みゆちゃん物語(前篇)―大けがの子猫

 二年前の12月19日。みゆちゃんが、我が家へやってきた日である。それは、元気な子猫を家族が笑顔で迎えるような状況ではまったくなかった。

 その日の夜、夫と私は静かな住宅街を車で走っていた。他愛もない会話をしながら、明々とした光の漏れるコンビニエンスストアの横をすぎて、ふたたびあたりが夜に沈んだとき、道路の先の、ヘッドライトの向こうに何か白い塊が見え、次の瞬間、それは必死の眼光で路上に横たわる猫に変わった。急ブレーキを踏む。危うく轢くところだった。車を降りて駆け寄ってみれば、子猫である。下半身がぐったりと地面に貼りつくような格好で動けない。車にはねられた直後らしかった。息はある。前足を踏ん張って、ショックと興奮のために、目は異様な光を帯びていた。口元と肛門からは血が流れていた。
 もうだめかもしれないと思いながら、私たちは子猫を車に乗せて、獣医を探した。時間は九時半を回っている。診察時間はとうに終わっているだろう。膝の上の暖かな命が今にも消えそうで、わたしの心身は緊張した。
 道の向こうに、まだ明かりのついた動物病院の建物が見えた。間に合った。しかし、車を降りて呼び鈴を鳴らした途端、部屋の明かりは消えた。再度ベルを押しても誰も出て来ない。今にも消えそうな命がここにあるというのに、誰も扉を開けてはくれなかった。
 結局、実家の猫がいつも世話になっている病院と電話がつながって、診てもらえることになった。
 子猫の診察をした獣医の説明はこうだった。
 骨盤の複雑骨折と、おそらく腰椎も損傷しています。このままショックで死ぬ可能性もありますし、助かったとしても、下半身麻痺になるでしょうから、車椅子ということが考えられます。車椅子でも生きていてほしいと思うか、それとも、車椅子なんてかわいそうだから、このまま安楽死させる方がいいと思うか、それは価値観の問題ですから、あなた方で選択してください。
 頭が真っ白になるような内容だった。安楽死。車椅子。子猫にとって、どちらがよりよい道なのか、そんなことはわからない。だが、私は子猫を助けるために病院に来た。診察台の上で前足を踏ん張っている子猫を見た。自由のきかないからだで、前へ進もうとしているかのようだった。それが、私には子猫が生きようとしているように見えた。私は、あるかないかもわからない、一縷の望みに賭けてみることにした。
 ショックを抑える注射と栄養剤を打ってもらって、私たちは、子猫を家に連れて帰った。
 段ボール箱に古シーツを敷き、子猫を寝かせた。夫はいらなくなったセーターを、震える子猫の掛け布団として寄付した。二人で段ボール箱のそばに座って、子猫をただ見守った。白い毛に、頭と尻尾のところだけ三毛の模様がついた、きれいな子猫だった。(つづく)


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