人生アラカルト

どうせ過ごすなら楽しくね。

岩に沁み入る興聖寺

2013-11-18 21:33:26 | 行ってみて

かつて同じ新聞社で仕事をした仲間が宇治に集

まった。宇治の町並みはなんてきれいなんだろうと

感心した。そして、曹洞宗の古刹・興聖寺を訪れた。

紅葉はこれから。このお寺の門に至る参道が

すばらしい。俳句が出来なくても一句ひねりたい

ところだが・・・私が詠むとすべて川柳になる。


なにもない道路上での卒業式

2013-10-19 20:52:51 | 行ってみて

石巻で、震災の記録書ともいうべき新刊書を購入した。

うち1冊が三陸河北新報社発行の「津波からの生還」

であった。図書は石巻地方へ発行する日刊紙「石巻か

ほく」に「私の3・11」のタイトルで連載されたものを編

集したものだった。

 

いくつもある《体験》のなかで、「児童に山へ登れと叫

ぶ」を紹介しよう。

相川湾に面する相川小学校校では、津波が起こっ

た時の避難行動は、昔から高台のお宮さんに児童たち

避難させるように決まっていた。地震発生後、校長の片

倉誠之助先生は、子供たちをお宮さんへ逃がしたが、

津波は想像を超えるものだった。「山へ登れ!!」 と

片倉校長は叫んだ。必死に山を登る子供たち。

震災の5日後、10人の卒業式を行う。その時の状況は

次だった。

 

「卒業式は学校近くの道路で行われた。卒業証書はあ

 りませんでしたが、『卒業、おめでとう!』 お祝いの言

 葉を贈りました。涙を流す子どもたち。教師たちは声を

 振り絞り、校歌を歌いました。横断幕も、花もない殺風景な式典

でしたが、涙、涙の感動の卒業式になりました」

 

その光景が見えるようではないか。


門だけが残る屋敷跡

2013-10-17 23:08:17 | 行ってみて

石巻市の幹線道路にも交通渋滞が起こる。ホテルから津波があ

ったところへ行こうと幹線道路を走ったらノロノロ状態。え? 

津波が街を襲った時もそうだった。逃げる車へ津波が襲った。

怖かっただろうな。

幹線道路から離れると門だけが残る空き地があちこちに残っている。

コスモスが屋敷跡を飾る。


レンタサイクルで日日新聞社へ

2013-10-15 22:03:10 | 行ってみて

市役所を訪ねたものの、一観光客を相手にしている時間も

ない雰囲気にすぐ退散。

隣接の駐車場に車を置くと、レンタカー屋へ行って自転車

を借りた。地図を頼りに向かったのは石巻日日新聞社だ。

津波被害を受けていち早く壁新聞を手書きでニュースを報道

し続けたことで有名だ。

印刷不能になっても、記者たちは取材を欠かすことなく、ついに

壁新聞を張って市民にニュースを届けた。壁新聞を続けた取材態勢に

対してマスコミだけでなく、日本国中から称賛称賛が集まった。


丘陵地があって海が見えなくて

2013-10-15 20:47:41 | 行ってみて

石巻に限らず津波の跡をたどるには「足」をどうするかが

問題となろう。私は石巻市に着くとすぐ、レンタカーを借りた。

正解だった。女川や大川小学校など石巻から離れると、そ

こまでどうして行くかが最大の問題になるからだ。

ところが石巻市は小都市とえども、かなりな広さ。そして、海

と市の中心地の間には日和山という丘陵地がある。

石巻滞在二日目、私は市役所へ行った。市役所はjrの駅近くにあり、

市役所へ行けば、なにか資料を得られるであろう、と思った。

甘かった。


ここまで津波が来ました

2013-10-14 21:15:07 | 行ってみて

仙石線は仙台から松島海岸まで電車、その先は代行バス

が矢本まで地域をくねくね走り、海岸べりの人を運ぶ。

石巻へは1時間20分かかって着く。ここまで、京都、大阪は京阪電車、

大阪地下鉄、南海電車・特急ラピート、関空からpeach、仙台はjrとい

ろいろな乗り物が楽しめた。これが旅の良さだ。

着くと駅前のレンタカーを延べ3日間借りる。まず、駅前の飲食店で

石巻焼きそばを食べる。店内に津波の来たことを示す黒い線が書いて

あった。

やきそば屋は庄やの右隣の店。その向かいに石巻市役所が駐車場と

くっついてある。

行った日は石巻市ではなく、女川町に直行した。女川町はすでに紹介

している。

 


年金族にありがたい格安機

2013-10-13 20:20:59 | 行ってみて

 久しぶりに飛行機に乗った。石巻市へ行くのにpeachを利用した。

関空も久しぶりだ。peachは第2ターミナルから出発する。

関空はものすごく大きくなっている。

たまたま選んだ朝7時30分発仙台行きがめちゃ安い料金にぶ

つかった。それで、ぎりぎり空港へ駆け込むのを避けて、空港近

くのホテルに前泊した。

この計画は全てによかった。空港の仕組みも分った。

飛行機は定刻通り出発。新幹線のように「のぞみ」や「ひかり」の

ように遅い、早いがない。飛行機は快適だった。その代わりサー

ビスは一切ない。

短い時間でも食事を出す外国旅行よりすっきりしている。

 

1時間で飛行機は仙台へ。

仙台空港にはjrが待ってくれている。仙台からは、仙石線で石巻

に向かうのだが、仙石線は津波の影響で松島海岸かちょん切れ

ていて、代行バスが切れた鉄路をつなぐ。人々の多くは直通バス

で石巻に行くそうだ。私は列車やバスを乗り継いで被災地へ行く

方が変化があっていいと思った。

 


道端にヘルメットを被った学童像

2013-10-08 21:43:48 | 行ってみて

女川町は町村合併で石巻市に入らなかった。多くの復興地域を

抱える石巻市と違って、云わば単独で計画を推し進めるこ

とが出来る。やりいいのか、それは旅人には分らない。のっ

ぺらぼうになった被災地で力強く重機が働いているのを見て

最も人的被害が多かった女川町の復興を願わずにいられな

かった。

帰り道、路傍に児童像があった。像はヘルメットを被っていた。

車を安全な所に止め、雨の中を像まで歩き、手を合わせた。

この写真は「重くて」アップできない。残念!


雨の中、女川の復興は進む

2013-10-07 20:05:15 | 行ってみて

今度の旅行で一番初めに訪ねたのは女川町だった。

ここは津波による死者の数が人口比で一番多かった。

いま、女川の中心地で被災のひどかった所は更地になっていて

重機が盛り土など基礎工事が行われている。

町役場などは岡の上、外部のものは近寄れない。

牡鹿半島の付け根にあたり、リアス式の狭い湾内に最大の

津波のエネルギーをぶつけたところに、女川の町はあった。

 死者455人。7割の建物が全壊した。町の行政機関、病院、

鉄道など根こそぎ波にさらわれた。

昼間は人の姿はなかった。

 

 

 

 人はいないが津波の残骸が残されていた。

 


この犠牲をなんとする

2013-10-06 19:14:09 | 行ってみて

波が引いたあと、累々たる児童たちの死体に住民らは

息を呑む。言葉が出がない。散乱するランドセル、教室

の机など・・・

 

高くなっている橋へ移動しようとグラウンドから歩き出し

た全学童へどす黒い大津波が襲った。

校庭の横には逃げようと思えば、はいあがることの出来る

低い山がある。

そこへ何故走らなかったか。

山と堤防にさえぎられ、波を確認することが出来なかったの

だ。津波は湾に集中してきた海水が狭い通路状になった北

上川を逆のぼる。波はいきなり校舎の上からやって来た。

もうひとつ重大な見落としを行政も地域住民までもしていた。

 

学校がなにかあった時の避難所になっていた。

これまでの津波に影響がなかったからだ。

地元新聞の報道によると、県も「大丈夫」だといっていた。

郵便局も警察、駐在所も流された。住民の犠牲者は地区の

4割に当たる74人に及ぶ。

学校にいて児童の世話をしていた先生は11人中9人が亡く

なった。

これだけの犠牲を払ったのだから、後の人達に確実に伝えな

ければなんとする。