人生アラカルト

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「花は咲く」は死者の語りか

2013-03-12 23:48:48 | 判断は勝手
東日本大震災から2年。NHKで歌われている「花は咲く」
に私は背を向けていた。歌っているのは東北ゆかりの俳優
や中学生達を動員しての合唱である。私はNHKに歌わされて
いる点が気に食わぬ。


新聞で宗教人類学者の山形孝夫氏は「《花は咲く》に見る
生者と死者の語り」の見出しである点を指摘している。

花は花は、花は咲く、私は何を残しただろう

を繰り返し、余韻を残して消えて行く。歌っているのは
死者ではないのか。

これまで、歌で死者がものをいうことはタブーであった。
ところが、「千の風になって」で死者は墓の中にはいない、
と主張する。

高校の同窓会で、フルートを吹くよう頼まれた。考え付いた
曲の一つが「千の風になって」であった。ところが、世話人
はそれだけは堪忍してくれと云った。

高校は金沢であった。金沢と云えば真宗王国。「千の風になっ
て」は死者の歌ととらえられているのではないか。

元の英文で見る限り、墓を強調したにではなく、風に吹かれて
大空を舞う心豊かな詩であるように思う。

もちろん歌としても名曲である信じている。そうでなければ、
こんなに繰り返し歌われることはないだろう。

フルートで吹くとさらに、よくできた楽曲である、と思う。
同窓会では「花は咲く」も歌うと云うから、楽譜を取り寄せて
歌った。なかなか、いい曲なのだ。

歌っている人たちはまさか死者が歌っているとは思わないだろ
う。

でも、被災地には生者も死者も無念の思いが漂っている。
「ごめんね、助けてあげられなくて」
「いいよ。ずっとも守っているからね」
 と山形氏の解釈。

しかし、歌われているのは、悲しみではなく共に未来へ向かう
優しい希望の涙であると、山形氏は書いている。