33日間、私は震災で大きな悲劇を被った石巻市にいた。
なかでも、108人の全校生の7割に当たる74人が死亡
した大川小学校跡地にレンタカーを走らせた。
校舎は事故当時のまま置かれてあった。
津波は10メートル以上。校舎を呑みこんだ。
校舎はぼろぼろ。コンクリートの塀も捻じ曲げた。
校舎の近くに慰霊の礼拝所が設けてあった。
誰もいなくなるのを待って、私はお経を上げた。
なんということ。逃げられなかったのは、住民に危機意識が
薄かったと聞いた。
「可哀そうに。何十人もの子供の命が奪われた」
東北鎮魂の旅をしました。
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