猫にだまされた男(後篇)

 雨に濡れた鉄の梯子は足元が滑りやすい。夜もだいぶ遅くなっていたから、地下の教室の窓にはすでに明かりはなく、堀の中は暗かった。懐中電灯を持って来るのだった…最後の段を降りて、よく見えない地面に足を着けた。あっ、と思ったときにはもう遅い。ばしゃん。K君の足は、くるぶしの辺りまで水に沈んだ。地下の底にはすでに深さ10センチほどの水が溜まっていたのである。
 もういいやと開き直り、K君は水溜りの中を、傘を差してじゃぶじゃぶ猫を探して歩いて行った。夜の闇に目を凝らしながら、猫の声をたどって行った。
 やがて暗闇に目が慣れてきた頃、上のほうに動くものがあった。いた。猫である。猫はK君を見ると、鳴くのをやめて、エアコンの室外機の上からひょいと跳躍し、あっという間に地上へと出て姿を消した。一瞬、K君には、猫がにやりと笑ったように見えた。
 猫に故意があったかどうかは知らないけれど、結果的にK君は、哀調帯びた猫の声にだまされ惑わされて、夜の雨の中を、靴と靴下とズボンの裾を水浸しにして歩き回るはめになったわけである。K君は、雨の滴をしたたらせながら、もう笑うしか仕方がないような気持ちで、明るい研究室へ戻った。
 この話を聞いて、私も大笑いした。でもこれは、K君の早とちりとはいえ、ひとえに彼のやさしさから出た行動である。結局のところ、太郎はいい人にもらってもらったなぁと、改めて思わざるを得ない。
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