アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

東北線を走った最後の普通列車

2018-07-18 18:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

EF57が消えて、いよいよEF58にも廃車が現れ始めた頃、学生時代の有益なる時間をフルに使って、首都圏中心ではあるが、あちこちゴハチの撮影に動いた時期がある。

まだ自動車を使えない身分で、始発電車で東海道線へ出向き、「いなば・紀伊」からスタートして夜行列車を一連撮影後、都内で貨物列車に興じ、最後は東北線の客車列車で終了するというルーティーンを何度かやっていた。今では考えられない行程であり、若さあっての撮影行だったと思うが、こうして何十年も時間が経っても、当時のことが画像から蘇ってくる。ブログなどを始めなかったら、何も見ずに闇に葬られた画像ばかり。自分自身にも良い刺激になって、撮影にも前向きになれるかもしれない。

掲載画像は、夕方上野を出てみちのくへと向かう普通客車列車125レ。この列車は、かなり混んでいることが多く、今にして思えばデッキにも溢れんばかりに乗客が乗っていた。列車が動き始めてから、飛び乗る乗客を何度も見た覚えがある。まあ現代にはとても置き換えられないだろうが、そんな緩い時代だった。EF58は宇都宮機関区の70号機。取り留めて特徴は少ないが、比較的よく撮影で出会った機体だ。

1978-09-25     125ㇾ  EF5870    東北本線:西日暮里付近


小田急LSE引退に寄せて・・

2018-07-17 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

今月で、長年親しまれてきた小田急7000形LSEの定期運用が終了したとのこと。また一つ昭和の名車が消えていくようでどこかさみしい想いになる。

アントンKにとって小田急ロマンスカーと言えば、もっと昔の3000形SE車となってしまうが、最後までロマンスカー色を保って走り切ったLSEの姿を見ると、どこかしら懐かしさがこみ上げてくる。何度も乗車したわけではないが、展望席で前をずっと見ながら、アイスクリームを頬張り、箱根までのひと時を過ごす時間は至福の時だった。時代が移り、車輌が新しくなっても、こんな細やかな贅沢は変わることはないだろうから、いつかまた乗車してみたい。

ここでは、LSEがデビューしてしばらくの頃、東海道線にテスト走行した時の画像を掲載してみる。LSEの特徴の一つである連接台車の走行試験だったと記憶しているが定かではない。このアンマッチングを一目でわかる撮影地は、やはり当時は根府川だった。対岸に見えるブルトレ狙いの多くのファンも、背後から来るLSEを見てさぞ驚嘆したことだろう。

1982-12-12  試9001M    OER7000形    東海道本線:根府川付近


ブルトレ時代のEF65PF

2018-07-16 19:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

前出のPF2101号機の国鉄時代の画像を探してみた。

EF652101号機と言えば、誰もが東京機関区所属のブルトレけん引機として生まれてきた機体ということは記憶にあるはずだ。当然ながら、改番前の1101番を名乗り、ヘッドマークも誇らしげに東海道本線を行き来していたサラブレットと言えるだろう。当時は、それまでのEF65500番台を檜舞台から引き釣り下した張本人だったから、あまり良い印象はなかったが、ブルトレが65PFに交代した78年~79年は、九州ブルトレにしかヘッドマークの装着が無い時代。ミーハーだったアントンKは、仲間内とゴハチの撮影に出ても、早朝上ってくるブルトレの撮影は進んで撮影していたことを思い出す。

掲載はモノクロ写真だが、ゴムの色の違いだけで顔の表情が異なってしまうことがお分かり頂けるはず。ただし国鉄時代の機体は、スノープロウが未装着でどこか間が抜けている。どっちもどっちということか・・・

EF65PFのブルトレも、この後数年でEF66へとバトンを渡してしまう訳で、今から考えると短い期間だった。丸形の「富士」マークも懐かしく感じてしまう。知らない間に随分と時間が経ってしまった。

1983-01-15     8ㇾ  EF651101  富士   東海道本線:藤沢付近


EF65PF 国鉄色化の進捗

2018-07-15 17:00:00 | 鉄道写真(EL)

先ごろ、新鶴見区EF652101号機が白プレートで出場し話題となっている。

一昨年、同区のEF652139号機が国鉄色化され、話題となってから早2年近くの月日が流れてしまったが、以降、次々と国鉄色化の波は押し寄せ、先週稼働を始めたEF652101号機で8台にまでになった。そのPF型2101号機が、今回出場した際、全面プレートが赤ではなくクリーム色で出てきたため、現在機関車ファンの標的となっているらしい。元来ブレーキ設備の識別の目的でプレートの色を変えていたはずだが、現在でもそのルールは生かされているのだろうか?よくわかってはいない。

懐かしい国鉄色の機関車が増え、アントンKも喜ばしい気持ちだが、本音を言えば全面窓周りのゴムの色が黒色のために、どうも人相が違って見えてしまい、今ひとつ中途半端に感じてしまう。最終的には、徹底的に旧来の形態にこだわった1台を作り、我々ファンを驚かせてほしい、なんて叶わぬ夢か。このまま検査入場のたびに国鉄色に変わって出場することは、車齢から言っても考えにくいことから、どの程度台数が増えていくのか興味津々なのだ。

掲載写真は、稼働して2日目で捕らえることができたEF652101号機。日没数分前でも、カラー写真が撮影できてしまう現代。随分と安直になったものだ。


シモーネ・ヤング 激震!

2018-07-14 23:00:00 | 音楽/芸術

新日本フィル定期公演ルビーも最終回。今回は猛暑が続く中、トリフォニーまで出向いてきた。そして締めに相応しい、アントンKにとっては大変感動し印象に残る演奏会になった。

今回の目的は、何といってもシモーネ・ヤングのブルックナー演奏。何年越しで待ち望んでいた演奏会だけに大きな期待を持って会場へと足を運んだ。ヤングのブルックナー演奏は、ハンブルク・フィルを振った録音でおよそ知っており、最近の指揮者の中では、ブルックナーの響きを熟知しているようにお見受けしていた。録音でも、おいしい番号のみの片手間なものではなく、番号の付かないヘ短調交響曲までをも含んだ11曲を一気に演奏して残していて、かなりブルックナーへの造詣も深いと考えていた。

さて今回のブルックナーは、第4交響曲の初稿版の演奏だった。これは取り立てて驚くべきことではなく、ヤングの全集録音でも第3・第4・第8番では初稿版での演奏だったから、おそらくブルックナーについても深い持論をお持ちなのだろう。こだわりを感じて心強い。アントンKには、さほど使用する楽譜は大して問題にはならず、それよりも本物だと思わせるブルックナートーンを感じることができ、それに身を浸すことの方が重要なのだ。

それにしても今回の第4交響曲は、近年ベスト演奏だったと言えるのではないか。少なくとも初稿版としては、録音を含めても最も良かったと感じた。実演では、過去にインバル/都響で2回ほど第4初稿の経験があるが、粗さばかり目立ってしまい、楽曲の構成が初稿だから仕方がないという考えを持ってしまったが、今回の演奏を鑑賞してみると、第2稿にはない素朴なブルックナーの原木を見た気がしている。もちろん、2007年12月の録音での演奏よりも遥かにほりが深く、表情付けが濃く魅力に勝っていた。全体的に印象深いのは、改訂でカットされてしまった、弦楽器に現れる転調を伴うハーモニーの美しさ。各楽章に目立たず存在していた、ほんの数小節ではあるが、これぞブルックナーだと思わせる響きの世界。それは、かつて九州五島列島の田舎の小さな教会でみた、ステンドグラスの輝きを思い出し、目頭が自然と熱くなったほど。アントンKは、そんな数秒にブルックナーを感じ、同時に生きる歓びを感じてしまうのである。

緩徐楽章のテンポも最良の足取りではなかったか。森の散策に相応しく、深い森の中に身を置き、小道を行くブルックナー自身の姿が目に浮かんできた。意味のあるピッチカートの響きや、木管の主張は想像力をさらに高めていく。そして後半にかけての音楽の大きさ、この世のものとはとても思えないTrbの主題の強調とTmpの雄弁さ。この楽章がここまで大きく魅力的に思えたのは初めてだったのだ。

第3楽章のスケルツォは、第2稿のものとは別の音楽。Hrnの安定した響きには恐れ入ったが、弦楽器群の次々に重なり合う構成力には圧倒される。これは全体を通して言えることなのだが、今回の演奏の白眉は、間違いなく弦楽器群だった。演奏に接するたびにエネルギーを享受頂いているコンマスの崔氏だが、彼から発せられる気が、今回はVlaにもVcにも、弦楽器群全体から感じられ、大きく身体を揺さぶられる感覚になった。たとえ音楽が大きく膨れ上がり、トゥッティで最強奏になっても、しっかり弦楽器群の1本線の通った音色がそこにはあり、音楽の土台が構築されていたのだ。最強奏でも、うるさい響きではなく、全体に渡るきめの細かさは指揮者ヤングの指示なのか。特に印象に残っているのは、第1から第4楽章で見られた楽器群の統一性。音楽の主部が管楽器に移り、弦楽器が伴奏に回った場面でも譜面に忠実な演奏で、音色が雄弁で統一感があり素晴らしい。管楽器のロングトーンの主題が安定して乗っているのは、エンドレスで続く長い弦楽器の刻みであり、そこにはしっかりとした足取りを感じて、この構成感こそがブルックナーのだいご味であり、普段は見逃してしまいがちな事を今回の演奏から再認識できたと思っている。昔、誰かがブルックナーはロック音楽のようだと書いていたが、まさにこの演奏では、全編に渡って見られる弦楽器の刻みが、ドラムのリズムのように感じられ、そんな解釈を思い出させるような演奏だった。おそらく限られた練習時間の中、相当な集中力と精神力を使いながら、本番を迎えたはずだが、よくぞここまで、と称賛したい気持ちで今はいっぱいだ。

終演後、灼熱地獄であろう会場外へ飛び出たものの、不思議なほど、暑さは感じなかった。これはさらに熱い演奏に心が反応し、外気の暑さなど感じなくなっていた証拠であり、しばらくスカイツリーを見ながら気持ちを静めていた。それにしても大好きなブルックナーでここまで熱くなったのは久しぶりのこと。一音も聞き逃すまいと、こちらも演奏者とともに極限まで集中していたから、心地よい疲れが身に染みたが、不思議なことに、聴き終った直後にまた聴きたくなるのが、ブルックナーの音楽であり、連日あった公演に行けなかったことを少し後悔している。

第16回 新日本フィル定期演奏会 ルビー

ブルッフ   ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調 op26

ブルックナー 交響曲第4番変ホ長調 「ロマンティック」 1874年初稿版

指揮      シモーネ・ヤング

ヴァイオリン  木嶋 真優

コンマス    崔 文洙

2018年7月14日  すみだトリフォニーホール