先日の新聞に、シリア難民の子どもたちの現状を紹介する記事がありました。
内戦の戦火を逃れ、周辺国で暮らす子どもが100万人を超えたとのことです。
記事の中の2枚の写真には、通りを走る車に 売り物の花を差し出す12歳のモアズ君、通りに座り込んで物乞いをする3歳のヤコブ君の姿がありました。ヤコブ君の隣には、さらに幼い弟が座っていました。
場所は、シリアの隣国レバノンの首都ベイルートの繁華街。モアズ君の家族は、シリア北部のアレッポから7カ月前に、ヤコブ君の家族はシリア北西部のジスルアッシュグールから5カ月前に逃げてきたとのこと。シリアの国境付近は、難民が飽和状態になり、そこにいられず都市部に流れてきたようです。
レバノンでは、シリア難民キャンプの造営が認められないため、難民はアパートを借りて住んでいるとのこと。その家賃を払うために、現金収入が必要となり、花売りなどをして働く子どもや物乞いをする姿が、1年前から多く見られるようになったそうです。
国連高等弁務官事務所と国連児童基金〈ユニセフ〉によると、8月現在、周辺国で暮らすシリア難民は約200万人で、そのうち子どもは100万人を超え、児童労働や性的搾取、人身売買の危機に直面しているとのことです。
〈7日付〉の新聞によると、内戦は、政府軍と反政府軍との戦いだけではなく、反政府軍内部の路線の対立から、アルカイダ系 対 クルド系 の戦いも 生じているとのこと。このため、イラク北部の難民は急増しているそうです。その中にはたくさんの子どもたちも含まれることになります。
戦火を逃れても、難民にとっては 生きていくための苦しい生活が続き、弱い存在である子どもたちは過酷な生活を強いられます。
子どもたちの命と幸せと未来は、誰が守り、誰がつくってあげられるのでしょうか。
戦争が続く限り、世界のどこかに 今のこの瞬間も 戦火におびえ、住むところも食べるものもない 子どもたちが いることでしょう。
戦争がもたらす不幸が、失われる数多くの命が、憎しみや悲しみが、戦火におびえる子どたちが、いつになったら この世界からなくなるのでしょうか。
懸命な大人たちの手で、子どもたちの命と未来が守られる世界が 一日でも早く訪れることを願います。
そのために何ができるのだろうかと 自らを 問い返しています。