みゆちゃん物語(後篇)―満ち足りた寝顔

 段ボール箱の横で、がんばれ、がんばれ、とわたしは子猫を励ました。こころなしか、少しずつ、うしろ足も動いているように見える。
 事故の当日はショックであまり感じなかった痛みが出始めたようだ。からだを動かすたびに痛みが襲うのだろう。そのつど唸り声を発する。
 
 翌日、心配していた血尿は止まった。少しずつだが、明らかにうしろ足は動いている。病院でふたたび獣医が子猫を抱き上げて、台を上らせる検査をした。子猫は、台に上ろうと後足をかけた。あれ、と獣医は驚いた。
 子猫は、日に日に元気になっていった。水を飲みえさを食べ、なでてやるとのどを鳴らした。後足にもだんだんと力が入るようになって、子猫は痛みをこらえ、何度も何度も立ち上がろうとした。その痛みも少しずつ引いて、ついには震えながらも立ち上がることができた。そして、びっこを引いて数歩歩いた。その距離は徐々に長くなった。驚きの連続だった。
 回復の速さはすばらしかった。ある朝、段ボール箱の中にいるはずの子猫が、ソファの上に座っていた。箱の壁をよじ登って越え、ソファにあがったのである。ソファの上におしっこをしてしまっていたけれど、そんなことは問題ではなかった。
 
 子猫が野良猫である保証はなかった。すっかり情が移ってしまった子猫と離れるのはつらいけれど、飼い猫がいなくなったときの悲しみが耐え難いことは知っている。もし飼い主がいるならばその人の元へ戻すべきだった。いるかもしれない子猫の飼い主へのメッセージと連絡先を書いたポスターを何枚も事故現場付近に貼り、警察にも届けた。
 結局、名乗り出る者はなかった。子猫は我が家の一員となることになった。わたしたちは子猫に名前を付けた。三毛の模様と、雪のように白い毛から、「みゆちゃん」である。
 みゆちゃんの足は、これ以上望めないというほどに回復した。今でも右足がわずかにびっこを引いているが、跳んだり走ったり、五体満足な猫とほとんど遜色はないだろう。ただ、あまりにも不幸な境遇だったから甘やかしすぎたせいか、すっかりわがまま猫になってしまった。
 子供の頃のみゆちゃんは、いつも「抱っこ、抱っこ」とにゃーにゃー鳴いて足元にまとわりつく甘えん坊で、こっちが忙しいときなどはいささかうんざりすることもあった。しかし、いったん膝の上にのせると急に静かになって、にこにことのどを鳴らすのがいとおしく、ついつい甘やかしてしまうのだった。
 今でも、ヘッドライトに照らし出されたみゆちゃんの爛々と光る目が時々思い出され、胸が苦しくなるが、当のみゆちゃんはおそらくそんなことはすっかり忘れて、平穏そのものの顔で眠っている。それでいいのだ。あんなつらい思い出は、きれいさっぱり忘れていて欲しい。
 みゆちゃんが来てくれて、本当によかった。(了)



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