三年猫太郎

 三年間続けてきたことがあるか、と聞かれて、頭をひねって考えたけど、何一つ思い浮かばなかった。食事を取るとか、風呂に入るとかなら30年以上続けているが、そんなことは言ってもしょうがない。凝り性の飽き性で、なんでもかっと熱したあとは、すぐに冷めて飽きてしまう。たとえばある時は絵を描くことに凝って、一日に何枚もスケッチしたりするのだけれど、一ヶ月も描き続ければ、突然ぱったりやめてしまう。またある時は作文に凝って、なんやかんやと書くのだけれど、しばらくすると飽きてしまう。ジョギングとか体操の類も同じ。一週間ほどしか続かない。継続は力なり、というが、したがって、あまり「力」はない。
 継続したところで何の力にもならないけれど、猫が好きだということは、もう10年以上続いている。最初の頃は、それこそ猫にのぼせていて、「猫」の名のつく本なら手当たり次第に買ったりしていたが、そのとき買った本の中に、内田百の「ノラや」があった。いなくなってしまった猫への思いを切々と綴ったもので、これを読んで内田百に好意を持っていたのだけれど、そのあと読んだ随筆の中に、小鳥が好きで、飼って夢中になるのだけれど、しばらくすると飽きてしまって、結局死なせてしまうということが書いてあって、百に対しては少々がっかりした。
 猫本を買いあさるような過熱状態からは冷めたけれど、猫が好きなことには変わりがない。これだけは、これからもずっと飽きることはないと思うのである。
(トラックバック練習板:テーマ「三年間続けてきたことは何か」)
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