アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

50系新製車回送を牽くEF58

2018-07-24 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

EF58を撮影するにあたって、欠かすことのできなかった列車は、定期列車よりもむしろ臨時列車の方かもしれない。もちろん荷物列車をはじめとする定期にやってくるゴハチは、機番について現在のように事前情報もなく、来てみないとわからないことが多かったから、それはそれで楽しめたように思う。機番によって一喜一憂し、過ごした仲間内との時間は今思っても宝物だ。

イレギュラーの列車の先頭に立つEF58こそ、ゴハチ撮影の醍醐味とも言えるが、これだけ時間が経ってしまった現在、改めて考えてみると、価値観こそ人それぞれだが、アントンKには定期列車での記録がより思い出深いものになっている気がしている。

前出が関西の急行列車だったので、今回は50系客車の新製車回送列車。1980年代初頭には、この手の回送列車が多く走っていた。全国に配置されていた旧型客車(今でいうレトロ客車)置き換えのため、栃木の富士重工で多くの50系が製造され、試運転を東北線で行った後、全国へと旅立っていった。おおよそEF58がけん引に当たっていたと思うが、はっきりしたことはわからない。アントンKもこの列車は、何度か撮影機会を持ったが、いずれも大した写真は残せず、どれも同じような画像に終始している。

1982-01-23  回8107ㇾ  EF58138    50系客車 新製車回送 東海道本線:大井町付近


絶大な人気を誇ったEF65535

2018-07-23 20:00:00 | 鉄道写真(EL)

JRの車両の中で、相変わらず人気があり、何処へ行ってもファンの姿が絶えないのは、「国鉄型」と言われる車輛たちだろう。現在では、電機がEF65やEF64。ディーゼル機関車がDE10。電車が185系や115系。気動車が40系。こんなところか。時代とともに、少しずつ人気や注目の的が変わり、それらにファンたちが流れていく。いつの時代も、その繰り返しだった。ゴーナナが終わってしまうとゴハチ達が注目を浴び、それらが終わるとEF65P型に移っていく。

EF58が特定の機関車しか稼働しなくなった90年代、JR貨物からは、機関車更新に伴う試験塗装車が数多く現れ、ジョイフルトレインのブームも重なって、いよいよ何でもアリの時代へと変わっていったが、アントンKは、この波には乗れなかった。白っちゃけた外観色には馴染めず、当初は辟易していたもの。とくにED75の塗装には愕然とし、撮影意欲が沸かなくなった。またEF65やEF66、ED75等で試験塗装の機関車も出現したが、全く興味が湧かなかった。国鉄が分裂し、いよいよそれぞれの会社の色が出始めてきたことを思い知った時代でもあった。

それでも鉄道撮影を続けてこられたのは、全国にブルトレが走り、復活蒸機があちこちで煙を上げ始めたからかもしれない。いやはや、時の経つのは本当に早いものだ。

掲載写真は、当時お若い年代のファン層に人気があったEF65P型。それの最終入場車であるEF65535号機。国鉄色で残ったEF65500番台が数台にまで減少していたが、いわゆる国鉄色のままで検査出場した時のものだ。EF65500番台はJR貨物高崎区に集結しており、貨物列車を黙々と牽いていた訳で、この姿がアントンKには居たたまれなかった。いくら国鉄色でも、タキやコキ編成に往年のブルトレがダブルことは無かったのだ。

特急「さくら」を模したヘッドマークを掲げ、誇らしげに走るEF65P型電機。この機関車ほどヘッドマークの似合う機関車はいない。

2004-04-17    5778ㇾ   EF65535     JR東日本/高崎線:新町付近

 


須磨海岸をいくEF58の急行列車

2018-07-22 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

関東に生まれ育った環境から、関西への憧れは昔から強かった。EF58現役時代には、宮原機関区のゴハチには、東京機関区と同じような特別な見方をしていたと思う。どれも機関車が綺麗に磨かれていて美しかったのは、宮原区と東京区だったような気がする。

そんな憧れのEF58を撮影する目的で、関西旅行に出た時の一コマを掲載する。当時、ブルートレイン以外でも、夜行急行列車は数多く残されていて、長い14系や12系を牽いて颯爽に現れ、最後の活躍をするゴハチを次々と撮影できた。急行「くにさき・阿蘇」という九州からの夜行列車。こういった普段着のゴハチ走行シーンも、今となっては中々味わいがあり好ましく思える。

1979-05-06   202ㇾ  EF58142 急行「くにさき・阿蘇」  山陽本線:須磨-塩屋


やはり強烈!冨平のブルックナー

2018-07-21 22:00:00 | 音楽/芸術

連日猛暑日が続く関東地方、じっとしていても汗が流れるような日和の中、楽しみにしていた演奏会に行ってきた。アントンKが、今ブルックナー演奏で注目している指揮者冨平恭平氏の演奏会。このブログで取り上げるのは、おそらく3回目。三度目の〇〇とか言うが、今回の演奏を鑑賞し終わっての想いは、やはり自分の耳だけが頼り、確信が自信に変わったのである。

まだお若い冨平氏ではあるが、ことブルックナーに関してはかなり造詣が深いとお見受けする。おそらく過去の数限りない演奏を鑑賞し、また自身で演奏することにより、確固たるスタイルを身に着けた結果なのだろう。初めて出会った第3も、その後の第4、そして今回聴いた第5と、オケは全く違うアマオケなのに、同じ世界が広がっていた。これは彼の独自性とは少し違い、楽曲への愛情が具現化された演奏だ。愚直に楽譜に向かい、愛情をもって演奏した結果ではないか。うまく聞かそうとか、面白くしようとか手を加えたとたん、ブルックナーからは離れていく。これは昔も今も変わらないようだ。

しかし今回の第5は、前2回をはるかに凌ぐ演奏だったように思っている。アダージョ楽章の終結部のみ、マタチッチもやっていた改訂版の引用があったが、それ以外はおそらくノヴァーク稿原典版であろう。第1楽章の出の弦楽器の響きは、まるでケンペの演奏を彷彿とさせ、提示部までで、この演奏はただ事では済まないことがわかってしまうくらい。第2楽章アダージョが、異様に速く録音に聴くマゼールの様だったが、聴き進むにつれて、その違和感自体が的を得ているかのように思えてくる。そして演奏の白眉は、やはりフィナーレだった。提示部冒頭の弦楽器群による第1主題を聴いただけで、この楽章が途轍もないものになる予感がしてしまう。全身全霊で音符に向かう奏者達からは、恐ろしいくらいの集中力が伺え、全ての音符にアクセントを付けさせて奏させる冨平氏にも熱が高まってきたことが伺える。テンポが遅く、そして重く鳴るので、縦の線が合わず長さもまちまちに聴こえるが、かえってこんな演奏の方が不気味でスケールが巨大、かつてのクナッパーツブッシュを思い起こさせ、いよいよ本物のブルックナーの扉が開かれたのであった。

時間にしたら、フィナーレは30数分の巨大解釈。コーダへ向かう、とりわけ第1楽章のテーマが戻ってくるあたりからの臨場感は久々に味わい、目の前にそびえる大きな山に身震いしそうになる。そして圧巻のコーダでは、管楽器に現れる各主題はもちろん、コラール主題部Hrnの裏テーマまではっきりと主張され感動。管楽器だけがわめくような響きは皆無で、しっかりと弦楽器群も聴きとれる音響で、これまたブルックナーの醍醐味に溢れていたのだ。

前出のヤングのブル4で、全奏における弦楽器群の重要性を指摘したが、今回もこの事に再認識できた気がする。しかし如何せん、この弦楽器群に関しては非力すぎて同一線上には語れないが、ここでオケの能力についてまで語るつもりはない。

一流のオーケストラだけを鑑賞し、音楽を堪能、感動した気にはなっていないだろうか。美音だけで心は満足できるのか。音楽をしたくて集まったオケが、半年近く積み上げてきた練習を、たった1回の本番に全開させる気力。奏される音は汚く醜くても、そこから発せられる全く異次元の大きさに感動を覚える。今回の演奏は、そんな演奏だったように振り返っている。

鎌倉交響楽団 第111回 定期演奏会 

モーツァルト 歌劇「後宮からの誘惑」序曲 K364

ブラームス  ハイドンの主題による変奏曲 OP56a

ブルックナー 交響曲第5番 変ロ長調 WAB105

指揮  冨平恭平

2018年7月21日 鎌倉芸術館大ホール

 


穏やかな海岸線をいくEF58

2018-07-19 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

なかなか行きづらかった紀勢本線。初訪問時はまだ非電化で、DF50の時代には何とか間に合ったが、気に入った写真は写せずその後電化され、EF58とEF15の入線となり、何度か撮影の機会を持った。

風光明媚な紀勢線だが、ここを走るEF58は、竜華区のゴハチ。ここに所属の機関車たちも個性豊かな機体が多かったが、ゴハチで一番先に廃車になった22号機や28号機には間に合わなかった。関東から遠いという理由は確かだが、最も出向く気を削いでいたのは、EF15をも含めて前照灯がシールドビーム2灯化されていて見栄えが悪いこと。現在とは違い、お昼間の走行では、点灯されないから余計に目立ってしまう訳だ。まあそれでも、潮風を受けながらの海沿いでの撮影は気分も良く、首都圏での撮影とはまったく違う時間が流れていたことを懐かしんでいる。

掲載写真は、岩代海岸沿いをのんびり走るEF58147号機。何往復か客車列車の設定があり、当然EF58の出番となる。その流れで夜行列車「はやたま」という名の付いた普通列車もあって、まだまだ活気のある時代だった。

1979-08-13   123ㇾ   EF58147      紀勢本線:岩代-切目