3年生の時通学路にあったイチョウの木を題材にした作文が選ばれ、文集に乗りました。イチョウの木は雨の日も風の日も、私達を見守ってくれている。という内容でした。学校の文集ですが、とてもうれしかったです。


▲文集の作文の「イチョウの木」


次が高校2年生時。地理のテストの裏に修学旅行の思い出を書けば加点されるという記述を見て、尾道の景色の美しさについて書きました。大林宣彦監督の「転校生」に出ていた景色とかわない、坂からみた海はとも綺麗でした。という内容。それを授業で先生が読んでくださいました。その時は嬉しいというより、とても恥ずかしかったです。加点の為に書いた文章だったので、後ろめたい気持ちもありました。

最後は、大学受験の個人塾の先生。現代国語の解答でした。奥様も塾の英語の先生だったのですが、その先生から、
「主人が文章は褒めたことがない。すごいことよ。」
と言っていただきました。どんな内容だったか全く覚えていないのですが、とても嬉しかったです。そこから、文章を書くことは得意なのかもしれないと思うようになりました。

私の前向きな性格で、「褒められる」経験しか覚えていないということもあります。こうやって、生徒はいつまでも「褒められる」経験を覚えているのです。だから私も生徒を「褒める」時は、真剣です。「褒める」言葉に嘘がないように、普段から御世辞は言いません。子供達は感覚で、大人を感じています。信頼関係があるからこそ「褒められる」ことが意味を持ってくるのです。塾で新しく出逢う生徒達は、どんな「褒められる」ポイントをもっているのか想像しただけでもドキドキします。