丘の中腹に建つ一軒の家の前に、一本のイチョウの木がありました。葉はすべて落ち、幹を囲むように鮮やかな黄色のジュウタンが 地面をおおっていました。身にまとった秋の衣服をきれいに脱ぎ捨てた、裸のイチョウの あまりの潔さに、深い感動を覚えました。そして、しみじみと そこに 秋を感じました。
一つ一つの小さな秋が過ぎていく中で 秋は深まり、やがては 冬の訪れとなるのでしょう。遠くの山々には、すでに積雪が見えます。
鮮やかな紅葉から白い雪へと移り変わる中で、世界は 原色から無彩色の世界へと転じていきます。それはまた、無垢な白にリセットされた世界が 鮮やかな原色の世界へと移り変わっていくための 準備の段階なのでしょう。そうして やがては 冬から春へと 季節は転じていきます。
こうして巡る季節だからこそ、今 秋が終わらないうちに 小さな秋を いっぱい見つけておきたいものです。
イチョウの潔さに感動したとき、思い浮かんだのが「ゆづり葉」の詩です。改めて、そこに込められた作者の思いを汲み取りながら、ゆずり葉を見上げてみたいと思いました。
ゆづり葉
河井 酔茗〈1874~1965〉
子供たちよ
これは譲り葉の木です
この譲り葉は
新しい葉ができると
入り代って古い葉が落ちてしまうのです
こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉ができると無造作に落ちる
新しい葉にいのちを譲って ---
子供たちよ
お前たちは何を欲しがらないでも
凡てのものがお前たちに譲られるのです
太陽の廻るかぎり
譲られるものは絶えません
輝ける大都会も
そっくりお前たちが譲り受けるのです
読み切れないほどの書物も
みんなお前たちの手に受取るのです
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれど---
世のお父さんお母さんたちは
何一つ持ってゆかない
みんなお前たちに譲ってゆくために
命あるもの、よいもの、美しいものを
一生懸命に造っています
今、お前たちは気が付かないけれど
ひとりでにいのちは伸びる
鳥のようにうたい
花のように笑っている間に
気が付いてきます
そしたら子供たちよ
もう一度譲り葉の木の下に立って
ゆづり葉を見る時がくるでしょう
※旧かなづかいを現代かなづかいで表記しました
いのちのバトンと共に 都会も書物も 親たちが一生懸命に造った すべてのものが、子供たちに譲られていく。やがて親となった子供たちは、同じように我が子にすべてを譲っていく。季節の巡りと同じように、譲り譲られながら世界は巡っていくのでしょう。何一つ持っていかない潔さと 命あるもの・よいもの・美しいものをつくる努力を忘れずに、今を大切に過ごしていきたいものだと思います。