朝日新聞に連載されている『折々のことば』で、「馬の耳に念仏」という ことわざが
取り上げられていました。
~ 道理の通じない相手には何を言っても無駄。自身痛い目にあって悟るまでまつしか
ないと、道理を説く者はため息をつく。 ~
書き手の鷲田清一さんは、こう述べて ことわざの意味を解説しています。ここまでは、
私も同感で、同様な解釈をしていました。
いくら言葉を補っても、聞く耳を持たない相手には通用しないのでは……。ことわざを語る
側に身を寄せて、語っても通じないことを嘆く思いに共感していました。
しかし、鷲田さんは続けて次のように語っています。
~ が、はたしてそうか。道理を知る自分は諭す側で、相手は諭される側、という前提を
微塵も崩そうとせずに、ただ嘆くばかり。その意味で、耳を貸さないのは じつは
道理を説く側なのかもしれない。
諭すよりも、相手の心をほどくことに意を向けねば。 ~
聞く耳を持たないのは、もしかすると諭そうとして嘆く側なのでは…。
道理の側に身を置いていることを意識するあまり、相手の心によりそうことを否定して
しまっている場合があるのかもしれません。
大切なのは、嘆くことではなく 分かり合おうとする姿勢なのでは。
韓国と日本との関係が、反韓や反日に満ちている現況を考えるにつけ、同様なことがあて
はまるような気がしてなりません。
寛容さが社会全体の中で薄れている状況の根底にも、聞く耳をもたない立場に自分の立ち
位置があることに気づかないということがあるのかもしれません。
沖縄の 辺野古への基地移設の問題も 同様に感じます。
県民投票の結果を 政府は無視するような形で、移設を強行しようとしています。
普天間の危険除去のために移設は必要なのだと 政府は主張していますが、本当にそれしか
選択肢はないのでしょうか。
国の安全保障のためだという理由で、過重な基地負担を沖縄に押しつけてきた痛みを感じる
ならば、県民投票の結果を尊重し、移設工事をストップして 基地問題を再検討することが
必要なのではないでしょうか。
それはまた、沖縄県民だけの問題ではなく、国民全体の問題として 国民一人一人が問い直す
課題なのだと感じます。
「馬の耳に念仏」と 嘆かず、突き放さず、
自分の立ち位置を冷静に振り返り、相手の心をほどくことに、意を向けることこそ
今は大切なのだと思います。
取り上げられていました。
~ 道理の通じない相手には何を言っても無駄。自身痛い目にあって悟るまでまつしか
ないと、道理を説く者はため息をつく。 ~
書き手の鷲田清一さんは、こう述べて ことわざの意味を解説しています。ここまでは、
私も同感で、同様な解釈をしていました。
いくら言葉を補っても、聞く耳を持たない相手には通用しないのでは……。ことわざを語る
側に身を寄せて、語っても通じないことを嘆く思いに共感していました。
しかし、鷲田さんは続けて次のように語っています。
~ が、はたしてそうか。道理を知る自分は諭す側で、相手は諭される側、という前提を
微塵も崩そうとせずに、ただ嘆くばかり。その意味で、耳を貸さないのは じつは
道理を説く側なのかもしれない。
諭すよりも、相手の心をほどくことに意を向けねば。 ~
聞く耳を持たないのは、もしかすると諭そうとして嘆く側なのでは…。
道理の側に身を置いていることを意識するあまり、相手の心によりそうことを否定して
しまっている場合があるのかもしれません。
大切なのは、嘆くことではなく 分かり合おうとする姿勢なのでは。
韓国と日本との関係が、反韓や反日に満ちている現況を考えるにつけ、同様なことがあて
はまるような気がしてなりません。
寛容さが社会全体の中で薄れている状況の根底にも、聞く耳をもたない立場に自分の立ち
位置があることに気づかないということがあるのかもしれません。
沖縄の 辺野古への基地移設の問題も 同様に感じます。
県民投票の結果を 政府は無視するような形で、移設を強行しようとしています。
普天間の危険除去のために移設は必要なのだと 政府は主張していますが、本当にそれしか
選択肢はないのでしょうか。
国の安全保障のためだという理由で、過重な基地負担を沖縄に押しつけてきた痛みを感じる
ならば、県民投票の結果を尊重し、移設工事をストップして 基地問題を再検討することが
必要なのではないでしょうか。
それはまた、沖縄県民だけの問題ではなく、国民全体の問題として 国民一人一人が問い直す
課題なのだと感じます。
「馬の耳に念仏」と 嘆かず、突き放さず、
自分の立ち位置を冷静に振り返り、相手の心をほどくことに、意を向けることこそ
今は大切なのだと思います。