あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

袴田事件を通して考えたこと

2014-05-06 12:20:47 | インポート

『袴田事件が問うもの』と題して 死刑制度の問題について問いかける社説を読みました。

48年間もの獄中生活を過ごし、袴田さん自身は精神を病んでいたとのこと。死刑囚としての日々は、冷たいコンクリートの中で差し迫った死と向き合う 過酷な毎日だったのではないかと思います。自由と生きる望みを奪われ、絶望の中で いつ死刑執行の日が訪れるのかとおびえる毎日。その中で、17,520日も過ごしてこられたのです。

以前のブログで、死刑囚であり歌人でもあった島秋人さんのことを取り上げ、死刑制度のありかたに疑問の思いを書いたことがありました。島さんは実際に犯罪を犯し、死をもって罪を償うことを受け入れた方でもありました。獄中の中で、短歌をつくりはじめ、それまでの自分の生き方を見つめ直し、命の尊さや残された遺族の辛さを考え、罪の重さを深く自覚するようになります。同時に、死刑囚として刑の執行を待つ日々の苦しい胸の内も 短歌で表現しています。「遺愛集」として収められた短歌の一つ一つに、死刑囚ではなく 人間「島秋人」の思いが切々と込められています。

袴田さんの場合は、島さんとは異なり、冤罪で獄中生活を48年間も過ごさなければなりませんでした。犯してもいない罪を背負い、死と隣り合わせの日々を過ごしてこられたのです。無期刑でも2010年以降だけで、足利事件など四人が再審無罪となっているとのこと。冤罪が明らかにされず無実のまま刑が執行された方もおられるのではないでしょうか。そのことを想像するだけで心が痛みます。

死刑制度が存続している国は、現在 先進国ではアメリカの一部の州と日本だけとのことです。社説にあるように「人間が犯した罪を、訴追し裁くのもまた人間だ。誤判はありうるという前提にたって考えざるをえない」という思いに、共感します。袴田さんが失った48年間を誰が戻してあげられるのでしょうか。

それでも、死刑制度が重大な犯罪を抑止する上で有効だと言い切れるものなのでしょうか。残された遺族の無念の思いを受け止め、死をもって罪を償うことを良しとすべきなのでしょうか。

冤罪で死刑が執行されるような事態を防ぐという視点からも、死刑制度の見直しが必要なのではないかと考えます。また、島さんが、犯罪者から人間にと変わることが出来たように、自分の罪を心から認め遺族に謝罪できるような 犯罪者の更生を大切にした 制度に変えていくことはできないのでしょうか。 罪を憎んで人を憎まず といった考えに立ち、死刑制度の廃止を前提にした制度の再検討が必要と感じます。

この世にたった一つしかない命の尊さと重さとを推し量りながら、袴田事件の提起する問題を改めて考えていきたいものです。

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