一つ一つの詩が、さまざまな心を描く詩集です。ある日・ある時の自分の心に向かい合うことができます。見えない心の姿が言葉を通して見えてきます。言葉の力と言えるのでしょうか。その言葉も心の前では無力であり、言葉を超えたところに心が在るのだと語っているようにも感じます。そばにおいて、その時々の心に向かい合いたくなった時に、また読み返してみたい詩集だと思います。朝日新聞に連載された詩をもとに編まれた詩集ということです。その中から印象に残った二つの詩を紹介します。
※ 詩集「こころ」 谷川俊太郎作 朝日新聞出版
ありがとうの深度
心ここにあらずで
ただ口だけ動かすありがとう
ただ筆だけ滑るありがとう
心得顔のありがとう
心の底からこんこんと
泉のように湧き出して
言葉にするのももどかしく
静かに溢れるありがとう
気持ちの深度はさまざまだが
ありがとうの一言に
ひとりひとりの心すら超えて
世界の微笑がひそんでいる
気持ちの深度に応じた いろいろな 「ありがとう」にふれる日々。その深度を推し量ることは無意味なのかもしれません。ありがとうの意味するものは その内に込めた心を はるかに超えたものなのですから。ありがとうは、相手を受け入れ 認める 広さと 人間としての温もりを包みこんだ 言葉なのだと思います。個人と個人、国と国、さまざまなふれあいや関係の中で、世界中に微笑があふれる地球でありたいものです。その意味でも、ありがとうは世界の人々の心をつなぐ言葉なのかもしれません。日々の生活の中で、大切に 心を込めた「ありがとう」を発していけたらと思います。
そのあと
そのあとがある
大切なひとを失ったあと
もうあとはないと思ったあと
すべて終わったと知ったあとにも
終わらないそのあとがある
そのあとは一筋に
霧の中へ消えている
そのあとは限りなく
青くひろがっている
そのあとがある
世界に そして
ひとりひとりの心に
震災や原発事故で 大切な家族、家や財産、故郷や思い出を失った被災者の方々にとって、「そのあと」は、どうなっているのでしょうか。「そのまえ」の幸せを想うたびに、辛く苦しい「そのあと」を過ごされてきたのではないでしょうか。背負う悲しみが、少しずつでも癒され、前に進んでいける「そのあと」であってほしいと心から願います。
悲しく辛い出来事に出会うたびに、人は誰でもその重さと痛みを抱えながら、「そのあと」を生きてきたのだと思います。
V.E.フランクルは、人が生きる意味について次のように語っています。人生に何かを期待する〈何かを求める〉のではなく、人生に対して何を与え、何をすることができるか『人生があなたを待っている』のだと…。
「そのあと」そのものが、自分を待っている人生そのものなのだと思います。誰にでもそのあとの道が用意されているのだということを忘れてはいけないのだと思います。絶望と隣り合わせの ドイツの強制収容所での生活の中から フランクルが見出した結論でもありました。
そのあとを生きることがたとえ辛く苦しいものであっても、待っていた人生は生きる意味を気づかせてくれるのではないかと思います。
生きること と 心は、深く結びついているのだと思います。