湯川さんに続いて後藤さんまでイスラム国からの解放に至らず殺害されたことに、強い衝撃を受けました。
お二人のご家族の深い悲しみを想うと、心が痛みます。
生前の姿と亡くなった姿を同時に映像で示されたのですから。
今はただお二人のご冥福を心から祈りたいと思います。
それにしても、何とか解放の道を探ることはできなかったのでしょうか。
湯川さんと後藤さんが拘束された情報は、昨年の段階で政府もつかみヨルダンに対策室を設けていたとのこと。
以来どんな手立てや方策が講じられていたのでしょうか。
安倍首相の中東訪問の折のスピーチは、拘束の事実に配慮した内容だったのでしょうか。
イスラムの国々とは、欧米とは異なる形で信頼関係を築いてきた外交経緯があったとのこと。
その信頼の上に立って、イスラム国も含め中東のどの国とも 難民の救済や医療・食料といった人道的支援に尽力していく。
そういったスタンスでスピーチできなかったのかと思ってしまいます。
今回の出来事を通して、尊いお二人の命が奪われ、イスラム国からは日本国民まで敵視されるような事態になってしまいました。
武器を持たない民間人を人質とし殺害するようなイスラム国の蛮行は、決して許されるものではありません。
また、そういった行動やテロ行為を続けている限り、イスラム国は周辺のイスラム諸国からも見放され敵視されてしまうのではないでしょうか。
ただ冷静に考えたいのは、イスラム国内に住む人々がすべてイスラム原理主義の過激派ではなく、中には戦禍におびえる子供たちもたくさん暮らしているという事実です。
イスラム国を敵視するだけでは平和への糸口は見いだせず、後藤さんが願った子供たちが平和な世界の中で幸せに暮らせる未来は遠のいていくのではないかと思います。
軍事力には軍事力で対抗する そういった殺し合いの中で生まれるのは、憎悪の限りない連鎖です。
その中で子どもたちはおびえ、銃を持たされ、戦場へと駆り出されていく。
子どもたちのためにも、平和と心の平穏をもたらす争いのない環境をどうやったらつくり出せていくのか。
非軍事に徹して、医療や食料、教育や住環境の整備等の分野で日本が貢献していくことが求められているのではないかと考えます。
そういった地道な人道的支援活動が、憎悪の連鎖を断ち切り 人間回復の何よりの支援になっていくものと思います。
2012年に、シリア内戦の取材中に政府軍の銃撃を受けて亡くなった山本美香さんは、「ぼくの村は戦場だった。」の著書の中でこう語っています。
コソボ紛争の取材の中で、セルビア軍に殺され埋められたアルバニア人の遺体を収容する場面に遭遇します。捜し求めていた息子の遺体を見つけた父親は、
~ドロドロになった息子にすがりつき、「ようやく会えた」と静かに声をかけた。…見回せば、いたるところに原形をとどめていない人間の塊があった。
あまりにむごすぎる。突然、命を奪われ、その上こんな無残な姿で発見されるのだ。なぜこんな目に遭わなければならないのか。なぜこんなことができ るのか。心が凍りつくような気がした。コソボ各地で集団埋葬地が見つかっている。
ハエがまとわりつき、蛆虫が押し寄せる。そんな嫌な夢で目が覚めた。体に染みついた死臭がどうしてもとれない。洗っても洗ってもつきまとう。怒 り、憎しみ、苦しみ。無念の思いが毛穴の奥にこびりつき、ふとした拍子に滲み出てくる。これから何年経っても忘れることはないだろう。忘れること などできない。しかし私の受けた衝撃はいつの日か薄れる。けれども、彼らはこの場所に暮らし続けなければならないのだ。肉親を奪われ、家を焼か れ、心を破壊された土地にこれからもずっと。 ~
いまだに、戦地では 多くの人が故郷を追われ、故郷にとどまり、苦しみと悲しみと破壊された心を抱え暮らしている。
その人たちやそこで暮らす子どもたちに、生きる希望を与えることのできる支援が求められているのだと思います。
それを実践していくことが、山本さんや後藤さんの遺志を継ぐことになるのではないでしょうか。
お二人のご家族の深い悲しみを想うと、心が痛みます。
生前の姿と亡くなった姿を同時に映像で示されたのですから。
今はただお二人のご冥福を心から祈りたいと思います。
それにしても、何とか解放の道を探ることはできなかったのでしょうか。
湯川さんと後藤さんが拘束された情報は、昨年の段階で政府もつかみヨルダンに対策室を設けていたとのこと。
以来どんな手立てや方策が講じられていたのでしょうか。
安倍首相の中東訪問の折のスピーチは、拘束の事実に配慮した内容だったのでしょうか。
イスラムの国々とは、欧米とは異なる形で信頼関係を築いてきた外交経緯があったとのこと。
その信頼の上に立って、イスラム国も含め中東のどの国とも 難民の救済や医療・食料といった人道的支援に尽力していく。
そういったスタンスでスピーチできなかったのかと思ってしまいます。
今回の出来事を通して、尊いお二人の命が奪われ、イスラム国からは日本国民まで敵視されるような事態になってしまいました。
武器を持たない民間人を人質とし殺害するようなイスラム国の蛮行は、決して許されるものではありません。
また、そういった行動やテロ行為を続けている限り、イスラム国は周辺のイスラム諸国からも見放され敵視されてしまうのではないでしょうか。
ただ冷静に考えたいのは、イスラム国内に住む人々がすべてイスラム原理主義の過激派ではなく、中には戦禍におびえる子供たちもたくさん暮らしているという事実です。
イスラム国を敵視するだけでは平和への糸口は見いだせず、後藤さんが願った子供たちが平和な世界の中で幸せに暮らせる未来は遠のいていくのではないかと思います。
軍事力には軍事力で対抗する そういった殺し合いの中で生まれるのは、憎悪の限りない連鎖です。
その中で子どもたちはおびえ、銃を持たされ、戦場へと駆り出されていく。
子どもたちのためにも、平和と心の平穏をもたらす争いのない環境をどうやったらつくり出せていくのか。
非軍事に徹して、医療や食料、教育や住環境の整備等の分野で日本が貢献していくことが求められているのではないかと考えます。
そういった地道な人道的支援活動が、憎悪の連鎖を断ち切り 人間回復の何よりの支援になっていくものと思います。
2012年に、シリア内戦の取材中に政府軍の銃撃を受けて亡くなった山本美香さんは、「ぼくの村は戦場だった。」の著書の中でこう語っています。
コソボ紛争の取材の中で、セルビア軍に殺され埋められたアルバニア人の遺体を収容する場面に遭遇します。捜し求めていた息子の遺体を見つけた父親は、
~ドロドロになった息子にすがりつき、「ようやく会えた」と静かに声をかけた。…見回せば、いたるところに原形をとどめていない人間の塊があった。
あまりにむごすぎる。突然、命を奪われ、その上こんな無残な姿で発見されるのだ。なぜこんな目に遭わなければならないのか。なぜこんなことができ るのか。心が凍りつくような気がした。コソボ各地で集団埋葬地が見つかっている。
ハエがまとわりつき、蛆虫が押し寄せる。そんな嫌な夢で目が覚めた。体に染みついた死臭がどうしてもとれない。洗っても洗ってもつきまとう。怒 り、憎しみ、苦しみ。無念の思いが毛穴の奥にこびりつき、ふとした拍子に滲み出てくる。これから何年経っても忘れることはないだろう。忘れること などできない。しかし私の受けた衝撃はいつの日か薄れる。けれども、彼らはこの場所に暮らし続けなければならないのだ。肉親を奪われ、家を焼か れ、心を破壊された土地にこれからもずっと。 ~
いまだに、戦地では 多くの人が故郷を追われ、故郷にとどまり、苦しみと悲しみと破壊された心を抱え暮らしている。
その人たちやそこで暮らす子どもたちに、生きる希望を与えることのできる支援が求められているのだと思います。
それを実践していくことが、山本さんや後藤さんの遺志を継ぐことになるのではないでしょうか。